cocolog:90949101
エンリケ・バリオス『アミ 小さな宇宙人』を読んだ。スピリチュアル系。神は愛、愛は選別し差別するもの。…子供の姿をした陽気な宇宙人に託して語られる思想。それにはまったく共感できず、「怖い」としか感じない私は、それはそれで「異常者」なのだろう。ある種の人には残酷なユートピア思想。 (JRF 5433)
JRF 2019年4月29日 (月)
原著は、Enrique Barrios『Ami, el nino de las estrellas』(1991年)。私が図書館で借りて読んだのは初期単行本で、「アダムスキー マイヤーをしのぐUFO体験」という副題が付いている。その後、さくらももこ の絵のついた版が出たようだ。
JRF2019/4/291201
……。
どうも私はこの本の想定読者ではないらしい。キモいキタないオッサン(KKO)な私に「愛」は語れない。「子供のような純粋な心」を持つ者こそが至高であり、そういう者にはスッと入ってくる思想なのだろう。子供のころから純粋さに疑問のあった私は、招かれざる客と言ったところか。
JRF2019/4/298489
そういった人間が、批判的見地から感想を書こうと思う。この本に感化されるような人物にとって、いかに私の心が汚れているかの証明となるわけだが、きっとお目汚しになるだけだから、そういう人はこの先は読まないほうがいい。
JRF2019/4/291014
別に、批判することでこの本を読まない人を増やすのが目的ではない。そういう批判があるからこそ読もうとする「変人」がいるので、そういう人のために批判をするのだと解釈していただければ…と思う。きっと、そういう人が読めば、批判的な目もありながら、その人の子供の部分がいつか「真の答え」を導くことがあるかもしれないから、本を広めるのだ…と受け取ってもらえればと思う。
JRF2019/4/298039
……。
>「(…)ある程度の科学の水準に達した、でも、やさしさや善意の欠けた文明は、必ずその科学を自滅させる方に使い出すんだよ」<(p.41)
だから、地球侵略をたくらむような、アニメに出てくるような「宇宙人」はいないんだよ。…というのは「宇宙人」を恐がる子供には意味のある言葉だとは思う。
JRF2019/4/295011
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>「すべてのものは、みな関連し合って成り立っているんだ。偶然なんてひとつもないんだよ。(…)」<(p.41)
「神はサイコロを振らない」はアインシュタインの言葉だったか。不確定性原理というのも人の側から観測したとき言えるもので、本質は決定的なのだ…というのは、思想としてはありうるのかな…と思う。私は、全能な神には「(自身が)わからない」ことも可能であるというほうが好きだが。最近は宮田光雄『キリスト教と笑い』を読んだとき([cocolog:90876225])にそのあたりのことに言及したので、ご参考まで。
JRF2019/4/297221
……。
>「起こらなかった問題やこれからも決して起こりもしない問題を心配して、頭を悩ませて生きていくのをやめて、もっと"今"という時を楽しむようにしなくちゃ、と言っているんだよ。(…)」<(p.49)
これから成し遂げる未来があることにある種の幸福感を得ることもある。杞憂はだめだが艱難辛苦のとき臥薪嘗胆のときもある。次の瞬間死ぬということを知らせてもらえないことは本当に幸福なのだろうか? 人の勁[つよ]さを信じない思想に思える。
JRF2019/4/293305
……。
>「神は人間の形をしていない」アミは創造主の話をしたためか闇の中で輝いてみえた。「形はなく、君やぼくのような人間ではない。無限の存在であり純粋な創造のエネルギー、限りなく純粋な愛だ……」<(p.58)
人間でもあるキリストの否定。グノーシス思想的だね。これを西洋思想からの文脈でいうには、「おとぎ話」という本作の最初で述べられる注釈が必要なのかもしれない。
JRF2019/4/293477
……。
>「身体が不自由になった人が数ヶ月、数年のリハビリのおかげで、また元のように歩けるようになったとしたら、彼らにとっては歩けるということが何か本当に特別なことで、感謝せずにいられないことに違いない。それにひきかえ、君は少しもそれに気がつかずに歩いている。歩くことに何の意味も見出せないでいる……」<(p.60)
JRF2019/4/296949
不自由が固定している人がいたとしよう。その人に、その不自由以外の自由がどこかにあるから、そのどこにでもある幸せで満足せよ。…という思想は残酷ではないのか? そこに、与えられる「偶然」以外の改善の契機はない。求めなくても与えられるはずだから、ことさらに求めるな…という発想、それは、あさましくても「求めよさらば与えられん」とは真逆[まぎゃく]の発想だろう。
JRF2019/4/294244
……。
>"カメラ"は小道の木々や岩を映しながらどんどん進んでいった。(…)家の窓から入り込むと、ベッドでよく眠り込んでいるおばあちゃんが映った。<(p.50)
>「十分間、身動きしないでそのまま止まれ! 動けないぞ、動けない……ヤーッ!」。警官の動きがピタリと止まった。(…)笑ったまま石のようになった警官の鼻やひげをなでながら言った。ぼくはますます怖くなってきた。(…)「目覚めた時には、二人の子どものことは永遠に忘れているように!」<(p.72,73)
JRF2019/4/297611
自分達のことを秘密にする必要は認めるクセに、人のプライバシーは認めない。その上、人の意志を強制的に変え、記憶も操作する。それが「宇宙の法」か、どこが善い宇宙人なんだ!
