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cocolog:90609108

森 三樹三郎 訳注『墨子』を読む。兼愛・非攻・節葬・非楽・非命、そして何より有神論に立つ墨子。工人であったかもしれないという部分・普通の労働をしようとしなかった点は共感すべきところだったかもしれない。 (JRF 9408)

JRF 2019年1月29日 (火)

『墨子』(森 三樹三郎 訳, ちくま学芸文庫, 2012年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480094903
https://7net.omni7.jp/detail/1106213359

『世界古典文学全集19諸子百家』(筑摩書房, 1965年)の墨子の部分を文庫化したもの。

JRF2019/1/290775

墨子は中国で紀元前5世紀から紀元前4世紀ぐらいの戦国時代に活躍したと目される思想家。墨子の学統たる墨家は儒家と並んで一大勢力があったらしいが、秦・漢による統一以降、急速に衰え、その後、清代に致るまで「絶学」の悲運に陥っていたそうだ。

JRF2019/1/297719

「絶学」のせいか、墨子はまともに本が残っておらず、もと71篇あったとされるが、現在に残るのは、そのうち53篇である。そしてこの本は、そのうち23篇を訳した抄訳である。また、原文や書き下し文はなく、訳のみが載っている。抄訳というのは、重複を除いたり、論争的詭弁を除いたり、墨子が工人であったとみなされる要素となる軍事的な防御法の論を除いたりしている。

JRF2019/1/294600

訳者は、墨子が工人でもあったという「伝説」に疑義を唱える。後に墨家が防禦戦の請負業者となっていたとしても、墨子自身が>書物も極度に少なかった戦国時代において、一介の工人が読書人となる機会は絶無であったといえるのではないか。<…と。私は、私自身「工人」だからこそ、機械から相対的に人を見たときに感じる兼愛(博愛)の思想はよくわかる気がするので、この「伝説」を無碍にすることはできない。工人も上のほうではインテリ層がいただろうし。

JRF2019/1/296468

墨子の思想は、兼愛(博愛)・非攻(侵攻の否定)・節葬(葬儀を簡素にする)・非楽(音学や華美の否定)・非命(宿命論の否定)というのが主だったところ。そして何より、天志(天の意志)や鬼神(死者の霊魂や自然の霊や妖怪)など有神論に立つのが、他の諸子百家が総じて無神論的だったのに比べ、唯一の例外となっているらしい。

JRF2019/1/296875

……。

>そこで、天下の人は、こぞって上の賞誉を得ようと思い、上の刑罰を恐れるようになった。このため里長は、天下の政治に見習って、その里の意見を同一化する。(…里長・郷長は、国君に帰一し、国君は天子に帰一する。そして…)かように天子に帰一することが成功しても、もし天に帰一し同化することがなければ、なお天の災害の下ることは避けられない。<(p.16-18, 尚同篇)

JRF2019/1/299605

上の人に同一化することを説いてまるで権力者に媚びるように論理を展開しながら、最後のところで、天に順わねばならないと権力者に手の平をかえす。ただ、災害が起きるのはどうにもならないことが多いことを考えると、古代の野蛮な論だなぁ…と思ってしまう。

JRF2019/1/291566

……。

>それでは、乱は何から生ずるか。それは相愛しないところから起るのである。<(p.26, 兼愛篇 上)

人は利に動く者でもあるから、「博愛」はうまくいかない。愛を返してくれないものに対し、返す愛が足りないものに対し、結局、残酷になる。いろんな事情がありうるし、人にはそれまでの人生や性格があり、いつか愛を理解するとしても人の命には限りがあるから、それを慮[おもんばか]ることは常にはできないよ。

JRF2019/1/297901

……。

>もし君臣が愛しあわなければ恩恵と忠義はなくなり、父子が愛しあわなければ慈愛と孝行はなくなり、兄弟が愛しあわなければ睦じさは失われる。<(p.31, 兼愛篇 中)

兼愛は忠孝を否定するものではないんだね。「博愛」は時に家族愛の否定に成り立つというのは訳者も書いていたが、程度問題ではあるかな。

JRF2019/1/294665

ところで、「愛」って昔はなかったとかいう話を聴いたことがあるけど、ちゃんと墨子は「愛」を語っている。あれは、「性愛」という意味で「愛」は使わなかったということだったのかな?

