cocolog:89997835
ブラッドベリ『華氏451度』とハクスリー『すばらしい新世界』を読んだ。共に有名なディストピアSF。前者は、「本を焼く者は、やがて人間を焼くようになる」(ハイネ)を延ばしたぐらいの内容だが、後者は、生命科学がからむ管理社会を描き、とてもおもしろかった。 (JRF 3834)
JRF 2018年9月23日 (日)
>今日の昼、私の本すら「漢字が多い」と言って読まない子供が突然『一九八四年』を読み始め何かと思ったら夏休みの宿題。て、もう31日だぜ。 訊けば『一九八四年』『華氏451』『すばらしい新世界』から一冊選んで読むのだそう。これ、選択肢に明確なコンセプトがあるな(笑)<
JRF2018/9/233194
……。
……。
『華氏451度 [新訳版]』(レイ・ブラッドベリ 著, 伊藤 典夫 訳, ハヤカワ文庫SF, 2014年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4150119554
https://7net.omni7.jp/detail/1106399030
原著は、Ray Bradbury『Fahrenheit 451』(1953)。単に『華氏451』とも言われる。
JRF2018/9/236539
有名な作品のようだが「本を焼く者は、やがて人間を焼くようになる」(ハイネの言葉らしい)以上の主張はないように思う。ネタバレになるが、本を焼く社会が、核戦争で滅ぶというだけの物語…と言ってしまっては言い過ぎか。
ストーリーでは、主人公が殺人を犯したとき被害者の「死にたがり」がとってつけたように見えたり、協力者があまり役に立ってなかったり、妻との冷えた関係はわかるけどその「最初に出会った場所」が結局大して意味がなかったり…というのは中途半端に私は思った。
JRF2018/9/236109
あとは大事なのは細部の表現になるが…。
>「(…)国民には記憶力コンテストでもあてがっておけばいい。ポップスの歌詞だの、州都の名前だの、アイオワの去年のトウモロコシ収穫量だのをどれだけ憶えているか、競わせておけばいいんだ。不燃性のデータをめいっぱい詰めこんでやれ、もう満腹だと感じるまで“事実”をぎっしり詰めこんでやれ。ただし国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰めこむんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。動かなくても動いているような感覚が得られる。それでみんなしあわせになれる。(…)」<(p.103)
JRF2018/9/233466
こういうのはハッとする良い表現。でも、他で、やたらと名作の引用でまくしたてるところとかは辟易する。私は、ことわざはある程度、覚えているけど、名言や引用まではまったくというほど覚えていない。欧米の本で引用があるときは、著者は覚えて書いているのだと思うが、ほんと尊敬する。
JRF2018/9/231201
この辺、東西冷戦のころはたしかに「第三世界」について、私もこのような感覚があったが、今はどうだろう? 今はけっこういろんな国が世界経済に組み込まれているように思う。それでも取り残されている国は私が気付かないだけであるのかもしれないな…。
JRF2018/9/233741
>「(…)本はぼくらを助けてくれるんでしょうか?」「必要なものの三つめが手にはいりさえすれば。ひとつめは、最前いったとおり、情報の本質だ。二つめは、それを消化するための時間。そして三つめは、最初の二つの相互作用から学んだことにもとづいて行動を起こすための正当な理由だ。(…)」<(p.142)
JRF2018/9/234622
この世界では本の要約版みたいなものは手に入り、音声で覚えるぐらいのことはできる。上司の本の知識を考えると、本を覚えること自体は手助けがあるのではないか。インターネットはなさそうだが、知識という点では今よりも個々人が知識を持っている世界なのではないだろうか。今はインターネットのせいでかなり知識をアウトソースしてしまっている。それが本当に良いことなのか…という点で、この本の結末の主張になるわけだが、そのあたりが保守的な「先生」達に認められ、今もこの本が読まれているのだろう。
JRF2018/9/230060
>「これにはありったけの金をつぎこんだ -- 金はどうしたかって? むろん株だよ。株式市場は職を失った危険なインテリが逃げこむ最後の避難所だ。(…)」<(p.152)
そうなの? いやぁ、私は株は怖くてできないけどなぁ…。株は本物のインテリのたしなみなんだろうか?