JRF2019/4/297795
……。
地球人類は一度滅亡しているという。そのとき連れ出された人々がいる…。
>「われわれが連れて来たんだ。戦争の起こる少し前に、愛の度数が700度かそれ以上あるよい種を有している人だけ選んで助けたんだ。(…)」<(p.123)
「愛の度数」が低い者は滅びてもしかたがない! 選民思想を隠しもしない! 選別・差別こそが愛なのだろう。愛によって閉じられた集団は、しかし愛を原理にしているから、それ以外のものにとって害がないとでもいうのだろう。害はそれ以外のものどうしが勝手に与えあっているのだ…と。教えることはする、しかし、自分が一員となって「戦う」ことはしない…と。
JRF2019/4/291986
……。
>「(…)君が言いたいのは所有ということだと思うけど……それは前にも言ったように、すべてのものがみんなのものなんだよ。必要な人が、必要なものを、必要な時に使うんだ」<(p.151)
>「(…)歯ブラシもみんなと共用でなくてはいけないということなの?」「やれやれ、またもや、極端論だ!……。(…)」<(p.153)
JRF2019/4/291261
物の所有にはプライバシーが絡んでくる。人には認められない価値を自分は認めていること、「物欲」も愛の一種だよ。それは人に知られてはいけない出生の秘密を持った自分の子供に、特別の価値を見出してあげることにも連なる。そういう不適切で、ふしだらな関係など発達した文明にはない…ということかもしれないが。
まぁ、ユートピア思想にはありがちな論ではあるかな。
JRF2019/4/298028
……。
>「一見よく聞こえるけどね。何か"寄宿学校"みたいな感じがするよ。すべて義務で、いつも監視されているような感じでね……」「全然違うよ。ここの人は、もっと幅広くずっと自由に楽しんで生きているよ」<(p.154)
修道院の「自由」というのはあるとは思う。でも、そこに「楽しむ」が入ると、クスリで楽しんでいるようなディストピア…ハクスリー『すばらしい新世界』([cocolog:89997835])のような世界を私は思い浮かべる。
JRF2019/4/293291
……。
アミは「スポーツ」すら否定する。
>「(…)ただ、自分自身と競争して自分自身に打ち勝つべきなんだよ。他人と競争するのじゃなくてね。進んだ文明世界には、そういった同胞との競争はまったく存在しない。それこそ、戦争や破壊の原因になりかねないからね」<(p.162)
「戦争や破壊の原因になりかねない」というのは、アミが批判で使う「極端論」じゃないか。自分の都合のよいときは「極端論」といって人をバカにしながら、自分達が「極端論」を使うのは「正しい」から許される…なんて、なんてエリート主義的なんだ!
JRF2019/4/294348
……。
>「(…)でも、たいていの大人は恐ろしいことだけが真実と思っている。物欲ばかりに目が行って、武器を崇拝したり、美しいものや真実などにはまったく興味がない。闇を光と思っている。人生の価値を完全に取り違えているんだ。(…)」<(p.170)
JRF2019/4/291315
戦争を肯定したいわけではないが、指導層が、優秀な人を高い地位につけねば戦争に負けるから、そうするということはある(参: [cocolog:90395921])。「統一」がないからこそ「腐敗」がないということはありうる。もちろん、「統一」した上で「腐敗」がないことも可能であり、それを目指すべきなのかもしれないが。
JRF2019/4/295107
……。
>「サメはいないの?」「ここにはほかの生きものを害するような危険な動物は、いっさいいないんだよ。猛獣とか、サメ、毒ヘビといった愛から遠くかけ離れた動物は、それらにふさわしいところにいる……」<(p.177)
えー、ってことはネコもいないの? それは残念すぎる!…という冗談はおいといて、植物も、プランクトンや細菌も生きているんだけどなぁ…食物連鎖の世界とは別の世界を作るというのは、まぁ、ありうべき方向かな…とは思うけどね。
JRF2019/4/291045
……。
>「(…)ぼくたちは悪だ。愛があまりにも欠けている。ぼく自身だって何人かのやつが好きじゃない」……クラスの同級生の一人を思い出した。いつもバカまじめなやつで、みんなが楽しく遊んでいる時などにやつの冷やかな批判的視線を見ただけで白けてしまって、楽しさなんかどこかへ行ってしまう。それから別の同級生で、いつも自分を聖人と思い込んでいるやつ。(…)<(p.185)
ここで作者はメタ的に敵を同定している。宗教に関心がありバカまじめな私はまさしく、「彼ら」の敵なのだろう。
JRF2019/4/291048
……。
>「当然だよ。誰だって、自分のはるか上にある段階のことなんか、見ることも想像することもできないからね(…)」<(p.193)
はるか上にある段階の判断には盲従する。…愛の名のもとに、「慈悲殺」でも行われかねないな…これは。「尊厳死」は難しい問題だが、それが愛の実践として行われることほど恐ろしいことはない。「愛だけが原理」ではダメだよ。
JRF2019/4/297795
……。
>「(…)ただ、神のみが完璧なんだ。完璧で純粋な愛そのものだ。(…)」<(p.212)
神を規定するのか、なんと不遜な。まぁ、それはそれとして…、物理学的な力も「愛」で、斥力も「愛」で、きっと殺人が起こるのも「愛」なのだろう。恐ろしいことだ。
JRF2019/4/299050
『アミ 小さな宇宙人』(エンリケ・バリオス 著, 石原 彰二 訳, 徳間書店, 1995年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4198602638 (初期・単行本)
https://www.amazon.co.jp/dp/4198922950 (文庫)
https://7net.omni7.jp/detail/1102214900 (文庫)
JRF2019/4/293627