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サリンジャー『フラニーとズーイ』と『ナイン・ストーリーズ』、ローラ・リップマン『心から愛するただひとりの人』を読んだ。共に現代アメリカの小説。前者は宗教じみた若者の小説でおもしろかったが、後者はセックスや不倫に彩られた大人の小説で途中で読むのをやめようかと思ったほど辟易した。 (JRF 7040)

JRF 2019年1月16日 (水)

ネタバレ全開で行くので、そういうのが気になる方はこの先読まないほうがいい。

JRF2019/1/169073

……。

……。

『フラニーとズーイ』(J. D. サリンジャー 著, 村上 春樹 訳, 新潮文庫, 2014年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4102057048
https://7net.omni7.jp/detail/1106377107

原著は、『Franny and Zooey』(Jerome David Salinger, 1955年・1957年・1961年)。

JRF2019/1/163613

『フラニー』という題のフラニーという女子大学生とレーンという男子大学生の短編と、フラニーの兄ズーイが主人公でフラニーと語り合う『ズーイ』という中編からなる。あの村上春樹が訳しているのも、最近、彼の小説を読んだ([cocolog:90238084])私には、ポイント。

JRF2019/1/161083

……。

『フラニー』は、レーンがフラニーからの手紙を読むところからはじまる。馬鹿っぽい手紙…。わざとらしさも感じる。女性が馬鹿っぽく振るまうと「かわいげがある」と見られる。結婚する相手には頭の良いところを見せるのも悪いことではないとは思うのだが、手紙は盗み見られるリスクのあるもの。盗み見る権力があるのは男だろう。そういうときは「かわいげがある」とこびを振りまくほうが得なのかもしれない。

JRF2019/1/160692

逆に男が手紙を出すときは「いきって」頭が良いように見せて周りが見えてないぐらいのほうが「かわいげ」があるのかもしれないな…。このあたりのジェンダー的なものは、年々、公的には厳しくなったとはいえ、プライヴェートな手紙などでは今もあまり変わってないのかもしれない。

JRF2019/1/164423

……。

会ってみるとフラニーのようすがおかしい。レーンはとまどうが、その原因が一冊の本であることにやっと気付く。

フラニーは「巡礼の本」を読んで宗教的にまいっているようだ。大学生ぐらいで宗教にはまることはよくあることだが…。

ちなみに「巡礼の本」は次のようなものらしい。

JRF2019/1/162841

>農夫が -- 巡礼が -- 聖書に『休むことなく絶えず祈らなくてはならない』と書かれているのがいったいどういうことを意味するのか、それを解き明かしたいと思うところから、この本は始まる(。…)彼はロシア中を歩いて回り始める(。…)彼が持っている荷物といえば、パンと塩を入れたずだ袋ひとつだけ。(…)<(p.56)

JRF2019/1/162977

『電波少年』というテレビ番組で無銭旅行みたいなのが流行したが、これも大学生には昔からありがちなパターンなのかな。

ちなみにロシア巡礼と言えばズバリ、プリーシヴィン『巡礼ロシア』を以前に読んだ([cocolog:83404967])が、それはここに言及されるものとは違った。

ところで、元農夫は「絶えず祈る」方法を見つけ(教えられ)るのであるが、それはほとんどただ『神』という言葉を口にし続けるだけという方法であった。

JRF2019/1/164289

>(…)何より素晴らしいことは、あなたが最初に祈りを始めるとき、自分の行いにとくに信念を持たなくてもかまわないということなの。というか、ものすごくみっともないことだとか思ってても、ちっともかまわないわけ。(…)最初にそれを始めるときには、何かを信じろとか、そういうのはぜんぜん要求されないわけ。(…)最初の段階で必要なのは、とにかく少しでも数多く祈りを口にすることなの。時間がたてば質は自然にともなってくる。<(p.62)

