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cocolog:91228785

『世界の名著 16 マキアヴェリ』を読んだ。簡単に抹殺を説くところは確かにヒドイ話なのだが、時代が必要としたのかもしれない。帝政以前のローマに範をとり、意外に共和主義的だった。 (JRF 9394)

JRF 2019年8月10日 (土)

『世界の名著 16 マキアヴェリ』(マキアヴェリ 著, 会田 雄次 責任編集, 中央公論社, 1966年)
https://www.amazon.co.jp/dp/B000JBBMR0
https://7net.omni7.jp/detail/1100247433
https://www.amazon.co.jp/dp/4124006314 (中公バックス版 世界の名著 21)

JRF2019/8/102244

この本には「名言」が散りばめられているが、それはたいてい、この本の巻末の重要語句索引から引くことができると思われる。よって、今回、取り立てて「名言」を拾っていくようなことはしない。

JRF2019/8/102929

……。

『マキアヴェリの生涯と思想』より。

>ルソーは『社会契約論』において、「王公に教えをたれるとみせかけて、マキアヴェリは、人民に偉大な教訓を与えたのである。彼の『君主論』は、共和主義者の教科書である」と説いている。<(p.9-10)

君主のろくでもなさを際立たせ、幻想を破壊することで、むしろ共和主義者を増やす役目をおったのかな…とは思わないでもない。

JRF2019/8/105802

……。

>(…イギリスの歴史家グーチは…)マキアヴェリは人間を動かすより高邁な衝動の存在を否定している。したがって彼の政治感覚は現実性のない、せまい基礎の上にたつものにほかならない、というのである。<(p.12)

JRF2019/8/102751

「高邁さ」を政治につなげて周りの理解が得られるか…現実に国を動かすほどの理解が得られるかというと難しいのではないかという気もする。最近の Twitter 界隈の話題に乗れば、例えば高邁な郵政民営化という政策が、本当のところ利益をもたらしたのはどのあたりなのか…というリアルなところを考えると、「高邁さ」というものこそ目眩しではないかという気もしないではない。

JRF2019/8/103618

意図に「高邁さ」が含まれていてもいい。しかし、語るのはリアルな政治でなければならないのではないか…という気もする。

JRF2019/8/108838

……。

>マキアヴェリは中世の市民軍やチェーザレの軍隊の成功をみるとき、傭兵軍を廃止して国民軍(民兵制)を創設しなければならない、と政庁に訴える。(…)ところが、貴族や大市民から、一般市民を武装させることは反乱の危険性がある、といって反対され、マキアヴェリの計画は骨ぬきにされてしまう。しかし、このような近代的な兵制は強固な国家意識のうえに立つ民主国においてのみ実現されうるのであり、そこまで思いいたらなかったマキアヴェリの悲劇はここにもみることができる。<(p.28-29)

JRF2019/8/102636

傭兵軍は、部下の戦死や武器の損失は、敵味方ともその資本を失うことになるから「八百長戦争」に終始する(p.21)というみたてがあるらしい。

これが日本に駐留するアメリカ軍または将来的な国連軍にどれぐらいあてはまるかは難しいところ。徴兵制などとも少しからんでくるところ。

JRF2019/8/109960

……。

>ヴィルトゥ(…とは…)すべての人間行動がそこから起こる力とか活力をさす。(…)マキアヴェリにとって、政治的な成功の裏づけは、その理論の正しさ、知恵の使い方などによるのではなく、集中された意志力、内からわきあがる「理屈をこえた」洞察にあるということになる。(…)しかし、かれとっては、この精神主義は万能ではない。人間の行為は自然の循環、すなわち運命[フォルトナ]にしたがわねばならない(…)。<(p.38-39)

JRF2019/8/100890

マキアヴェリは合理主義の権化かというと必ずしもそうでないことが、ここからわかる。「ヴィルトゥ」は、「力量」や「気概」という漢字がしばしばこの本ではあてられている。

JRF2019/8/101031

……。

……。

『君主論』より。

>君主国は、すべて二種類の様式で治められている。すなわち、一つは、一人の君主と、君主の引き立てと認可により、大臣として国政を補佐する臣下たちとによる様式である。もう一つは、一人の君主と封建諸侯よりなるものであり、こうした諸侯は君主の引き立てとは無関係に、それぞれ昔からの血筋によって自分の地位を保っている。(…)こうした二種類の異なった政治様式の実例としては、現代では、トルコとフランス王のばあいがあげられる。

JRF2019/8/100343

(…)


トルコの国は、現在、一人の統治者の手で治められており、他の者はみな彼の臣下である。(…)フランス国王は、数多くの昔からの諸侯に取り巻かれている。諸侯は、各自、領内で領民から主君と認められ、また慕われている。また彼らには特権があり、この特権をとりあげるには、国王とても危険は覚悟しなくてはならない。

JRF2019/8/102737

(…)

