cocolog:90782302
カント『永遠平和のために』を読んだ。秘密交渉はすべて不正である。例えば、君主に反乱するためには秘密に共謀するという不正がある。よって、共和的な国による平和連合の外交において、秘密交渉をすることは、君主たる世界市民にそむくための不正である。…と。 (JRF 3993)
JRF 2019年3月 7日 (木)
この本を読んだキッカケは、福田歓一の本(参: [cocolog:90689746])でカントが「秘密外交」に言及していたと知り、ググるとこの本がどうもそのことを述べた本のようなので図書館で借りて読んでみたしだい。この本を読む前に、↓でもカントについて言及してしまったので、とにかく早く読もうとしたのだった。
JRF2019/3/79262
《受託者責任と違法ダウンロード拡大》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2019/02/post.html
JRF2019/3/76519
内容は、とても難しくて文脈が追えない部分がある。哲学者の書だから難しいというのもあるが、プロイセン王国(ドイツ)という君主国で、身分制を認めない共和制を説くことへの検閲を警戒するがゆえのもってまわった言い回しが難しさを増している面もあると思う。
このひとことでは、平和を目指す左翼的な部分は当然のこととして飛ばしぎみに読み、むしろ右派的に引っかかるところを抜き書きしていくことになった。
JRF2019/3/77192
……。
第一章では「国家間の永遠平和のための予備条項」の六条項を見ていく。人類が殲滅戦に突入するのを防止するための条項。
>第一条項 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。<(p.13)
日露平和条約が結ばれようとしているが、将来の火種をできるだけ減らすためにも北方領土に対して確定的なことができないうちは、「平和条約」は結べないのであろう。ただ、訳者の解説は、どんな平和条約も一時的なものであったことも述べてる。
JRF2019/3/72199
>第二条項 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。
(…)
第三条項 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない。
(…)
第四条項 国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。
<(p.14-17)
JRF2019/3/73007
>第五条項 いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。<(p.19)
>もっとも、一つの国家が国内の不和によって二つの部分に分裂し、それぞれが個別に独立国家を称して、全体を支配しようとする場合は、事情は別かもしれない。その際、その一方に他国が援助を与えても、これはその国の体制への干渉とみなすことはできないであろう(その国はその時無政府状態にあるからである)。<(p.19)
JRF2019/3/78885
1998年5月、PKO 協力法改正案が衆議院で可決されたころ、インドネシアで「危機」があった。そのとき、ネットニュース fj で自衛隊を派遣することを私は非難した。それがインドネシア国民の感情を逆撫でし、直近では現地日本人を危険にさらし、また、将来、国民感情が悪化するのを懸念したからである。ただし、すでになされた派遣の「準備」については、インドネシア国軍が割れ、カント的に言えば、「国が二つの部分に分裂」し「無政府状態」になる危険も少しはあったため、しかたないものとしたのだった。
JRF2019/3/78755
>第六条項 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者(percussores)や毒殺者(venefici)を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内での裏切り(perduellio)をそそのかしたりすることが、これに当たる。<(p.20)
JRF2019/3/75828
>かの悪逆なたくらみは、それ自体が卑劣なものであるから、それが用いられると、他人の無節操(これは決して根こそぎにされることはない)だけが利用されうるようなスパイの使用(uti exploratoribus)とはちがって、もはや戦争期間内に限定されず、平和状態のうちにも持ちこされ、その結果、平和実限の意図をまったく破壊することになろう(…)。<(p.21)
JRF2019/3/72087
意味が取り辛いが、ある種のスパイの使用なら是とするということだろうか? モーム『月と六ペンス』を読んだときひょっとしてと思ったのだけど、身近にスパイのようなものはいるのが普通だったのかな? 小説家などが生活できたのは、それがあったからなのかな?
JRF2019/3/72075
……。
第二章は「国家間の永遠平和のための確定条項」の三条項が語られる。
>一緒に生活する人間の間の平和状態は、なんら自然状態(status naturalis)ではない。自然状態は、むしろ戦争状態である。言いかえれば、それはたとえ敵対行為がつねに生じている状態ではないにしても、敵対行為によってたえず脅かされている状態である。それゆえ平和状態は、創設されなければならない。<(p.26)
>以下のすべての条項の根底にある要請は、相互に交流しあうことのできるすべての人間は、なんらかの市民的体制に属していなければならない、ということである。<(p.27)
JRF2019/3/75532
人が隣り合っていても争いがないのは、外部的なルールの強制機関があるからだ…と。狭い場所に人を押し込むからそうなるんじゃないかという気もするが、地球というのは本来、現代人類にとっては狭い場所なのかもしれない。
JRF2019/3/71800
>第一確定条項 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。<(p.28)
>ところで、すべての国民が臣民として平等であるという権利にかんして、世襲貴族が認められるかという問いに答えなければならないが(…)<(p.30)
JRF2019/3/76202
基本的には世襲貴族は本人の功績によらないのでダメだというふうに書いている。ただ国民が「臣民」であることを認めているので、君主がいるのはいいのか…という問題が出てくる。君主は天皇機関説みたいに一種の機関として例外視するんだろうか? またはカントは宗教は認めているので、宗教的なものとして貴族的なものが残るのは是とするということだろうか?
