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技術系電子本。Python による仏教社会シミュレーション( https://github.com/JRF-2018/simbd )の哲学的解説です。

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cocolog:93398877

土井正興『スパルタクスとイタリア奴隷戦争』を読んだ。以前書いた小説と舞台が似ており、「スパルタクス蜂起」に興味があって読んだ。バルカン半島の戦争推移次第ではイタリア本土でもワンチャンあったのだろうか…。 (JRF 3864)

JRF 2022年3月29日 (火)

『スパルタクスとイタリア奴隷戦争』(土井 正興 著, 法政大学出版局, 1994年10月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4588250434
https://7net.omni7.jp/detail/1101195163

JRF2022/3/291325

↓に入っている『水竜狩り』という小説は、古代のカルタゴらしきところを舞台とし、「半市民」である外国人…おそらくスパルタなどのギリシアから流れてきた者二人を主人公として描く。その二人の一人は、剣奴の先生で、もう一人は反乱を起こしてつかまるというあたりで、スパルタクスに似た部分をもっている。時代的にはスパルタクスの先駆けという形になるかと思う。それで、スパルタクスの生涯に興味を持っていたのが、この本を読んだキッカケで、たまたま、ずいぶん前に古本屋で安く手に入れたのをなぜか今読んだのだった。

JRF2022/3/296620

《エアロダイバー 他五篇 - JRF - Amazon Kindleストア》
https://www.amazon.co.jp/dp/B01CEE9CW6

いつもどおり引用してコメントしたいとこだが、コメントがやや薄くなってしまい、完全に引用が主という状況になってしまった。許していただけたらと思う。歴史学の精緻な議論に反論するわけにもいかず、そうなってしまった。

JRF2022/3/290220

……。

スパルタクスのイタリア奴隷戦争は、ローマ支配下のイタリア本土で B.C.74 または B.C.73 から B.C.71 にかけて起こった奴隷を中心とする蜂起(反乱)である。

>スパルタクスは、自由と抑圧からの解放を求める民衆にとってさまざまな形で想起されてきたが、同様に「旧体制」を維持しようとする側からは「野蛮」「破壊」のシンボルとされてきたのである。<(p.1)

普通は「スパルタクスの乱」として参照されるらしいが、Wikipedia の項目は今↓となっている。

JRF2022/3/299267

《第三次奴隷戦争 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%AC%A1%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E6%88%A6%E4%BA%89

「スパルタクス蜂起」は、ソ連では奴隷による革命として高く評価されていたりした。著者は日本で「レッドパージ」を受けたらしく、ソ連にシンパシーがないわけでもなさそうだが、しかし、その共産主義的な観方にこだわっているわけではなく、中立の立場で歴史を追究しているように私は読んだ。

JRF2022/3/297501

>今日のスパルタクス蜂起の基礎を構築したのは、なんといっても、ソビエトのミシューリンであろう。(…)ミシューリンが提起した問題は多岐にわたるが、スターリンの「奴隷革命」の枠のなかに束縛されていたにせよ、スパルタクス蜂起の目標を奴隷大衆の各々の故国帰還においたこと、蜂起勃発年を前74年としたこと、奴隷蜂起軍への自由農民の参加を想定し、スパルタクス軍内部の不和=不一致の原因を、奴隷と自由民との間の闘争をめぐる意見の相違に求めたこと、奴隷蜂起が、ローマの支配階級をして共和制から帝政=軍事独裁への移行を余儀なくさせたこと、などが、彼が提起した主要な論点であった。

JRF2022/3/294878

もちろん、ミシューリンは、諸史料の検討をふまえて、これらの諸点を提起しているのであるが、スパルタクス蜂起を記述し、それに言及した諸史料を比較検討して、蜂起そのものを復元する点についていえば、まだ不十分であり、一定の弱点をもっていたことは否定さるべくもないであろう。
<(p.6)