トルコの国については、征服するときの困難は大きいが、征服してしまったあとでは、この国を維持するのは、きわめてらくであることがわかるであろう。

JRF2019/8/102890

(…)

他方、フランス王国のような政治をしいている国では、逆のことが起こる。そこには変革を望む連中や不満分子がつねにいるので、その国の諸侯のだれかを味方につけてしまうことで、あなたはやすやすとその国にはいりこめる。(…)しかし、そのあとで、国の維持をはかろうとすると、(…)困難がつぎつぎと起こる。
<(p.58-60)

JRF2019/8/100717

現代の日本は、電力会社などの強い会社が「諸侯」の役目を担っていると言えるのかもしれない。たしかそのようなことを、この「ひとこと」のどこかで論じた気がするが忘れてしまった。米軍に占領されていること、また、戦時中の反省から、国に権力を集中しすぎないようになっているのだと思う。企業体が一つの社会というところからは、90年代以降外れていっているようにも見え、派遣という形式が別の組織を格差と共に作り出し、「諸侯」の力を徐々に弱めていっているように思う。

JRF2019/8/100270

ある意味、切り崩しが容易だが全体を奪うことができない国から、中央の統制さえ奪えばよい、全体の占領に弱い国になっていっているのかもしれない。下層民は、いつ体制が変わってもいいように、生き残り策をめいめい講じているということかもしれない。

ひょっとして消費税という安定財源の罠なのかな…。法人税を企業に出してもらわねばならないというのとではプレッシャーが違う…と。

JRF2019/8/108387

……。

>敵から身を守ること、味方をつかむこと、(…)、君主に向かって危害を加えうる、あるいは加えそうな連中を抹殺すること(…)以上すべてのことがらこそ、新君主国において、必要欠くべからざるものであると考える人にとって、彼(…チェーザレ・ボルジア…)の行動ぐらい生き生きした実例は見いだせないであろう。<(p.75)

「抹殺」も必要不可欠とするところがマキアヴェリらしいところ。

JRF2019/8/105140

……。

>(…城塞…)都市の倉庫には、一年分の飲料水と食糧、燃料がたくわえられている。さらに、下層階級の者が食べるのに事欠かないように、それでいて国の負担にならないように、だれかれなく彼らが一年間は働ける手仕事が与えられるようになっている。<(p.86)

仕事を下層民に供給するのも君主のつとめか…。これは現代忘れられがちな視点かもしれない。

JRF2019/8/109428

……。

>平時においては、(…予算を食う…)彼ら傭兵にまる裸にされ、戦時においては、(…傭兵の不忠実で…)敵軍のためにまる裸にされてしまうことになるのである。その理由はこうである。傭兵が戦場におもむこうとするのは、ほんの一握りの給料が目あてで、ほかになんらの動機も、なんらの感情もない。しかもその給料は、あなたのために進んで死ぬ気を起こすほどのものではない。彼らは、あなたが戦争をやらないあいだは、あなたに仕える兵士であることを望むが、いざ戦争となると、逃げるか、消えうせるかしてしまう<(p.91)

JRF2019/8/100364

このあたり、戦争の自動化・ロボット化・遠隔化によりどうなるのだろう? 戦争に、金は大事だが、大義も大事だった。それが変わるのかどうなのか。

JRF2019/8/105997

……。

>愛されるより恐れられるほうがはるかに安全である。というのは、人間については一般に次のことがいえるからである。そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、偽善者で、厚かましく、身の危険は避けようとし、物欲には目がないものである、と。<(p.110)

性悪説ここに極まれり…といったところ。

JRF2019/8/105718

……。

>人間は、総じて実際に手にとって触れるよりも、目で見たことだけで判断してしまうものである。(…)しかも、人の行動については、とりわけ君主の行動については、喚問できるような裁判所はないから、ただ結果だけで見ることになる。<(p.115)

>この個所は、『政略論』第1巻第9章「もたらされた結果がりっぱなものなら、いつでも犯した罪は許される」ということばとともに、いわゆるマキアヴェリズム -- 目的のためには手段を選ばない主義 -- の典拠として、しばしば用いられている。<(p.115 注)

JRF2019/8/106115

keyword: 結果主義

「結果が出なければ何もやってないに等しい」…みたいなことは私も半ば信じてるけどね…。

JRF2019/8/106774

……。

>多くの人の意見によると、聡明な君主は、機会をつかめば、奸計を用いてでも適対関係をわざとつくりだし、これを克服することによって、さらに勢力を拡大するようにしなければならないのである。<(p.130)

ここでの「勢力」は領土の意だが、「党勢」ということになると、現代の日韓関係とかまさにそんな感じに見えるね。

JRF2019/8/101683

徴用工問題で、本来は、日本の民衆が不買運動でもするシナリオだったのかな? それが不発なので、親韓勢力が日本側から仕掛けるようにした…と。まぁ、陰謀論的にはそうなるか。技術大国中国がある時代に、結果が日本に不利過ぎて、そういうふうに考えてしまいがちだけどね。