JRF2019/1/165306

それはまさに浄土真宗で「南無阿弥陀仏」と唱えるのに似ていると言及される。ここで世界の宗教は通じているのだ…と。

JRF2019/1/161002

個人的に似た体験から来る、あくまで「予想」のようなものだが、このような「祈り」というのは案外、実銭としてなされていて、心臓に刻まれるように「絶えず祈る」または気付いたら心の奥底で祈っているという状態になることは、それほど難しくないと思う。そのようなると何ヶ月もその状態を保持するので、何年も先もその状態を保持していると考えがちだが、それは必ずしもそうはならない。そのような状態がそのまま忘却の淵に沈むのだ。これを避けるためには、戒律などで定期的に思い出す習慣を付ける必要があるだろう。

JRF2019/1/167641

私は…というと、週一で聖書を読むのを続けているが、それは戒としてはゆるすぎ、「絶えず祈る」のような統合失調症的・「魔境」的な注意からは、ずいぶん離れてしまったように思う。でも、それが、統合失調症の陽性症状から遠ざけながら、再びそうならないように注意することの継続につながっているなら意味はあるんじゃないか…と思う。

JRF2019/1/161185

……。

で、これを聴いたレーンの反応がおもしろい。むしろ、ホッとしたようになる。宗教に狂うのはよくあることではないかもしれないが、そこそこはあることかもしれない。もしかすると、レーンとフラニーの間に少し前に性的交渉があって、信心深くはなかったがその素養を持っていたフラニーが罪悪感にかられて、そのような宗教にはまったのかもしれない。

そういった予感をただよわせたところで、『フラニー』という短編は終る。

JRF2019/1/167341

……。

ズーイはテレビで結構稼ぐ役者をしている。ズーイは7人兄弟(姉妹も含めて)の下から二番目で、フラニーは末になる。そしてその7人のうちの長男シーモアはすでに自殺している。その下のバディーがこの小説を書いているという体裁になっている。

最初は、上の『フラニー』との関係が曖昧なまま話が進むため、別の話かと思ったが、読み進むうちに、あのフラニーとそのフラニーは同一人物だとわかる。

JRF2019/1/161128

7人兄弟はそれぞれが子供のころ『イッツ・ア・ワイズ・チャイルド』というラジオ番組に才気煥発は子供の一人として出演していた。その賢い子供時代から、禅などの東洋思想に触れて宗教的ないろいろな考え方を身につけていたという。

最初にバディーからズーイの手紙が書かれるわけだが、そこではズーイが博士号をとっておくべきか否かがまず問題になる。

私は修士相当だが、博士になるのを夢見ていた。しかし、指導教官からまったくダメだと言われ、諦めた。それを取るのが、意志の問題みたいに扱われているのは正直、嫉妬する。

JRF2019/1/161787

ズーイはそういう自分の才気煥発さからくる人間関係の難しさに辟易している部分がある。それは妹のフラニーもきっと同じで、だから今、宗教に狂いつつある妹に何かしてやれないかと悩む。精神分析医に頼むことを考えるが、以前、シーモアは分析医にかかったあとで自殺したらしい。ズーイは考える…。

JRF2019/1/169139

>「(…)もし多少なりともフラニーの役に立つようなら、その分析医はかなり風変わりなタイプであるはずだ。(…)そいつはそもそも精神分析を学ぶことを志したのは、神の恩寵のおかげだと信じているような人間でなくちゃならない。(…)自分の患者を多少なりとも助けられるだけの生来の知性を具えているのは、神の恩寵のおかげだと信じていなくてはいけない。(…)自分の洞察や知性に対して理不尽かつミステリアスな感謝の念を抱いたこともないような人間の分析にかかったなら -- フラニーは、シーモア以上に悲惨な状態に追い込まれてしまうはずだ。(…)」<(p.159-169)

JRF2019/1/161401

しかし、そんな分析医をズーイは知らない。ズーイは自らフラニーと対峙する…。

ちなみに、私が統合失調症ではじめて北海道で入院するとき、兄が良い先生を探してくれたと聴いた。そして大阪に帰ってくるときは、その先生が、かなり特殊な先生を紹介してくれたようだ。今のその先生は、かなり患者のために時間を使ってくれる先生で、それに私はかなり救われていると思う。まぁ、それはこの本とは何も関係ないのだが…。

