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光に関する本を三冊、R. P. ファインマン『光と物質のふしぎな理論』とニュートン『光学』とゲーテ『色彩論』を読んだ。光に関する私の妄想に一区切りをつけたかった。 (JRF 7523)

JRF 2019年12月18日 (水)

光に関する本を三冊読んだ。私の光に関する関心は、ネット上にも三つほど妄想として現れている。一つは、光か素粒子かはわからないが、それが「星」型を描くものとして…。

《七支刀って剣? その3 - 七芒星の埋め込み》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2010/12/post.html

JRF2019/12/180138

「星」を描くといっても、時間を遡りながら、時に無限の方向に振り切れながら、一筆書きに周期的に動くことを想定している。これが何か大きな意味があると、妄想的に考えたのだった。

あと二つは、はてブで書いたこと。

JRF2019/12/186768

はてなブックマーク - 《ヒッグス粒子はエーテルみたいなものなんじゃないんですか? - Yahoo! 知恵袋》
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1032704725
jrf:>> 真空、空間というものがエーテルというなにか根源的なもので満たされている、という原初的なアイデアが真空のヒッグス場という形に昇華した、と(…)とらえる哲学的な見地もありますが< 。次は「光に方向はない」?< 2012/07/06

JRF2019/12/184141

「光に方向はない」は、光っている物は普通は全方向に向けて光り、とても速度が速いので、どちらが先に到着したかというのがいまいち掴みづらいところから、ヒントを得た妄想。ただ、もっと一般的・物理学的に、そういうことが言われるようになるのではないかと妄想することがある。今回、光に関する本を読んだメインの関心はここにある。

JRF2019/12/180047

はてなブックマーク - 《塗料もインキも不要。褪せない色、実現の鍵は鳥の羽 | ギズモード・ジャパン》
https://www.gizmodo.jp/2014/03/post_14259.html
jrf: >色は次元なのか?織物は次元をなすのか?Hausdorff 次元を光で読めば幻想の中に次元はある…繰り込みが有限でも?では、3次元は本当に次元なのか、有限かもしれないのに、光がそう見せている幻影かもしれないのに…。< 2014/04/01

JRF2019/12/187762

色(や音)もある種の次元ではないかと考えることがある。次元を作り出すということに関して、妄想上、「それも次元ではないか!」と「神々」に反駁したのだった。しかし、『ウィングマン』で世界を宝石にしたように、本物の宇宙を色として織物に織り込むようなことがなされただけ…と妄想したものだった。

JRF2019/12/182760

……。

……。

『光と物質のふしぎな理論 - 私の量子電磁力学』(R. P. ファインマン 著, 釜江 常好 & 大貫 昌子 訳, 岩波書店, 1987年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4000058665 (単行本)
https://7net.omni7.jp/detail/1102447848 (文庫本)

1985年刊の Richard P. Feynman『QED: The Strange Theory of Light and Matter』の翻訳で、1987年に和訳、2007年に文庫本が出ている。

JRF2019/12/180896

……。

>てんで反射しそうもない鏡の一片をあちこちを削りとると、とたんに光が反射するようになる、実に愉快なことではありませんか。(…)今お話した回折格子(。…)明るい光の下で、細かく刻まれた溝が並んでいる面、たとえばレコード(それよりビデオディスクの方がもっと良い例ですが)のようなものをある角度から眺めると、虹のような色が見えるものです。<(p.64-66)

CD が虹色に見えるのはある種の回折格子だからなのか? 「回折」って「干渉」に似た概念とだけうろ覚えしていて、「回折格子」というものを私はよくわかってなかった。

JRF2019/12/181854

……。

>光源を S 点、光電増倍管を P 点、その間に二個の遮光ブロックを置いてみます(…)。そうしてもう一個の光電増倍管を P 点のした Q 点に置きます。(…)ブロックの関隔が開いている場合には、(…) Q への経路の矢印は相殺し合って(…)なくなってしまいます。したがって Q 点にある光電増倍管はカチリと言わないわけです。ところがこのブロックを少しずつ近づけてゆくと、あるところで驚くなかれ Q の検出器がカチカチ言い始めるのです!

