cocolog:91719427
環境保護などを想定したボランティアについてゲーム理論的なモデルを考え、所得税からNPOを支援するような「協力」の必要性を考えた。ゲーム理論の「御用学問」性を疑う。 (JRF 1570)
JRF 2020年3月 2日 (月)
「はじめに」で書いた…
>お金を稼がねばならない。でも、その方法がわからない。人に役に立つことをすれば、自然にお金が恵ってくる。人に役に立つことをしようとするべきだ。<
…という「祈り」のようなところから、今回のアイデアを得た。
JRF2020/3/23954
そこの「結論」で↓と書いた。
>ゲーム理論をよく複数の場合に単純に拡張して論じることがあるが、今回の結果をみるとそれは少しおかしいのではないか?…と感じる。競争によって高い全体効用から低い全体効用に滑り落ちることを「囚人のジレンマ」的な状況と言って、ゲーム理論を参照すべき示唆がなされうるが、むしろ、それを示すのはゲーム理論のほうが難しいというのが本稿の実験が示唆するところであった。<
JRF2020/3/27510
迷って結局書かなかったが、そういうゲーム理論への誘導はむしろ罠なのではないか? ゲーム理論は「御用学問」として、そういう状況をむしろ導きにくいものと示唆しているのではないか?…と疑いを持った。
JRF2020/3/24689
経済学はしばしば「御用学問」としての性質を持っている。それぞれの研究者は誠実であったとしても、その合わさるところでしばしば資本家など支配層に有利な解釈を導きやすいキライがある。例えば、[aboutme:119462] で「マメ知識:経済学の定義における「賃金」は、必ずしも労働者の賃金に限らない。」と書いたように、定義が経済学の小分野ごとに違って、それらを総合した解釈が、資本家に有利になりがち…ということがあった。
JRF2020/3/25403
「ゲーム理論」もそうではないかと疑う。が、まぁ、もちろん、基本は私の「邪推」、「陰謀論」への傾斜に過ぎないんだろうけど。
JRF2020/3/22987
記事を書いた(↓)。
《ボランティアについてのゲーム理論的なモデル》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2020/03/post-d45df8.html
JRF2020/3/29801