JRF2022/3/296668

……。

>ベルギーのドマンは、スパルタクス軍の行軍の進路を確定しつつ、この行軍過程において、食糧や衣料などを補給する場合、移動放牧に従事していた牧人奴隷の役割を明らかにした。<(p.9)

スパルタクスは最初、70人ほどで脱走して、それが一万人にすぐ膨れあがり、最終的には12万人、wikipedia によると 30万人ほどの人員をまかなうほどになった。その補給がどのようになされたかは興味深いところである。イタリアに穀物の相当な蓄えがあり、それを略奪できたということなのだろうか? 牧人奴隷などが、輸出拠点のようなものを知っていたということだろうか?

JRF2022/3/297902

……。

>(…)ルーマニアのトムレスクは、スパルタクスは奴隷であったが、養成所の剣術の教授であったという議論を展開し、(…)<(p.14)

「養成所の剣術の教授」というのが私の小説との関連。ただ、スパルタクスの残されている経歴から考えると、教授となるには、年数が少し足らないような気もする。論功行賞などでそうなったというならありえるが…。

JRF2022/3/298900

……。

>(…)スパルタクス蜂起とバルカン半島の結びつきは、従来考えられていたよりも、はるかに強くなる(…)。<(p.18)

「スパルタ」という名があるので、バルカン半島と強い結びつきがあるのは当然…などと素人の私は考えてしまうけど、そういうわけでもないんだね。

JRF2022/3/294148

……。

マルクス・ルクルスは、スパルタクスの反乱を受けてか、かなりバルカン半島などでの作戦を急いだ印象がある。おそらくそれまでよりも相手に有利な条件で実質的な「講和」をしたのではないか。それが、ギリシアからの小アジアのミトリダデスへの補給の妨害にもつながったということだろう。

JRF2022/3/291000

>したがって、イタリア本土において、ゲルリウス、レントゥルスがスパルタクス軍に惨敗し、カッシウスがアルプス前面のムティナで敗北して、スパルタクス軍のアルプス越えによるイタリア脱出の可能性が強まれば強まるほど、マルクス・ルクルスにとって、トラキアでの作戦行動の敏速さが要請せざるをえない。そして、彼の作戦行動の特徴は、そのことを念頭におきつつ、トラキアにおけるミトリダテスの影響力を徹底的に排除することであった。彼は、従来からのトラキア人の頑強な抵抗の背後に巨大なミトリダテスの影をみていた。

JRF2022/3/290582

ベッシ族のような個々のトラキアの部族の自由と独立を守る闘いは、たしかに粘り強いが、ミトリダテスの影響を排除するならば、それを孤立させることが可能である。現に、ベッシ族の拠点カビーレは川による舟行をとおして、黒海沿岸のギリシア人都市と商業おこなっており、ギリシア人都市をとおしてミトリダテスの物質的援助をうけていた。つまり、トラキア人の頑強な反ローマ闘争を、ミトリダテスの影響から切り離して、孤立させるためには、その補給基地であるギリシア人都市をたたくことがどうしても必要であった。

JRF2022/3/297984

マルクス・ルクルスが、ベッシ族の抵抗の拠点をおさえ、彼らの反ローマ闘争を完全に「掃蕩」することなく、「降伏」という形で妥協し、トラキア人への支配をローマと同盟していたオデュルサエ部族集団の首長に委ねて、黒海沿岸のギリシア人都市の制圧にのり出したのは、そのためであった。

JRF2022/3/295061

そのギリシア人都市のうち、マルクス・ルクルスが目標としたのは、ミトリダテス軍が駐屯しているアポロニアであり、ルクルスはここを強襲して、徹底的に破壊し、それを見せしめにして威圧し、戦うことなくカラティス、メッサンブリアをはじめ他のギリシア人都市にローマとの同盟条約を結ばせ、黒海沿岸の諸都市をミトリダテスの同盟者からローマの同盟者に転換させ、ミトリダテスのバルカン半島における前進基地を一挙に消滅させたのであった。
<(p.88-89)