JRF2019/3/73545
>第二確定条項 国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。<(p.38)
>以上に述べた諸理由から、平和連合(foedus pacificum)とでも名づけることができる特殊な連合が存在しなければならないが、これは平和条約(pactum pacis)とは別で、両者の区別は、後者がたんに一つの戦争の終結をめざすのに対して、前者はすべての戦争が永遠に終結するのをめざすことにある、と言えよう。<(p.42)
JRF2019/3/76666
隣人に戦争状態がデフォルトであるように隣りあう国家も戦争状態がデフォルトなので、その上位機関を作って、ルールを強制しましょう…と。
JRF2019/3/78015
>第三確定条項 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。<(p.47)
>それゆえ、中国と日本(ニポン Nipon)が、これらの来訪者を試した後で、次の措置(…いわゆる鎖国…)をとったのは賢明であった。<(p.49)
JRF2019/3/74377
福田歓一の本(参: [cocolog:90689746])を読んだときに人権は海外でそれを守らせるためにあるのではないかということを考えたが、いわゆる「人権」すら世界市民法には過大ということなのだろうか?
JRF2019/3/76565
……。
あとは補説と付録になる。まず第一補説。
>自然の過渡的な配備は、次のいくつかの点に認められる。自然は -- (1) 人間のために、地球上のあらゆる地域で、人間がそこで生活できるように配慮した。-- (2) 戦争によって、人間をあらゆる場所に、きわめて住みにくい地方にまで駆りたて、そこに人間を住まわせるようにした。-- (3) やはり戦争によって、人間を多かれ少なかれ法的関係に立ち入らせるように強制した。<(p.59-60)
JRF2019/3/76318
人格があるかのように自然を扱い、その目的論を論じる。人間はどこでも住めるような自然の配剤があるが、住みにくいところはある。住みにくいところも人が住むように自然が戦争を起こし、人をそこに追いやった。時代が進んで、住みにくいところが住めないところになるかと思いきや、経済が発展してそこでもやはり住み続けられる。経済があるのは戦争後にできた法的関係があるから(?)…といったところ。
なぜこのような目的論をいうのかわかりづらいが、訳者の解説で少しわかった気がした。
JRF2019/3/79103
>すでに述べたように『永遠平和のために』は、永遠平和がたんなる空想ではなく、それが実現可能であることの論証を含むが、その論証にあたる部分が(…この…)第一補説である。実際永遠平和そのものが空想にすぎないなら、永遠平和のための予備条項や確定条項を設けても無駄な話であり、ひとびとはそれにしたがおうとはしないであろう。しかしひとりひとりの人間が永遠平和を実現可能と見るかどうかには関係なく、自然そのもののうちに、人類を将来の永遠平和にむかわせる要因が働いているのが認められれば、永遠平和はもはやたんなる空想とは言えなくなるであろう。
JRF2019/3/76990
(…)
カントの論証は、実はこのように永遠平和という目的に対して自然が合目的的であるということの論証なのである。
<(p.132 解説)
JRF2019/3/78845
永遠平和を自然が促している以上、やがてそこに致ることを考えるのは空想ではない…と。
JRF2019/3/74053
>自然は、法が最後には主権を持つことを、あらがう余地なく意志している、と。ひとがいまここでなすのを怠っていることも、多くの困難をともないさえすれ、ついにはおのずからなされることになろう。<(p.68)
人治よりも法治を徹底していく…と。AI 時代、本当にその方向だけに向かっていれば良いのかな? 私は疑問だ。
JRF2019/3/75483
>あらゆる生活様式のなかで、狩猟生活が開化した体制にもっとも反したものであることは、まちがいない。<(p.61)
JRF2019/3/74977
反捕鯨とかヴィーガンとかに絡んで私は考えることがある。家畜を飼育するほうが、狩猟よりも残酷なのではないか…と。食って食われるのが自然の摂理で、狩猟はそれにかなっているのに対し、家畜は狭いところに閉じこめて、自分が食べるためだけに小さいうちから育てる。確かに情の移った家畜を食べるほうが、覚悟が必要で、それだけ感情の負荷が大きく、それを擁護したくなる気持ちもわかる。狩猟で取り過ぎの問題があるのもわかる。でも、どちらが自然か…保護すべきか…となると、狩猟じゃないか…と私は思う。
