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フレイレ(pf)&シャイー&ゲヴァントハウス管弦楽団『ブラームス: ピアノ協奏曲 第1・2番』を聴く。第1番、人が人間的なものを超えて進歩する苦悩のようなものを、個人が背負おうとする時代があったのか…? (JRF 5459)

JRF 2019年4月15日 (月)

Nelson Freire (pf) & Riccardo Chailly (cond) & Gewandhausorchester 『Brahms: The Piano Concertos』(録音: 2005年・2006年 Live, 発売: Decca 2006年)
https://www.amazon.co.jp/dp/B000E6TYI4
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1391064

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第1番に特に感銘を受けた。以前は、ブレンデル&アバドの版を聴いていた([aboutme:99600])。フレイレ&シャイーはより重い印象。それに比べればブレンデル&アバドはブラームスの若さが感じられるか。

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第1楽章。天地開闢のすぐ後の荒々しい世界、黒々と逆巻く波、岩だらけの大地、雲間から光がもれる空、鳴る風、どこからともなく聴こえてくるのは雷鳴か地鳴りか…。いや、むしろノアが箱舟で経験したことかもしれない。ピアノが入ってくると、25歳ぐらいの男が不安をおし殺しながら、使命感を抱く。ノアは25歳くらいだったのか? いや、いつのまにか近代のアカデミックな街にいる。

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しかし、そこで何を悩む。天地創造の神が悩むような大きな悩みを。恋か? 恋はもっと甘い部分があるだろう。政治か、革命か、戦争か…それらならもっとどす黒いだろう。アカデミックな場における発展への責任だろうか。ノアが洪水後にした農業のような純朴な労働から離れ、植民地主義や機械の支配が進み、人が人間的なものを超えて進歩する苦悩のようなものを、神ならぬ個人が背負おうとしている…。大きな物語…。現代の私には到底理解できない。そんな時代があったという証言なのだろうか。

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第2楽章、夕日が差し込む図書館で哲学を思い悩んでいると、ふいに神秘的な思いにとらわれる。そして、強い責任感が心にきざす。男と女のことなのか…、それもあるかもしれない。天職に身を入れようという決意。それは幼児のころからの心の延長線上にある。

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第3楽章。真摯に仕事に向かう。疾風怒涛の生活。自分に厳しいがゆえに人に優しくなれる。すでに定まった自分があるゆえに、厳しい仕事に耐えてゆける。(私はそんなふうになれない。情けない。) その先に「神の国」があるのかもしれない。

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……。

第2番は、ツィマーマン&バーンスタインの盤を聴いてきた。宇野功芳の推薦により手に入れた盤で、ピアノが指揮者の下に位置し、この曲が求めるより交響曲的なありかたにあっているとかいうことだった。私は、このピアノに個性がないとはちっとも思わないが、今回のフレイレ&シャイーに比べて、より自然な間のとり方をしているとは思う。ただ、自然に思えるのは、かなり若い頃から聴いていて慣れているせいもあるかもしれない。

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今回のフレイレ&シャイーの盤は、低音がかなり強調されているように聴こえる。おおむね不満はないが、ところどころ細かな処理ではツィマーマン&バーンスタインのほうが私は納得できる。

悪い演奏では決してないとも思うが…。

JRF2019/4/152825

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