JRF2019/1/294598

……。

>兼愛の士は「自分の聞くところでは、高徳の士が天下の人々に対する場合、友人に対しては自分の身のためにするのと同様にし、友人の親に対しても自分の親に対すると同様に尽くすものである。かくてこそ天下の高徳の士たるにふさわしい」という。そして友人に対する場合においても、友人が飢えていれば食を与えるし、凍えていれば衣を与えるし、病気をすれば看病し、死ねば葬式の世話をする。<(p.42, 兼愛篇 下)

JRF2019/1/299986

上で書いたけど与えっぱなしになったときどう考えるのだろう? また、資源に限りがあるのはどう考えるのだろう? 奇跡がワインを壷に満たしてくれるのを信じ待つのだろうか? 待ちたい気分はするけどね。その代わり「友人」をしぼり、人と会うのを避ける…本当に必要なところでのみ待つ…という方法はあるのかなぁ…。

JRF2019/1/295372

……。

>もし一人の人間を殺せば、これを不義といい、一つの死罪を犯したものとされる。(…)天下の君子はみなこれを非難することを知っており、これを不義であるという。ところが、いま他人の国を攻めるという大きな不義を働く者が現れても、これを非難することを知らないばかりか、かえってこれを誉めて正義であるという。<(p.52, 非攻篇 上)

JRF2019/1/292251

「一人殺せば犯罪者だが、100万人殺せば英雄」は、英国国教会牧師で奴隷廃止論者のベイルビー・ポーテューズの言葉を元にしたもので、チャーリー・チャプリンが『殺人狂時代』のセリフに使って有名になったとのこと(↓)。似た「矛盾」をすでに墨子は指摘していたんだね。

JRF2019/1/297462

《えーっと!誰でしたっけ?ひとり殺せば。犯罪者。百人殺せば英雄って?すいませ... - Yahoo!知恵袋》
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1419096629

JRF2019/1/295318

……。

>しばらく軍隊の出動のことだけについて考えてみよう。冬の出動は寒さに妨げられ、夏の出動は暑さに妨げられるから、軍隊の出動は冬と夏とを避けなければならぬことになる。また春は民の耕作や植縋えの仕事をだめにするし、秋は民の収穫をだめにすることになるから、春と秋も避けねばならぬことになる。もし一つの季節でもだめにしてしまえば、民の飢え凍えて死ぬものが無数にのぼるであろう。<(p.55-56, 非攻篇 中)

JRF2019/1/294369

なるほどね。働かない時期はそれなりの理由があるし、そうでなければ生きるために働いているんだから、それを邪魔してはならない…と。戦争は「贅沢」ってのは一面の真実ではあるだろうね。

JRF2019/1/292915

……。

>もし王公大人が心から利益を欲して損失を憎み、安全を欲して危険を憎むならば、攻戦ということを強く否定しなければならない。<(p.59, 非攻篇 中)

こう述べて、攻戦しようとしてあとで窮地に陥った例を挙げる。しかし、結局、秦・漢は攻戦して統一を成し遂げているんだよね。

JRF2019/1/298880

そういうことに対しても、昔は一万の国があって攻戦して残った国はほんの4, 5であるが、医者の薬が一万人のうちたった 4,5人しか救わなかったのならそれは効かない薬で、それと同じで攻戦は意味がない…みたいな論で反論する(p.58, p.70)。

しかし、他に患者がいて、他の患者が皆死に、4,5 人 とはいえ薬を飲んだものがしか生き残らなかったとしたら、その薬は飲まないといけないだろう。

ということを考えると墨子の論は無理があったということにならないか。私は現代において常識的に「攻戦」を否定するけれども。

JRF2019/1/292245

……。

>およそこれらの物を造る場合には、実用に益のあるものばかりに限るのである。このようにすれば財貨を用いても無駄に費やすことがなく、利益をもたらすことが大きいのである。<(p.74, 節用篇)

節約論。でも、経済をまわすには華美装飾のたぐいって必要だと私は思う。困ったときに売れるのはそういうものでしかなかったこともあっただろうし。必要なものばかりだと、売るとき困る。

JRF2019/1/291740

……。

>誠に厚葬久喪ということが、貧しいものを富ませ、少ない人口を多くし、危険を除き戦乱を治めるという、三つの利をもたらしたとすれば、これは仁であり義であり、孝子のなすべきことであるということになろう。<(p.79, 節葬篇)

JRF2019/1/290930

でも儒者は葬式で生計を立てていたというのはこの本にも載っている。以前、私も [cocolog:70803146] で儒教と遺品の関係を考えたりもした。特に古代は、インテリを広く「飼おう」としたら、厚葬久喪はしかたないのではないか?

