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川上昌裕の『カプースチン:Pf協6』、野平&高関の『松平頼則:主題と変奏』、沼尻竜典の『日本管弦楽名曲集』、カラヤンの『シェーンベルク:浄夜』、ラトルの『ベルク:ルル組曲』、グリュミオーの『ベルク:Vn協』のCDを聴いた。 (JRF 9502)
JRF 2021年5月 8日 (土)
川上 昌裕 他『カプースチン: ピアノ協奏曲 第5番, 六重奏曲, 他』(録音: 2018年・2019年, 発売: TRITON・Octavia Records 2019年) の CD を聴く。
ピアノ協奏曲と六重奏曲は、悪い意味でなく「ムード音楽」的で、見ないと思ったあの子がこんなところで立派になって…という感じ。都会に隣接する港にカモメが飛んでいて、夜がやって来るんだけど、それが、ポップに描かれている…といったところか。
JRF2021/5/84241
『10のインヴェンション』と『カプリチオ』はピアノ独奏曲で、かなり「現代曲」寄り。ついこの前に聴いたゴルデラーゼの『カプースチン: 8つの演奏会練習曲&ジャズ・タイルによる24の前奏曲』に比べてだけど、はっきり12音技法で現代曲している。まさに抽象画然としている。ただ、私は、24の前奏曲よりは、こちらのほうが馴染む感じかな。
JRF2021/5/89551
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○ 2021-04-23T09:24:12Z
野平 一郎 (pf) 高関 健 (指揮) 大阪センチュリー交響楽団『松平 頼則: ピアノとオーケストラのための主題と変奏 他』(録音: 2001年, 発売: NAXOS 2003年) の CD を聴いた。
キッカケは、2021年3月21日 NHK Eテレ放送『クラシック音楽館』の深見まどか(pf) 角田 鋼亮 (指揮) 東京フィルハーモニー交響楽団 『松平頼則: 主題と変奏』を聴いて良かったから。
JRF2021/5/82625
CD の最初の『主題と変奏』を聴く。音はさすがに放送のほうがよく、迫力もある。しかし、色彩感は、CD のほうが良く感じた。演奏の画面がなく空想がしやすかったからかもしれない。最初の主題は、赤と金の曼荼羅のような絵巻のような画が浮かぶ。それが第1変奏で、青と金になり、第2変奏で、藍と金になり、緑と金、橙々と金と灰色、黒というかいかがわしい夜になって、最後は、白または銀または輝きと金のイメージなった。
JRF2021/5/83899
『ダンス・サクレ (振鉾)』は、古寺で、修行が一般に公開されそれを見ているイメージ。
『左舞』は、雅楽のようだが、笙の天を衝く響きがないせいか、地上でどこそこにある小さな神社で、あまりかえりみられることなく、宵に一室で明りの中、雅楽が公開された神事を彩ってる感じ。いつのまにか曲はもり上がって天に通じるが、人はそれに気付くとも気付かぬまま、いつのまにかご利益を受け帰っていくイメージ。
JRF2021/5/88597
『右舞』は、もう少し近づきやすく、踊りが目の前で展開されているイメージ。都落ちしたサクナヒメ(ゲーム『天穂のサクナヒメ」)が、そこまできらびやかでなく、田植えの衣装に似ていなくもないが、新調された衣装を着て、田舎の誰にもわからないが神社の者だけはわかっている音楽で踊っているイメージ。
『ダンス・フィナル (長慶子)』は、「なじみやすい現代曲」っぽさがある…西洋風の館でくり広げられる横溝正史の小説の惨劇の映画音楽…そういう表層的なイメージが私には先行してしまった。
JRF2021/5/87083
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○ 2021-04-29T02:58:03Z
沼尻竜典(指揮) 東京都交響楽団『日本管弦楽名曲集』(録音: 2000年, 発売: NAXOS 2001年) の CD を聴く。
キッカケは、このところ NHK Eテレ『クラシック音楽館』で、松平頼則や伊福部昭の音楽をやってそれがよくて日本のクラシック曲に興味を持ったから。日本のクラシックシーンでも、新型コロナで海外渡航が難しい面があって自然に国内に目が向くという流れがあると思う。
JRF2021/5/85938
で、この CD、最後のトラックに入っている『吉松 隆: 朱鷺によせる哀歌』(1980年)とそれ以外(1931年-1960年の曲)で、時代的にも音楽的にも大きな違いがあると思う。
「それ以外」のほうが、ストラヴィンスキー的な(日本)民族音楽派といった感じ。ラヴェル的であったり、この前聴いたヒンドミット的であったりは感じるが、ドビュッシー的なものはあまり感じない。
JRF2021/5/84331
