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cocolog:93262667

仏教的因明的導出を可能にする様相一階述語論理を考えていたら、キリスト教の三位一体を否定する結果が導き出せてしまって驚いたが、さらによく検討したところ導出におかしいところがあってホッとした。 (JRF 5313)

JRF 2022年1月20日 (木)

師茂樹『最澄と徳一』([cocolog:93262666])に因明という仏教論理学が載っていた。

因明とは次の論理の導出方法らしい。

主張(宗): あの山には火がある。
理由(因): 煙があるから。
同類例(例喩): (煙があるところには必ず火がある。) かまどのように。

主張と理由を上げ、それに対する例を示すというもの。(ただし、上の例は「因明」としては過失があるらしい。)

JRF2022/1/203002

なぜ、このような導出方法をとるか? 私にはこころあたりがある。それは、論理学のもっとも基本的な三段論法には弱点があるという点だ。弱点とは、存在に関する三段論法には間違いが含まれやすいということである。そして、つまり、それを避けるために例示を必要とするに致ったのではないかと直感した。

弱点を具体的に示そう。

JRF2022/1/206631

<pre>
∃x.P(x)→Q(x) P(a)
-------------------------
Q(a)
</pre>

という導出が弱点としてありがちな間違いである。(∃x.P(x)→Q(x) は「P(x) ならば Q(x) という x が存在する」と読む。)

JRF2022/1/207309

最近、スカートめくりに関して他のところで議論した([cocolog:93208056])ので、それをちょっと利用すると、まず、P(x) を「x が女子である」とし、Q(x) を「x はスカートめくりが楽しい」としよう。私は男だが、私が女子ならばスカートめくりが楽しいだろうと言える…つまり、∃x. P(x) → Q(x) は言えるわけである。

そして、ある人 a が女子だっとしよう(つまり P(a))。上の「三段論法」から、Q(a) すなわち a もスカートめくりが楽しいと言える。…とするのは明らな間違いであろう。

JRF2022/1/208180

……。

では、これを少し弱めて「三段論法」の Q(a) を ◇Q(a) すなわち「Q(a) の可能性がある」に置きかえたらどうだろう?

しかし、女子にとってはスカートめくりが楽しくないのは必然なのかもしれない。でも、仮に女子の中でスカートめくりが楽しいというもの(b)が一人でもいたとすればどうか、スカートめくりが楽しくないのが必然ということはなくなるだろう。よって、

JRF2022/1/206126

<pre>
∃x.P(x)→Q(x) P(a) P(b) Q(b)
-------------------------
◇Q(a)
</pre>

…これならば正しいのではないか。これを「因明的導出」と呼ぼう。

こういうことを行いたかったのが、実は因明の最初の意図だったのではないか…というのが私が思ったことだった。

JRF2022/1/201425

……。

最初の因明…「あの山には火がある」の例の場合、P(x) に「x には煙がある」、Q(x) に「x には火がある」とすれば、∃x.P(x)→Q(x) は、かまどについて、煙があるかまどに火があったことで成り立ち、また、特定のかまどを b として P(b)、Q(b) も成り立つ。だから、a を「あの山」として P(a) だから、Q(a) すなわち「あの山」に火があることを示した。そういう上の式の適用と言える。

P(x) が「x が人である」、Q(x) が「x がブッダになる」…とすれば、仏性に関する議論になる。

JRF2022/1/203179

また、「シミュレーション仏教」(↓)において、本目的三条件を満たすもののシミュレーションがある種の結論を導くこと、一貫性をもってそういう「モデル」を一つ作ることが、現実において、本目的三条件がある種の結論を導けることがあり得ないわけではないことを示すことになると考え、私がやったことを支持しようとした。それは、P(x) を「x が本目的三条件を満たす」とし Q(x) を「x がある種の結論を導く」ことを示す「因明」である…と考えることができるかもしれない。

JRF2022/1/204268

《JRF-2018/simbd: シミュレーション仏教 - Buddhistic Philosophical Computer-Simulation of Society》
https://github.com/JRF-2018/simbd

JRF2022/1/201141

……。

ところがである。「因明的導出」は通常の様相一階述語論理ではどうも一般には成り立たないようなのである。

JRF2022/1/204180

……。

その論に入る前に…。

様相一階述語論理については↓を参考にした。

《平尾 始 - 論理学のページ - 様相論理》
http://www.aoni.waseda.jp/hhirao/logic/no16.htm

ここで一気に記号を説明しておくと、

JRF2022/1/200263

T は「常に真」。
⊥ は「矛盾または常に偽」。
¬P は「P でない」。
P ∧ Q は「P かつ Q」。
P ∨ Q は「P または Q」。
P → Q は「P ならば Q」。
∀x. P(x) は「すべての x について P(x) 」。
∃x. P(x) は「P(x) なる x が存在する」。
□P は「必然的に P」。
◇P は「P であることが可能」。
▽P は「偶然的に P」(普通の様相論理になはない。後述)。
==> は(メタ的に)導出できることが可能。
<=> は(メタ的に)同値的に導出できることが可能。

JRF2022/1/206438

a == b は「a を b と定義する、または A と B は論理的に同値」。
a := b は、a に b を代入。
a != b は、a は b と等しくない。

ラムダ式も出てくるが、これは説明が難しい。P(x) のとき P := λx. Q(x) とすれば、P(x) は Q(x) になる。また、P := λx. T であれば P(x) は T になる。