JRF2018/9/231610
……。
「検閲」の問題は、ちょうど今ではブロッキングの問題でよく聞く。
[cocolog:89103582] で「ブロッキングするならキャプチャを可能にしろ!」という主張を私はした。条件付きだがブロッキングは認めても良いという方向である。DNS への掲載をブロックしたり、IP アドレスをブロッキングするのは、今は司法ではダメということかもしれないが、憲法の検閲禁止に引っかからないという解釈にする余地はあると個人的には思う。
JRF2018/9/235311
ただ、ブロッキングを本気でするなら、リーチサイトの禁止によく似た DNS に違法サイトを載せるのも禁止にして、その禁止を守らないような海外の(公的) DNS サーバーなどをブロックする必要が出てくる。その辺も認めるという話でないとおかしい。
JRF2018/9/230541
はてなブックマーク - 《【速報: 角川の代表取締役、個人がDNSを立てられないようにしようと公言】OP53Bは内容規制で情報アクセスそのものを遮断する。フィルタリングのポートが違うだけ、ではない。 - Togetter》
https://togetter.com/li/1261340
JRF2018/9/237949
jrf:>でも本気で「ブロッキングする」となれば、幇助アプリ禁止、さらに DNS を幇助違法で IP アドレスのブロックまでが一セットなのは当然で、DRM を規制する文脈からは DNS over HTTPS の許可制も自然な流れのように思うけど…。< 2018/08/30
JRF2018/9/232458
個人的にそこまでやって欲しくないが、そこまでやるかもしれないよ…という姿勢を見せないと実効はないだろうとも考える。
ただ、個人的に問題にしたいのはむしろそこではなく、企業内などで日常的に行われているブロッキング。こちらのほうが「検閲」としては問題が大きいように思う。
《GitHubへの社内からのアクセスをブロックする会社 | スラド IT》
https://it.srad.jp/story/18/09/18/089202/
JRF2018/9/234537
↑のコメントによると、ブログ等を一切ブロックしているところもあるらしい。それは、「ブログ」である私のようなところは困る。娯楽本の持ち込み禁止は、学校とかでは必要かもしれないが、大人になってそれを言う必要があるだろうか? 必要かどうかは大人自身の判断にまかせるというのが民主主義の世界でないか? セキュリティの問題は、解決策があると思う。あまり良くないが、ログを取るぐらいで「事前検閲」はやるべきではないように思う。
JRF2018/9/239351
民間だからと言って、「検閲していい」というのはおかしいというのが私の意見。finalvent 氏などが、憲法は政府を縛るもので、国民の義務などを書く必要はない…かの論を展開しているのを読んだことがたしかあるが、私は、[aboutme:95506] で書いたように、憲法は「国民の宣言」としての性格も持ち、投票の義務([aboutme:108306])などを入れていくべきだという考えを持っている。そういう私からすると、検閲の禁止も国民がそれを侵さないようにすべきもので、大企業あたりなら検閲から離れる責任・努力義務があると思っている。
JRF2018/9/231209
経済的平等についても民間が安易に差別してはいけないという話は [aboutme:127257] などでした。
《海外ダウンロード購入にまつわる私のトラブルに関する法的検討》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2011/07/post.html
>もちろん、お得意様への割り引きまで「差別」ということにはしがたいから、経済的自由とのかねあいがあり、ある種の「差別」をなしたから即、憲法に反するわけではない。<
JRF2018/9/232501
…一方、会員制だからといって、完全なカルトでなく一般的な募集をしているなら、「少し匂う」程度の理由で、出入り禁止にしたりはできないと考えるべきだろう。(すみません、私、少し匂うかも。orz)
