cocolog:89975483
ミシェル・ウエルベック『服従』と愛川純子『セクシィ仏教』を読んだ。たまたま同時期に読んだだけで前者は小説、後者は新書と分野が違うが、あえて言えば共通点は「愛欲と宗教」に関するという点だろうか。その点についていろいろ考えてみた。 (JRF 4346)
JRF 2018年9月18日 (火)
物語は、フランスの大統領選でイスラム政党があれよあれよという間に勝ってしまい、それにつれてフランス社会も思いのほかマイルドに変わっていく。その流れに結局は服従するかのように流されるノンポリのインテリ(大学教授)が主人公。…という感じ。
JRF2018/9/189572
主人公は、家夫長制を支持するようなことを述べ、独身だが、生徒を恋人にし、恋人を年ごとに変え、恋人がいなくなれば娼婦を買うことも厭わない。女性から見て気持ちのいい主人公像ではないだろう。
ただ、家夫長制を支持することを言ったときに、反感を持つべき女性の恋人が必ずしも否定しないというのは、意外にリアルかもしれないと思う。それは男の責任感の表明でもあると恋人どうしでは考えられるから。大きなポリコレの構図とは違う、小さな保守的な空間がそこかしこにありうるから。
JRF2018/9/184323
>ボードレールに言わせると、「ポトフ女」は「(寝るための)若い女」と並んで、唯一文士にふさわしいタイプだというのだが -- この観察は、若い女が年月と共に、やすやすとポトフ女に変化でき、それは女性の秘められた欲望であり自然な性質であるだけに余計に説得力をもつ。<(p.90-91)
JRF2018/9/185089
このような言い方を女性はどう受け取るだろうか。ポリコレ的文脈からは「男性の欲望」をむしろかぎとるべきとなるのかもしれないが、女性の側でも一部の女性にポリコレを信じさせることで競争から脱落させるという機能があるのではないか。自分が変われる。変わった上で愛される。…その方法があるというのもまた真実だろう。「そのままの自分」が若さと共に失われるとすれば悲劇だ。女性は女性を裏切る形で幸せを追求しがちだということなのか。でも、女性は総じて頭がいいから、それぐらいは言われなくてもわかることなのかな…。
JRF2018/9/183145
インテリを主人公に選んだのは、インテリでもそういう思考経路を辿りうると示したかったのか、「インテリ」よりも上に思えることの優越感で読者を釣ろうとしたのか、よくわからない。インテリなのに自国の歴史を知らないと言わせるあたり、日本の右翼からみた左翼を感じさせ、ちょっとリアルというべきか、ステレオタイプと言うべきか難しいところがあるが、フランスも日本と同じような構図があるのだな…ということは理解できる。
JRF2018/9/186263
私も、未だインテリになる夢が捨てきれないという点ではインテリ的であり、党派を組むことに遠ざかりながら、家夫長制には親近感を持つという点は似ている。私は、地位も金もなく、女性にはまったく見向きもされない点は主人公に劣るが、ポルノ好きではあるので共感できる部分はある。結婚できるならしたくて、そうなると若い頃にちゃんと職を持った上で、見合い結婚ぐらいしかなかったのに、職にあぶれて結婚もできなかった40代男が私で、それを含む層の中では条件のいい主人公がどう動くか…という関心の持ち方ができた。
JRF2018/9/185085
この本では、性生活をかなり赤裸々に語る。ポルノとして読者を惹きつけるという意味もあるだろうし、現代という時代のある種の堕落を示しているとも読めるかもしれないが、宗教も主題となる本作においては、男の欲望のあり方に宗教的に折り合うには、その性欲を馴致[じゅんち]させる、または、屈服させる必要があると示唆したかったのかもしれない。
JRF2018/9/188344
(知的)競争に勝利すれば、一夫多妻も可能だったが、破れたがゆえに独身なのだと納得できることもまた男の性にとっての「救い」なのだということかもしれない。もちろん、結末から言って、本書は「違和感」をもたらすための書であるから、その考え方にそのまま服従してはいけないということでもあろうが。
JRF2018/9/185173
>(…)創造主の目的は自然淘汰を通して現れる。(…)哺乳類の場合には、雌が懐胎している時間、そして、雄のほとんど無限の繁殖能力を考慮すると、選択への圧力は何よりもまず雄の方に掛かってくる。雄の間での不公平(…)は一夫多妻の倒錯的な結果ではなく、まさにそれこそが本来達するべき目標だというのだ。(…)<(p.260)
JRF2018/9/185084
以前、[cocolog:87123943] と [cocolog:89280989] で>進化論が成り立つように見えることにも「神の意志」、大きな意味があるはず<と書き、>この「自然から学ぶ」という姿勢そのものをアウグスティヌス…そしておそらくカトリックは否定しがち<と書いたが、自然界では一夫多妻もわりとあるので、上のような理屈も出てくるから、カトリックなどは「自然から学ぶ」を否定しがちだったという面もあるのかもしれない。
JRF2018/9/182355
