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パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団『ハンス・ロット: 交響曲 第1番』を聴く。ブルックナーからマーラーに致るところのミッシング・リンク…。『カラマーゾフの兄弟』のミーチャやイワンのような人物が想い浮かぶ。 (JRF 9670)

JRF 2019年5月20日 (月)

Paavo Jarvi & Frankfurt Radio Symphony Orchestra 『Hans Rott: Sinfonie Nr.1 E-Dur / Suite fur Orchester B-Dur』(録音: 2010年, 発売: Sony 2012年)
https://www.amazon.co.jp/dp/B007O40PN2 (海外盤)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4948552 (国内盤)

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先日、パーヴォ・ヤルヴィ&NHK交響楽団の『ハンス・ロット: 交響曲 第1番』の2019年2月10日の演奏が2019年4月21日にテレビで放送された(↓)。

《クラシック音楽館 N響第1906回定期公演 | NHKクロニクル》
https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/pg/page010-01-01.cgi?recId=0001000000000000%400000000000000000000000-48-21-3B00000000000000000000

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私もその番組は聴いたが、CD 自体は、その放送の前に買った。演奏時に聴衆の間で話題になったためか、3月はじめぐらいに Amazon ランキングのクラシック部門で上位に来ていたため、ランキングをチェックしていた私は気になって買ったのだった。

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……。

第1楽章は、ブルックナー的・ワーグナー的なところから、マーラー的な響きに移る。ブルックナー的な率直さがありながら、ワーグナー的なきらびやかさでパーソナルな心情を出しているように思う。もちろん、「マーラー的」というのは「マーラーをマネして」ということではない。ロットはマーラーの同級生であったらしいので、影響を与えあった可能性はあるが。

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第2楽章は、ブラームスの交響曲 第3番か第4番あたりの心情をブルックナーの響きで構成するとこうなるかといった感じ。R. シュトラウスの予調的でもある。マーラー的大袈裟さもあるが、マーラーが中二病的神話観で乗り切ったところを、派手ではあるが、もう少し素朴な信仰心で偉大なものへの接近をはかっているように思う。

JRF2019/5/206213

第3楽章は、マーラー的な響きでベートーヴェンの交響曲 第7番の精神を表現したもののよう。シューマンも少し思い出す。先日(2019年5月12日)のクラシック音楽館でユロフスキーが、マーラーなどがベートーヴェンの交響曲は「現代的」にする必要があると感じていたと語っていたが、その番組で聴けたマーラー編曲の『ベートーヴェン:交響曲 第7番』とマーラーの交響曲の間の深い溝を埋めるのが、このロットのこの楽章のように思う。

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第4楽章は、しっかした構造をもたせようとしたのかもしれないが、そう見えない。ブルックナーのような構造をしっかり作っていけばやがて偉大なものが現れるというのではなく、ロットの曲には人々のパーソナルな営みの中に偉大なものが見えてくるという「信仰」のようなものがあるように思う。「英雄」的心情をもち、大袈裟な部分もあるが、基本的には誠実に生きている…。

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曲を聴いていて、ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄第』(参: [cocolog:80215217])のミーチャ(ドミートリイ)やイワンの姿が思い浮かんだ。神を信じないと公言し、いろいろな失敗をしているが、それでも人を励ましながら世の中を渡っている。昔の人のように神をいつも心に置いておくような信仰はない。でも、世の中のあり方に寄り添うその姿からは、奥深いところでの神への信頼があるように・それが生きられることに神の愛があるように、アリョーシャのような人物からは見える。

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そうでありながら、ロットは自殺を図り若くして死んだ。人を励まし誠実に明るく見える人にも闇は深くあるということだろうか。

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総じて、ロットは、マーラーや R. シュトラウスよりも、クラシックの伝統を強く受け継いで昇華しようとしていた作曲家のように思う。この方向が続いていればクラシック界はより豊かになったことだろう。しかし、若くして潰えたということは、この調子で生業として作曲するには、労力がかかり過ぎだったということだろうか?

JRF2019/5/209831

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