JRF2022/3/291704

トラキアに帰ることも目標としていたスパルタクス軍は、トラキアが「落ちた」ことを、マルクス・ルクルスのイタリア上陸によって痛感し、また、ルクルスの軍とクラッススの軍とに挟撃されるリスクも背負うことになり、「あらゆることに絶望して」スパルタクスはクラッススに最後の決戦を挑んだ。…ということらしい。

JRF2022/3/294050

ただ、12万人以上の者がそんな簡単にトラキアに移動できるとは思えず、「帰る」だけではない目算もあったのだろうと思う。イタリアでのゲリラ活動の継続と、その背景の提供をどう続けるか…という視点があったのでは。この戦争のあとの「ローマ市民」の急増がそれに関連するか。それは現代のマフィアにも続いているのかもしれない。

ところで地図を見ると黒海は、現在戦争中のウクライナの位置にある。ギリシア…海軍…がどれぐらい現代において重要なのかははかりがたいが…。

JRF2022/3/294972

……。

>スパルタクスが、ルクルスの上陸を、いつどこで知ったかについては、見解が分かれているが、私は、ブルンディシウムの近くで、この情報を知ったという従来からの見解に固執したい。たしかにハルデーエフがいうように、ブルンディシウムから100キロくらい離れたところでも、斥候などによってルクルス上陸という情報を入手することは、ありえないことではない。しかし、それでは、G (…アッピアノスの『内乱記』…)の叙述にみられる「ルクスルが……ブルンディシウムに丁度今着いたということを知ったとき、彼はあらゆることに絶望し」という表現のなかにこめられた奴隷大衆の深いなげきを理解できないであろう。

JRF2022/3/290561

ブルッティウムでのクラッススによる包囲突破以来、ローマ軍の追跡をさけながらこれと悪戦苦闘し、ともに自由と人間性の回復を求めて戦ったカストゥス、カンニクスの部隊にいた仲間たちを失い、それにも屈せず、なお、ひたすら故国への帰還を求めて、あらゆる困難を克服し、約500キロの道を踏破して、やっとめざすブルンディシウムの近くまで到達したとき、ルクルス上陸を知って、大きなショックをうけたスパルタクスをはじめとする奴隷大衆の心情を、この文章は、はしなくも、まざまざと端的にリアルにうつし出しているからである。

JRF2022/3/290035

奴隷大衆が「あらゆることに絶望」したのは、ルクルスの上陸が、彼らの故国トラキアでの抵抗の鎮圧を意味し、故国帰還をめざした彼らにとって帰るべき故国の喪失を意味したからであったことはいうまでもない。
<(p.201)

JRF2022/3/292100

クラッススの軍は「[wikipedia: 十分の一刑]」を復活させたという。それは「罰を受ける集団の兵士の中から抽選で10人に1人を選び、その1人を他の9人で棍棒・石打などで処刑することを課せられた。」…というもの。スパルタクスは奇襲を好み、おそらくスパイなども多く使っていたことであろう。それが十分の一刑によって、疑わしき者は殺されるとなったことで難しくなったのではないか。スパイが必ず殺されたわけではないが、一定のスパイが殺されれば効果はあっただろう。

JRF2022/3/290309

……。

奴隷蜂起がいかにローマの政治に作用したかその難問について…。

JRF2022/3/294567

>それゆえに、私が自己に課した難問を解決の方向にみちびくためには、全く別個の動きとして「万里の長城」で隔絶されているようにみえる奴隷蜂起の動向とローマの政治過程の推移とが切り結ぶ接点をどこに求めるかが重要な鍵をにぎっていた。私は、その接点を、スパルタクス蜂起を鎮圧したクラッススとポンペイウスが、鎮圧の翌年の前70年にともにコンスルに就任したこと、スパルタクス蜂起の期間中シチリア総督として、イタリアに食糧その他を供給し、スパルタクス蜂起の鎮圧に若干の寄与を果たしたと思われるウェルレースが前70年に裁判にかけられたことに求めた。