JRF2019/8/106143

……。

>お追従者をどのようにして避けたらよいか(…)だれもかもあなた(…君主…)に向かって真実を話していいということになると、あなたへの尊敬の念は失われてしまうものである。こう考えてみると思慮の深い君主のとるべき道は、第三の道でなければならない。すなわち、君主は、国内から賢人たちを選びだして、この人たちだけにあなたに真実を語る自由を認めること、しかも、それは君主が下問する問題だけにかぎって、ほかのことは許さないようにすることである。<(p.139-140)

JRF2019/8/101687

>助言者たちが私利私欲を追うようにならないなどとは、とても考えられない。(…)要するに結論はこうである。だれがりっぱな進言をしたとしても、よい意見は当然君主の深い思慮から生まれるものであって、よい進言から君主の深い思慮が生まれてきてはならない、と。<(p.141)

JRF2019/8/104174

深い思慮があったから、良い進言が生まれたのであって、逆ではない、と。現実はどうあれ、そういうつもりで評価しなければならない(下々は評価を受け容れなければならない)ということなのだろうな。

JRF2019/8/106723

……。

……。

『政略論』第1巻より。

>(…ローマ…)その法律は、他のどの都市やまた共和国も身につけることのできなかったあのあふれんばかりの力量[ヴィルトゥ]を維持させつづけることになったのである。<(p.172)

JRF2019/8/107123

君主がヴィルトゥを持つことはできても、それを継ぐことはなかなかできるものではない。しかし、システムがヴィルトゥを持つ人物を連続的に輩出することは不可能ではないということだろう。

ただ、ヴィルトゥを与える法システムは、単に合理的であればよいということでもないのかもしれない。

JRF2019/8/100917

……。

君主政は相続の失敗でやがて僭主政となり、そこから貴族政になってそれが女性問題なので寡頭政となり、民衆政になるが、それが衆愚政となって、また君主の登場を期待するようになるという。(p.175-176)

JRF2019/8/109412

>慎重に法律をつくりあげようとするほどの人なら、だれしもこの欠点をよくのみこんでいるので、これらの政体のどれ一つとして、そのままの形で適用することはしない。最初の三つのよき政体(…君主政・貴族政・民衆政…)のもつ性格のどれをも含んだ一つの政体を選び、それをもっとも安定して堅実な政体だと判定するのである。<(p.177)

JRF2019/8/101438

現代の政体はどうか?

大統領というのはローマで言えば護民官で、二大政党制というのは、ローマには執政官[コンスル]が二人いたことを継いでいるのかもしれない。日本で二大政党制が定着できなかったのは、ローマ法制の教訓の理解が欠如しているからなのかもしれない。

JRF2019/8/107634

……。

>国内に敵対関係や紛争がなかったために、永続的な自由を享受した諸国家に話題を移す(…)。<(p.187)

JRF2019/8/109526

>(…そのような国家である…)ヴェネツィアやスパルタが楽しんだのと同様の平和をローマにもたらそうとすれば、その立法者たちは、次に述べる二つのことがらのうちの一つをとりあげなければならなかったはずだということがわかる。すなわち、ヴェネツィアのばあいのように、平民を戦争に使わないということ、あるいは、スパルタのように、外来者の移住にたいし門戸を閉ざしておくということ、そのどちらかの方策を選ばなければならなかったのである。ところがローマ人たちは、実際は、あべこべのことをやったのである。<(p.189)

JRF2019/8/103895

>すなわち、平民には武力を与え、外人には移住を認めて人口増大をもたらした。そこで騒動が起こるきっかけは、際限のないものとなっていたのである。しかし、ローマの国内がもっと平和であったとしたら、逆にローマがより弱体化するという結果をもたらし、あの偉大さにいたる道を遮断してしまうことになっていたであろう。<(p.189)

JRF2019/8/102395

小日本主義と大日本主義があって、戦後は小日本主義だった。基本、外来者に門戸を閉ざしていたのは、それなりに歴史的根拠があるのかもしれない。現代、人口減少で移民に頼らざるを得なくなって、それでも小日本主義でありたいと望むなら、今度はヴェネツィアの道…エリートのみが軍事にたずさわるという方向に行くのだろうか?

JRF2019/8/106239

米軍に少しのいてもらって、その穴を「国連軍」で埋め、実質的にそこに移民の活躍する場を作る…ということを私は考えたことがあるけど、それを(複数言語が操れるような)エリートの交流の場にするという感じか?