JRF2019/12/182411

(…)

つまり光が直線上しか通らないことを確かめようとして光の通路をせばめ過ぎると、光はもう言うことをきかなくなって拡がり始めるというわっです。
<(p.76)

「光に方向性がない」特に孤立した光には…といった妄想に通じるところ。光が集まると方向性があるように「錯覚」してしまう…とかなんとか強弁できないか…。

JRF2019/12/182991

……。

>光はいわゆる光速よりも速く進んだり、遅く進んだりする振幅をもっているので、上図にあげた三つのどの例についても、光子は点 5 で放出され、点 6 で吸収されたと考えることができる。これは (b) 例のように放出されると同時刻に吸収される光子にも、(c) 例のように吸収されるより後の時刻に放出される光子にも言える。後者のように吸収と放出が時間的に逆転される場合、普通なら 6 で放出され、5 で吸収されたのだと言うだろう。そうでなければ光子が時間を後戻りしたのだ、と考えるほかにない!<(p.132)

JRF2019/12/186502

ここも「光に方向性がない」ことを示している。…ようにも読める。ただ、方向性がないというのは全方向に行くことを意味しがちで、前後だけの問題になるとなぜそうなのか、偏光とかは別に考えるのか…とか考える必要が出てくる。うまく言いくるめられないか…。

JRF2019/12/189139

……。

>時間を前向きに進む私たちにとって、時間を逆に進む電子がどう見えってるか、図にしてお目にかけましょう。見やすくするため何本かの平行線を使って、T_0 から T_10 までの時間のブロックに分けることとします(図64)。そして T_0 で電子一個と光子一個が互いに反対向きに進みながら、近づき合っているとします。

JRF2019/12/185700

(…)

T_3 に突然、光子が陽電子と電子の二つの粒子に分かれてしまいました。陽電子はあまり流いこと経たないうちに T_5 でもとの電子にぶつかり、互いを消滅し合って新しい光子を一個生みだします。一方最初の光子が作り出した電子の方は、そのまま時空を進んでいく、というのがこの図の筋書きです。
<(p.136-137)

JRF2019/12/182781

「対消滅」って「オタクとフェミが対消滅しろ」みたいな罵倒で使われるが、こういう意味だったのか?

消滅が「予定」されているように見えるが、その実は時間の逆行がある…というのは宗教的な意味を考えさせるものがある。

JRF2019/12/181368

……。

>もっとも簡単な原子は水素原子と呼ばれ、陽子と電子一個ずつから成っていますが、陽子は自分の周りを踊り回っている電子を、光子を交換することによってそばに引きつけているのです(…)。<(p.138)

原子核と電子が光のやりとりをすることで引き付け合うということが言われるが、なぜ光をやりとりすれば引き付けることができるのかが良くわからない。光の可能性を奪うことでエネルギーや負のエントロピーにできるということなのだろうか?

JRF2019/12/188277

……。

>n と j を決めるために私たちが使うシェル・ゲーム(どちらの手の中に貝殻があるかを当てる手品)は、専門語では「くりこみ」と呼ばれますが、どんなに偉そうな名前をつけたところで私に言わせればいささかこれは眉唾ものです。<(p.178)

くりこみ…私は関心があるが、どうして「眉唾」なのだろう? 無限を自然に含みがちだからか? 自分の中で「くりこみ」はやがて、上の七芒星と関係しそうな気がする。

JRF2019/12/184239

……。

……。

『光学』(ニュートン 著, 島尾 永康 訳, 岩波文庫 青, 1983年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4003390415
https://7net.omni7.jp/detail/1100389481

原著は、Isaac Newton『Opticks, 3rd ed.』(1721年)。

JRF2019/12/180378

……。

>木星の衛星の蝕の時差から得られた(…オーレ・レーマーによる…)論証によれば、光の伝播には時間がかかり、太陽からわれわれまで到達するのに約7分かかるようである。<(p.28)

Wikipedia によると現在は太陽まで光で8分19秒かかることが知られているようだ。この時代からそれが知られていたのは驚き。「光に方向性がない」に関して問題となるのは「光の速度が有限である」という事実で、こことどう調和するかが問題となる…。

光が束となったとき干渉によって(ツイストされ?)方向性が出るとでもすればいいのだろうか?