JRF2022/1/205900

……。

なぜ、「因明的導出」は通常の様相一階述語論理では一般には成り立たないか。

今「因明的導出」において、P(c) かつ ¬Q(c) なる別の c があったとしよう。「因明的導出」において a := c とすれば、◇Q(c) が導ける。しかし、¬Q(c) はすなわち □¬Q(c) だから、□¬Q(c) = ¬◇Q(c) でもあり、 ◇Q(c) と ¬◇Q(c) が同時に成り立つのは矛盾となるからである。(ちなみに ◇Q(c) と ◇¬Q(c) なら同時に成り立っても問題はないのだが。)

JRF2022/1/209337

ただ、¬Q(a) がどこにも定義されていないなら、「因明的導出」のような前提がある状況で ◇Q(a) を前提としても矛盾は導けないはずである。◇Q(a) は「あり得ないわけではない」と言える。

JRF2022/1/200511

ここからの帰結として、「あり得ないわけではない」ということと、「可能性がある」には、差がある。…ということになる。P(a) のとき「Q(a) はあり得ないわけではない」(メタ論理的に Q(a) も同時に前提として矛盾が必ず生じるとは限らない)が、「Q(a) の可能性がある」とまで言ってしまうのは言い過ぎということである。

例えば、仏教において「仏性」とは「ブッダになる可能性がある」ということだが、「ブッダになることがあり得ないわけではない」…とすることと、「ブッダになる可能性がある」ということは論理的に区別すべき問題だということがわかる。

JRF2022/1/204418

……。

上での問題は、◇Q(c) と ¬Q(c) が並び立たないことにあった。普通の感覚であれば、Q(c) でないことが確定していても、Q(c) の可能性があった…ということぐらいは言っていいのではないかと思われる。

逆にいうと、Q(c) の可能性がある状況で、「たまたま」¬Q(c) だっただけ…という言い方ができれば問題はなくなるのではないか…と私は考えた。

「たまたま」というのを様相論理で表すのはどうすればいいか…とググると見つかったのが↓。

JRF2022/1/205364

《萱間 暁 - 九鬼周造の偶然論について - 様相論理からのアプローチ》
https://toyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=10001&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

JRF2022/1/208372

ここにおいて、最初に「たまたま P」というのが「▽P」で表され、

▽P == (¬□P ∧ ¬¬◇P)

…と定義される。

これを使えば「因明的導出」において ¬Q(c) ではなく、▽¬Q(c) ということが言えるだけであれば、◇Q(c) を導出しても問題はなくなる。

JRF2022/1/202145

しかし、この系において ▽¬P == ▽P であるため、それは ▽Q(c) を前提したのと同じになり、ほとんど意味はなくなる。そして、単にそういう言明ができるというだけで相変わらず ¬Q(c) と仮定することも不可能ではないから、不都合は続くことになる。

JRF2022/1/201153

……。

そこで、思い切って、普通の様相論理ではなく、別の公理系を使う様相論理を考え出してみよう。公理系は少しでもまずく作ると矛盾を含み、意味のない体系となるので、こういうこころみはあまりよくないのであるが、まぁ、試しにやってみよう。

問題となったのは、¬Q(c) が □¬Q(c) を導いたところにありそうだから、様相論理で基本的な P → □P をまず成り立つとは限らないものとするのが良いだろう。

公理系は次のようになる。なお、前にある (数値) は、ただの式番号である。

JRF2022/1/204071

(1) ▽P == ◇¬P ∧ P
(2) □P == ¬◇¬P
(3) P → ◇P
(4-1) (∃x.P(x)→Q(x)) ∧ P(a) ∧ P(b) ∧ Q(b) → ◇Q(a)

JRF2022/1/204031

(4-1) が因明的導出になる。なお、(4-1) は少しまずいところがあるので、この先入れ換えていき (4-X) という番号を付けることにする。

JRF2022/1/206471

(1) は少し説明が必要だろう。▽¬P == ▽P なのがまずかったので、そうならないように ▽P は P を含むとまずした。その上で ▽P == ◇P ∧ ◇¬P ∧ P でも良かったのであるが、(3) がいずれにせよ必要なので、そうなれば ◇P はいう必要がなくなるので (1) のような表現になっている。意味としては「「たまたま P」であるとは「P でありかつP でない可能性があること」である」ということである。

JRF2022/1/202530

そして、P であることは「必然的に P」であるのではなく、どちらかと言えば「P であることが可能」なのだということにしたわけである。

なお、(3) の対偶を取って (2) を適用し P := ¬P とすれば、□P → P も導けることが示せる。

また、実は、(4-1) から (3) が導けることも示せるが、この先、(4-X) とする中でそれは言えなくなるので、(3) は必要としておく。

JRF2022/1/203198

……。

さて、(4-1) には少しまずいところがあると書いた。

二点ある。

まず、(4-1) はどのような P や Q についても言えなければならないことから P := λx. T に関しても言えなければならない。すると P(x) は T になるから T の部分を消去して結局、

(∃x.Q(x)) ∧ Q(b) → ◇Q(a)

JRF2022/1/203098

…が言えねばならない…となる。Q(b) であれば ∃x.Q(x) であるからそれも消去して…、

Q(b) → ◇Q(a)

ここで a と b は独立になんでもよかったから、Q(b) という b があれば、どのような a についても ◇Q(a) が言えてしまうことになる。

JRF2022/1/200701

また、これを対偶を取って Q := λx. ¬Q(x), a := b, b := a とすると、□Q(b) → Q(a) が言える。□Q(b) という b があれば、どのような a についても Q(a) が言えるのである。

これはやや強過ぎる命題と言えはしないだろうか?

