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cocolog:90919250

ゲーム機本体の BIOS はいくつかの条件を付ければ現在でも著作権法的にダウンロードしても良いのではないか。遠い将来のゲーム・ソフトウェアの平穏な相続のためには、少なくともそれを可能にしておかねばならないと思う。 (JRF 4358)

JRF 2019年4月18日 (木)

[cocolog:90801393] で DRM と相続の問題について少し論じた。

ゲームの相続を考えるとき、子が、十分技術力をもたないため、ゲームという文化資産が受け継げないというのは望ましくない。

ゲーム機本体から BIOS を吸い出して使わねばならないというのは大抵かなり技術が必要で、さらに最近のものでは技術的保護手段の回避も問題になりうる。

JRF2019/4/182238

吸い出したものを相続したとしても、ゲーム機本体はゲームソフトに比べ経年劣化が激しく、かつ、かさばって保管・相続もしにくいため、捨てられる危険が大きい。本体がなければゲームできないとするとゲームソフト自体を保管する価値がなくなる。ゲーム機を手放したとき BIOS を消さねばならず、また、再びゲーム機本体を手に入れても、吸い出せないなら意味がないとするなら、ゲームソフト自体がいずれゴミになってしまう。

JRF2019/4/187804

ゲーム機本体を保有してないとゲームソフトができないというのは、今後、まともに動くゲーム機の数が減るにつれてますます不利になり、ただでさえ経年で需要が減りやすいのにいっそう買う者が減り続けることになる。公共的文化施設に頼るだけでなく、民間の市場で保管する必要もあるはずだが、それができなくなることになる。

JRF2019/4/182785

ゲーム文化の平穏な相続のために、ゲーム機本体を持っていなくても、BIOS ぐらいはダウンロード等で手に入れて、エミュレータでゲームをできるようにするべきだ。

JRF2019/4/184477

……。

ただ、無制限に BIOS をダウンロードするのを認めた場合、エミュレータを販売する者が、他者の BIOS を自由にダウンロードさせることも可能になるが、それは公正ではないだろう。

JRF2019/4/180014

だから、販売されるエミュレータが BIOS ファイルを無許可で参照している場合、その BIOS の公開を停止できるようにはすべきだろう。一般にアップロードを禁じるのも BIOS については不公正だと私は思うが、特定のダウンロード行為とセットになったとき、アップロードを差し止めることについてまで不公正だとは思わない。

JRF2019/4/185279

……。

さて、BIOS のダウンロード、現行の法規ではどうなっているかであるが、古いブログ等を読むと、BIOS のダウンロードはダメだという論調が多い。しかし、平成21年(2009年)にできた以下の部分により、条件付きで可ではないか?

JRF2019/4/181902


第四十七条の三 プログラムの著作物の複製物の所有者は、自ら当該著作物を電子計算機において実行するために必要と認められる限度において、当該著作物を複製することができる。ただし、当該実行に係る複製物の使用につき、第百十三条第二項の規定が適用される場合は、この限りでない。

2 前項の複製物の所有者が当該複製物(同項の規定により作成された複製物を含む。)のいずれかについて滅失以外の事由により所有権を有しなくなつた後には、その者は、当該著作権者の別段の意思表示がない限り、その他の複製物を保存してはならない。

JRF2019/4/183146

(…)

第百十三条2項 プログラムの著作物の著作権を侵害する行為によつて作成された複製物(当該複製物の所有者によつて第四十七条の三第一項の規定により作成された複製物並びに前項第一号の輸入に係るプログラムの著作物の複製物及び当該複製物の所有者によつて同条第一項の規定により作成された複製物を含む。)を業務上電子計算機において使用する行為は、これらの複製物を使用する権原を取得した時に情を知つていた場合に限り、当該著作権を侵害する行為とみなす。

JRF2019/4/185429

ゲームが映像や音楽の著作物であるというのは私も賛成だが、BIOS については、映像や音声が含まれているとしても、それをここでいうプログラムの著作物にしないとすることはすべきでない。そうするのは、「原作のまま」という文言について、意味のないページを1ページ除いたから原作のままという海賊版にあたらないという脱法と同じ、脱法行為であろう。

