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cocolog:92605977

子供を産んで育てるというのはそれだけで尊敬されることで、仕事をする男と、産み育てる女というのは旧約聖書(以前)の昔から、別の価値観をもって、それぞれ尊敬すべきことだった。歴史に男のほうが名が残りやすいというのも昔は理由が強くあった。 (JRF 4699)

JRF 2021年3月 9日 (火)

(アンチ)フェミニズムの最近の「ひとこと」は、1月2日のファミマの「お母さん食堂」に関するひとこと([cocolog:92457814])がある。今回は↓をキッカケに「グローバル共有メモ」に書いた議論を(それはすぐ消えてしまうので)残しておこうと、この「ひとこと」にエントリを作った。

JRF2021/3/95663

《駐日ロシア連邦大使館:Twitter:2021-03-08》
https://twitter.com/RusEmbassyJ/status/1368911271970578433
>V.プーチン・ロシア大統領は、ロシアの女性に国際婦人デーのお祝いのメッセージを送りました。 「皆さんはこの世に調和と、優しさと、美と、何より強く、清らかで、報いを求めない心、無償の母性愛を贈る存在です。<

JRF2021/3/95796

なお、直近の [cocolog:92605934] に歴史とポリコレに関する「ひとこと」として、東アジア以外での慰安婦像への設置に反対するひとことを書いている。

JRF2021/3/97093

……。

○ 2021-03-02T13:03:19Z

子供を産んで育てるというのはそれだけで尊敬されることで、仕事をする男と、産み育てる女というのは旧約聖書(以前)の昔から、別の価値観をもって、それぞれ尊敬すべきことだった。ただ、女性が多出産から解放されるとともに労働力として期待されるようになり、女性も仕事をせねばならない、そちらの価値観でも評価されなければならない…となっているのが現代。それはこの先も続くのか、少子化が本気で問題になった場合、続けられるのか。…という問題はあると思う。男性が子育てに参加することが、この先否定されることはないにしろ。

JRF2021/3/95922

《【炎上→削除】日本経済新聞、鈴木幸一IIJ会長の経営者ブログで女性差別発言を掲載し炎上→ひっそり削除 - Togetter》
https://togetter.com/li/1676013

JRF2021/3/98566

……。

追記。

人間は統合された一つの価値観で評価されえない。複数の価値観が価値観どうしの優劣なく並立しうる。それは差別があるということとは違う。私のようにどの価値観でもダメという人間は存在しうるが、ある人間と別の人間は別の意味で優れていて、それ以上優劣をつける必要はないというかつけてはいけないことがありうる。

JRF2021/3/95167

……。

○ 2021-03-03T12:59:00Z

価値観の話の続き。

いろいろな価値観があるというのは『世界にたった一つだけの花』みたいに競争を否定するようにみえて、結局は、世界的な競争に裸で立ちむかわせるという話ではない。

そして「世界的な競争」で示されるように、価値観を独立させようとしても、どうしても、経済という競争にはまきこまれ、経済というたった一つの軸で評価もなされてしまう。ほとんど誰も、そのような軸が中心になるのを望んでいないのに、生き残るためにそういうことが必要になってくる。

JRF2021/3/94319

そんな中で、経済以外の価値観を活かすには、例えば王がいれば、王が特定の価値観を重んじるということはできるが、今度は逆にそれは王という一つの価値観に頼ることになる。法で護るというのも法律家の価値観で観ることに他ならない。

じゃあどうするかというと、これという答えを求めるのは、結局、一つの価値観の収斂を求めることになるから、様々な「交渉」によって、複雑な関係において、独立な価値観の実質を立てていくしかない。

JRF2021/3/99660

そういう意味では、例えば、母性の価値観を重視するために、強姦を親告罪にすることで、望めば経済的自立の交渉をしやすくするという方向はありえたわけだし、生理について男子を授業から排除し、女子の結婚を早くして、情報上でも人生設計でも有利に運べるようにする方向もありえた。

しかし、なぜか、それらを女性側からなくそうとさせる動きが続いている。まるで違うことがあれば、それがすべて差別だからなくすべきだというかのように。これは私には不思議でならない。

JRF2021/3/94601

……。

○ 2021-03-03T16:09:23Z

自分で産んで自分で育てるというのは、上流階級だと逆にできずらかったことで、現代(少し前の)、それが「上流階級」でも一般的になって、母が尊敬を集め過ぎるのが、一部の男性にとって都合が悪かったから、「中流階級」でも自分では育てにくい形に…自分の子の面倒はなかなかみられず働かせる形に…シフトしようとしてる…ってことはないのだろうか?