JRF2022/1/203187

二点のもう一点は一点目と重なるが、Q(b) が言えているということは P(b)→Q(b) は常に言えるため、(∃x. P(x)→Q(x)) は必要のない前提になるということである。

すると (4-1) は次と同値になる。

P(a) ∧ P(b) ∧ Q(b) → ◇Q(a)

これも結局 Q(b) → ◇Q(a) だから、上と同じことである。

JRF2022/1/206315

いくつか前提があってはじめて Q(a) の可能性がある…と言いたい。にもかかわらず、単に何かの b について Q(b) ならば Q(a) の可能性があると直接言えてしまうということになる。これはあまり意味がないのではないだろうか。

JRF2022/1/202425

……。

二点目の問題について考慮すると、Q(b) が言えてれば、(∃x.P(x)→Q(x)) が言えてしまうことに問題があった。そこで (∃x.P(x)→Q(x)) がすぐには言えないように、Q(b) を ◇Q(b) に置き換えることを考えてみよう。

(4-2) (∃x.P(x)→Q(x)) ∧ P(a) ∧ P(b) ∧ ◇Q(b) → ◇Q(a)

しかし、Q(b) → ◇Q(b) であるから、結局 (4-2) ==> (4-1) が言える。すると、(4-1) に関して強過ぎると言ったことは (4-2) でもあてはまり、よくない。

JRF2022/1/205684

……。

それならいっそのこと次のようにすればいい。

(4-3) P(a) ∧ (P(b)→Q(b)) → ◇Q(a)

ただこれも P := λx.T とすれば、

Q(b) → ◇Q(a)

が言えることになる。

JRF2022/1/205258

しかし、(4-3) とほぼ同じの似非三段論法はダメだというのが、当初の(スカートめくりを例にした)話だった。

JRF2022/1/206402

……。

そこで、今度は、(4-1) において、Q(b) が言えても言えなくなるように (∃x.P(x)→Q(x)) ではなく、(∃x.P(x)→□Q(x)) をまず言わなくてはならないとしてみよう。

(4-4) (∃x.P(x)→□Q(x)) ∧ P(a) ∧ P(b) ∧ Q(b) → ◇Q(a)

この特徴を見ていこう。

P := λx. T とおくと…

(∃x.□Q(x)) ∧ Q(b) → ◇Q(a)

JRF2022/1/202935

対偶を取ると

¬◇Q(a) → ¬((∃x.□Q(x)) ∧ Q(b))

これを整理し Q := λx. ¬Q(x) とすると、

(5) □Q(a) → Q(b) ∨ (∀x.◇Q(x))

ところで ∀x.Q(x) ∨ ¬∀x. Q(x) である。∀x.Q(x) の場合、Q(x) → ◇Q(x) ((3) より) だから ∀x.◇Q(x) である。一方、¬∀x. Q(x) の場合、∃x.¬Q(x) ということだから、そのような x を t と置くと、□Q(a) なら (5) 式に b := t で、(∀x.◇Q(x)) が出る。

JRF2022/1/209414

結局、

(6) □Q(a) → (∀x.◇Q(x))

…が言えることになる。つまり、「Q が必然である者がいれば、すべての者に Q の可能性がある」ということになる。

もう少し進めよう。

JRF2022/1/202527

(6) の対偶を取り整理すると…

(∃x.□¬Q(x)) → ¬□Q(a)

¬□P == ◇¬P であることと ▽P の定義より…

□¬Q(a) → (Q(b) → ▽Q(b))

つまり、「一つでも必然的に Q(a) なる a があれば、Q(b) はたまたま Q(b)でしかなかった」となる。

JRF2022/1/205153

今、□¬Q(c) なる c があるとし、任意の t について P(t)→□Q(t) とすると、二つ上の式より ¬□Q(t) がでるから、¬P(t) でなければならない。すなわち

(7) □¬Q(c)→(∀x. (P(x)→□Q(x))→¬P(x))

…ということが言える。(4-4) を満たすような (∃x. P(x)→□Q(x)) なる x は、すべて ¬P(x) ということになる。

JRF2022/1/209906

……。

(4-2) と (4-4) を組み合わせればどうなるか。

(4-5) (∃x.P(x)→□Q(x)) ∧ P(a) ∧ P(b) ∧ ◇Q(b) → ◇Q(a)

まず、(4-5) ==> (4-4) であるから、(4-4) で言えたことと同じことは言える。

JRF2022/1/206971

そして、これも、P := λ.T として、対偶を取り、Q := λx. ¬Q(x) とすると…

□Q(a) → □Q(b) ∨ (∀x. ◇Q(x))