JRF2019/1/160856

……。

ズーイはフラニーに言う。

JRF2019/1/162147

>「僕らはフリークだ。まさに畸形人間なんだよ。あのろくでもない二人組(…シーモアとバディー…)が早いうちから僕らを取り込み(…)フリークに変えてしまった。(…)僕らには『ワイズ・チャイルド』コンプレックスが取りついている。僕らにとっていつまでたっても、本当の意味では放送は終了していないんだ。(…)僕らは講釈してしまうんだ。少なくとも僕はそうだ。通常の耳を持った人間とひとつ部屋に居合わせるたび、僕はその瞬間にろくでもない預言者か、あるいは帽子の留めピン並みに寡黙な人間になっちまう。(…)」<(p.201)

JRF2019/1/163860

フラニーが宗教にはまる素養があるとしても、直接はまったキッカケがあるはず。それをズーイはそれを探っているのかもしれない。ここでは、何か対人関係で失敗があったと見ているということだろうか?

JRF2019/1/167697

>「(…)君はエゴについて語り続けている。しかし(…)この世界のいやらしさの半分くらいは、自分たちの本物のエゴを用いていない人々によって生み出されているんだ。(…)たとえばルサージ(…番組プロデューサー…、)彼にはエゴなんかもうありやしない。(…)彼はそれをばらばらにして趣味に変えてしまったんだ。(…)彼の家の一万ドルもかけた地下室のでかい工作室に揃えられた電動工具やら、その他あれこれの道具類と関係している。自分のエゴを、本物のエゴをしっかり使っている人間には、趣味のために割く時間なんてありゃしないよ」。<(p.240-242)

JRF2019/1/160998

白田秀彰氏が Twitter で『男の家政学』について最近語っていることには、皇帝などが家具や鍵を作る趣味を持っていたという。ルサージ氏は、そういうところと関連しているのだろうが、ズーイはそういう意図では持ち出していない。

JRF2019/1/166113

パターナリズムであったり「おせっかい」であったりするのが、「いやらしさ」を持たらしている…というのは一面においては事実だろうが、それが「エゴ」を邪魔しているため、世の中よくならない…ということはないと私は思う。「自由主義者」はそう思いがちだけどね。

JRF2019/1/161314

先にフラニーが性的交渉してしまったことに罪悪感を持ってる可能性について私は述べた。それはプライヴァシーに属することで簡単に口に出せることではない。そして処女性をおもんばかるのは「パターナリズム」の役割りで、それに罪を犯したということは自分(フラニー)は「エゴ」が過ぎたという理屈になるのかもしれない。そこは気にすることはないよ…というのがズーイの本当のいいたいところなんだろうか?

ただ、そうやって視点をズラしているところに兄妹が共有する問題があるとも見ているのかもしれない…。

JRF2019/1/160446

>「(…)おまえは事実ってものにまるで直面していないよ。そういう事実に目を向けないという間違った姿勢がそもそも、今回の心の乱れをおまえにもたらしているものなんだよ、。そしてそうしている限り、おまえはそこから抜け出せないんじゃないかね」<(p.244)

ただし、この発言自体は、イエスの本当の姿を受け容れられないのに「イエスの祈り」をしようとしていることの批判として出ている。

JRF2019/1/166970

……。

>「(…)もし神が新約聖書において、聖フランチェスコのような一貫して好感を持てるパーソナリティーを役割として求めていたとしたら、神はきっと彼を選んでいただろう。そいつは間違いないところだ。しかしその代わりに神が選んだのは、最も優れて聡明で、最も慈愛に満ち、かつ感傷性から最も遠くにあり、模倣性から最もかけ離れた傑物だった。(…)」<(p.246)

JRF2019/1/165363

「祈り」を唱えることを批判したいのではないと言いながら、批判する。それは、私には的確な批判のように思える。外から見て、ズーイがフラニーに与えられたのも神の配剤なのではないか…。

ちなみに、三位一体の神という立場からは「神がイエスを選んだ」と述べることには特殊な思考回路または複雑な含蓄が必要である。キリスト教の認識に偏りがあるのはアメリカだからか、主人公達がユダヤ系の血を引いているからかはよくわからない。

