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cocolog:92385476

三浦俊彦『論理パラドクス 論証力を磨く99問』を読んだ。三浦はリドル(なぞなぞ)はないというが、問題自身の中で「…この問題は…」という自己言及型の問題は、メタな論証が必要な一方、メタな空間は規定できないとすべきなので、基本リドルではないかと思った。 (JRF 2026)

JRF 2020年11月30日 (月)

『論理パラドクス 論証力を磨く99問』(三浦 俊彦 著, 二見文庫, 2016年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4576161350
https://7net.omni7.jp/detail/1106683233

単行本『論理パラドクス 論証力を磨く99問』(三浦 俊彦 著, 二見書房, 2002年) の文庫版だが、論証などで書き換わっている部分があるという。

JRF2020/11/303793

keyword: 三浦 俊彦

私は三浦のファンと言っていいほど、その著作を読んではブログ等で言及しており、その流れで、今回の本を手に取った。ただ、この本はこれまで私が読んだのと違って、問題集になっており、あまりに多い問題を扱われると対処しにくいなぁ…と思いつつ読んだが、重く心に押しかかるような問題はすでに私が言及済みか、あっさりした記述すぎて気にならないかで、気負ったほどのことはなかった。

JRF2020/11/309023

読んでみて、微妙な論理の問題をこれだけ集めたのはスゴイと単純に思った。トロッコ問題のような論理的な倫理の問題にも取り組んでおり頭が下がる。

JRF2020/11/309449

……。

>ある哲学の論文によると、「問題」には3種類あるといいます。まず、パズル。論理的にただ1つの正解が決まる問題です。次に、パラドクス。正解があるはずなのに、常識と合致した答えが1つも見あたらない問題。そしてジレンマ。常識と合致した答えが複数見つかるが、たがいに矛盾しており、どれが正解か決めがたい問題。(…)第4の種類として、リドル(なぞなぞ)がある。「出題者が心に抱く答えが正解である問題で、「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足のものは?」というスフィンクスの謎がその代表。リドルは本書に入れなかった。<(p.3-4, 文庫版へのまえがき)

JRF2020/11/304377

すぐあとにも例を述べるが「リドルは本書に入れなかった。」ということはないと思う。リドルとしては意図していないかもしれないが、三浦の心中を察しなければ答えが出ない問題は結構あるように思った。

リドルにしないためには問題と答えを記述する明確な方法が不可欠なはず。今なら、コンピュータで答えを実行可能にして、解釈の違いをおさえこむなり、昔であれば形式主義でいくものだったはずと思う。三浦はわかりやすさのためもあって自然言語を使うわけであるが、それにはおのずから限界がある。

JRF2020/11/309337

ちなみにスフィンクスの謎については私は↓のようなことを述べている。

[aboutme:114757]

JRF2020/11/309217

>キメラ動物と言えばスフィンクスである。

(…)

スフィンクスの謎として「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か」という問題がある。答えは「人間」である。

この答えのポイントは二つ、一つは動物の中に人間を含めることができるか、もう一つは、朝、昼、夜の時間を自由に延長できるか、である。

すなわち、キメラ動物は、この謎によって対峙する者にこう答えているのである。「人間こそ道具を使うキメラ動物ではないか。人間という種が道具を使うに至るまでに長い時間が必要だったのではないか。」

JRF2020/11/307555

……。

>問題01. パズル? ジレンマ? パラドクス? - まずはウォーミングアップ。この問題(この問1)は次のうちどの種類の問題でしょうか。A. パズル (正解が1つだけに決まる問題。B. ジレンマ (互いに矛盾した正解が2つ以上ある問題)。C. パラドクス (正解が1つもない問題)。<(p.10)

この問題は正解が0個の場合、1個の場合、2個以上の場合と場合分けして矛盾がないのが1個の場合だけなので、A. パズル と解答する。

JRF2020/11/301576

しかし、メタレベルの操作を許すなら、メタには D. リドル である可能性も考慮して良いはずである。リドルも正解だと仮定すると、対象論理だけを相手にする場合は A. パズル が正解であるし、メタ論証も含めると B. ジレンマも正解になる。対象論証からジレンマを否定し、メタ論証からパズルを否定し、なおかつ対象論理に留まると C. パラドクスがメタなレベルで正解である可能性も出てくる。こういったわけであるから、D. リドルは正解だったことになる。