…が出る。ただこれは、(4-5) ==> (4-4) であるから、(6) と同じことである。

(4-5) と (4-4) の差はどれぐらいあるのか結局まだわからない。

JRF2022/1/200495

……。

(4-4) を採用するのが妥当なのかもしれない。

すると、結論的に、これで何が言えるか考えてみよう。

JRF2022/1/200419

P(x) を「x が人である」、Q(x) を「x がブッダになる」として、∃x. P(x)→□Q(x)) を、「ブラフマーが人であれば必然的にブッダである」から導き、人である釈尊がブッダであることから、すべての人にブッダになる可能性が開かれた…と言うのはアリではないか…となる。もちろん、話は、むしろ逆で、釈尊がブッダになったから、「ブラフマーが人であれば必然的にブッダである」ようになった。ブッダになるとはそのようなことである…ということかもしれない。

JRF2022/1/201724

P(x) を「x が人である」ではなく「x が実在である」としたほうが「悉有仏性」らしくなるが、すると P(x) 「ブラフマーが実在である」が真である可能性が強くなるのは少しやっかいか。

JRF2022/1/204232

(7) から、必然的にブッダにならない人または実在 c がいたする。すると、P(x)→□Q(x) なるようなブラフマー的存在 x は、すべて、¬P(x) …人でないか、実在しないとなる。すべての人にブッダになる可能性があるかないかというのは、世界の始源の観方にすら影響があるということかもしれない。

JRF2022/1/206506

今度は、P(x) を「x が人である」、Q(x) を「x が神になる」と考えよう。そして、創造神が人になれば必然的に神になるとした場合どうか。するとイエスが神になることから、すべての人が神になる可能性…すなわち聖霊を得た…とすれば、キリスト教の三位一体的になる。まぁ、「神になる」…というのはキリスト教において本当は違うのだが。

そして神になる可能性のない人が存在すれば、それは創造神が人であることはないことの証明ともなる。…ようだ。まぁ、必然を求めたのがそもそもの間違いかもしれないが。

JRF2022/1/207012

……。

……。

なお、この導出にいたるまでには紆余曲折があり、(4-4) から間違えて、

(8) □¬Q(a)→▽Q(b)→∃x.□Q(x)

JRF2022/1/201551

…が導き出せてしまった。これはこの式だけで a != b が確実で、さらに x = c とすると c != a で c != b が言えることになる。つまり、Q(x) を「x は神である」とすると、「必然的に神にならない a がいて、たまたま神になった b (イエス) がいれば、必然的に神である第三者(c) が存在する。c は b ではない!」となり、いってみれば、三位一体を否定する結果になるのである! 驚きだ。

JRF2022/1/209976

しかし、ちょっとよく検討すると…

□¬Q(a)→▽Q(b)→⊥

という式が出た。つまり、¬□¬Q(a) ∨ ¬▽Q(b) である。必然的に Q でない者がいれば、たまたま Q である者はありえない…となる。そもそも矛盾(⊥)が出るから ∃x.□Q(x) みたいな強い式も出たのだ。これならば穏当なところだ。…と思った。

しかし、さらによく検討したところ、(8) がそもそも間違っていた…というオチになったのであった。orz

JRF2022/1/202172

……。

今後の課題としては、他の因明的導出がありえないか、また、上の偶然を含む体系の特徴を調べるといったことが考えられる。

もしかすると、二重否定の除去を拒絶する直観主義を取り入れたらどうか…とかも思うが、議論がとても難しくなるし、様相論理にそういうのは合うのかなぁ…と思う。

この先、私は、これ以上深く追わない気がするので、興味のある方はトライしてみるのもおもしろいかもしれない。

JRF2022/1/203555

……。

……。

追記。

あ、ダメだ。

(4-4) でも、¬P(c) なる c が一つでも存在すれば(普通存在する)、(∃x.P(x)→□Q(x)) は満たされるので、(4-4)∧¬P(c) ==> (4-1) になってしまう。必然に関する工夫が無駄になる。これでは意味がない。

ブラフマーとか神学とかのこれまでの議論を活かすなら、(4-4) において単なる (∃x.P(x)→□Q(x)) ではなく (∃!x.P(x)→□Q(x)) …つまり唯一存在する…を必要とすればまた違ってくるか…と思わないでもないが、それはそれで落とし穴があるのだろう。

うまくいかないものだ。orz

JRF2022/1/205835

……。

……。

追記。

公理系の定義以降、問題の立て方がよくなかったかもしれない。

(4-X) を公理として立てるのではなく、ちょっと高階論理的になるが…、

IM(P,Q) == (∃y.P(y)∧Q(y))→(∀x.P(x)→◇Q(x))

JRF2022/1/200416

…として、IM(P,Q) を「因明述語組 P, Q」と呼び、因明述語組となる P, Q が任意なのは強過ぎるので、P, Q に何か条件を課したい。どのような条件が良いか?…とまず問題を立てたほうがよかったかもしれない。

そして、例えば、上の追記のように、(∃!x.P(x)→□Q(x)) であるようなすべての P,Q について IM(P,Q) が成り立っていると公理を立てるなり、そういう条件を仮定する場合どうなるかというのを論じるべきなのだろう。

JRF2022/1/200161

そして、一方でそういうどういう P,Q かという探求とは別に、IM(P,Q) が成り立つ「特定」の P,Q について何が成り立つかというのを調べるという問題の立て方もすべきなのだろう。IM(P,Q)→{…} みたいな式を導くべき…ということ。

