cocolog:93009147
「上級国民」案件として話題となった池袋乗用車暴走事故。私は高齢による間違いだから無過失で無罪だろう…と思っていた。しかし有罪の禁錮5年が確定。被告の、自分がミスをした可能性に気付かないその習慣に過失があるとされたのだろうか?…でも自分のミスを認めないのは訴訟戦略だったわけで…。 (JRF 6668)
JRF 2021年9月16日 (木)
○ 2021-06-21T10:09:35Z
高齢による間違いで事故をしたとき事故時点で過失がないのはその通りで、高齢でも運転するという判断に過失がある可能性はあるが、その日まで普通に運転できていたら、そこに過失を認めるのも難しいと私は思う。犠牲者が多かったとしても。ちなみに私は一定の結果責任の罰を作るべきだと以前から主張している。
JRF2021/9/162742
《池袋乗用車暴走事故 被告「車の不具合、再起動で元に戻った」【詳報・被告人質問】:東京新聞 TOKYO Web》
https://www.tokyo-np.co.jp/article/110916
JRF2021/9/161813
keyword: 結果責任
結果責任・無過失責任に罰を設けるべき…というのは、例えば、[cocolog:71708993] でしている。
JRF2021/9/166072
……。
そして判決が出た。私の「予想」に反して有罪で、禁固5年となり、被告は控訴せずそれが確定した。判決には次のようにある。
《【判決要旨全文】池袋暴走事故で被告に禁固5年。東京地裁判決 | ハフポスト》
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_613052eae4b0df9fe271d887
JRF2021/9/169737
>時速約60キロメートルで進行するに当たり、アクセル及びブレーキを的確に操作して進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り、ブレーキペダルと間違えてアクセルペダルを踏み込み、そのままアクセルペダルを踏み続けて進行した過失により、(…)<
JRF2021/9/162462
つまり、単なる踏み間違いだけなら「過失」ではない…という私の考え方も間違っておらず、「踏み続けた」ところに過失があったということだろうか。
つまり、それは、あくまで「車に電子系統の異常が起き、ブレーキが効かなくなった」と主張を続けるところに現れた「自分がミスをした可能性に気付かない」その習慣にこそ、過失があるとされた。…ということだろうか?
JRF2021/9/160380
しかし、あくまで車の故障という主張は、訴訟戦略であり、そのような戦略を認めないというのは、それはそれで公正を欠いているのではないかと私は思う。実際、裁判の外では、本人は自分のミスかもしれないことを認めているらしい。事故時もミスかもしれないと思って最善の判断を続けたが挽回できなかった可能性もあるのではないか。
JRF2021/9/164911
《東池袋自動車暴走死傷事故 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B1%A0%E8%A2%8B%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E6%9A%B4%E8%B5%B0%E6%AD%BB%E5%82%B7%E4%BA%8B%E6%95%85
JRF2021/9/169030
>加害者は事故後、入院中に自身の息子に対し、ブレーキとアクセルを踏み間違えた可能性を示唆する発言をしたほか、最初に開かれた実況見分でも同様の供述をしていたが、公判では否認に転じ(…)<
JRF2021/9/162360
ただし、↑には次のような記述もある。
>ドライブレコーダーの記録から、加害者が事故直前に赤信号を2回無視していたことが判明したほか、ブレーキをかけた形跡がないことも判明した。<
…ここからすると、運転を続けるのが困難と判断すべき状況にもあった可能性はある。それならば「過失」があるだろうと私も考える。
JRF2021/9/169978
……。
そういう私の考えとは別に、世間の評価は、「運転手によるアクセルとブレーキの踏み間違い」があったから「過失」である。…ということになっているようだ。
私と、世間の常識または判決とのズレを認識せざるを得ない。
JRF2021/9/165474
判決が出る前、裁判がはじまったころに次のようにメモしていた。
JRF2021/9/168625