JRF2018/9/235839
……。
「検閲」に対する最近の私の懸念のもう一つは「ヘイトスピーチ問題」。ヘイトは「右翼」がよく使うが、だからと言ってヘイトを安易に規制してはならないとも考えている。が、少し党派的に譲るのもやむをえないかとも考えるようになった。
JRF2018/9/237392
[cocolog:87632884]
>ヘイトスピーチは、差別的スピーチが必ずしも脅迫になっていなくても、憎悪を煽られた第3者が実力行使を含む差別行為に及ぶことがありうる。(…)「被害」の可能性に対応するために、脅迫・侮辱・名誉侵害に致っていない場合でも、ヘイトスピーチを禁じるというのはありえる法理だと私は認めようと最近、思うようになった。<
JRF2018/9/231845
しかし、明確な基準に基づくことなく「それはヘイトだ」と言って、安易に自分にとって都合の悪い人の意見を遮ろうとするのは悪だと思う。ある種の「ファシズム」ではないかと思う。こういうレッテルの貼り合いはよくないかもしれないが。
JRF2018/9/234401
そして、今後、何がヘイトなのかを決めるのが一種の権力になりかねない。「女性は LGBT に普通、好意的だ」という偏見が私にあるからかもしれないが、LGBT へのあえてヘイト風の意見を政治家が述べるのは、自分がそのヘイトの基準を持っていることのアピールではないかという気がしてくる。超高齢化の日本は今後政治的流動性がなくなるため、政権にいかに食い込んで意見を通すかという視点がこれまで以上に重視される可能性があるが、その徴候が現れているのではないかと疑ってしまう。
JRF2018/9/231158
自分から見てヘイトがあるから、書店にその本を置かないということも危険で、上の検閲禁止の議論同様、ある程度大きな書店は、憲法上の義務において、置かないという措置をしてはいけないと私は考える。置くスペースがないなどの理由ならしかたないが、特別にある号だけ置かないというのはダメだと思う。
JRF2018/9/236785
もっとも、スペースがあるからといって、暴力的右翼の宣伝誌まで置かなければならないかというと、何か有意義な記事があるとき、それを通販で手に入れるのは名前が知られていやなので、私はできれば置いて欲しいと思うが、金銭の流れを作ること自体が反社会勢力との協力にあたる可能性もあり、判断は難しいかもしれない。
JRF2018/9/234627
……。
……。
『すばらしい新世界 [新訳版]』(オルダス・ハクスリー 著, 大森 望 訳, ハヤカワepi文庫, 2017年)
https://www.amazon.co.jp/dp/415120086X
https://7net.omni7.jp/detail/1106730353
原著は、Aldous Huxley『Brave New World』(1932)。旧訳は『すばらしき新世界』とも。
JRF2018/9/238338
『華氏451度』は正直、微妙だったが、こちらの本は抜群におもしろかった。ユーモアも多いが、基本、不謹慎な笑いなので、「爆笑する」には違和感がある。
JRF2018/9/233676
生命科学がからむ管理社会というと、ケストラー『ホロン革命』([cocolog:80965253])を少し思い出した。あちらでは、脳の欠陥を補うための、精神薬を使った人類の制御という話が出てきたのだったが、この『すばらしい新世界』では、出生の段階から管理される。といっても、ありがちな遺伝子選別ではなく、あくまで環境を変えることでの人格制御を徹底する。
JRF2018/9/236030
同じ受精卵を何分割にもして、そこから、社会の上層階級に行く者と下層階級に行く者を主に化学的な処理によって作り出し、様々な条件付けをして階級を固定していく。世界国家の標語は、「共生・個性・安定」であるが、個性はそのように条件付けで主に作り出されるものなのだ。経験か遺伝かという問題で後者を選ぶのが人種差別的でマイナスに見られがちだが、経験のほうを選んでも、やはりディストピア的になるのが本作のミソだろう。
JRF2018/9/232573
フォードがイエスに変わって神のような位置にあり、需要の拡大が重視される。下層階級ははじめのうちは自然を愛するように条件付けされたが、「今」はそうではないという。