まぁ、でも、これらは今後の課題ということで、みなさんにおまかせしたいなぁ…。|・ω・)チラッ。

JRF2022/1/204898

……。

……。

追記 (2022年1月22日)。

とりとめなくいろいろ考える。4つほど…。

1. 因明述語組 P,Q の条件として、(∃x.◇P(x) ∧ (P(x) → Q(x))) みたいに可能性を課したらどうだろうとか考える。これなら、¬P(c) が単純にあるだけではダメになっていい。ただ、P(b)∧Q(b) なる b が存在するなら、これも満たされてしまうので、(∃x.◇P(x) ∧ (P(x) → □Q(x))) でないと意味はなさそうだが…。

JRF2022/1/226250

2. 因明が対話において用いられることを考えると、特定の「私 (d := me)」や「あなた(d := you)」において P(d)→Q(d) または ◇P(d) ∧ (P(d)→Q(d)) を満たすような任意の P, Q について因明述語組 P,Q を考えるというのは意味のあることかもしれない。これを一歩進めて「私の〜」を表すために特定の関数 f を導入し P(f(d)) → Q(f(d)) とかを考えたりしてもいいかもしれない。

JRF2022/1/224266

3. 最初の例の P(x) に「x には煙がある」、Q(x) に「x には火がある」を考えると、ある具体物 x が特定の条件 T(x) を満たせば、論理的な「ならば」ではなく「時間的な推移」としての「ならば」として Q(x) から P(x) へ推移することを T(x)→τ(Q,P,x) と表すとするとして、(∀x.T(x)→τ(Q,P,x)) のとき、特定の具体的なかまど == b について因明の条件を満たすから、あの山 = a において P(a) から ◇Q(a) を導いていい。

…ということになりそうだが。この場合、因明は上の IM(P,Q) では不十分で、

JRF2022/1/225786

IM'(T,P,Q) = (∃y. T(y) ∧τ(Q,P,y))→(∀x.P(x)→◇Q(x))

…として、(∀x.T(x)→τ(Q,P,x)) が成り立つような任意の T,P,Q について IM'(T,P,Q) が成り立つことを公理等として、何が言えるかを探求する形にすればいいのではないか。そしてそれが十分論証力があれば、最初の例の因明が正しいものだったとなるのではないか?

JRF2022/1/224357

4. で、こういうことは、Isabelle とか定理証明システムを使っていうべきだと思う。それは今後の大きな課題ということで。それをするには私は腰が重い! orz

JRF2022/1/225478

……。

……。

追記。

とりとめのない話。

T(x) ∧ P(x) → Q(x)

から

P(x) → ◇Q(x)

を導けるとすると、

T(x) ∧ P(x) ∧ True → Q(x)

だから、T := (λx.T(x) ∧ P(x)) として、

True → ◇Q(x)

つまり任意の x について ◇Q(x) が導けることになる。これはおかしい。

JRF2022/2/88248

しかし、普通の感覚として、何も情報がなければ x について Q(x) の可能性があるというのは間違っていないような気もする。

情報が与えられるごとにどんな x にも Q(x) の可能性があるというのはおかしいというふうになっていくべきだ。

どこかで Q(x) の可能性がないこともありうる…∃a.◇¬◇Q(a) が言えるようになって、∀x.◇Q(x) が否定されるとなるべきだ。

これってなんなのだろう?

JRF2022/2/81413

イメージとして思い出すのは、佐藤優『神学の思考 - キリスト教とは何か』(平凡社)に書いてあった、ユダヤ教カバラーの「神の収縮」という概念。可能性が削られて世界が作られていく感覚…。『神学の思考』は押し入れの奥にしまってしまったので、正確にどうだったかはいまいち思い出せないけど。

JRF2022/2/81637

…それは置いといて、「あり得ないわけではない」ということと、「可能性がある」には、差がある。…というところから、システムを見直して、この辺をまともに論証できるようにできないものか…。

JRF2022/2/82406

……。

こういうの、帰納とかアブダクションとかの領域だよな。Lazy Evaluation とかは違うか…?

JRF2022/2/83115

……。

……。

追記 (2022年2月12日)。

とりとめのない話をいくつか。

JRF2022/2/123638

とりとめのない話 その1。

2022年1月22日追記の「時間的な推移」の τ(Q,P,x) についてもう少し詳細に考える。

x はオブジェクトみたいなもので、x の中に様々な情報が入っていると考え、それをメンバ関数で呼び出す…みたいな考え方をしてみる。

JRF2022/2/127380

τ(Q,P,x) は、ある時刻 t1 における x を特別に選ぶ at 関数を使って P(at(x, t1)) が成り立ち、Q(at(x, t2)) が成り立っていて、t2 < t1 で t2 と t1 が重なる部分があるみたいに定義すれば良いのだろうか?