JRF2019/1/161038

しかし、私にとっては意外なことにフラニーはむしろ怒りに震えることになる。ただし、ズーイにとってはあまり意外ではなかったようで、そういう「説得」をしながら汗がビッショリになる。「またやってしまった。しかも家族相手に」…といったところだろう。

フラニーは電話口でバディー(だと思っている相手)にぶちまける。

JRF2019/1/166000

>「殺してやりたいって、どうして? なんであのズーイくんを殺したいなんて思うわけだろう?」「なぜ? ただ殺してやりたいから、それだけよ! あいつはただただ破壊的なの。あれくらいとことん破壊的なやつに、生まれてから出会ったことがない! なんであそこまでやらなくちゃならないのかしら!(…)」<(p.273)

JRF2019/1/167667

……。

最後、フラニーの劇で孤軍奮闘していたのをズーイとバディーが見に行っていたことを告げることで仲が改善されたように見えることに驚く。

JRF2019/1/165510

私は初の統合失調症での入院後、両親と話すと「指導教官とのことをすごく気にしていた」と聴かされた。自分は統合失調症に関しては、それと指導教官との間に関係がないと思っていて、統合失調症の発作のときもそういうことは話してないと思っていたのでそこのところは意外だった。

JRF2019/1/160444

でも、気にしていたのかもしれない。フラニーも意外なところで、劇について気にしていたのかもしれない。それが辛かったのかもしれない。そのなぐさめを求めてわかってくれそうなインテリのレーンと「そういう関係」になったのかもしれない。そこが原因なのかもしれない。…

JRF2019/1/165026

プライヴァシーを気にしない下世話な私はそんな風に邪推したのだった。こういう私の読み方も一面的で、それはそれでイヤな奴の読み方なのだと思う。事態はもっと深遠な何か、または家族愛的な誠[まこと]を読み取るべきところなのかもしれない。まぁ、私が「その程度の人間」ということだとは思うが。

JRF2019/1/166918

……。

……。

『ナイン・ストーリーズ』(J. D. サリンジャー 著, 野崎 孝 訳, 新潮文庫, 1974年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4102057013
https://7net.omni7.jp/detail/1101080746

原著は、『Nine Stories』(Jerome David Salinger, Little Brown and Company, 1953年)。

発表時期は『フラニーとズーイ』より前の短編集。私が読む順番ではこちらがあとになった。

JRF2019/1/160612

……。

『バナナフィッシュにうってつけの日』。銃社会アメリカの芸能一家に稀にあること…といった感じだが、子供との関係をどう思うか…。さっきまで会っていた人の自殺というのは、子供心にもすごいショックを受けるものなのか、それともある種のゴシップと感じてそれほど心の傷にはならないのか…? 自殺した人の親はその前に「おかしさ」は感じていたということなんだろうね。まぁ、しかし、自殺は「個人的なこと」、特に今後の日本社会ではそう扱わないと、救いがないかな…。

この自殺するシーモアは、『フラニーのズーイ』のシーモアと同じと目される。

JRF2019/1/161869

……。

『コネティカットのひょこひょこおじさん』。私の親戚関係でもそうだったんだが、子供が思ったように成長しない、「普通」に成長しない…ということがある。子供のことがうまくいかなかったとき、産む前まで戻って、あの男と結婚していたらどうなっただろう…もっと「いい子」が産まれたのではないか…みたいなことが、酒を飲んだときとかに心に浮かび上がることはあるのかもしれない。…と思った。家で酒で酔いつぶれるのは子供に害のあること、タバコの煙よりも害のあることのように思う。まぁ、私は酒もタバコも嗜まないから、その辺は気楽に言える。

JRF2019/1/167530

この物語の、事故で死んだウォルトは、『フラニーのズーイ』のウォルトと同じと目される。

JRF2019/1/162081

……。

『対エスキモー戦争の前夜』。なぜジニーがテニスの帰りのタクシー代をもらうのをやめたのか? 相手が結構な金持ちだと思ったら、兄がちゃんと働いたことがあったのを知り、自由にお小遣いをもらうのを前提にしてたのが恥かしくなったからだろうか。中小企業の社長もいろいろあると気付いたということか…。今いちわからない。対エスキモーの戦争が年老いた兵によって戦われるという噂も、ただ遊んでいるだけの若い自分が、そのままではいけないと気付くキッカケになっているということだろうか?