吉松のものは、日本語解説にはなぜかなくて英語解説には最後に書いてる武満徹の影響…「武満」後の日本音楽のあり方を差し示しているのだと思う。この CD の最後にこの曲を持ってきた意図としては。
「それ以外」のほうは、メロディーが昔からある日本のメロディーを活かそうとしているのに、吉松のものは、日本風ではありながら、メロディーそのものを日本のものにしようというこだわりより、かなり抽象化したところからとらえようという意志が感じられる。
JRF2021/5/89385
若かったころの私であれば、「それ以外」のほうは、メロディーが安易過ぎると思っただろうし、吉松のものは「現代的」過ぎてよいとは感じなかっただろう。しかし、今の私は両方、それぞれに良いと思う。理解できるようになったというよりは、(感覚が)丸くなったんだと思う。
JRF2021/5/80848
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○ 2021-05-05T14:05:30Z
カラヤン指揮 ベルリン・フィル『シェーンベルク: 浄夜、ペレアスとメリザンド』(海外盤, 録音: 1974年, 発売: Deutche Grammophon: 1998年) と ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団『ベルク: ルル組曲 - シェーンベルク/ウェーベルン/ベルク 管弦楽曲集』(日本盤, 録音: 1988年, 発売: 1990年) の CD を聴く。
ずっと前に封を切って聴いていたもの。日本人作曲家の「現代曲」をこのところ聴いて、気になったので再聴した。
JRF2021/5/88989
一聴して「すばらしい」と思う。特に「ルル組曲」の CD は若いころ意味不明で買ったのを後悔していたぐらいなのに、今になって聴くととても美しい。日本盤なのに歌詞がついていなくて「欠陥商品」ぐらいに思っていたが、今は、歌詞はネットに転がっている。
「ルル組曲」の CD はとても色彩豊かだと思う。「ルル組曲」のジャケットの抽象画の色づかいのような枯れた色が似合う。「浄夜」も、ジャケットは疑問だが、冷たい街角の感じがとても良い。
JRF2021/5/89940
新ウィーン楽派の楽曲を私が「佳い」と評価する日が来るとは若い頃の私にはわからなかった。トシはとってみるものだ。
JRF2021/5/81354
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○ 2021-05-07T15:20:25Z
アルテュール・グリュミオー(Vn)『ベルク、ストラヴィンスキー: ヴァイオリン協奏曲』(日本盤, 録音: Decca 1966年・1967年, 発売: ユニバーサル クラシックス&ジャズ 1998年・2011年)の CD を聴く。指揮は、ベルクのが、イーゴル・マルケヴィチ、ストラヴィンスキーのが、エルネスト・ブール、共に、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。
JRF2021/5/84208
キッカケは、以前の日経夕刊だったような…ググると、夕刊じゃなく、2020年1月12日 日経日曜版「名作コンシェルジュ」に掲載されたらしいので、これだろう。そして、最近、ベルクのルル組曲を再聴して良いと思ったのも、買っていた中からこの CD を選んで聴いた理由。
JRF2021/5/87979
ベルクのもの。「ある天使の思い出に」と表題にある。天国と地獄の両方があわさるものとして現実があるという考え方はあるのかもしれない。モーツァルトのように現実に影があるというのではなく、美しさと醜さがより糸のようによりあわさって分けがたいという感じ。美しいとは単純に思えない、現実には確かに醜さがある…しかし、それを対等なものとまでしてしまうのは、それはそれで一つの神経症的なものなのではないか。
JRF2021/5/87963
「事件」が起こるが、それも地獄と表裏一体の日常の中にまぎれていく、花がたむけられるくらい。世界の終りのようなものもあるかもしれないが、それも地獄的な現実の一様相でしかない。やがて悲しみが覆う中、祈りが模索されるが、無神論的雰囲気の中でそれは安心をもたらさない。…と曲を聴いて夢想した。
JRF2021/5/80335
ストラヴィンスキーのもの。羊毛絨毯地の抽象画のタペストリーの飾られた美術館のような空間に、ギリシア彫刻のような白い彫像なのにキュビズムで半分表現されたものがある。それが途中で闘い出し、また、前景に出て眺められ、第4楽章ではいっぱい出てきて踊り出す。…そんな夢想をした。
JRF2021/5/84697
(音楽の感想の一つ前のものは、[cocolog:92685109])
4月から5月にかけて CD を何枚か聴いた。それに関して「グローバル共有メモ」に感想…というには短いメモを書いていたのを、この「ひとこと」にコピペしておく。
JRF2021/5/80466