JRF2019/12/186646

……。

>望遠鏡の完成を妨げるのはレンズの球面形ではなくて、射線の屈折性の相違である(…)<(p.106)

望遠鏡を良くするには、レンズの口径を大きくすること、望遠鏡を長くすること、レンズの倍率を上げることが有効だが、レンズの精度以外の限界がある…ということのようだ。

JRF2019/12/185544

……。

>私はこのような金属を二個もっていた。その両方を磨きあげたとき、どちらが良いかを調べ、良くない方を再び磨いて、他方をより良くすることができないかどうかをみた。<(p.110)

解説によるとアインシュタインはニュートンを評して>「かれは一身に、実験家と理論家と職人と、そしてとくに解説の達人とを兼ねている。(…)」<と言ったそうだが、ニュートンの職人らしさを特に私は尊敬する。私も自分でプログラミング・実験をするが、他人の言うことを聴いて、(他人のプログラミングなどを読んだりして、)続けて作業するというのがなかなかできない。

JRF2019/12/182309

……。

>すべての均質光は、その屈折性の度合に応じた固有の色をもっている。その色は反射と屈折によって変化させることはできない。<(p.124)

光の波長によって屈折性が異り、色が変わるわけだが、どうして人は進化により波長を識別できるようになったのだろう?

違う波長に関しても同じ色と識別してしまったり、連続的でなくどこかに欠損がある認識になっても良かったはずである。

JRF2019/12/182558

プリズムによる屈折で色が違うと認識できるような眼を持っているということの、人の進化の偶然性・またはファインチューニング性はどれぐらいのものなのだろう?

目で見える(色)・感覚でわかる以上のランダム性があるということが次元そのものを織物にすることにあたるのだろうか? 逆に、人の見る色は繰り込まれた次元なのではないか?

JRF2019/12/188929

>均質な赤と黄の混合は、混合されていないプリズムの色系列で、赤と黄の間にある橙と外見上同じ橙を複合する。<(p.132)

赤の波長の光と黄色の波長の光が合わさっても、橙の波長の光になるわっではないはずなのに、橙に見える…というのは結構、謎だと思う。

目には色の受容体が男性で三つ、一部の女性で四つあるらしいが、目は波長の平均も感知するようになっているのだろうか? すごくけったいな話のように思う。

JRF2019/12/184071

>各原色の量と性質が与えられているとき、それらの混合によって生じる複合色を知ること。<(p.150)

ニュートンによる色相の円の図が描かれており、だいたいそのような混色の理論は今でも通用するようだ。「光の三原色」などということがよく言われるが、別に「原色」でなくても円に接する正三角形をとって、その頂点の色をとればすべての色を再現できるということだろう。これは私には驚きだった。三原色以外の色の波長を特別に感知するという生物もありえるのではないか。

JRF2019/12/187286

波長では上限と下限に位置する赤と菫。その中間色というのは微妙に認識しがたいようになるだろう。女性の四つ目の受容体はそのためにあるのか…と思ったら、オレンジ系らしく別にそういうことでもないらしい。

JRF2019/12/187230

>発見された光の諸性質によって、天然物の永久色を説明すること。<(p.171)

反射して橙に見える物があるとき、橙の単波長の光を当てても反射しないが、赤の波長または黄の波長を当てると反射するということだろう。そういう物質はあるのだろうか? ないとすればなぜ?