JRF2019/8/109235

……。

>国家において自由を保護するには弾劾権がいかに重要であるかについて<(p.193)

そして、中傷を違法とすることが大事ということのようだ。弾劾は中傷と違って証拠等が必要になる。そういうものがないと、それをただすために暗殺したり、外国軍を呼び込んだりする者が出てくるということらしい。

JRF2019/8/109538

>このことは、共和国でも、またほかの政体をとっている国家のなかでも、嫉妬による中傷というものが、どれほど憎むべきものかを教えてくれる。そして、これを防ぐためなら、どんな方法が持ち出されようと、それをとりあげもせずにほうっておくうようなことがあってはならないということをも明示するのである。このような中傷をなくしてしまうなによりの方法とは、法的に告発できる余地を十分にひらいておくということである。というのは、中傷が国家を毒するのと同じくらい、告発は国家を利するところ多大であるからである。<(p.197-198)

JRF2019/8/106060

現代日本に、背任罪・外患誘致罪はあるけど、広い国家反逆罪はない。確かに権力側の濫用が怖いが、告発を広く取り証拠を厳密に調べるなら、そういうのもありかな…と個人的には思わなくもない。

JRF2019/8/106482

海外などで、日本の利益よりも私利を追及して住民を虐げたりしたとき、遠い将来に向けては外患誘致罪かもしれないが、それを問いにくいということはありえる。公務員でなければ背任も問いにくい。外患誘致に致らないよう逆に虐殺とかされたら目もあてられない。…となれば、人道に関する罪を日本にあびせようとしたということで、反逆罪みたいなもので告発できることは必要なんじゃないかな…とか考えることはある。

JRF2019/8/100775

エリートの罪として、そういう名称にするかは別として、設置できないか? 指導的立場の者が、恨みや私利などから、国家を傷付ける・またはそれを放置してはならない…みたいなもの。「貴族」ってのはない建前だから…公職追放の規定の仕方かな…。どこの国の法律でも公害・組織犯罪・重大な労働法違反その他の人道に関する罪で有罪になったらその無効を日本で判決されない限り、(またはどこかの国の代わりに日本で裁判して有罪になっても、)日本では(取締役や参議院議員などの)公職に就けない…とか。

JRF2019/8/108271

……。

>これまで述べてきたことを考えあわせれば、ヌマがもたらした宗教こそ、ローマにもたらされたしあわせの第一の原因だと結論づけることができよう。<(p.211)

ローマでは法律、「以上に」というか「以前に」というか宗教が大事にされ、特に「誓い」が重視されていたようだ。君主一人のヴィルトゥに頼るよりは、宗教のほうが確実。ヴィルトゥを世代を超えて永続する一助が宗教ということらしい。

人を死なせる軍を動かすには宗教も大事ということはあたりまえではあるが…。

JRF2019/8/105824

……。

>教会はイタリア全土を征服できる力もないが、さりとてほかの国が統一を達成するのを妨害するくらいの力はそなえている。<(p.216)

これが世界的にもそうなのか。世界が統一することへの歯止めとして教会が機能しているということはあるのだろうか?

JRF2019/8/105466

……。

>自由を手に入れた国家では、適対者を結束せしめるのみで、与党の側に団結は生まれないという傾向がある。かつて、専制的な僭主の国家のもとで、それをよいことにして僭主の富から養分を吸収していたような連中は、全部敵側にまわる。(…)ところが、すでに述べたように、自由を獲得したほうには、強力な味方は生まれてはこない。自由を骨子とする政体では、栄爵は一つのはっきりきまったルールに基づいて与えられるので、それ以外の者は対象にならない。ここに一人の功績のある人物がいて、栄誉や特権を受けたとしても、それを授けてくれた権威のおかげと考えなければならない道理はない。<(p.225)

JRF2019/8/103462

民主党政権の失敗を思う。[cocolog:90768574] でも述べたが、政権を取った民主党はかなり無理をする必要があった。それをくさして次の政権交替への寛容さ・戦略を養なわないでいると、必ずいつかは政権は変わるものなのだから、そのときの政権交替を本当の抹殺が行われるような過酷なものにする心配が私にはある。

JRF2019/8/105058

……。

>つまり腐敗とか、自由な政体を保持していけないというようなことは、もとをただせば、その国家のなかにしみついている不平等に起因しているからである。そして、平等をとりもどさせるにはどうしても非常手段をとらざるをえないのである。このような荒療治は、ほんの少数の人が知っていて用いればよいものなのだ。<(p.232)

人民の側の腐敗とは何だろう?…出張する兵士に対する不倫の横行の雰囲気などをさすのだろうか。

JRF2019/8/100225

……。

>(…ローマの執政官…)彼らは世襲や欺瞞や露骨な野心などによらずに、自由な投票にまかせて執政官の権力を得ていたのであるから、つねに、みなそろって清廉潔白な人物だった。これらの人物の手腕[ヴィルトゥ]と名声の恩恵にたえず浴していたローマは、やがてその全盛期に到達することができた。<(p.240)

JRF2019/8/100812

ヴィルトゥを法システムが保障するというとき、もっと、非合理的な方法があるのかと思っていたが、執政官を合理的に選ぶシステムがそれを第一に担保しているということのようだ。ただ、執政官というものを作り、そういう法を作り出したというところは、また別の在り方が前にあったということではあろうが。