私が [cocolog:85244915] で「なぜ不倫をしてはいけないか」を考えたときには、>結婚契約は、一夫多妻の場合にも重要で、「不倫」(…という概念…)もありえる<ことも述べた。一夫多妻も無制限ではなく、ある程度の理性をもってなされる、認めていくというのがより「人間的」な折り合いということかもしれない。
JRF2018/9/187122
主人公ではない非モテ風の研究者の老人の男が、見合いで妻をめとることで幸せを得たり、学長の15歳の若い第二の妻を見ることで感情が突き動かされる部分は、自分に置き換えるとすごく理解できる。独身のインテリが簡単にイスラムになびくことはありうるな…と思わせるエピソードだった。
JRF2018/9/182364
恋は冷めるもの。恋愛結婚を続けるよりもはじめから責任によって結ばれる見合い結婚のほうが続けやすいように私は想像する。それは私のゆがみかもしれないが。一方で、夫婦別姓について、昔は、家に入るといいながら奴隷のように扱われ一緒の墓にも入れてもらえない名ばかりの「妻」もありえ、夫婦同姓はそれに対するせめてもの温情の制度という側面もあったのではないか。「見合い結婚」と称されるものの中にはそんな悲惨もあったのではないか。今はそんな時代ではないから、夫婦別姓でも良いのだろうが…。と想ったりすることがある。
JRF2018/9/183239
家族や人口の増加を焦点にしたときイスラムのキリスト教ヨーロッパに対する勝利は確定している。そしてヨーロッパという文明は自殺を選んでいる。…というこの本の記述は、少子化の日本にいてもやはり危機感を抱くところ。finalvent 師(ネットでの影響力からあえて「師」と呼ばせていただくが)がかつてしばしば、ヨーロッパはイスラム圏になると言っていたのを思い出す。この本は、そういう背景をもとに書かれ、衝撃をもって社会に迎えられたらしい。
JRF2018/9/185868
そして2017年のフランスの選挙では社会党から分かれ中道を名乗る党から出馬したマクロン氏が、国民戦線のマリーヌ・ルペン氏を破って大統領となった。結局、フランスはどのような選択をしたことになるのだろう。この本では報道管制がやたらしかれる様子が書かれるが、フェイクニュースが話題となる現在、フランスの内部では何が起こっているのだろう? 私が知りうるわけもなく…。
JRF2018/9/185732
……。
……。
『セクシィ仏教』(愛川純子 著, 田中圭一 絵, メディアファクトリー新書 045, 2012年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4840145016
https://7net.omni7.jp/detail/1106129117
性に関する仏教説話を、特に後半は日本の物語集などから集め、わかりやすい日本語で解説したもの。著者は尼さんでも仏教学者でもないとのことで、「教義」を説明するものではないと断っている。
JRF2018/9/184885
(「戒」により、)
>そんなもろもろの欲を断ち、苦から解放された境地を「悟り」と呼びます。<(p.64)
↓のコメント欄で様々な「悟り」を私は否定した。ここでは戒をもっての「悟り」でなければ「悟り」ではないということが大事だろう。
《シミュレーション・アーギュメントを論駁する》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/10/post.html
JRF2018/9/189146
ヘブライ語で「聖」というのは「わけへだてる」に似た意味があるが、[aboutme:105312] >農業は本質的に生き物(害虫)を殺す中にある。殺生を禁じる僧はしかし農作物は食べる<ことを述べ、暗に、「聖」とは、分別を人々に与える役目であることを示唆した。
JRF2018/9/188808
僧が戒を持つことで、人々に何を示そうというのだろう。性に関する戒があるのを見て、俗にある人達は自分達が戒を守れないことを知り、「苦しむ」。あくまでそれは煩悩が悪いのであって、戒が苦しませているのではないというのはどこまで事実なのか。釈尊はあえて布教することを選んだが、それは人々を苦しませるためではないはず。何か深遠な理由があるのではないか。
JRF2018/9/182945
この戒では、戒を守る者が次の世代を残さず、煩悩を避けられなかった者が子を持つことになる。子の世代はさらに煩悩に苦しむようになるのは必定ではないか。この世界は苦だから、それで正しいとでもいうのだろうか。私にはそうは思えない。
JRF2018/9/186642
p.135 からの日本の説話で、僧がセックスをしたあと法華経を読んだら、普段の徳の高い状態なら経に近付けない道祖神が経を聴けてありがたがったというものが載っている。あえて破戒する僧だからこそ、救える魂があるのだという。
JRF2018/9/189951
>(…)女犯に身を穢しても「心を澄まして」お経を読んでいる(。…)心から仏を信仰し、真摯に経典に向かったからこそ、道祖神も「ありがたや」と感じたのでしょう。人間の浄・不浄を決めるのは肉体ではなく心だと私は信じています。(…)「聖」と「不浄」を併せもつからこそ、救える存在もある。この話は、そう教えてくれているように思えてなりません。<(p.139-140)
JRF2018/9/185382