JRF2020/11/303849

メタな論証を使っていいなら、こういうことも可能なはずである。メタな論証は規定され得ないから。「…この問題…」と自己言及するような問題はメタな問題であり、それはメタな言語がどう規定されるかに関わっているということは、事実上、出題者の意図をはからねばならない問題ということになり、それはすなわちリドルということではないか。

JRF2020/11/304580

自己言及型の問題がリドルというのであれば、この本にはリドルが多数含まれるということになる。自己言及型の問題をリドルにしないためには、ゲーデルがやったように言語とは何か、それをコード化するとはどういうことか、ということを定義するところからはじめないとダメではないか。先に述べたように形式(主義による形式)化などが必要になるだろう。

JRF2020/11/302847

……。

>「漢字の裏は偶数である」を確かめるのとはちょっと違う。「漢字の裏が偶数である」と言っているのだから、「偶数ならばその裏は漢字である」という意味だ。逆に、漢字の裏は必ず~でなければならない、とは言っていない。<(p.16)

JRF2020/11/307713

それはおかしい。「漢字の裏が偶数である」は「偶数ならばその裏は漢字である」であると同時に「漢字の裏は必ず偶数でなければならない」という等号関係であるという解釈も普通にあるはずだ。だから、「愛」も「26」も「サ」も「13」も裏を確かめねばならない…となるだろう。

JRF2020/11/304712

邪推すると、三浦はあっさり言い切ってしまうが、こういった「あやしげ」なことをすんなり読み飛ばすような読者のみを選ぼうとしているのかもしれない。私はすでに三浦の著書を何冊か読んでいるので、そういうのに慣れているから読み進むが、ここで脱落する者は大変残念なことをしていると知るべきである。

JRF2020/11/302800

自然言語にはこういうワナがあるから、本気でやるなら、先に述べたように対象言語を形式主義で示すなり、コンピュータ上で実現するなりする必要があるのだ。

JRF2020/11/307653

>たとえば「犬が助けてくれた」は、「犬以外のものに助けられたのではない」つまり「助けてくれたのは犬」ということになる。<(p.16-17)

「犬が助けてくれた、そして猫も助けてくれた」は成り立つ文である。「犬は助けてくれた」というときは犬以外の存在があって、それが助けてくれなかったことを示唆することがあるというだけである。

JRF2020/11/307332

……。

>循環定義がすべて無効というわけではない。(…)しかし、その循環の輪が、2つとか3つとかいった少数の単語で閉じてしまうと、役に立たない。多数の単語の間で初めて輪が閉じるような大きな循環定義であってこそ、言葉全体のネットワークで個々の単語の持つ意味が明確になるのである。<(p.48)

JRF2020/11/301137

ちょっと違うかもしれないが、プログラムでよく使う「再帰的定義」も自己言及的・循環的定義だろう。あれは変数がいろいろありうるのにも対応しているから、それが多数の単語に及んでいるのと同じことになるのかもしれないが、しかし、「言葉」としては短いわけで、同じように言葉による短い循環的定義でも有意義なものはあるはずである。

JRF2020/11/308190

……。

>問題19. 天国への道<(p.48)

この問題はケネディと天使の問題として記事を書いたことがある(↓。その3まである)。三浦が参照した文献も私と同じもののようである。

《ケネディと天使の問題を Isabelle で証明 その1 うそつき天使問題》
http://jrf.cocolog-nifty.com/software/2020/06/post-ef863f.html

JRF2020/11/307177

……。

>問題20. ニワトリか卵か<(p.53)

「卵が先か、ニワトリが先か」という問題の私の解答は、「ニワトリのイメージが先」というものである(↓)。

《イメージによる進化》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/06/post.html

JRF2020/11/303071

……。

>[1]でAと答えた人は、個人の本質が、つまりその人をその人たらしめている根拠が、「意識」にあると考えている。だから、意識である自分が昔の体を脱ぎ捨てて、新しい体を纏った、という意味で、「身体交換機」とイメージするわけである。Bと答えた人は、個人の本質が「身体」の方にあると考えている。だから身体である自分が昔の心を振り捨てて、新しい心をインストールした、という意味で、「意識交換機」とイメージするわけである。<(p.70)