いや、しかし時間が重なっていても原因と結果になっていなければ意味がない場合もありうる。すると、オブジェクト x は履歴も含んでいて、そこに Q が P につながったという原因結果の履歴があることをチェックするという形にすればいいのではないか。

JRF2022/2/129566

τ(Q,P,x) とは x.GenninRireki('Q', 'P') …みたいにすればいいのだと思う。

これを使うとき x はそういうオブジェクトでないといけないから、その型を指定するのを T(x) とする… T(x) の名前を適切にして RirekiAriObject(x) としよう。そういうオブジェクト x はある程度のタイムスパンを持っていて、ただ注目しているデフォルト時というのがあるとしよう。

JRF2022/2/124924

すると因明は、x がデフォルト時に述語 P を満たすことを x.dtp('P') と表すとすると、

IM'2(P, Q) == ((∃y. RirekiAriObject(y) ∧ y.GenninRireki('Q','P')) → (∀x. RirekiAriObject(x) → (x.dtp('P') → ◇ x.dtp('Q'))))

JRF2022/2/124346

…みたいにすれば良いのだろう。P Q が '' に囲まれてるのがちょっと嘘くさいが、まぁ、そういうものとここでは読んで欲しい。なお、y.GenninRireki('Q','P') → (y.dtp('P') ∧ y.dtp('Q')) は成り立っているものとする。

2022年2月8日の追記で、仮定を落として可能性を導く演算を考えたが、直上の例は、仮定を落とすのに似ているが少し違い、原因履歴の参照を落として可能性を導く演算になっていると言える。

JRF2022/2/123682

……。

ここで新たな記号を導入しよう。

Γ |- A (前提の列 Γ から A が証明手続きによって導出できる。)
Γ !|- A (前提の列 Γ から A が証明手続きによって導出できない。)

ちなみに Γ !|- A はどうやっても導出できないことを示せないとダメなのでいうのがかなり難しい。

JRF2022/2/126562

……。

とりとめのない話 その2。

「仮定を落として可能性を導く演算」の仲間として A ∨ B ==> ◇A が挙げられる。これは A にも B にも言えることだから結局、

A ∨ B ==> ◇A ∧ ◇B

…ということになる。これを存在記号・全称記号に拡張すると、

(∃x. P(x)) ==> (∀x. ◇P(x))

…となる。これに先の仮定を落とす演算を加える。

JRF2022/2/127688

Γ,A |- X ==> Γ |- ◇X

さて、こういった演算を使っていいか、矛盾が出てこないかが問題となる。

確かマズかった気がするのだが、詳しく今はなぜダメなのか私は示せない。

JRF2022/2/124018

……。

とりとめのない話 その3。

「あり得ないわけではない」ということと、「可能性がある」には、差がある。…という話だが、「あり得ないわけではない」というのは、必然的に P(a) でないようなものは導けないということつまり、

Γ !|- □¬P(a)

…のとき ◇P(a) を仮定しても問題ないということだった。つまり、…

(Γ !|- □¬P(a)) ∧ (Γ !|- ⊥) ==> (Γ, ◇P(a) !|- ⊥)

これをどう推論規則に仕上げたら良いものか…。

JRF2022/2/125842

……。

とりとめのない話 その4。

IM(P,Q) が成り立つ P, Q の条件を考える。

今回の その1 を参考に、x のある範囲内に P Q を限定するという方向が考えられる。そのような x の範囲として その3 を参考に x が「必然的に Q や ¬Q 」ではありえない範囲であれば、◇Q(x) を自由に導き出しても問題ないだろうとあたりを付ける。「「必然的に Q や ¬Q 」ではありえない範囲」に x が属することを x∈(¬◇□(Q,¬Q)) と表そう。

JRF2022/2/129209

新しい「因明述語組 P, Q」を

IM4_1(P,Q) == (∃y.P(y)∧Q(y))→(∀x. x∈(¬◇□(Q,¬Q)) → P(x)→◇Q(x))

…としよう。問題として (∃y.P(y)∧Q(y)) の y にも y∈(¬◇□(Q,¬Q)) が必要ではないかというのがあるが、それは後ほど疑似問題とわかるので、おいておこう。

JRF2022/2/121041

◇Q(x) と □Q(x) は重なっていて良いので、¬◇□(Q,¬Q) の中から □Q(x) は抜こう。すると、

IM4_2(P,Q) == (∃y.P(y)∧Q(y))→(∀x. x∈(¬◇□¬Q) → P(x)→◇Q(x))

ところで、これが任意の P,Q について成り立つとすると、結局 P == (λx. True) でも良いから Q(y) が成り立てば ◇Q(x) が成り立ち、そうなると今度は IM4_2 において P(x) の役割がなくなる。これを役割あるようにするには (∃y.P(y)∧Q(y)) ではなく、(∃y.P(y)→Q(y)) を使ったほうが良いとなる。つまり、

JRF2022/2/120593

IM4_3(P,Q) == (∃y.P(y)→Q(y))→(∀x. x∈(¬◇□¬Q) → P(x)→◇Q(x))

ところで、x∈(¬◇□¬Q) というのは結局 ¬◇□¬Q(x) のことではないか…と考える。すると、式を簡約化でき、

IM4_4(P,Q) == (∃y.P(y)→Q(y))→(∀x. □◇Q(x) → P(x)→◇Q(x))

JRF2022/2/128050

つまり、x∈(¬◇□¬Q) というのは□◇Q(x)…Q(x) が可能なのが必然となる範囲だったことになる。ところで □◇Q(x) にも P の限定が付けられるはずだ。すると、

IM4_5(P,Q) == (∃y.P(y)→Q(y))→(∀x. □(P(x)→◇Q(x)) → P(x)→◇Q(x))

ところで、□R → R であるから

JRF2022/2/125727

□(P(x)→◇Q(x)) → (P(x)→◇Q(x))

は当然成り立つ。つまり、IM4_5(P,Q) は (∃y.P(y)→Q(y)) に意味がなくなり(つまり疑似問題となり)、常に真になる。

議論がつぶれてしまった!

