cocolog:92890284
私は、罰のように閉じ込められて体がバラバラになっても生きている地獄のような悪夢を見ることがある。そういう根源的な恐怖があるのだろう。死を穢さないことを重視するから、私が臓器移植されることは特別な場合を除きできればやめて欲しい…などと理性的に言うが、実際は恐怖が背景にあるのだろう。 (JRF 4014)
JRF 2021年7月20日 (火)
キッカケは [cocolog:92881763] で自己決定権の問題を論じたことであった。そこで次のようなことを書いた。
JRF2021/7/206780
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○ 2021-07-16T06:47:30Z
人が死んで臓器移植が行われることを考えよう。このとき、臓器移植をするしないにかかわらず意思表示がしっかりしていれば、自己決定権であろうと、自己決定権を守る名誉権であろうと、意思を尊重すべきという結論に変わりはない。しかし、意思表示がされてない場合、自己決定権ではどうにも結論が出て来ないのに対し、名誉権では、移植による貢献による名誉と、死体損壊による不名誉で、利益衡量することができる。名誉権的考え方を捨てるべきではないと私は思うのだが…。
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JRF2021/7/200481
……。
そして、今回のことにあまり関係ないが、統合失調症の最初の発作のことを思い出していた。
○ 2021-07-16T22:10:14Z
他の人についてはわからないけれども、統合失調症で神からの交信があったとき、それが神からのものであることを疑うのは初手。それが唯一神的なものでなくても、神的なものと認めざるを得なくなってくる。「私はいない」も同じこと、腹の強烈な痛みのような感覚としてのみ現れて、それが「現れ」か否かも判別できないことがある。
JRF2021/7/209200
《誰時 - もちもちおねいまんと4枚の絵》
https://motimoti3.hatenablog.com/entry/2021/07/10/232036
JRF2021/7/206814
……。
そして悪夢を見た。
○ 2021-07-18T05:34:09Z
また、地獄のような夢を見た。体がバラバラになってそれでも意識があり、不完全なまま「復活」させられるようなそんな夢。もちろん、罰のようなものとしてそこから出られない感じ。このところ平穏に終る夢が増えてたのに。
このメモで、統合失調症のことを語ったことと、臓器移植に言及したのが、無意識に気になったのかな…と自己分析。ここでは臓器移植についてもう少し考えてみる。
JRF2021/7/201405
臓器移植が、死体損壊の不名誉の側面があるかのように言ったが、それは少し違うか。一部が生きながらえることで死後もいつまでも生きるような幻想を与えがちであるということ、死んだ本人が人の力でこの世に復活する夢につながりがちなこと。それらから死体というよりも死という概念をけがす側面があるとは言えるのではないか。もちろん、移植は、単純な死後の復活の否定でもあるので、逆にそれが、宗教的に死をけがすという考えになることもありえる。
JRF2021/7/204150
また、「私」を許せない者が、臓器が生きながらえていることを許せない…という感情が、私の血縁を許せないという感情へと導火線を引くことがありうるのではないか…とも思う。死の平穏さをけがすという考え方もありうる。
私自身に関していえば、死をけがさないことを重視し、できればそのまま荼毘[だび]に付して欲しい。あとは集団墓地に埋葬するなり「捨て」てもらえればと思う。万一、私が特殊な体の持ち主とかで、どうしても私の体から移植しなければ助からない…とかいうことがありうるならば、移植があっても良いと思うが…。
JRF2021/7/206553
基本的には、他者から臓器移殖ではなく、実験室や自分の体の中で育てた自分の複製臓器などを移植する方向ができるならそのほうがよく、他者・死者から臓器移殖というのは、この時代の徒花[あだばな]に終るか、特殊な場合のみ意味のある手法になるのではないか。私はその方向にかけたい。
JRF2021/7/208812
……。
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私は、罰のように閉じ込められて体がバラバラになっても生きている地獄のような悪夢を見ることがある。そういう根源的な恐怖があるのだろう。死を穢さないことを重視するから、私が臓器移植されることは特別な場合を除きできればやめて欲しい…などと理性的に言うが、実際はそういう恐怖が背景にあるのだろう。
↑でも「また」と言ってるが、過去、このような悪夢に言及している部分があった。(「ひとこと」では初出ではなく simbd に関する「仏教の最適化プログラムのメモ その5」 [cocolog:92700520] に書いている)。
JRF2021/7/206340
○ 2021-03-23T15:52:33Z
また、地獄のような夢を見た。
詳しくは忘れてしまったが、はるか未来または超古代、獣人のようになって、他者に埋めこまれるようにして他者をのっとり生きていくような時代。食った遺伝子を自分に取り込めたような細胞時代の「記憶」だろうか? それとも、ゲームのカービィなどに影響を受けた設定だろうか。
JRF2021/7/206555
いろいろな獣人が入れ替わり、様々な特徴を得て遺していく。ゲームのときメモのような状況で好きな子を選ぶと、それはよく似たクローンでしかなく、自分が遺るような組み合わせを、マッチングで実現しようとしている者がかげにひそむ。どこまでも連鎖が続き、なぜ自分達がそうなっているか、振り返って考えることができなくなっている。
そんななか目醒めて気になったのは、ごく小さいリングなどに、引き千切られながら、痛みをともなって意志があり続ける者がいた…という部分。
JRF2021/7/202881
転生というのは、あるとすればどこまで引き継がれるものなのか。死んで、引き裂かれて、その痛みが部分ごとにそれぞれあり続け、それが「転生」後も残るものなのか。
別の者の体の一部となったとき、それは別の者となるのであって、そのとき「解放」されるのか、それともそこでは「眠る」だけなのか? 意識の混濁はないものなのか?
JRF2021/7/202993
地球の生命は宇宙からやってきたという説がある。小さな星となった「生命」は、いつまでも戻れないという罰を受けながら、一方で、自分達こそが「思い」を受け継ぐものだという自負があったかもしれない。それは滅びという「痛み」を受け継いでいるということかもしれない。
新しい生が転生を感覚的に否定できるというのは、僥倖なのかもしれない。
古い生を取り込んだ新しい生が、それにとらわれずに済む。学びながらも平然と生きる。それも「来世がないのが良い」に含まれているのかもしれない。
JRF2021/7/207394
(グローバル共有メモで書いたことのコピペが中心。)
JRF2021/7/205006