JRF2018/9/237740
>サクラソウや自然の風景には、ひとつ、大きな欠点がある。所長はそう指摘した。すなわち、無料で楽しめること。自然を愛することは、工場生産に対する需要を喚起しない。(…)「大衆には自然を嫌うように条件づけする」と所長は言った。「ただし、それと同時に、あらゆる野外スポーツを愛好するように条件づけする。さらに、そうした野外スポーツには高価な道具が必要だという認識を刷り込む。(…)」<(p.34)
JRF2018/9/233966
これは現代のスポーツ用品の宣伝などで応用されてる物の見方かな?(^^;
JRF2018/9/233154
>われらがフォードさま、もしくはわれらがフロイトさまは -- というのも、心理学的な問題を語る場合にかぎり、フォードさまはなぜかフロイトと自称されたので -- 家庭生活に潜むおそろしい危険をはじめて暴いた方だった。<(p.55)
笑った。多神教の神さまとかはよく混同がおこるが、それに対するギャグになっている。宗教学が好きな私にはツボだった。
JRF2018/9/234623
>「少量消費の哲学と倫理は……」(…)「少量生産の時代には不可欠だったが、機械と人工肥料の時代には、社会に対するまぎれもない犯罪となった」<(p.76)
他のユートピア小説、例えばモリス『ユートピアだより』([cocolog:83220604])だと、環境や人を酷使しない少量生産を人が楽しむことが理想とされるけど、このディストピア小説は違う。大量生産・フリーセックス・ソーマ(と呼ばれる合法ドラッグ)の利用が推進される。真理の追及を犠牲にして、刹那的な幸福の持続が求められる。
JRF2018/9/237637
ウエルベック『服従』([cocolog:89975483])の議論でもないが、真理や正義を追求するより、男女とも世の流れに乗ったほうがごく個人的な幸せを感じる可能性が高いというのは、いつの時代もそうなのかな…と思う。個人を「騙してくれる」ものが伝統的に多くあるということでもあろうが。
JRF2018/9/238418
労働は、化学処理により作られた下層階級によりなされる。彼らは上層に上がることなど考えず、やはり刹那的な幸福を求める。話題の AI (人工知能)ではこの先も難しい仕事が、「奴隷」により簡単になされる。
JRF2018/9/234995
(下層階級に対する仕事は…)
>「ひどい仕事? 彼らはひどいなんて思ってないさ。(…)疲れない程度の軽い労働を七時間半やれば、あとは配給分のソーマとゲームとフリー・セックスと感覚映画が楽しめる。(…)たしかに、労働時間の短縮を求めるかもしれない。もちろん、それは実現可能だよ。(…)その実験は、いまから一世紀半も前に行われている。(…)結果は? 社会不安が起こり、ソーマの消費量が大きく増えた、ただそれだけ。<(p.311)
JRF2018/9/239874
労働が人の尊厳を守るという側面はあるのだが、それが精神の安定につながっているということを皮肉的に述べているのだろう。知的関心というものが矯められた層では労働以外を求めても無駄ということだが、民主主義が求める思考訓練が、余暇を充実させることもあるということが逆説的に語られているのかな…そんなことはないか。
JRF2018/9/230859
……。
ディストピアSF を読んでこんな感想を抱くのは間違っていると思うが、今の時代に生きる私は幸せだな、感謝が足りないな…と痛感した。もちろん、ディストピアに比べて幸せというのもあるが、世界統制官みたいなのは今の社会にいて、私達を守ってくれているだろうことに気付かされるという点もあげたい。ある程度の規模のエリート達がそういう責務を分担し、「仕事」としてやってくれている。私はそれを被るだけ。ありがたい。ありがたい。申し訳ない。
JRF2018/9/238550
……。
あと、この本には少しシンクロニシティを感じることがあった。統合失調症持ちの私としては少し危うかった。それは、野人保護区がニュー「メキシコ」ににあるという点。「メキシコ」が問題になっているのは、大阪北部地震に関するひとこと([cocolog:89518288])で述べていた。