JRF2022/3/291858

(…)

前者からは、奴隷蜂起の鎮圧という課題が、軍事力の所有者クラッスス、ポンペイウスのコンスルへの同時就任をよぎなくさせたのであり、このことが共和政の基礎を掘りくずし、三頭政治への道を切り開く転換点になったことを抽出し、後者からは、ウェルレースの裁判のなかに、元老院主流派とその反対勢力の権力闘争が反映されているとみて、ウェルレースの敗退は、元老院の属州支配を弱化させ、元老院が権力を握る共和政の基盤を低下させたことを結論づけた。

JRF2022/3/295115

要するに、スパルタクス蜂起という奴隷戦争が、それの鎮圧をめぐるローマ支配階級内部の闘争を激化させ、共和政から帝政への移行にさいして、一定の役割を果たしたと私はみたのであった。
<(p.247,248)

JRF2022/3/297889

……。

スパルタクス蜂起以前の状況としてシチリア奴隷蜂起を受けてのグラックスの改革、マリウスの兵制改革、スルラ(スッラ)の揺り戻しがある。

JRF2022/3/298140

>公有地の先占面積を制限して、それを土地を失ったローマ市民に割り当て、中小農民を再建しようとするグラックスの土地法は、先にのべたような、危機を打開するため、中小農民を主力とする精強なローマ軍を再建することを意図したものであり、「国防力の回復」がその目的であった。(…)グラックスの改革は、属州支配と奴隷支配を貫徹するために、その支配に対応し切れなくなっているローマ共和政の現状を改革しようとして、「復古」的な形で問題を提起したものであったが、同じく属州支配と奴隷支配という点では同様の志向をもちながらも、大土地所有という「現実」を重視する元老院派との闘争を激化させる結果となった。<(p.262)

JRF2022/3/293555

>このときグラックスが志向したローマ軍の再建・強化を別の形で達成したのが、マリウスの兵制改革であった。「法律や慣習に反して資力のない身分の低いものを沢山徴集した」といわれるマリウスの改革は前107年におこなわれた。それはプロレタリイを志願兵として軍隊に採用するというものであり、以後、従来の中小農民を中核とする市民軍に代わって、こうしたプロレタリイよりなる職業的軍隊が存在することになり、兵士とそれを指揮する将軍との間にクリエンテーラ的関係がむすようになり、こうした軍隊をもつ実力者が登場する道を開くことになった。<(p.262-263)

JRF2022/3/291041

>ミトリダテス戦争に勝利したスルラがその私兵=軍事力をもって権力をにぎり、「法の制定と国家の新秩序のためのディクタートル」となった。スルラの課題は、民衆派をおさえ、同盟市戦争の結果として生じたイタリア本土の変化に対応し、属州支配と奴隷支配の基礎のうえに立つ古代帝国としてのローマの現実と古来の共和政という政治体制との矛盾をいかに調整するかということであった。復古の形で現実に対応しようとするその政策は、必然的に元老院の権限強化につながった。<(p.264-265)

JRF2022/3/296479

>グラックスの運動から元首政=帝政の成立までを、(1)グラックス運動の時期、(2)マリウスの兵制改革の時期、(3)スルラ的元老院支配の時期、(4)実力者による「内戦」と「第一人者」の創出の時期の四段階に区分することができるであろう。<(p.272)

JRF2022/3/293387

奴隷は戦争の役に立たない。…というのが重要で、だからこそ属州にも自由がある程度あったということになろう。兵を支えられるだけの生産をどう分配するかにおいて、奴隷がいるから安く大量に生産でき、兵を動かせるから即座の流通も可能という側面があった。勝たねば自分達が奴隷にされるという緊張の中、平和を希求するには人口がいろいろなところで増えすぎていて難しかった…ということだろうか。

生産を増やす要素…鉄器の普及はもう少し前の出来事だろうから、道路の整備あたりなのだろうか?