JRF2019/1/163094

……。

『笑い男』。恋愛の破局に単にイライラして「笑い男」を殺す話をしてしまったというのとは少し違うのかもしれない。もちろん、夜の夢に心理状態が投影されるように「笑い男」の話も何かを象徴しているのかもしれない。それはわからない。しかし、「笑い男」の話もある程度準備しているとすれば、「破局」をなんとなく予想していたということが言えるのかもしれない。熱い男に見える団長のその冷静さもまた、「笑い男」の最期の余韻を、寒いものにしているのかもしれない。

JRF2019/1/164616

……。

『小舟のほとりで』。最後の、子供と駆けっこしてわざと負けるというのは私にも甥との関係で以前やった覚えがある。最近、Twitter で、甥や姪が親に比べて叔父などに懐くのは、親のように厳しいことをいう必要がないからだと聴いて、なるほどと思った。この小説でもお手伝いさんがいるから、子といい関係を築けている…ということはあるのかもしれない。と同時にそれに引け目を感じることもあるのかも…子供を甘やかし過ぎてしまうとか考えてしまうのかも…とか思う。

JRF2019/1/165867

……。

『エズミに捧ぐ -- 愛と汚辱のうちに』。この本では子供の世界と大人の世界の対比を描いている。エズミはその中間に位置する少女といったところだろうか。サリンジャーの小説には「売春」なんていう下世話な話は出てこない。年端もいかない少女にその影を見てしまう私は異常・変態だと思い知る。X は戦争で傷を負ったが、回復するだろうという期待を描いて終る。敗戦国の日本人からすれば、戦勝こそなによりの薬のように僻[ひが]む。

JRF2019/1/161400

……。

『愛らしき口もと目は緑』。これは珍しく若さや子供が問題とならない小説。まぁ、大人の子供っぽさをテーマにはしているかもしれないが。

>「(…)あんた、あいつには何が必要か分かるか? あいつに必要なのはね、図体[ずうたい]のでっかい無口な男 -- 新聞を最中に呼ばれでもしたら、のっそりとあいつのそばへ寄って行って物を言わずに張り倒す -- それからまた戻って来て、読みかけの記事を黙ってしまいまで読み続ける -- こういうのがあいつには必要なんだ。(…)」<(p.191)

JRF2019/1/163130

DV 男と女の関係というのは、よくわからない。まして結婚をしたことのない私には。結婚をした人には DV への誘惑みたいなものが、社会的にあるということだろうか?

JRF2019/1/163698

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『ド・ドーミエ = スミスの青の時代』。ピカレスク小説とは wikipedia によると「悪漢小説」とのこと、が、この小説の主人公はそれほどの悪漢ではない。若気の致りで嘘をついて・つきまくって就職し、少し痛い目に会う…それぐらい。才覚と技量はある…というのが昔の私などとは違うところ。ニコリスキー『ロシア教会史』を読んだ([cocolog:83381239])とき「シスター」に欲情する人々のことを知ったが、この小説の主人公もそういった者の一人ということだろうか。

JRF2019/1/167706

……。

『テディ』。この才気煥発な「テディ」こと「シオドア」が『フラニーとズーイ』や『バナナフィッシュにうってつけの日』で自殺した「シーモア」になるということらしい。シーモアの自殺は子供時代のことに罪を感じたのだろうか、それとも、たわいもない遊びができる子供時代をそう過ごさなかったことを後悔し、そこに戻れないことに絶望してのものであろうか…。今いち文才のない私にはわからなかった。

JRF2019/1/164586

>しかし彼ら(…両親…)はぼくやブーパーを -- ブーパーってのは妹だけど -- そんなふうには愛してくれないんだな。つまり、あるがままのぼくたちを愛することはできないらしいんだ。<(p.278)