JRF2019/12/180431

……。

>天然物を構成する粒子の大きさは、その色から推測することができる。<(p.234)

第II篇はニュートン環の説明で、図が少なくこれだけ読んでも何が書いてあるのかよくわからなかった。Wikipedia 等ググってやっと意味がわかる感じ。ニュートンが言いたかったのは上の引用。物の色は、それを構成する粒子の大きさで決まってくるのではないか…ということらしい。ただ、ニュートンの予想はここでは間違っているはず。

JRF2019/12/184530

……。

>一つの射線の反射は、反射物質の一点によってひきおこされるのではなく、物質の表面全体にむらなく広がっている物質のある力によってひきおこされる<(p.244)

一点ではなく、表面全体というのは『光と物質のふしぎな理論』で言われていたこと。「力」によるものではないが。

JRF2019/12/186628

……。

>疑問4 物体に投射して、反射または屈折される光の射線は、物体に到達する前に、曲がり始めるのではないか、それらは、さまざまな状況によってさまざまに作用する同一の原理によって、反射、屈折、回折されるのではないか。<(p.302)

第III篇では回折その他の説明がある。光が物体に到達する前に作用しはじめるというのは、「光の方向性のなさ」が関係し、届く前に向こう側から届こうとしているから…とか妄想する。そして、光を太くすると回折がしにくくなるのは、光がツイストされて方向性が定まるからだ…みたいに言いたい。

JRF2019/12/181348

……。

>動物の本能は何によるか。動物の感覚中枢とは、感覚物質が敏速に応じる場所であり、事物の感知される形象は、神経と脳をへてそこに運ばれ、感覚物質に即座に応じることによって知覚されるのではないか。このようなことが敏速にうまく処理されているのであるから、無形の、生命ある、聰明な、遍在的な神がいますことは諸現象から明らかではないか。<(p.327)

ニュートンのオカルティックな錬金術への関心、神への関心にも私は興味があったが、この本は、それほどその興味には応えてくれなかった。

JRF2019/12/186688

……。

……。

『色彩論 色彩学の歴史』(ゲーテ 著, 菊地 英一 訳, 岩波文庫 赤, 1952年)
https://www.amazon.co.jp/dp/400324074X
https://7net.omni7.jp/detail/1101123048

原著は、Goethe『Zur Farbenlehre』(1810年)。『色彩学のために』三部作は教説篇・論争篇・歴史篇からなるが、この翻訳は第三部の歴史篇のみとなる。

JRF2019/12/184620

ギリシア・ローマから18世紀までの色彩に関する哲学の歴史をゲーテの視点から述べているのがこの第三篇。最初の二篇がなく、それを読んでいることを前提とした記述が多く、最初はその主張が大変わかりにくいが、読み進めていくと少しずつ解説があってほんの少しわかった気になってくる。

JRF2019/12/187418

基本は、ニュートンに対する批判・論駁の書で、あのゲーテということで詩的・物語的なものを期待すると裏切られる。まぁ、ニュートンとそのとりまきへの悪口は「詩的」とも言えなくはないか…な。(^^;

(歴史的な漢字表記を現代的表記に直して引用する。)

JRF2019/12/182562

……。

>デモクリトスの所信と所説は、高度に敏感にされた感覚の要求に関連し、表面説に傾く。(…)色彩は、触れえぬが故に存在せぬとか、或いはまた、触れうる限りにおいてのみ存在する、ということになる。かくて象徴は、触覚からひきだされる。表面のなめらか、ざらつく、鋭利な、角ばる、尖れるかに応じて、この種々の状態から、諸種の色彩もまた生ずるという。しかしこの所説と、色彩は全くコンヴェンショナルなものだ、という主張が、いかに結託させられるかは、われらの敢えて解決をはばかるところである。<(p.31-32)

JRF2019/12/187140

人の触覚でわかるスケールでは色は発現しないと言える。明暗のレベルならある程度可能だが…といったところか。

JRF2019/12/181422

……。

>(ロバート・ボイルの解説による可能性の一つとして…)これらの色彩は、プリズム及びその他の透明体を通る屈折の援けをかりて生みださるべきことを見たから、二三の色彩を説明するためには、屈折もまた援けとしなければならぬように思われるのである。<(p.198)