JRF2019/8/103932

……。

>こんにちの君主や共和国のなかで、攻防をするときに、自国民からなる軍隊を使用していないようなものは、それだけでみずからを深く恥じなければならない。<(p.241)

現代は、国連軍と核という二つの要素を考えなければならない。核をすべての国に持たせるわけにはいかない。そういう意味では自国民を守るのを究極のところでは他の国に頼ることになる国が出てくるのはやむを得ない。一方、国連軍はいつまでたってもできず、ある程度の軍は各国の責任で持たざるを得ない。

JRF2019/8/102578

日本の核武装論などがあるが、すべての国に核武装を許すわけにはいかないという文脈からは、認めるべきではない。確かに、国際関係上厳しい位置にはあるが、同様のモンゴルなどがどう考えているか…。まぁ、あそこも右傾化しがちという噂はあるが…。

JRF2019/8/108178

……。

>ローマで毎年行なわれていた犠牲[いけにえ]の例祭は、国王みずからが儀式をとり行なうしきたりであったが、王がいなくなったいま、人民が古い慣習をなつかしがることのないように、この儀式の主催者をつくった。そして、これを「犠牲祭の王」と呼び、さらにこの職を最高の聖職者にゆだねることにした。<(p.249)

天皇制のローマ法的根拠は、ここ「犠牲祭の王」にあるのかな?

JRF2019/8/107866

……。

>けれども、人間は中道をとると称してどっちつかずになり、そのためにたいへんな危険に引きずりこまれるものである。<(p.251)

かつて、民主党は>「民主中道」というよりは「民主中途半端」<と言ったのは、ひどい中傷だったかな…と少し反省している(参: [aboutme:125348])。

JRF2019/8/101920

……。

>ローマの将軍たちは過失で犯した罪できびしい罰を受けることはけっしてなかった、たとえローマに損害を与えたとしても、無知とか運の悪さのためであれば罰せられることはなかった<(p.263)

ヴィルトゥを法システムで維持させるためには、こういうことも必要だろうね。

JRF2019/8/102826

……。

>人はけっして自分の心の奥底をさらけだしてはならないのであって、ありとあらゆる手段に訴えても自分の目的をかなえるように努力しなければならないものだからである。したがって、一人の男から武器をとりあげようとするときでも、その男にまえもって、「とりあげたその武器でおまえを殺してやるぞ」などと言うべきでないのはもちろんである。けれども、諸君がいったん自分の手に武器をひきよせてしまったら、その後では思いのままのことをやってのければいいのである。<(p.300)

JRF2019/8/107733

さすがマキアヴェリ。

>このあたりの主張は、後世のマキアヴェリズムを生む有力な材料になっているものの一つである。<(p.301 注)

JRF2019/8/103203

……。

>こんなわけだから、なんびとに対しても刑罰でおびやかすようなことがあってはならない。また、みだりに弾圧を加えるようなこともきびしく慎まねばならない。そうしておいて、さらに人々が安定して、それぞれその分に満足できるような環境をつくってやらなければならないのである。<(p.303)

直上と違って、マキアヴェリらしくない。こういうことも主張するんだね…。

JRF2019/8/105286

……。

>このような新しい制度を創設するにあたって、ローマのように国家の草分けの時代から自由を確保し、さらにそれ以来自治をつづけているようなばあいでさえ、その自由を維持していくのにかなった法律を生みだすにはひとかたならない困難を伴なうものである。このことを考えると、そのしょっぱなから隷属状態におかれた国家が、文化的で平和な生活を保証しうるような法律を制定することなどはむずかしいどころか、不可能だといっても、おどろくにあたらないであろう。<(p.312)

JRF2019/8/101114

日本は安定政権ができなかったがゆえに不利な立法を逃れてきた面があった。…かどうかは微妙だが、福田元首相が、不利な「立法」ではないが条件を押し付けられそうになったとき、首相がやめることでそれを逃れることはあったと言われている。

《福田元首相辞任の真相がいまさら語られる理由: 極東ブログ》
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/10/post-a870.html

JRF2019/8/104653

東日本大震災があって、私も安定政権を求めた。まだ、そこから立ち直ってないことを考えれば安定政権もやむなしだが…。

あと、ここから、「不可能」に近いほどの自由な憲法が与えられたのは奇跡に近いのだから、それを「隷属状態」のまま変えるのはかなり慎重であるべきだということも言えるのかもしれない。

JRF2019/8/109070

……。

>一都市、一地方で大事件が起こるときには、それを知らせる前兆や予言者が現われる<(p.332)

このあたり、マキアヴェリはある意味、「信心深い」んだね。

JRF2019/8/108634

……。

>けれども民衆のもつ性格が、君主のそれにくらべて罪が重いというわけではない。なぜなら、あとさきのことを考えもせずに、あやまちを犯してしまうという点では、両者は五分と五分だからである。<(p.338)

一時はやった「集合知」みたいなことをこのあとマキアヴェリは述べている。案外、民衆を信頼しているのは、マキアヴェリはイタリアにローマに続くような共和国を打ち建てるのを夢みていたからかもしれない。