JRF2019/1/165144

子供は親を愛することしかできない。子供を保護する身近な存在は親だけだから。親はもっと打算的に子供にあたれる。でも、そうしないのが親の愛…みたいなことはある。テディは結局、人間関係を原理的に理解しようとして、そのツールに仏教的なものを選んでいるだけだと思う。それがわかっても、子供が本能的に親に言うことを聴いてもらおうとしてうまくいかなかったトラウマが、多少解消されるというぐらいのことではないか。それは単に分配の問題であって、医学や科学で、人の生産に貢献するという道を自ら閉ざしてしまっているのではないか…と工学系の私は思った。

JRF2019/1/164132

……。

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『現代短篇の名手たち6 心から愛するただひとりの人』(ローラ・リップマン 著, 吉澤 康子 他 訳, ハヤカワ・ミステリ文庫, 2009年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4151782567
https://7net.omni7.jp/detail/1102821988

原著は、『Hardly Knew Her』(Laura Lippman, 2008年)。

JRF2019/1/163693

finalvent 氏のブログ(↓)でこの本を知った。Amazon の欲しい物リストに登録したのは 2011年のことなので、それからずいぶんたって、買って読んだことになる。

《[書評]心から愛するただひとりの人(ローラ・リップマン): 極東ブログ》
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2011/12/post-7b32.html

JRF2019/1/168315

「ミステリ」と言っても、推理を楽しむ推理小説というよりは、犯罪の過程を「楽しむ」犯罪小説といったほうがよいもの。セックスや不倫がバンバンでてきて、とても退廃的。そういうのに縁のない私は辟易して、正直、途中で何度か読むのをやめようかと思ったくらい。アメリカを中心に…と言っていいんだと思うんだけど、女性の出産などで命の危険のあるセックスについて、リスクがないかのように楽しむことが現代という「ピルの時代」の使命と感じてるフシを私は感じる。

JRF2019/1/163860

今後、性欲をコントロールする薬などで楽になるという方向もまた認められるようになれば、次の時代はまた変わった性意識が支配するのではないかと思う。それは単なる保守的な反動とはまた違う。「性欲をコントロールする薬」の可能性については、以前個人的に精神薬の福作用として精液が出ないということを経験していることから私は確信している。

そういった「過渡期」に、こういうセックスを中心とする小説が書かれた時代があったということになるのではないか。…そう期待もこめて予想している。

JRF2019/1/161941

……。

finalvent 氏も、現代では殺人に致るほどの動機としては、不動産が大きいのかもしれないみたいなことを書いていたと思うが、この本の読後の感想は私もそこを強く感じた。セックスや不倫は殺人の動機としては意外に十分でない…ということも。

JRF2019/1/162231

娼婦が主人公となる短編は、娼婦がどのように生活を建てていくかというのへの漠然とした私の興味に合っていた。が、こういう高級娼婦兼ロビイストの世界は、小説を日常的に読むような層にはある程度、参考になるのかもしれないが、たまに勧められて読むような娼婦には参考にはならないだろう。

JRF2019/1/161942

私がこの本の中で一番おもしろかったのは、『ポニーガール』。ちょっとしたホラー風味で、エロいがセックスには致ってないところがよかった。同じくセックスに致ってないものとしてテス・モナハンのシリーズも割と楽しめた。これらは「子供向け」に近く、まぁ、私の小説的感性は大人の味がわからず子供のままだということかもしれない。

JRF2019/1/169554

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サリンジャーの二冊は図書館で借りた。それらが短編ということで欲しい物リストにあって読んでなかった本のリップマンの本が気になったが、それは新品ではもう売っておらず、中古で買うことになった。

JRF2019/1/165134

母に車で図書館に連れていってもらったとき読みたい小説等がいっぱいあったので、今後は図書館の利用が増えることと思う。ただ、図書館で借りた本はすぐ読まねばならず自由がきかない。プログラムのあいまに読むのには適さない感じ。しばらくはプログラムに集中したいので、図書館の次の利用は2月以降かな…とか考えている。

JRF2019/1/167720

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