JRF2022/2/120936

ただ、ここの議論から救い出すべき部分がある。それは、(∃y.P(y)∧Q(y)) ではなく、(∃y.P(y)→Q(y)) を使ったほうが良い…という部分である。これは一般の因明述語対にも言えて、だから、IM(P,Q) は次のように定義しなおしたほうがよいことがわかる。

IM1_2(P,Q) == (∃y.P(y)→Q(y))→(∀x.P(x)→◇Q(x))

ところで、ここで、上のほうで、(4-2) の Q(b) を ◇Q(b) に置き換えるのに相当することを導入しよう。すると、

JRF2022/2/123678

IM1_3(P,Q) == (∃y.P(y)→◇Q(y))→(∀x.P(x)→◇Q(x))

さて、これは存在記号(∃)を全称記号(∀)に置き換えるという式になっている。そんなことは普通やってはいけない。しかし、やっていいとすれば、IM4_5 を参考に、

(P(x)→◇Q(x)) == (P(x)→◇Q(x) ∧ □(P(x)→◇Q(x)))

JRF2022/2/125101

…なるような P, Q … P Q が x∈(¬◇(P∧□¬Q)) に限定されるように作った P,Q でのみ言えるとすればいい…ということになる。ただ、よくよく考えれば、必然記号は取って良く、結局 (∀x.P(x)→◇Q(x)) が成り立つような P, Q について IM1_3(P,Q) が言えるということになる。…となると、IM1_3(P,Q) の (∃y.P(y)→◇Q(y)) は真であれば都合が良いだけの疑似問題になる。

JRF2022/2/120149

そして、それは (∀x.P(x)→◇Q(x)) が成り立つのはどういうときか…というどうどう巡りになることを意味している。

IM1_3 ではなく IM1_2 を取れば結果は変わるが、今回のその2と合わせた議論が必要になるというだけのことだろう。

先の「P Q が x∈(¬◇(P∧□¬Q)) に限定されるように作った P,Q でのみ言えるとすればいい」というのが、P,Q の作り方を示唆しているとすれば、まだ良いのだが…。

今回の議論はまったく無駄だったのだろうか?

JRF2022/2/125852

……。

とりとめのない話 その5。

ところで今回私が使った論証は、どういう論証なのだろう? 今回に限らず私が使っている論証は何なのだろう? 因明も含まれるのだろうか?

JRF2022/2/120417

……。

……。

追記 (2022年2月16日)。

とりとめのない話。

2022年2月12日の追記のその2とその3を発展させる。

その3において、「無矛盾前提」として可能性を導入するという方向で、その2の例えば、Γ,A |- X ==> Γ |- ◇X に相当することができる。

JRF2022/2/165528

つまり、

(Γ,A |- X) ∧ (Γ,A !|- □¬X) ∧ (Γ, A !|- ⊥) ==> (Γ,◇X !|- ⊥)

…は、やって良さそうだ。そして、これについて、B ∨ C == ¬B → C == ¬C → B であることを思い出すと、仮に B が偽で、C が真なら、Γ, ¬C ==> ⊥ だから上は言えず、 Γ,◇B !|- ⊥ は言えない。一方、Γ,◇C !|- ⊥ は言えることになる。

JRF2022/2/169024

これを、(∃x. P(x)) ==> (∀x. ◇P(x)) について拡張することは難しく、これは その3に戻って、(Γ !|- □¬P(a)) ∧ (Γ !|- ⊥) ==> (Γ, ◇P(a) !|- ⊥) を言えるとするだけでガマンするしかなさそう。

問題は、その3については、P := λx.⊥ でも良いということ。◇⊥…いつでも偽の可能性があると言えてしまうこと。

◇A ∧ (A→X) ==> ◇X は言えるべきだから、◇⊥なら任意の X について ◇X が言えることになり、可能性に関する議論がつぶれてしまう。

JRF2022/2/166033

しかし、前提として導入するだけだから、◇⊥ を前提にすること自体は問題ないかもしれず、判断が難しい。

しかし問題ないとすると、上の ∨ について、Γ,◇B !|- ⊥ は言えない…とすることに意味がないのではないか…となってしまう。この差をどう考えるべきなのか…。◇⊥ について特別視できるなら、するべきだが…といった感じ。

特別視するなら、その3も、

(Γ |- P(a)) ∧ (Γ !|- □¬P(a)) ∧ (Γ !|- ⊥) ==> (Γ, ◇P(a) !|- ⊥)

JRF2022/2/162518

…に書き換えたほうがいいのだろう…。でも、普通 P(a)→◇P(a) は成り立つから、これは当然でしかないのだが…。

特別視するには、Γの中に ¬◇⊥ を含めれば良いということになりそうだが、そんなことをしても良いものか…。そうやっても ◇A と ◇¬A が同時に成り立っていても大丈夫な系のままでいるだろうか…? いや、ダメだな。何かの拍子で A が真と確定したら ◇¬A == ◇⊥ になってしまう。例えば、A が真であることが確定した瞬間に ◇¬A を系から取り除く、Γ !|- ◇¬A を保証するような仕組みがないといけないのでは…?

JRF2022/2/163108

でも、それって、Γ|- A ならば、¬◇¬A を導入してよい… ¬◇¬A == □A だから、Γ|- A ならば □A が言える…ということで、これは、私が 2022年1月20日に様相論理をいじりはじめたときにそうではないと否定した系になってしまう。

どうにもならないものか?

