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『浄土三部経』の現代語訳を読んだ。浄土の考え方が現れたとき昔の人が新しい浄土の考え方をなぜ信じれたか。…などと考えた。 (JRF 1547)

JRF 2020年7月28日 (火)

この本の前に 『維摩経』の現代語訳、『歎異抄』、親鸞『教行信証』を読んでいる([cocolog:92073249], [cocolog:92076991])。

JRF2020/7/282283

……。

『全文現代語訳 浄土三部経』(大角 修 訳, 角川ソフィア文庫, 2018年)
https://www.amazon.co.jp/dp/404400420X
https://7net.omni7.jp/detail/1106922093

JRF2020/7/289303

法然によって「浄土三部経」と称された『阿弥陀経』『観無量寿経』『無量寿経』がこの本にはこの順番で載っている。普通は注とする用語の説明が、ほぼ本文といっしょに読めるよう開かれていて、読み物として優れているが、どこまでが本来の経なのかがわかりにくくなっている。

JRF2020/7/282718

……。

家族が死んだとき、子供にどう伝えるか。天に昇る・星になる…とういろいろあるが、そこで幸せに暮らしている…としたい。そういう願いがきっと古代から自然にある。それは、罪を犯した者は、死後罰を受けるべきというのの裏返しになっている。それは恨みを現世にもちこまない知恵。

JRF2020/7/287948

一方、子が親になれば、そういう思いがある種の「呪い」となって、罪深い自分を襲う。そこで、自分も「昇天」できるという何がしかの安心感が必要になるのかもしれない。そして、そういう「冷めた者」に教えから、現世ご利益もあることを納得させる必要があるのかもしれない。

そういったことに奇跡的にうまく合致する教えが極楽浄土の教えなのではないか。「極楽浄土の教え」の経があるということが、いってみれば一つの奇跡なのだろう。

JRF2020/7/287460

……。

浄土の考え方が現れたとき昔の人が新しい浄土の考え方をなぜ信じれたか。または、現在の転生を信じない人やキリスト教徒などが浄土の教えに惑わないようにできないか。

JRF2020/7/283282

涅槃に入るとは、魂のようなものが「ない」ようになることを肯定する面がある。浄土の教えは、涅槃に結局入るのを目指し、罪があれば目指めが遅くなるということは逆にそれが早くなるのは良いこととされている以上、早く寂滅しても問題はない。現代によく思われているように、死後の転生などないのだとしても、死人にとっての義理ははたしたことになろう。あとは仏教の善が、現出するかの問題ではないか。

JRF2020/7/282083

浄土というものがなければ、悪は、現世で悪となる。転生を信じる場合、転生してきた者が、その悪因で現世に悪を生じさせるとなる。悪は現世で悪となると信じることで、他人の悪を現実に生じさせないようにしようとする動きがありえた。浄土の教えは、それを弱めるおそれはあるかもしれない。

JRF2020/7/289753

一方、たとえ、浄土というものが「嘘」で、転生で地獄に生まれても、(浄土教以前の仏教が正しければ)それまでの「念仏」というものの「私」への無執着という特徴からの功徳がある。…などとはできるかもしれない。仏教哲学からすれば、そういった功徳は、「本人」はもちろん、他のたとえば仏教徒以外にも利益をもたらしうる。

JRF2020/7/286120

逆に、浄土というものがあるとすると、悪人が地獄に行かないとなるが、悪人が報いを受けるなら慰撫されたはずの復讐心が残り、現世をけがすことになりかねない。浄土で少しは報いを受けるというので納得できるものだろうか。一方で、悪がこの世に転生しないことで、悪が起こりにくくなるという観方もあるかもしれない。

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また、浄土に入ることは、菩薩とならない限り、この世には帰らないことなので、この世に死を越えて果たすほどの恨みがないことの表明ではあると言えるかもしれない。それは仏教徒以外にも利益をもたらすだろう。

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最後の審判を信じる者については、念仏を唱えても、信なければ浄土には行かないらしいので、復活を邪魔する呪いのようにはならないはず。もちろん、だからと言って無理に念仏を唱えさせるようなことがあってはならない。ただ、最後の審判を信じる者で地獄に堕ちるのが必定となっている者については、念仏を唱えることに上に書いたような功徳はあるのではないか。

JRF2020/7/281594

……。

浄土を観じるというのは、今の時代だと、3D ゲーム世界の荘厳さが思い浮かぶ。ゲームをやると脳内麻薬のドーパミンが出て、麻薬と同じだから禁止しようという議論があったりするが、極楽を観じるのも、やはりドーパミンが出るようなことなのではないか。

そうすることで、鬱的にならずに人生を楽しめる。現世で生きる喜びを加重する。それが現世御利益ではないか。

JRF2020/7/285854

↓について、「なろう小説」が「まだ安楽死してないの?」というススメではないかという議論を思い出す。

《愉快な生活送り太郎:Twitter:2019-08-05》
https://twitter.com/hassyx/status/1158206871712362497

JRF2020/7/282422

>「ダンベル何キロ持てる?」はもう中年〜壮年期に差し掛かった老オタク達をジムに通わせ、健康を維持させ医療費を抑制する目的で作られた国策アニメだと言うことはあまり知られていません。国のロードマップによれば、15年後に「まだ安楽死してないの?」というアニメが放送される予定です。<

JRF2020/7/280423

jrf:>>「まだ安楽死してないの?」というアニメが放送される予定<。なるほど、なろう・異世界転生系ってそういうことなのかも…。地獄必定の「呪い」を解呪し、自らの攻撃衝動を抑える精神安定剤でもあるんだろうが。< 2019/08/09