実は『「メキシコ」の宗教家の手記』と仮題を付けた SF 小説のアイデアがあった。それにこの本の設定がそっくりだったのだ。そのアイデアを引用しよう。
JRF2018/9/233062
>マヤやアステカのような現在の宗教とはかなり違う状況での、その宗教家の「少し狂った」手記。
JRF2018/9/236288
(…)
「他の惑星」とするより、外宇宙探索の難しさから、「迂回路」を探すのが主流となり、そのとき偶然、並行世界の「惑星」を発見したという感じのほうがよいかもしれない。コロンブスがインドを目指してアメリカを発見したように、異次元の近道たるホワイトホールを目指して偶然見つけたといったようにする。地球に似た星を宇宙で探すより、似たような収束をする多宇宙の並行世界のほうが「近かった」という感じ。
<
JRF2018/9/239217
…ある文明人が、「現地」の野蛮な文明を探索に行って捕まる。その文明人は、囲われたところに住んでいたが、手出しすべきでないのを手出ししたために、殺されそうになっても救助がない。そこに住む宗教家が尋問にあたる。その宗教家は、これまで似たようなことがあっても大丈夫だったことから、文明人にかなり手ひどい扱いをしても罪の意識がない…。
JRF2018/9/230975
アニメ『戦闘メカ ザブングル』の設定に似ていると考えていたが、この本の設定にも似ている。並行世界があるというのが妄想的で、その論だと逆に今、別の並行世界人がこの世界に来て人知れず移住を試みていてもおかしくない…となるのが隠された恐怖となる。
「メキシコ」という言葉が共通だったのは、私がどこかで何かの影響を受けたからだろうか?
JRF2018/9/230263
修正 「検閲禁止に引っかからないという」→「検閲禁止に引っかからず、通信の秘密をパスする」。
修正 「ブロックする必要」→「ブロックしたり、DRM を含め暗号などを使うことを規制する観点から VPN や DNS over HTTPS の運営団体を許可制にしたりする必要」。
修正 [申し訳ない。]→[申し訳ない。もちろん、それ以外の社会の階層の「みんな」にも感謝です。ありがとう。]。
JRF2018/9/238043
……。
……。
追記。
上のヘイトうんぬんは、『新潮45』10月号の「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集の小川榮太郎の記事を受けてのもの。記事には次のような文が載っているらしい。
JRF2018/9/231406
>(…)LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念(…)。満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深ろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。触られる女のショックを思えというか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ(。…)<
JRF2018/9/234107
孫引用は↓から。
《LGBTは、性的嗜好ではない。「新潮45」小川榮太郎氏の主張はここが間違っている。識者が指摘》
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/20/lgbt-shincho45_a_23533247/
JRF2018/9/238119
痴漢する権利があるとは思えないが、痴漢症候群の男がいて、それなりに苦しんでるのは本当だろうと思う。LGBT とフェチズムは違うということだが、じゃあ、フェチズムには何の「権利」もないのかと言えばそれは違うと思う。暴力だから何の配慮もすべきではなく勝手に苦しめばよいというのは、またある種の差別だろう。幸い私は痴漢の性癖はないが、ロリコンのケはある(というか巨乳・奇乳がダメなのだが)。射精で解決することが多い男性の性欲にとって、フェチズムを解消するポルノ(二次でも2.5次でもよい)は認めて欲しいし、女性専用車両や男性専用車両など、誘惑に勝ちやすくする配慮もあるなら良いことだと思う。