JRF2022/2/161621

……。

結局のところ、その2、その3については、その3の…

(Γ !|- □¬P(a)) ∧ (Γ !|- ⊥) ==> (Γ, ◇P(a) !|- ⊥)

…は言えて、可能性をいうときはこのように「無矛盾前提」として言うべき…ということになるのかもしれない。

JRF2022/2/169308

そして…、

(Γ,A |- X) ∧ (Γ,A !|- □¬X) ∧ (Γ, A !|- ⊥) ==> (Γ,◇X !|- ⊥)

…という「仮定を落とす無矛盾前提」はあっても問題ないが、これを許すと A が矛盾でない限り X := A も通用するので、(Γと)無矛盾な任意の A には Γ,◇A !|- ⊥ が常に言えることになる。

これらにどれほどの意味があるのか…。

JRF2022/2/169847

……。

……。

追記 (2022年2月17日)。

因明の議論に戻る。

P,Q は、「スカートめくり」の例を用いる。つまり、P(x) は「x が女子である」こと、Q(x) は「x がスカートめくりが楽しい」ことであるとする。

JRF2022/2/172997

2月16日の追記において、◇⊥ を言うと議論がつぶれることを言った。つまりそれは、可能性があるか論じるべき命題かどうかが問題になるということ。(Γ |- P(a)) ∧ (Γ !|- □¬P(a)) ∧ (Γ !|- ⊥) ==> (Γ, ◇P(a) !|- ⊥) というルールを一時挙げたが、つまりそれは P(a) が成り立っていれば、◇P(a) は論じるに足るということ。

そしておそらく特定の a について ◇P(a) が論じるに足るなら、任意の x について ◇P(x) も論じるに足ると言っていいのではないか。

JRF2022/2/179391

とにかく真なる P(a) がどこかに出てくれば ◇P(x) を論じる価値があるとし、それをさらに緩めて、◇P(d) ∧ (P(d) → Q(d)) ならば ◇Q(d) を論じる価値がある。すなわち「私が女子である可能性があった。そして、私が女子ならスカートめくりは楽しい」という反実仮想が成り立っていれば、「スカートめくりが楽しい可能性」について論じることは意味があるとできる。…として良いのではないか。

JRF2022/2/174395

因明において、◇P(d) ∧ (P(d) → Q(d)) を(最初のほうの因明の規則だと ∃x.P(x)→Q(x) をいうのに相当するのを)挙げるのは、まず、Q の可能性を論じることに価値があることを示すためだった。…として良いのではないか。…これを因明の第一段階とする。

JRF2022/2/170724

次を示す前に因明の規則で P(b) ∧ Q(b) をいうところは P(b) ∧ ◇Q(b) に緩めておこう。つまり、スカートめくりが好きな女子 b がいるとしてもそれは内心のことなのでハッキリせず、確実に言えるのは、女子 b がスカートめくりが好きな可能性がある…ことのみとするのである。Q(b) がいきなり言えてしまっては、◇P(d) ∧ (P(d) → Q(d)) をいう意味がなくなるから ◇Q(b) をいうに留めるのである。

JRF2022/2/171591

そうした上で、第二段階は、P(b) ∧ ◇Q(b) から、P による限定は、□¬Q(x) でないことをいうに十分であることを述べる。…ということではないか。ここはアブダクション的に全称の ∀a.P(a)→◇Q(a) を述べようとするところ。

もう少しいうと、P を必然領域としたとしても、¬Q が必然とならないことを示したいということではないか。

JRF2022/2/171934

「必然領域」とは何か?…であるが、2月12日のその4などを論じてるとき気付いたのであるが、「必然」というのはどうとでも定義でき、ある a1 については □Q(a1) だが、b1 については ◇¬Q(b1) みたいな定義もいちおうは可能となるということ。そういう定義の中で有力なのは、特定の P(x) について P を満たすようなすべての x についてある述語が言えるなら、それは必然である…と定義すること。例えば、すべての女子についてある述語が必ず言えるなら、つまり、それは必然であるということ。

JRF2022/2/170609

「P が必然領域」とは、次のように必然を「定義」することになるだろう。

∀a.P(a)→(∀R. ((∀x.P(x)→R(x)) == □R(a)))

ただ、今は ∀R ではなく R := λx.¬Q(x) についてだけ上が言えればいいかもしれない。

すると、P(b) ∧ ◇Q(b) があるとすると、P(b)→□¬Q(b) が否定される、つまり、 == の右辺が否定されることになる。すると == の左辺が否定されることになるから、左辺が否定されると今度は任意の a について P(a)→□¬Q(a) が否定される。

JRF2022/2/179093

つまり、任意の a について、

Γ, P(a) !|- □¬Q(a)

が言える。これにさらに Γ, P(a) !|- ⊥ が言えれば、2月12日のその3により、

Γ, ◇Q(a) !|- ⊥

を言っていいことになる。「無矛盾前提」として可能性を導入できた。

JRF2022/2/174110

……。

つまり、この第一段階・第二段階を踏むのが「因明」ということになるのではないか?

ただ、これをどう推論規則的なものに落とせばいいのか…。第二段階はかなりハッキリとした言明になっているが、第一段階はほとんどルール的なものを示せていない…。

JRF2022/2/171960

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