プリズムによる屈折が色を生んだのと同じ機構で色を生んでいる場合もあるだろう。…というのは、ニュートン環の議論を思い出す。

JRF2019/12/180963

>(ボイルは述べる…)私の傾倒する「色彩は光の変容なり」というこの所説は、勿論いまは仮説に過ぎないのではあるが、(…)光のうけるこの変容が、陰影との混合によるか、或いはデカルトのいう光粒子の運動と自転との比率によるか、はたまたそのほか方報によるか、私はこれをここで敢えて決定するものではない。<(p.201)

デカルトのいう光粒子の自転は、光は波でありかつ粒子であるということの別表現のようでいて興味深い。ただ、そのような自転する何かが粒子そのものかというと違う気がする。これは私の七芒星の妄想とも関連するところ。そこにゲーテの考え方に近い、「じゃあ、陰影」と言われると、私にはピンと来ない。

JRF2019/12/189938

……。

>(ニュゲはいう…)完全透明の媒体中においてはたとえどのようにこれに光を入射せしめても、そのなかには陰影なき光があるだけだから、どのような色彩も発生せぬこと。このことから私は、陰影もまた光と同じく色彩にとって本質的である、と結論せねばらなかった。<(p.205)

「陰影」って「スクリーン」とはまた違うのだと思うけど、よくわからない。回折現象との混淆があるわけでもないんだよね?

JRF2019/12/180079

……。

>形象がずらされるときでなければ、プリズムの色彩現象は生じない。そして限界なき形象なぞというものはおよそありえぬ。通常のプリズム実験においては、太陽の全形象が最小の採光孔を通過し、ずらされるのである。屈折が僅少なるときには、写った形象の、ただ「縁」だけが、屈折が多大のときには、前面が彩られる。<(p.243)

『光と物質のふしぎな理論』によれば、光(線)の通り道と見える場所だけでなく媒体の全体を考慮する必要があるとのことだった。そういうことにつながることをゲーテは述べているのだろうか? よくわからない。

JRF2019/12/184155

……。

>(マリオットのニュートンへの反駁…)並べ合わされた赤いリボンと青いリボンをプリズムを透かして注目する実験。(…)日本のリボンの下地が黒いことは、劈頭一番に特記されなければならない不可欠の条件なのである。もし下地がリボンの色より明るいならば、実験はかほどの成功を収めないだけではなく、全くの不成功に終る。<(p.284)

JRF2019/12/182681

>(マリオットを再反駁するデザギュリエも認める…)「人は色を十分に濃くするように注意しなければならぬ。何故なれば余がたまたま青色を幾分か剥ぎ落したときに、青色の下地の厚紙の白さが禍して、この青い形象もまたより遠くにまで届き、その距離は赤い形象とほとんど変わらなかったからである」<(p.294)

なぜだろう? 下地に反射された光と「ツイスト」されるからか…と私は考えてしまう。

JRF2019/12/183629

マリオットによれば、二つのプリズムを用いて、一つのプリズムで分光した光を別のプリズムで再度分光しても新しい色が現れないのがニュートンの主張だが、現れることがあるという実験結果になる…とのことだった。それがゲーテも引っかかっている点。確かに、そのようなことが起きるのであればニュートンの主張は少しおかしいのかもしれない。少なくとも私はプリズムの実験が少し信じられなくなった。

JRF2019/12/183506

……。

最後の「著者の告白」という章は、ゲーテという人物に興味がある人が読んで興味深い内容となっている。文学士ゲーテが畑違いの光学実験に手を出す動機と、それを白眼視されても追い続ける様子が描かれている。

ゲーテは知的ゲーム的に「青は色にあらず」と主張した。ある意味、その呪いを受けて今回の本のようなことを企画せねばならなかったのだろう。

JRF2019/12/182800

光に神秘性というか魅力を感じるという精神状態というのはあるのだろう。私も「妄想」と断わりながら、こんなことを書いていると、どんなとばっちりを受けるかわかったものではないな…と少し反省した。ゲーテの本は長くわかりにくく、正直ほとんど得るところはなかったが、警鐘は得られたと言える。

JRF2019/12/185423

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