JRF2019/1/299580

一方、墨者がどうやって生計を立てていたかは、それはそれで興味がわく。攻城戦などで墨者は活躍していたという。戦争の多い時代、今の赤十字みたいなことをしていて、それで世間でその必要性が認められていたのではないか…と私は疑う。財産を捨てさせた上でかもしれないけど重要でない人を(時には重要な人も)城から逃がしたり、敵の認可のもと中立の立場で人食いが起きないよう貧困層に食糧だけは届けたり…。

JRF2019/1/295162

とはいえ、赤十字の人が、災害でもないときにどういう生活をしているのか、というのは現代の私にも「謎」なのだけど…。

JRF2019/1/293692

……。

>もし、この三国の埋葬の仕方について見れば、それは余りにも薄きに過ぎることになり、また中国の君子の埋葬の仕方について見れば、それは余りにも厚きに過ぎることになる。<(p.90, 節葬篇)

JRF2019/1/294762

葬式をするな…ということではなかったらしい。それでも反感が大かったのは意外だな…。普通の人はすべきとされる大きな葬式・喪を控えぜるを得ない…という感覚が死者を悼む感覚に通じていた…ということだろうか?

JRF2019/1/294142

……。

>それでは、何によって天が義を欲し不義を憎むことを知るか。それは、天下のものすべて、義あるときは生き、義なきときは死し、義あるときは富み、義なくときは貧しく、義あるときは治まり、義なきときは乱れるからである。<(p.94, 天志篇 上)

JRF2019/1/295564

それはないよ。そんなにうまくいくものではない。そんなことが信じられる…って墨子はよほど幸運な人だったのか? 成功した人が「努力は必ず報われる」と信じる生存者バイアスみたいな。「神が存在するのに悪がなぜ存在するのか」…神義論を問題にしたヨブ記に私はつまづいたものだった(↓)。

JRF2019/1/291703

《「ヨブ記」を読む》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2015/03/post.html

JRF2019/1/293136

……。

>それでは、いったい誰が天意に従って賞を得たのであるか。また、誰が天意に反して罰を得たのであろうか。(…)むかしの三代の聖王である禹・湯・文・武の諸王こそ、天意に従って賞を得たものである。また、むかしの三代の暴君である桀・紂・幽・レイの諸王は、天意に反して罰を得たものである。<(p.95-96, 天志篇 上)

JRF2019/1/294630

普通の人は義に直接報いを受けるわけではないが、天子のみ天意を受け、その義に対して報いを受ける…という考え方はありうるのかな…。そういう場合、「天意」は民衆の意志に近いものになるかもしれないけど。

JRF2019/1/293816

……。

>それでは何にもとづいて、天が天下の万民を(…差別せず兼[あま]ねく…)愛することを知るか。(…)それは天が兼ねく食糧の提供を受けているからである。<(p.97, 天志篇 上)

JRF2019/1/291348

私は食い扶持を稼げていない。その方法を見つけられていない。これは天から差別されているのか? それでも生きていけてるからこれでよいのか? でも、このようなことがずっと続く…これからの人も可能だとは思えない。

JRF2019/1/295567

…と差別なく食糧の提供を受けてるから愛されているって解釈してたら、よく読んだら逆なのね。愛されているのを人が知っているから、人がお供え物をするって話か…。

JRF2019/1/296554

食糧で差別しているのは人ってのはそうかな…とは思ったのだが、でも、狩猟採集は運の世界で、それはそれで差別を感じるからこそ、神に祈って良い運をもらおうとするのでは…とか思ったが、的外れか…。

JRF2019/1/297799

……。

>もし楽器を造ることが、あたかも聖王が舟車を造るのと同様であるとするならば、自分はこれに反対しないのである。<(p.143, 非楽篇)

JRF2019/1/292486

非楽(音楽の禁)の主張は、オーディオをいじってはクラシックを聴いてばかりいる私には耳が痛い。無駄なことやってるなぁ…もうちょっとマシなことできないか…とは私も思う。

ただ、クラシックの楽器は、幼いころの文化資本がものをいうので、エリート層のコミュニティには何がしかの意味はありそう…というのはある。だからダメだという論ならまだわかるのだが…。

JRF2019/1/294637

……。

>それはかれらが、努力すれば必ず富み、努力しなければ必ず貧しく、努力すれば必ず飽食することができ、努力しなければ必ず飢えると信じているからである。だからこそ、あえて怠けることがないのである。<(p.164, 非命論 下)