JRF2019/3/71055
この先、培養肉とかが主流になっても、人が狩猟する生き物であったことを忘れないことが、狩猟する生き物・動物実験する人間への偏見を起こさないようにするという点でも必要なことのように思う。
JRF2019/3/78719
>さまざまな宗教のちがいというのは実に奇妙な表現である。(…)さまざまな宗教経典(ゼンドアヴェスタ、ヴェーダ、コーランなど)のちがいもありうるであろう。だが、宗教にかんしては、あらゆる人間にあらゆる時代に妥当するただ一つの宗教しかありえない。信仰方式や経典は、ただ宗教を運ぶ道具を含むだけであって、このものは偶然的であり、時代と場所のちがいに応じてさまざまでありうるのである。<(p.70)
JRF2019/3/77748
それは言い過ぎのように思うなぁ…。時空はいろいろねじまがっているかもしれず、その違いは人間にとっては本質的なものかもしれない。それを超越できると考えるのは僭越なことかもしれない。まぁ、そうでないかもしれないが。
JRF2019/3/73679
……。
第二補説。
>公けの法の記録文書に秘密条項があるのは、客観的には、すなわちその内容から見れば、矛盾である。しかし主観的には、つまりそれを記録させる人格の資格の面から判断すると、自分がその原作者であると公けに声明することがかれの品位にとってふさわしくないと思うときは、そこに秘密が十分成立しうるのである。<(p.72)
JRF2019/3/71030
外交の秘密交渉に反対する内容を期待して読み進めていたのに、秘密はありうるという文章が先に出てきて面食らったが、この後、しばらくして最後のほうに目的の秘密交渉に関する文はあったのであった。
JRF2019/3/74767
>法律家は、法の秤と、それに加えて正義の剣とを自分の象徴としてきた(…)。<(p.73)
易双六というゲームを作り、そのとき JRF タロットを描いたが、そこで 11 Justice に剣にはかりの皿がぶら下がっている絵を描いた。正位置では、はかりの重さを剣を持つ者が感じて動かすことになりそうだ。それは「自動的」なのかどうか…。
《易双六 Youscout ~ a Tarot Solitaire》
http://jrf.cocolog-nifty.com/archive/youscout/index.html
JRF2019/3/72248
……。
付録 1。
>ある国家がほかの国家によってただちに併合される恐れがある間は、たとえ専制的であれその国家がもつ体制(専制的体制は、それでも外敵に対してはいっそう強固な対制である)を捨てるべきであると要求することはできない。<(p.82)
日本が君主国でもいいというのは、かつては植民地にされそうだったから、今は、アメリカに組み込まれそうだから…という面もあるのだろうか? カントはそういうことを言っているようには思えないが…。
JRF2019/3/70991
……。
付録 2。
>「他人の権利に関係する行為で、その格率が公表性と一致しないものは、すべて不正である」<(p.100)
これが私が求めていた外交の秘密交渉を禁ずる部分だろう。しかし、その論旨はとても追いにくい。君主に対する反乱を例に揚げ、まるで国民が共和制を目指すのがダメかのようにすら読める。ただ、このあたりは検閲を気にしてこうなったのかなという気もする。
JRF2019/3/77719
まず、昔のドイツで反乱をするには君主に秘密で交渉する必要があり、それは君主にとっては不正であると言える。次に、平和連合には共和国的な国が参加しているため、君主はそれぞれの国の国民・世界市民と言える。そして、秘密外交は、君主たる世界市民にそむくため秘密にしているとみなせる。だから外交では秘密交渉というだけで不正となる。
…ということをカントは言いたかったのではないかと私は推測する。
JRF2019/3/75437
ただ、「平和連合」たる現実の国連は、共和国ばかりから構成されない。すると秘密交渉の余地はあるということになるのだろうか?
JRF2019/3/73077
『永遠平和のために』(カント 著, 宇都宮 芳明 訳, 岩波文庫 青 625-9, 1985年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4003362594
https://7net.omni7.jp/detail/5110007091
JRF2019/3/75722