JRF2019/4/182392

第47条関連は、第30条の私的複製を超える規定だから、BIOS の複製を手に入れるのにダウンロードに頼っても合法のはずである。

第47条の3が単に「著作物の所有者」でなく「著作物の複製物の所有者」となっている部分については、BIOS のバージョンの小さな違いは無視して良いということと解釈したい。海外版とかの BIOS しかエミュレータが動かないという場合、それを使ってもよいということではないか。

JRF2019/4/183368

もちろん、GIMP をフリーで持っているから、Adobe Photoshop を自由に使ってよいみたいなことを主張するつもりはない。しかし、同型の同社の製品でアップデート等により無料で提供されうるものの範囲に入っていれば、その「同型」 BIOS を手に入れて良いのではないか。

JRF2019/4/188268

……。

で、問題は、第47条の3 2項で、「保存してはならない」があまり良くない。ゲーム機本体が故障して捨てた場合は「滅失」だから電子的な BIOS を残しておいていい、譲渡した場合はダメ…というのは一見公正に見えるが、問題がある。ゲーム機本体を捨て値で処分するということも「譲渡」になってしまうが、どうせ死んだら捨て値で処分されるから、故障させたほうが、BIOS の相続がうまくいくとなれば、ゲーム機本体という貴重な文化遺産をわざと壊す行為が横行しかねない。それはまずい。

JRF2019/4/186690

バックアップとしての保管はありとして、貸出等の高度な私的利用はしてはならないことを「保存しない」と述べていると解釈すべきと考える。

むしろ、民法の時効取得の考え方を(無理があるが)援用し、ハードを平穏に保持していれば善意無過失であるとし、10年たてば、電子的データを保存したまま、本体は売っていいとすべきだと私は考える。これはゲーム機本体だけでなく、本などもそれぐらいにすればいいと思う。

JRF2019/4/189830

そのような10年ものの権利について、電子的データを保存する権利ごと売れるようにしてはどうか、いっそ、電子的データのみ売れるようにしてはどうかという意見もあるかもしれないが、たばかって何度も売るのは不公正で、そうならないような10年たったことの証明・証明の移譲は難しいため、実質的に禁じるしかないというのが私の見解である。

JRF2019/4/183965

……。

113条2項には「著作権を侵害する行為によつて作成された複製物」と「業務上」という言葉がある。「著作権を侵害する行為によつて作成された複製物」は、アップロードという侵害によって作成されたダウンロードした複製物のこととここでは解する。

それを業務上使ってはならないということは、(違法?)ダウンロードしたものは「業務」には使ってはダメということだろう。逆に、BIOS を吸い出すことのメリットは、業務上も利用できるということにあると私は解釈する。

JRF2019/4/184443

YouTube へのゲーム動画のアップロードなどが「業務」とまで言えるかはわからないが、気にする人は気にして良いかもしれない。ちなみに [cocolog:89675814] では VTuber のゲームの利用について論じてる。

JRF2019/4/182855

……。

少しトピックを変え、別の BIOS ダウンロードが認められる道すじを探る。

肖像権が法律がなくても認められるように、修理の権利も法律がなくても認めるべき権利であると私は思う。それに付随して、現にライセンスを持っているゲームについては、(その劣化互換なら、)違うゲーム機や PC でやる権利もあると考える。

JRF2019/4/183547

最新機種(例えば PS4)であるゲームのライセンスを買ったなら、その別機種(SS)のゲーム(の劣化互換)をエミュレータでやるため、その「接合部品」たる非本質的な BIOS を JUNK の中から見つけるようにダウンロードするのは「修理」の権利に基づき合法である…と私は解釈したい。

JRF2019/4/184781

そのゲームの以前の表現を知りたいというのは正当な欲求で、「知る権利」と言えるかは別として、最新のライセンスを手に入れたあとに、以前の別機種のソフトを後から手に入れたなら、仮にその別機種ではやったことがなくても、やれる状態にまで「修理」することは認められると考えられる。その際、動作するゲーム機本体の入手しにくさ、保管の責任をまっとうする難しさを考え、JUNK の BIOS で済ますのは平穏な相続のためには必要なことでもあるだろう。

JRF2019/4/184632

で、一度、ダウンロードしてしまえば、その「接合部品」を別のものに転用するのも可と私はしたい。

さらに、最新機種のゲームはまったく同じである必要はなく、ナンバリングタイトルなら、その最新ナンバリングタイトルを買えば、それ以下の所有するタイトルについては別機種のエミュレータで BIOS を手に入れてやるのはかまわないとしたい。