JRF2018/9/235317
女性専用車両や男性専用車両という考え方にも問題があるという議論は知っている。しかし、随分前に一度、痴漢に間違われたことがある私は賛成だ。私が旅行のため早朝の満員電車に乗ったとき、大きなカバンを持っていて手の自由がきかないところ、手かカバンが女の人に触れたのか、公衆の面前で女性にすごい目でニラまれた。あんな悔やしい思いは二度としたくない。電車賃を3倍出せば男性専用車両に乗れるというなら、私はそれを選ぶだろう。まぁ、あのときの女性は愚かでデブで醜く臭い男(の私)にはどんな形でも触られたくなかったのかもしれない。そういう人がいてもよい。専用車両でそれが解決するなら安いものだ。
JRF2018/9/236595
ところで私のこれは憎しみの表明なのか? そうだろう。しかし、そういう意見は言わねば伝わらないことがある。うまく言えないことやポリコレに配慮した言い方では感情的な意見がうまく伝わらないこともある。レトリックとして極論を言うことはある。今回の『新潮45』の記事は、少なくとも規制されるべき「ヘイトスピーチ」とは違うと私は思う。言論圧殺は重大なこと。私ははなから雑誌を買わないのでよくわからないが、これ一度のことで今後の雑誌について不買運動までするのはやりすぎのように思う。
JRF2018/9/231069
蛇足だが、上の引用の範囲で言えば、これは痴漢症候群の男の擁護でもなく、LGBT に性に関するあらゆる権利、例えば、配偶者の相続説の優遇などを無制限に認めるのは、痴漢する権利を認めるぐらいの暴論だというぐらいのレトリックとも読める。つまり必ずしも「痴漢する権利」を認めていない。それと同じく LGBT の権利を認めないというだけ。ちなみに、私も同性婚の相続税は問題視している(参:[cocolog:89975483])。財産がからまない他のことは結構どうでもいいと思っているという点、LGBT が日陰者であるべきだとは思っていない点は、この記事の著者とは違うかもしれないが。
JRF2018/9/244771
……。
追記。
同性婚については、養子に準じる扱いをするということを法定すればよいと個人的には思う。
どんな少数者も、完全に対応されることは期待できるものではなく、今ある制度を使って望みを窮屈でも叶えていくもので、同性婚に相当する権利を得ようとしたら、どちらかが養子になるというのがこれまでも実践としてありえたと私は想像する。ただ、子供と同じ扱いをする者と性的な関係を持ちうる配偶者と同じ呼称で呼ぶのは、この先も社会的には受け容れがたいだろうから、そういう実践よりは、同性婚を養子に準ずると法定できればそのほうが望ましいように私は考える。
JRF2018/9/246177
役所・病院・銀行とかのフォームには養子が子と書くところに同性配偶者と書けるようにする…といった感じ。
もっと進んだ議論があるかもしれないが、私程度が考えるのはそれぐらい。
JRF2018/9/241263
もしくは(男女の)再婚のときの相続税の扱いを制限するという方向でもいいけど、そのほうが難しいだろうし…。
JRF2018/9/241410
トラックバック
他サイトなどからこの記事に自薦された関連記事(トラックバック)の一覧です。
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』、マーガレット・アトウッド『侍女の物語』、愛川純子『セクシィ仏教2』を読んだ。前二者は生殖に関するディストピア SF 小説で、後一者は、女性にまつわる仏教説話を載せた新書。... 続きを読む
受信: 2018-12-30 11:47:17 (JST)
読んだキッカケは↓のツイートを見て、基本的な SF ぐらい読んでおかないとなぁ…と思ったから。オーウェル『1984年』は以前読んでいた(参:[aboutme:123256])ので、残りの二冊を買って読んだ。
《葉真中顕@新刊「凍てつく太陽」:Twitter:2018-09-01》
https://twitter.com/akihamanaka/status/1035564327443415040
JRF2018/9/235520