JRF2019/1/292719

墨子の意見では、天命=宿命論を信じていると、努力しなくて得られた結果をはじめからそうなる予定だった・「宿命だった」と言い訳してしまうのが問題だ…ということ。

でも宿命論とは少し違うかもしれないが、予定説というのは「神に選ばれることが予定されている者は努力するはず」と努力に導くことができる(↓)。宿命論だから努力しないというのは間違いだろう。

JRF2019/1/296857

《義認説と予定説》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_4.html

JRF2019/1/299292

それに、世の中には努力がなかなか実を結ばなかったり、人からみたら運であったり遊んでいるようにしか見えないことが、実を結ぶために必要だったりすることがある。墨子の考え方は「むくわれなければ努力しない」という考え方を逆に導くことがあり、そういうようなむくわれない努力を何人もがしなければならないという「イノヴェーション」を起こせないのではないか?

JRF2019/1/292865

……。

>(…儒者…)かれらは、夏の間は麦などの穀物を物乞いして過ごすが、秋に五穀の収穫が終ると、葬式屋に早変わりし、一族郎党をひきつれて飲食にありつく。数軒の葬式を手がければ、何とかやっていけるという状態である。<(p.170, 非儒篇)

JRF2019/1/296148

儒家は平和に巣食って生きていけたわけで、そこは私は評価すべきことだと思うけどなぁ…。葬式のために人を(呪)殺したと言われないだけの、見識がなければならないわけだし。

JRF2019/1/291936

……。

>巫馬子が子墨子に向かって「私はあなたと違って、兼愛ということができません。(…)私には、相手を殺してわが身を利することはあっても、わが身を殺して相手を利することはあり得ません。」といった。これに対して子墨子は「君はその主張を他人に隠しておくつもりか。(…)」と問われた。巫馬子は「何の必要があって、私の主張を隠しましょう。(…)」と答えた。

JRF2019/1/296814

(…)

すると子墨子は「そうすると一人でも君の説を聞いて喜んで説を聞きて喜んで共鳴するすると、その一人は君を殺してわが身を利しようとするだろう。(…)逆に一人でも君の説を聞いて不快に思う者があったとすると、その一人は君をけしからぬことを言う奴だとし、君を殺そうとするだろう。(…)」
<(p.188-189, 耕柱篇)

JRF2019/1/299319

うーん、すると墨子は腹の中で何を考えてるかわからないぞ! 墨子は適当にあしらっておいたほうが安全だったのではないか? でも、そうすると「墨子は賢い」という評が立たず、利が立たないのかな?

JRF2019/1/291004

……。

>魯の南の片田舎にすむ人に、呉慮というものがあった。冬の間は陶器を焼き、夏は耕作して、自らを舜に比していた。子墨子はこの話を聞き、出かけて面会された。呉慮は子墨子に向い、「一にも二にも、義を実行するだけだ。口で言うことなどは必要でない」といった。すると子墨子は「私もかつては、そのように考えたことがある。私も天下の人を養おうと思ったが、最大限に努めても、やっと農夫一人分の耕作しかできなかった。(…機織りしたことも、武器を取ったこともあったが、一人分の働きしかできなかった。…)

JRF2019/1/298662

(…)

そこで私は、やはり先王の道をそらんじて、その理を求め、聖人の言葉に通じて、その意味を明らかにし、これによって上は王公大人に説き、次いでは身分の低い匹夫徒歩の士に説くのが、一番よいと考えるようになった。
<(p.224-225, 魯問篇)

JRF2019/1/299028

儒家は農といっしょにはげむことをよしとしたのに対し、墨家は、職業の別・分業をよしとしたというのは、訳者も述べていた。

でも、私は、儒家の考え方のほうが理解されやすいと思う。「亜インテリ」が社会で受け容れてもらうには「労働」の姿を見せるほうが理解されるし、本人の罪の意識も少なくて済むように感じる。ニートな私は道を誤ったと常に感じている。

JRF2019/1/296615

私は、「工人」だから作ったものがいつか誰かの役に立つ、今は評価されなくてもそれでいい、みたいな甘えもある。戦国時代のあと墨家が滅んだということは、そういう考え方は世界に戦争があったからまだ受け容れられていた…ということなのだろうか?

JRF2019/1/293004

typo 「植縋え」→「植付け」。

JRF2019/1/299110

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