これは、上のゲーム機本体にも言えればもっとよい。たとえば、PS4 を所有していれば、PS1 の BIOS はダウンロードしてもかまわないとなって欲しい。

JRF2019/4/184361

……。

そして、何より、そうやって合法的にダウンロードして保持していれば、その相続した者は、合法的に保持し、また利用していいと私は考える。

JRF2019/4/186655

……。

まとめると、

* ゲーム機本体を持っていれば、業務に使わない個人である限り BIOS をダウンロードするのは合法である。

* 正規ライセンスが別にあれば、別機種の同じゲーム(の劣化互換)をエミュレータでやるため、その「接合部品」たる BIOS を JUNK の中から見つけるようにダウンロードしてもよい。

JRF2019/4/188975

で、さらに、

* そうやって 10 年間合法的に保持していれば、ゲーム機本体やライセンスを譲渡したとしても BIOS を使って個人が遊ぶぐらいの権利は残るだろう(希望的観測)。

* そうして得られた権利を相続したものは本人でないことを気にせず、使ってよい。

といっても、これらは弁護士でもない個人が勝手に言ってることだから、間違っている可能性は大いにある。

JRF2019/4/186284

ただ、先にも書いたように、BIOS は、こういう条件がなくても個人は基本、ダウンロードし利用できるようにすべきであると私は思う。

JRF2019/4/185245

……。

追記。

「正規ライセンスが別にあれば、別機種の同じゲーム(の劣化互換)をエミュレータでやるため、BIOS をダウンロードしてよい」という話。「修理の権利」を主張するより、これも第47条の3 で解釈したほうがいいのかもしれない。

JRF2019/4/193761

正規ライセンスを受けている部分が「プログラムの実体」で、その「複製物」はバージョン違いであっていいのだから、「プログラムの実体」的に等しい、別機種の同じゲームについて、それをやるための BIOS を業務外でダウンロードするのは、正規ライセンスで実行できることの複製の範囲に入り、可罰性はないのではないか。

JRF2019/4/194595

録音・録画の違法ダウンロードが可罰であること(第119条2項)との絡みで言えば、私的複製が貸出等に使うためであれば違法ダウンロードが犯罪になるが、自分のプレイのために実行する範囲に限るなら、犯罪にならないと解釈する余地があるのではないか。

つまり、これを敷衍すると、プログラムの一種である ゲーム ROM についてそれを所有していれば、その ROM の内容を「違法」ダウンロードするのは、ゲームを自らプレイするだけに限れば合法なのではないか?

JRF2019/4/196008

正規ライセンスがあるものは所有してない別機種のものまで「違法」ダウンロードして良いかというと、それは疑問だが、前述のとおり、別機種の所有もちゃんとあれば、BIOS のみをダウンロードするのは「実行に係わる複製」の範囲で可罰性がないと私は思う。

JRF2019/4/197592

……。

「ゲーム機本体がいる」というのと「正規ライセンスがいる」というのと二つあるのは、壊れたゲーム機の処分に関するポリシーの違いから出ていると言える。

「ゲーム機本体がいる」という思想は、ゲーム機が壊れていても、それを所有し続けることに(歴史的)意味があるとし、ゲームがゲーム機で実行可能でなくてもゲーム機本体があればいいとする。

JRF2019/4/191817

「正規ライセンスがいる」という思想は、実行可能性を重く見るもので、最新のマシンで正規に実行可能なものがどこかにあることに意味があり、代表的なものが正規に継承されていることを祝い促し、壊れたゲーム機など持っていなくとも、代表的なものの責任で昔の同時代のゲームのエミュレータでの動作を担保していくという発想である。

JRF2019/4/198607

(「代表的なものの責任」というのは、著作権の保護期間の延長において、代表的なもの以外が延長のせいで逆に失われがちなのに対し、代表的なものは同時代の責任をもって、それらを救済すべきだという発想に連なるものである。)

JRF2019/4/192255

遠い将来は、壊れたゲーム機本体も保存されるべきだが、壊れたゲーム機だけあってもダメで、普通の人がちゃんと実行できる環境がなければ文化の継承としては失敗である。両輪あるべきだと私は思う。

JRF2019/4/190810

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