JRF2020/11/308039

自分の本質と思っているほうを交換するという考えをとることもありうる。それをのっけから排除しているという点で典型的なリドルである。身体のほうを本質と見るような「少数派」を考慮することで、リドルでないように偽装しているが、より大きな枠組で見ると決め付けがある。

JRF2020/11/306245

ついでにいえば、人を身体と心に分けたりするのは西洋哲学伝統の本質と形相の違いにさかのぼるような哲学的欺瞞である。体と心はそう簡単に分けられないという見方は普通だし、神が持ってるその人のイメージというものを本質とする見方もありうる。キリスト教で復活が単なる魂の復活ではなく、身体ごとの復活であるということを支持するような結論であり、宗教的な偏りは隠しきれてないというべきだろう。まぁ、そういう意図を隠したのは三浦というよりその参照元なのだろうが。

JRF2020/11/303067

……。

>問題41. 3囚人問題<(p.102)

>問題42. モンティ・ホール・ジレンマ<(p.106)

三囚人問題とモンティ・ホール問題については、記事(pdf等)を書いている↓。

《JAGS でモンティ・ホール問題を解く》
http://jrf.cocolog-nifty.com/software/2020/04/post-7e9b97.html

《モンティ・ホール問題または三囚人問題の拡張とその確率操作シミュレーション》
http://jrf.cocolog-nifty.com/software/2016/08/post.html

JRF2020/11/306421

>三人の囚人A,B,Cと看守がいる。囚人のうちの一人は恩赦になるが、残り二人は処刑されることがわかっている。はじめ、誰が恩赦になるか看守はまだ知らないが、もうすぐわかる。わかる前にAがこうもちかけた。「BとCのうち少なくとも一人が処刑されるのは確実だから、二人のうち一人だけ処刑される者の名前を教えても、私についての情報をもらしたことにはならないだろう。一人の名前を教えてくれないか」<

JRF2020/11/303686

>さらにAはこう続けた「ただし、処刑されるべき者を(看守が)今、思い浮かべ、その者が処刑される場合のみ、そう教えて欲しい。」<

また A がこう言うパターンもある。

JRF2020/11/304314

>「たまたま決めた者が処刑されるなら教え、そうでなければ教えないで下さい。ただそれだけでは、教えないことが私が処刑されることを意味することになります。そこで、私が恩赦になる場合も教えない場合をつくるために、私が恩赦であることがわかったらサイコロを振り、偶数の目が出たときは、今決めた者が処刑されたとしても教えないようにしてください。」<

こういうことを以前の私はよく考えたものだった。

JRF2020/11/308658

……。

>問題48. 義務のパラドクス<(p.123)

これは期日を付ければ問題ないのではないか?

4 を「t 時点では F さんに振り込んでいない」とする。3 により、t 時点では「振り込んだとFさんに告げない」となる。1 を「t + s 時点で F さんに振り込みをする議務がある」とする。2 より「t + s 時点では振り込んだとFさんに告げる」となる。問題は何もなくなる。

t + s が過ぎた時点で、義務が果たされなかったときどう処理するかという議論なのかもしれないが…。

JRF2020/11/306107

……。

>(…馬の…)ハンス騒動を教訓として、警察犬の訓練にも大幅な改善がなされたという。捜査員が犯人の行方を知らないときには、警察犬の追跡の成績がガタ落ちすることが判明したのだ。犬は犯人の匂いなどによって追跡するよりもむしろ、犯人を追う捜査員の足取りを敏感に察知して、形だけ先導するように正しい方向に走ってゆくという場合が意外に多かったわけである。<(p.152)

保護犬が警察犬になるとかいうマンガを読んだことがあったと思うが、日本の警察犬の制度にも上のような知見が活かされているのだろうか。

JRF2020/11/302722

……。

>U/FとFとの間に相関関係がないということだけで、[UFO=宇宙人の乗り物]説を否定するのには十分である。<(p.181)

宇宙人は、乗り物等を見間違いやすいものに偽装することが多いので、単純な報告数で十分意味がある…とか言えないのだろうか?