「戒が本来あるべきだ」という「心」があれば「肉体」が従わなくてもいいのだろうか? しかし、釈尊は、破門にあたる「波羅夷[はらい]」であるか否かを判定するのに、「気持ちよかったか」という「心」の他に、実際に生きた「肉体」で結合したかも重視したのだった(第3章参照)。
JRF2018/9/184236
>(…)天台宗では、稚児と肉体を一つにすることによって観音菩薩とつながると考えていました。<(p.170)
少し議論が離れるが、[cocolog:72947619] などでも語った「同性婚」について。そこでは同性婚には相続税の問題があると語った。次の世代との結婚の場合、男性と若い女性なら「間違い」が起こりやすく、そこで息子や娘への税がかかる相続が起こる。つまり権力が介入しやすい相続が起こる。同性婚を認めると、財産の相続に介入しづらくなる。
JRF2018/9/181561
これを「煩悩」という観点から見た場合、財産への強い執着=煩悩を肯定することになる。逆に言えば、性は相続財産や将来に自分の事跡が残ることへの執着=煩悩を柔らげる面があると言える。一方、釈尊は、戒という教えが残ることに執着したか? …そうではあるまい。釈尊は文の形で教えを残さなかった。しかし、弟子達は残ることを望んだ。それが「教会」の真実だった。
JRF2018/9/189970
(高貴な出である一休だが…)
>一休は女性や遊女をまったく差別することはありませんでした。むしろ社会に差別されがちな存在こそを飄々と受け容れ、差別構造を作っている権力の側に反発しました。<(p.188)
JRF2018/9/185730
煩悩が構造化し、煩悩をさらに生む形になっている差別構造こそが苦であるなら、それを壊そうとすることこそが、釈尊の本当の願い…なのだろうか? 戒はあくまで僧のものであって、俗は邪淫を避ければ十分で、法に近ければ戒の中にいるわけでもなく、一方で、強過ぎる「教会」の法は性の力で破る必要があったということだろうか…。
JRF2018/9/186846
……。
優生学的視点になるかもしれないが…。
『服従』にも優れている者…例えば知的に優れている者の子孫を残すという観点があった。戒を守れることこそが優れているということなら、それを後世に残すにはどうすればいいか? 僧の親戚が子孫を増やすというのが一つの論理的帰結になろう。それを実践していたのが、日本の天皇家を含めた貴族となるのかもしれない。しかし、それだけでは煩悩を苦と思わない者が繁栄するだけにならないか。または子孫を残すときは煩悩を発揮し、そうでないときは戒を守れるような二面性のある人物だけが残ることにならないか?
JRF2018/9/189894
それは社会的に煩悩を消すことではないように私は思う。戒を守れるというだけでもダメだろう。ある意味、もっと上で書いたように、>煩悩を避けられなかった者が子を持つことになる。子の世代はさらに煩悩に苦しむ<ことも求められているのではないか。貴族的に戒なしで煩悩を抑えられるのではなく、戒があってこそ煩悩が抑えられる…それが人間としての理性・自然淘汰される動物の欲動として発達すべき方向で、だからこそそこに「悟り」があるということなのではないか? 俗と貴が性によりあわせることが「戒ある悟り」には必要なのではないか?
JRF2018/9/183762
…とか今は考えてみたのだが、それで正しいかは戒を守るわけではない私には定かではない…。
JRF2018/9/181823
……。
……。
はてなブックマークで xevra 師が言うように子を育てなければ人は成熟しないのであろうから、私には、性愛の真理・神秘はもちろん人間としての真理に到達できるよしもない。私は人生の落伍者・失敗者だ。finalvent 師に言わせれば、師も含めほとんどの人は失敗者になるのかもしれないが、それにしても、私の経験値の低さは異常だ。私は亜インテリどころかあまりにも愚かだ。みじめだ。
JRF2018/9/188470
トラックバック
他サイトなどからこの記事に自薦された関連記事(トラックバック)の一覧です。
ブラッドベリ『華氏451度』とハクスリー『すばらしい新世界』を読んだ。共に有名なディストピアSF。前者は、「本を焼く者は、やがて人間を焼くようになる」(ハイネ)を延ばしたぐらいの内容だが、後者は、生命科学がからむ管理社会を描き、とてもおもしろかった。... 続きを読む
受信: 2018-09-28 18:51:30 (JST)
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』、マーガレット・アトウッド『侍女の物語』、愛川純子『セクシィ仏教2』を読んだ。前二者は生殖に関するディストピア SF 小説で、後一者は、女性にまつわる仏教説話を載せた新書。... 続きを読む
受信: 2018-12-30 11:47:22 (JST)
『服従』(ミシェル・ウエルベック 著, 大塚 桃 訳, 河出書房新社, 2015年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4309206786 (単行本)
https://7net.omni7.jp/detail/1106758755 (文庫)
原著は、Michel Houellebecq『Soumisson』(2015) になる。
JRF2018/9/188826