JRF2020/7/289695

極楽が良いなら、早く死ねば良いという議論にもなるのは同じ。「なろう小説」にも、死んでも思い残すことはないという執着をなくすと同時に、夢のような世界を描くことで「ドーパミン」を出し、逆に生きることの意欲をわかせる面があるのかもしれない。だからこそ、それほどの悪はないのであろう。

JRF2020/7/281085

>極楽の地を観ずる者は八十億劫の生死の罪が除かれ、この娑婆世界での生涯を終えて来世に往くときには必ず浄らかな国に生まれます。この観をなすのが正観であり、もし他の瞑想のようなことをするなら、それは迷いに踏み入る邪観です。<(p.85, 観無量寿経)

>もし観音菩薩を見たいと願うならば、今、わたしが説いた観を修しなさい。この観を修すれば、どんな災禍にもあうことはありません。<(p.109, 観無量寿経)

JRF2020/7/289568

災禍にあえば、正観ではなかったとなるか。「正観」のできる余祐のあるような金持ち・知恵者で、幸福な者からなるカルトを教団に中心に置く原理のようなものか。

ひるがえって、私は、プログラムがおおむねわかる者にのみメッセージを出し、今後、社会の中心と目されるプログラマ・AI 者を集めようとしている?

JRF2020/7/284298

……。

ここからは引用をもとに少し…。

JRF2020/7/289885

……。

>なぜなら、その仏国土には三悪趣はなく、三悪趣という言葉さえありません。そもそもそのようなものに実体はないのですから。三悪趣とは、輪廻転生する者たちが趣[おもむ]く六つの世界(…)六道のうち、地獄・餓鬼・畜生の三つです。<(p.31, 阿弥陀経)

「そのようなものに実体はない」といのは、浄土に限らず一般にそう…ということなのだろうか?

JRF2020/7/284906

……。

>もし人が、阿弥陀仏の国に往生したいという願いを、もうすでに発[おこ]していたとしましょう。あるいは今、その願を発し、これから願を発したとしても、この人びとは皆、無上の悟りへの道において不退転の者になることができます。この人びとはそれぞれに、かの国土にもう往生しているのですし、今ここで往生するのですし、これから往生するのです。<(p.44, 阿弥陀経)

往生を生きる…。一度、往生をこころざした者は、すでに魂は浄土にあり、生きながら往生を生きる…となるといったところだろうか。

JRF2020/7/286700

……。

>(…)極楽浄土のようすを一つ一つ、はっきりと心に描いて、きまめて明了にならしめなさい。目を閉じても、目を開けても見えるようにして、消え散ることのないようにするのです。<(p.84, 観無量寿経)

『観無量寿経』の浄土世界を「観じる」というのは、昔のオカルト記事で見た ESP 開発を思い出させる。

JRF2020/7/283466

……。

>(…)あなたがたが心に仏を思うとき、その心に応じて仏は三十二相・八十随形好を現します。あなたがたの心が仏なのです。<(p.99, 観無量寿経)

三十二相・八十随形好というのはあまりにも異様。最適化する際の重み付けが個性になり、それが自己探求の外見になるとして、そのデフォルトが、三十二相・八十随形好なのだろうか? 「デフォルト」は普通そうであるというよりも、そこからの変化が想像しやすいような極端な値に決められるものだ。

JRF2020/7/283917

>無量寿仏がみずから現出させた分身の仏が無数に円光の中に浮かびだしているのです。<(p.103, 観無量寿経)

重み付けのパラメータは多様になりうることを示すのか…。

JRF2020/7/283192

……。

>下品中生の人とは、このような人びとです。(…)よこしまな意図をもって不浄の説法をします。<(p.134, 観無量寿経)

私は下品下生にも含まれない謗法の人である疑いもあるが、基本は、この不浄の説法をする下品中生の人となるのかな?

JRF2020/7/280037

……。

>「第三十五願」女人往生願・変成男子の願。たとえ、わたくしが仏になる時が来ても、十万無量、不可思議数の諸仏世界において、女人が我が仏名を聞いて歓喜信楽し、菩提心をおこして、女性である身を厭うて寿命が尽きたのちに再び女性に生まれるならば、わたくしは仏になりません。<(p.201, 無量寿経 上)

気になる方に向け引用しておいた。一応、女性のままでも浄土に生まれることができると読める。解説によれば、心中した二人が揃って浄土におもむくという概念はあったので、女性のままで往生することもありえるのだろう。…とのこと。

JRF2020/7/284813

……。

>世の人びとは(…)善悪の報いは、すべてこれを信じず、因果の報いなどはないと言い放って、ついに認めません。<(p.288, 無量寿経 下)

ただ、本当に釈尊は輪廻を実と見ていたのか、むしろ空と見ていたのではないか…という疑いがある。この経を書いた人も、輪廻を虚偽と見てもなお利益のあるようにしているのではないかとか私は疑う。

JRF2020/7/289983

……。

>人を救ってこそ、他の人を救済できるのです。<(p.295, 無量寿経 下)

人にやさしく、自分にもやさしく…か。私は、「自分に厳しく他人には甘く」というのを [cocolog:92041503] で語っている。

JRF2020/7/282624

……。

>この煩悩に汚染された世界で心を正しくし、意を正しくして、たとえ一日一夜でも斎戒清浄であれば、無量寿仏の国土で百年の善をなすより勝[すぐ]れています。<(p.311, 無量寿経 下)

早く悟りたいなら、浄土に行くのは必ずしも得策ではない…のかな。まぁ、普通は、浄土に行かずに悟るのは不可能なのだろうが。

浄土に行くのは早く涅槃に入るためではない…というのは、上の私の議論とはあわないな。私の議論はまちがっているということか…。

JRF2020/7/287179

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