JRF2020/11/309886

……。

>問題75. 終末論法<(p.184)

終末論法は三浦俊彦『多宇宙と輪廻転生』を読んだとき([cocolog:86854015])に私も少し考えた。

JRF2020/11/307963

[cocolog:86854015]
>>人類出現から現在までの人類の総数が600億人である(推定)。人類出現から滅亡までの人類の総数が N 人である。(…)もし、N > 600億人/0.05 = 1兆2000億人なら、我々は5%未満の少数派に属することになり、コペルニクス原理に反する...という論理。<<

…として、

JRF2020/11/307827

>現在600億人のところに自分がいるということ自体が一つの選択になっていて、600兆人やもっと多く人の選択から「現在」が選ばれることもありえたのだから、そういう巨大な可能性に対して、600億という「少ない」数の仮説を選ぶのは元々、確率が小さいのだ。そういう事前確率の小さいところで 1兆2000億人という数字を出しても無意味。…といった感じの反論が三浦の論法の一つだったと思う。<

今読むと、私の意見もけっこう意味不明だなぁ…。

JRF2020/11/306757

……。

>問題82. 囚人のジレンマ<(p.199)

囚人のジレンマというか、一般のゲーム理論について。↓で言及がある。

《ボランティアについてのゲーム理論的なモデル》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2020/03/post-d45df8.html

JRF2020/11/301133

>ゲーム理論をよく複数の場合に単純に拡張して論じることがあるが、今回の結果をみるとそれは少しおかしいのではないか?…と感じる。競争によって高い全体効用から低い全体効用に滑り落ちることを「囚人のジレンマ」的な状況と言って、ゲーム理論を参照すべき示唆がなされうるが、むしろ、それを示すのはゲーム理論のほうが難しいというのが本稿の実験が示唆するところであった。<

JRF2020/11/302980

……。

>投票者の過半数ではなく4分の3以上の支持によって可決するような仕組みにすると、この種のパラドクスは生じないことが知られている。<(p.208)

投票…多数決の問題については最近↓を読んだ。ただ、4分の3以上の支持によって可決するような仕組みだと大丈夫ということについては私は知らなかったなぁ…。

JRF2020/11/304721

[cocolog:92296901]
>坂井豊貴『「決め方」の経済学』を読んだ。コンドルセの陪審定理を「数が多ければ多数決は必ず正しい」として紹介する者がいたように記憶しているが、それに反駁するため、その定理が載っているこの本を読んだ。多数決は正しさも誤りも増幅するだけである。<

JRF2020/11/306449

……。

>「西洋社会の芸術作品であれば必ずアーティストの名が表示されるはずだ。部族芸術にういてそれがなされていないのはキュレーターの不勉強であり、それにもまして、アーティストへの侮辱である。(…)」(…)フィールドワークによると、ニューギニアや南洋諸島などの多くの部族社会には、個々の絵画や彫刻の作者が誰であるかを記憶する習慣が本当になかった。「個人の創造性という洗練された概念」が存在しないかのように……という批判は、差別反対に見えて、差別意識の表われだったのだ。<(p.239)

JRF2020/11/304844

BSD License とかでも氏名表示は絶対視される。Creative Commons でさえ最小が CC BY で著作権者名の表示が求められる。一方、日本の著作権法は氏名の表示を絶対必要な要件としない。この差はなんなのか、ずっと私は疑問に思っている。ローマ法かゲルマン法か、そういうのを辿ると、氏名表示のワナが現れるのではないかといぶかしんでいる。

あと、あまり関係はないが「ワナ」という点では、BSD License などの「NO WARRANTY」にも私は疑問を持っている。

JRF2020/11/306298

[aboutme:138358]
>私が配布するコードを GPL 的なフリーソフトよりも「Public Domain」とすることを好むのは、「消費者契約法」的議論からは、一切「無保証」「無責任」をうたうライセンス(GPL も BSD も)は、信義誠実則により「契約」が無効とされうる文脈があるから。そうなったとき、パブリックドメインで使うことができる法的実態が実効的になければならないから、個人的に(妄想的に)私はそれに備えている。<

JRF2020/11/302952

……。

……。

これまで「リドル」だ…として批判したものがあったが、三浦が意図したものではないだろうし、リドルにならないような rigid な対象言語やメタ言語の組が存在しうるのかもしれない。(私が「自己言及」を使うケネディと天使の問題でやったように。)

リドルだからという見方でつまづき、この本を読まなくなるのはもったいない。三浦の本はどれも「あやしく論争的」だが、それを越えて読めば、おもしろいことが書いてある。この本もそういう魅力のある本だった。

JRF2020/11/300865

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