JRF2019/8/100063

……。

『政略論』第2巻より。

>その国王の絆から脱したローマが、あの大帝国へと成長をとげていったことについては、讃嘆のあまり言うべきことばを知らないほどである。その理由はいとも簡単に理解できる。つまり個人の利益を追求するのではないくて、公共の福祉に貢献することこそ国家に発展をもたらすものだからである。しかも、このような公共の福祉が守られるのは、共和国をさしおいては、どこにもありえないことはたしかである。つまり、共和国にとって利益となることなら、なんでも実行されるからである。

JRF2019/8/104944

(…)

したがって、なにがしかひと握りの個人が、その政策遂行で迷惑をこうむるようなことがあっても、それによって利益を受ける人々が多ければ、損害を受ける少数の人々の反対を押しきっても、これを実行に移すことができるのである。
<(p.359)

JRF2019/8/100140

現代では多数派の横暴が少数派から基本的な権利を奪わないようにしたりはしている。一方、個人的な利益追求が公共の利益へとつながるような仕組み、…特許権なども導入されている。むしろ、ほぼ一党支配が続いてきた日本で自民党が憲法案で「公共の福祉」を強く求めることに警戒感があるくらいである。

JRF2019/8/106023

……。

>僭主は、彼が新たに征服した国家を、これまで統治している国家に服従させたり属国にしたりすることもできはしない。それというのも、国家そのものを強めることが、この僭主の利益に一致することにならないからである。つまり、彼にとっては、国内をばらばらにしておいて、各地方がそれぞれにこの僭主を支配者と仰がせるようにしむけることが、得策だからである。このように僭主が、新しい領土を征服したところで、それは僭主自身の利益になるだけで、国家にはなんの利益もないのは、このためなのである。<(p.369)

JRF2019/8/102245

欧米列強の植民地支配を考えると、共和国も君主国もあまり差がないように思う。あれは国家には利益をもたらしていなかったのか? だから、その後「解放」されたのだろうか?

JRF2019/8/107795

……。

>いまの人間は昔の人間にくらべていくじがない。<(p.362)

昔のほうが残酷で、今は繊細優美だとしても。

>人間についてのこの考えは、マキアヴェリの思想の一つの柱となっている。<(p.363 注)

昔は生存者バイアスがキツかった…というのはあるかな。

JRF2019/8/101022

……。

>「自分たちサムニウム人たちは、自国出身の兵士や指揮官だけで、百年間にわたってローマと戦ってきた。(…)いまではすっかりだらしなくなって、ノラに陣をしくローマの一小軍団にも手を焼いているしまつだ」<(p.366)

ちょうど↓を読んだところだったので、この文に共感した。

JRF2019/8/100461

《ヲ茶会(はぐれ界隈状況派):Twitter:2019-08-06》
https://twitter.com/wochakai/status/1158730899669671936
>語弊のある言い方だが、敗れたとはいえ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とかつて米国に経済で挑んだ我が国が、その理由や背景は異なれ現在は韓国とやり合い、その様に歓喜する同胞の自国民を見ると、何処か情けないものを感じてしまう自分がいる。<

JRF2019/8/105362

他国を侮るようなことがあってはならないが、自国が侮られつつあることを悲しむぐらいはかまわないと思う。なんとか、「復活」に貢献したいという思いはあるけど、自堕落な生活をしてしまって…なんか申し訳ないです。

JRF2019/8/106549

……。

>私は通説にさからってでも、戦争の決め手となるのは黄金の力ではなくて精兵なのだと主張したい。なぜこういうことが言えるかといえば、金の力だけでは精兵をさがし出してくるわけにはいかないけれども、逆に精兵をもってすれば黄金を手に入れることなど簡単しごくのことだからだ。<(p.390)

兵站の大事さは別としても。

JRF2019/8/100952

私は『易双六』(↓)で、下々の金が兵力を上まわったとき「革命」または「動乱」が起こるかのようにした。金で兵を思い通りにすることはできないかもしれないが、戦いを起こさせることはできると思う。

《易双六 Youscout ~ a Tarot Solitaire》
http://jrf.cocolog-nifty.com/archive/youscout/

JRF2019/8/101159

……。

>人間がとりうるなによりも賢い態度の一つは、相手に対して脅かすような言辞を吐いたり、侮辱するようなことばをけっして口にしないようにつつしむことであると思う。というのは、そのどちらを口にしてみたところで、けっして敵の力を弱めることにはなりはしないからである。脅かすようなことばは、かえって相手をもっと用心させるようなことになるし、侮辱したらますます憤激をかきたてさせ、なんとかして諸君をやっつけようと思案をめぐらさせる結果となるものである。<(p.460)