JRF2021/3/92788

……。

○ 2021-03-09T08:37:10Z

歴史に男のほうが名が残るというのは、少なくとも大きく二つの理由があると思う。一つは、戦争で男が死ぬのを納得させるために、男の名が残るとするから。女性が語り部だったのは、その反面だろう。もう一つは、昔は、男は妊娠して産む女性と違って究極的に自分の子とされるのが本当に自分の子か確かめようがなかったから、せめて、名を残すことで満足しようとしたという面があると思う。

JRF2021/3/95627

後者は遺伝子診断などで現代ではゆるんでいる。ただ、私のように子供が作れずに終るケースも増え、何かを遺そうとする者は増えているのではないか。それが名を残すという形よりは、文化的な貢献でも、働いて社会の維持でも、いろいろ形はあるとは思うが、実質的な何かに向かうことのほうが現代的で多いかもしれないが。

JRF2021/3/92073

……。

あと、↓は直接関係ないが、実は、Twitter の夫婦別姓の議論(改姓の自由含む)に影響を受けて書いている。

JRF2021/3/90255

○ 2021-03-04T05:20:28Z

マイナンバーなぁ。システム的に裏で国民に一つの ID を割り当てるけど、カードに記載する番号(ID?)はそれとは違い、紛失等の時にそちらの番号は替えられるという設計にすれば十分。システム的に裏で割り当てた ID も、システム更新のときにはこっそり拡張 ID に切り替えとかはできるとしておく。…というふうにやればよかったんだと思う。

JRF2021/3/90116

しかし「裏で」というのが何か悪いことのように思われたり、商業的に一意の ID を使いたいとかいう「わからずや」がいて、今の体たらくになっているのだと思う。「システム的に裏で知らせない」というのが、何か間違ってマイナンバーの「知らせない」に通じていておかしなことになっているのではないか。

JRF2021/3/93214

それで、裏IDとは別に「表番号」が複数あれば、表番号によっては、それで住所なども自動で入力される(住所変更があれば自動で更新される)…別の表番号では入力しても住所がわからない…みたいなことも可能だったはず。住所や写真なども自動で入力されるのがマイナンバーカードで、名前と保険の情報だけが表示されるのが、健康保険証…とかできたと思う。病院では初診の時はマイナンバーカードと健康保険証を渡すが、普段は健康保険証とその病院のカードを渡す…イメージ。

JRF2021/3/99543

追加負担があっていいが、望めば違う表番号で同じ情報のマイナンバーカードの二枚目が作れてよいと思う。金融機関によって使い分けるイメージ。

JRF2021/3/99288

……。

keyword: マイナンバー

ちなみに夫婦別姓については [cocolog:89975483] に問題を書き、[cocolog:92418806] でそこに言及しながら↓のように書いている。

>基本は、私は夫婦別姓でもかまわないと思う。ただ、上のようなことを留意して、デフォルトは夫婦同姓で、書類1枚から3枚追加で書けば別姓にできるとすればよいと思う。

村社会で、わざわざ妻を差別するために、書類を出すみたいなことはできないだろうから。

JRF2021/3/91975

……。

……。

ちなみに、このひとことを書いたころ↓で「結婚」に関する実装をしているのも、微妙に思考に影響を与えているかもしれない。

《JRF-2018/simbd: Buddhistic Philosophical Computer-Simulation of Society》
https://github.com/JRF-2018/simbd

JRF2021/3/99706

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