JRF2022/3/290491

……。

>奴隷蜂起ではないが、女性が反ローマ的民族闘争の指導者になった事例もある。それは、60年ごろブリタニアでおこったボウディッカの蜂起である。イケーニ族の王女ボウディッカは、夫の死後、迫り来るローマの属州化に抵抗して、その自立を守るために蜂起する。「ブリタンニア人は、昔からよく女の指揮の下に戦争をしてきた。……いまや人民の一人として、奪われた自由と、鞭うたれた体と、凌辱された娘の貞節のために復讐するのである」と説いてブリタニア人を結集したといわれている。

JRF2022/3/298844

そしてブリタニア人を結集するさいに、彼女の組織力もさることながら、戦勝の予言・祈りをおこなう宗教的カリスマ性と、それを補強する、背が恐ろしく高く、眼光は獰猛、声は荒々しく、房々とした頭髪は臀部にまで届き、大きな黄金のネックレースをまとい、多色の下着の上に厚いマントをブローチで結び、長い槍をいつも握っている、という彼女の外貌とが、大きく作用したと考えられている。
<(p.286-287)

JRF2022/3/296226

『Fate/stay night』のアーサー王が女性であるというのは、こういうところを典拠としているのだろうか?

JRF2022/3/298634

……。

スパルタクス蜂起が、単なる「反乱」ではなく(国による宣戦布告が通常必要な)「戦争」と評価されていたことが重要らしい。

JRF2022/3/291991

>キケロの著作を検討してわかったことは、当時のローマ人が、スパルタクス蜂起をたんなる反乱や蜂起ではなく、彼らが奴隷大衆と死力をつくして対等の立場で戦わねばならなかったという意味で「イタリア奴隷戦争」と評価していることであった。この原点に立ち返って、2060年間忘却されていた「イタリア戦争」を復権させ、スパルタクス蜂起にかわる、この蜂起の正式の名称として定着させることが今日切実に求められていると私は思う。なぜなら、この名称こそが、奴隷大衆が満身の力をこめて戦った「スパルタクス蜂起」の規模と重さにもっともふさわしいからである。<(p.323)

JRF2022/3/299433

ラテン語で bellum は「戦争」の意だが…

>ホーベンは、古代史料の bellum とは、全国家によって担われた企てであり、それに全国家権力が傾注され、正規軍の投入によって bellum という用語の使用が可能になるとした。もちろん、適法的な bellum は公的に宣言されて、法的規範によって指導されるものであり、平和 pax によって終結するのであり、国家間の戦闘である bellum とならんで、civile, sociale, servile などの bellum も可能であった。

JRF2022/3/290118

「奴隷戦争」の場合は、公然たる戦争宣言がなされなくても、国家間の bellum の実態があたえられたとホーベンは指摘している。それに、奴隷はローマの「敵」(hostes)として認識されており、そうであるからこそ、「平和」交渉も可能であり、「奴隷戦争」の勝利者はトリウンフスであれ、オワーティオであれ、凱旋式を要求することができた。このように第一次、第二次シチリア奴隷蜂起、スパルタクス蜂起は、完全に「戦争」=bellum としての実態をそなえており、それゆえにこそ、古代の著作家たちは、他の奴隷蜂起と区別して、それを bellum と表現したのである。
<(p.341)

JRF2022/3/299755

……。

バルカン半島の戦争推移次第では、イタリア本土でローマを滅ぼすぐらいのワンチャンがあったのだろうか…。それとも平和交渉をして傭兵部隊としてローマの一軍になりえただろうか…。そういう論調がこの本にないということは、その可能性はなかったのであろう。

JRF2022/3/299375

修正 「古本屋で安く手に入れた」→「 Amazon マーケットプレイスで安く手に入れた」。

JRF2022/3/292739

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