JRF2019/8/104351

左派的に過激な展示が話題となった「あいちトリエンナーレ 2019」が、脅迫を受けて中止になった。普段なら、「表現の自由を脅かす者に屈してはならない!」と言いたいところだが、京アニ事件まもない今は、「煽り」展示を守るより他を守るのが先だというのは理解でき、中止もやむをえないと思う。

JRF2019/8/106087

「脅す」ことで目的を達することも、「侮辱」で話題性を作ることも現代ではよく見られる。でも、それが長い目で見て、社会の役に立つことはないだろう。自由を少しずつ削りとっていくからだ。

ネットの自由が奪われ、「現世の美しいもの」が手に入りにくくなっているのが絶望感を深め、それが「事件」につながっているのがそもそもの根幹なのではないか。…と私は思って少しググったのだが、ネット規制がごく最近強化されたという話は特にないようで…。

JRF2019/8/104773

……。

>人民に武器をとらせないという(…)方法で統治を行なっているばあい、為政者は、外敵の侵入を阻止するのにつごうのよい人員配置をととのえる必要上、国の中心部にいる領民には武器を帯びさせず、わずかに敵と第一に接触する国境の住民だけに武装をほどこす。つまり、敵の侵入を防ぐために、国境付近に住む君侯や住民を武装させておくことになる。だから国境線付近では、敵の侵入にさいしていくらかは抵抗が行なわれることもあるが、敵がその地帯を突破して内部に侵入すれば、もう打つ手はなくなってしまうのである。<(p.475)

JRF2019/8/100726

>ほんの数年まえ、ヴェネツィア人も同じような失敗をくりかえしている。もしこの国が海に取り囲まれていなかったといったら、危うくその最後の日を迎えていたところであった。<(p.475)

JRF2019/8/106843

日本は海に囲まれているので、刀狩りがうまくいったというのはあるのだろうな。ただそれでも、古くは防人[さきもり]の話があるし、明治維新は、「国境」の九州付近が起点となったということはある。民兵の必要性みたいなことは、福田歓一の政治学の本([cocolog:90689746])にもあった。

JRF2019/8/107440

……。

>執政官はいちいち元老院の指令を仰ぎながら戦争をすすめていくべきであると元老院が考えているようなら、執政官としては、もっといいかげんに、そしてもっと悠長に事を運んでやろうということになる(…)。なぜなら、せっかく勝利を得たところで、その栄誉はそっくり執政官には与えられず、執政官は元老院の指示によって戦争をしているのだという理由で、元老院にも勝利の栄誉を分かち与えなければならなくなるからである。<(p.484)

JRF2019/8/102533

これ旧日本軍の関東軍とかはどうだったんだろう? むしろ逆に、問題のある行動について、中央の責任にしないために…みたいな動機がなかっただろうか?

JRF2019/8/102873

……。

『政略論』第3巻より。

>実際に相手を殺してしまえば、あとにはなんの危険も残らない。殺されてしまった人間は復讐してやろうなどと考えることはできない。しかし、生き残った人間は、加害者への恨みをけっして忘れないからである。<(p.301)

>この個所はマキアヴェリの主張を冷酷無残なものとしてとらえる者のよりどころの一つである。<(p.301 注)

あくまでも昔の君主の話。でも、「口封じ」は現代にもある…かな?

JRF2019/8/100765

……。

>本章ならびに前章で、マキアヴェリが、時代の性格をみきわめてそれに合わせて行動せよ、と説いている点は注目に値する。それまで、歴史は時の経過を示すものとしか考えられていなかったが、彼によってはじめて、時代の性格、時代の精神というものが自覚されるようになった。しかも時代性はいかなる個性にも優先すると強調されるようになった。(…)そこにはいかなる人間の努力にも優越する歴史の必然(ネチエシタ)の流れがある。(…)ただし、マキアヴェリには、この必然をなんとか利用して、運命を打開しようとする一面がある。<(p.533 注)

時代の性格は、読書などから学べるのだろうか…。

JRF2019/8/101207

……。

>一国に対して多くの国が団結して戦争をしかけるばあい、緒戦の攻撃を支えるだけの力[ヴィルトゥ]を持ち、機会の来るまで時をかせいでおくことができれば、この国は勝利を得ることができるはずである。しかし、それができなければ、この国は非常な危険にさらされるだろう。<(p.540)

そうやって難を逃れられそうのは、現代ではアメリカ以外にはないのではないか。外交的な勝利ということなら、他の国でもやってるのかもしれないが。

JRF2019/8/107339

……。

>古代の将軍は、必要性が発揮する威力についてよくわきまえていたばかりでなく、部下の将兵にどうしても戦わなければならないという気持があれば強い攻撃力を発揮できるということも知っていたので、このような条件のもとに部下をおこうとあらゆる策を講じたものである。<(p.541)

背水の陣。その故事となった逸話では、別動隊がいてそれを当てにできたのであって、ただ窮地に立たせただけではない…みたいな話を最近 Twitter で読んだのだが、…↓かな?

JRF2019/8/101877

《倉戸みと:Twitter:2016-04-12》
https://twitter.com/mitragyna/status/719806520771252224

JRF2019/8/102015

>【背水の陣】

×:自らを追い込んで、気合で逆転する

◯:神がかり的なリーダーシップで不利な状況に耐え、敵が誘い込まれたスキを狙って、別働隊で勝負をキメる。

上司に「背水の陣だが、がんばろう!」と言われたら

「私達が耐えてる間に、ちゃんと勝負をキメられる別働隊はいるんですよね?!」

と確認するべき。(※背水の陣ではなく「無策な籠城戦」であることが多い)

JRF2019/8/102817

でも、古代では、やっぱり気合いを出させるという意味も大きいのではないかと思う。

JRF2019/8/100844

……。

>共和国においてはつねに市民の行動に心を配らなくてはならない、慈悲ぶかい行動のかげには、しばしば専制君主を生むきっかけが隠れているものだからである<(p.580)

>多くのばあい、見かけは慈悲ぶかく見え、しかも筋道からいえば害になるとは思えない善行であっても、適切な時期に是正しておかなくては、その善行が暴走することがあり、共和国にとって危険きわまりないものになりうるということである。<(p.580)

JRF2019/8/101485

私は、はてなスターを付けるとき有料のカラースターを付けていたり、また、ポイントが投げれるときは投げ銭をしていた(↓)。

《はてなブックマークについての私のポリシー》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2006/04/post_1.html

JRF2019/8/105737

その理由として「自己満足」のため、または自分が注目されるため…と言ってきたように思うが、実はそうしないと、相続税の問題が出てくるからという背景もあった。ただ、注目のためと言ってきたことで、権力指向を疑われ嫌われる面もあったのかな…とか思う。自意識過剰かもしれないが。

JRF2019/8/100530

あと、↓の宣伝にお金を使っているのも「善行」的なつもりがあるかな。微妙だけど。それも逆に嫌われる要素であるのかな…。

《救いの無力さ》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2007/05/post_1.html

NPO みたいに半ば国の管理を受け容れるということが、信用されるために、または反社会的とならないために必要なことなのかな…。

JRF2019/8/101585

……。

>共和国に生まれた人間は、ぜひ(…)並みはずれた活動をして、自分の名をあげるようにつとめなくてはならない。事実、ローマの多くの市民は青年時代にこういったことを実践している。あるときは、公共の利益になる法律を制定したり、あるいはまた権力者の一人を法律違反者として弾劾したり、あるいはまたこれと同様の新奇なことを行なって、人の話題にのぼるようなことをやっている。<(p.597)

直上の「善行」とは逆のことを言っている。私の場合は「新奇」なことだから、別にいいのかな、許しがあるのかな?

JRF2019/8/105268

……。

>共和国に対して、あるいは君主に対して意見を具申する人は、かならず次のような板ばさみにおちいるものである。つまり、彼らが自分の祖国なり君主なり有益だと気づいていながら、わざとこれを建議することをはばかるばあい、自分の職責を果たしていないことになる。一方、あえて意見を述べるばあいには、自分の地位や生命を危険にさらしていることになる。というのは、人間はすべてめくら同然であって、結果を見て当の意見の善悪を判断しようとするものだからである。意見を具申したばかりに不名善や危険がその身にふりかかるのを防ごうと思えば、どうしても次のような方法をとるしかない。…<(p.600-601)

JRF2019/8/107263

自分の功績になるのは否定してでもできるだけ目立たないようにする…と。役所で前例主義がはびこる所以[ゆえん]。新しいことは若い人が目立つためにやるというぐらいしかないのかな? でもそういう文化って日本にある?

JRF2019/8/108131

……。

>第二にあげられる点は、むりやりに誓わされた約束は、これを守らなくても、けっして破廉恥なこととはならない、ということである。つまり、国家に関する約束ごとを強要されて結んだばあいは、どんなときでも、その圧力が弱まりさえすれば、これを破棄すべきである。<(p.617)

徴用工問題で、日韓基本条約…日韓請求権協定が問題になっている。破棄されたわけではないはずだが。

JRF2019/8/102026

死んだ者の補償もいるということであれば、欧米の植民地支配が今後問題になるし、生きている者が大事だということだと、外国人の技能実習生問題のほうを先に解決すべきだとなる。

時間をかければ、皆いずれ「死んだ者」になるが、それを許さないとするなら、いずれ「死んだ者」を対象にする議論になり、国際的に一気に不利になる。だから、今、問題にしなければならない・何か楔を打っておかねばならないという焦りがあるのかな?

JRF2019/8/100564

他のアジアの国と組んで技能実習生問題の解決をはかる条約を日本に受け容れさせる代わりに、数少なくなった徴用工の補償は、韓国がする…となれば、韓国の名は上がるだろうね。まぁ、そのシナリオは日本はもちろん他の大国が嫌いそうだけど。

JRF2019/8/107551

修正 「相続税の問題」→「相続税・贈与税の問題」。

JRF2019/8/111052

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