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cocolog:93746139

必需品と贅沢品の宇宙的独立関係の話つづき。人類の数は、マルコフ連鎖のようなもので、どこかであればよいなら確率1で絶滅にむかう。それを無限にするものがあれば、確率 0 を動かしたのだから無限の価値がある。…という論。これを定式化に近付けていこう。 (JRF 6281)

JRF 2022年9月21日 (水)

必需品と贅沢品の宇宙的独立関係の話は、[cocolog:93717633] でしているが、そのつづき。

JRF2022/9/212905

○ 2022-09-21T02:05:42Z

これまでに…、人類の数は、マルコフ連鎖のようなもので、どこかであればよいなら確率1で絶滅にむかう。それを無限にするものがあれば、確率 0 を動かしたのだから無限の価値がある。…という論を建てた。

これを定式化に近付けるため、もう少しくだいた考え方をしていこう。([cocolog:76226644] の [google: 再帰軸] または「再生軸」の議論も関係してくるのだろうか?)

JRF2022/9/214901

マルコフ連鎖で、0 点に戻る「平均再帰時間」等を考えるのが本筋なのかもしれないが、ここではもう少しアバウトに、ある特定の時点(現在)から未来の別の時点を見たとき、そのときの生存確率が有限で、ただ、死滅… 0 に戻る確率は常に 0 ではない…必ず死滅しうる…と考える。現在、打ち出したボールが、どこで落ちるかはわからないが、必ずどこかで落ちるイメージ。その打ち出し方によって、平均的な落下位置の大小は論じることができる…としよう。

JRF2022/9/213787

マルコフ連鎖のように可算でなく連続の濃度について定義される「過程」で、ある意味、0 への「平均到達時間」は有限である…などと考えるのである。なお、平均到達時間が無限であったとしても、それは 0 へ到達できないことを示すのではない。無限にならせばその確率を無視できるというだけである。

JRF2022/9/210955

「絶対に」0 へ到達しないことを保証したいとしよう。そのためには、無限の最後においてもずっと 0 に戻らなかったというだけでなく、小区間を取り出したとき、どの小区間でも、0 に戻る確率があってはならないことになる。なぜなら、そこで死滅するなら、無限の先においても死滅があったことになるから。

JRF2022/9/216521

無限の価値があるもの…それは小区間において、死滅が絶対にないようにするものにおいてもそうなのだろう。

JRF2022/9/214516

……。

しかし地球が突然隕石と衝突して人類が滅亡する可能性もないわけではない。「死滅が絶対にないようにする」…なんて不可能ではないか?

「認識しているリスク」の範囲内のみで考えてみればどうだろう? 拡大するリスク認識があり、そしてだいたい諦めているリスクというものもある。その中で対処可能なリスクについて対処する。…

JRF2022/9/210492

対処可能なリスクについては絶対に死滅しないようにするのが「無限の価値がある」ことになるのだろうか? しかし、それでは諦めるものを大きく取ればそれだけで無限の価値が存在することになる。

それとも諦めているリスクに食い込んでいって、広がった対処可能なリスクについて絶対に死滅しないように・またはほとんど死滅しないようにすれば、死滅への平均到達時間が無限になるとき、そのときからのみ、「無限の価値がある」とすればよいのだろうか。

JRF2022/9/214012

いや、そもそも、地球に住める人類の数は有限だから、上限が抑えられるので、0 への平均到達時間は有限になるという文脈もあった。平均到達時間が無限になるなんて無理なのではないか。ただ、宇宙・多次元への進出など文明がどんどん拡大するなら条件は変わる…しかし、同時にリスク認識というかリスク自体、同時に拡大するはずである。…

どういう形でか拡大する文明を取り、それに応じて拡大するリスク空間において死滅への平均到達時間が無限になればよい、そういう「拡大する文明」を一つ想定できればよいのか…。でも、「拡大する文明」ってそれ自体が、アイデアの拡大で、概念が重なっているように思えなくもない。…

JRF2022/9/214212

……。

少し視点を変えて、すでに実現しているものの価値をどう判断するかということを考えよう。

ある死滅のリスクが顕在化して、それを救ったアイデアがあるとしよう。すると、そのアイデアに無限の価値を認めるべきだろうか?

JRF2022/9/216918

もし、そのアイデアが今後も同じような死滅のリスクを避けさせるなら、それに上の議論における無限の価値を認めてもいいかもしれない。しかし、1回きりならどう考えるべきなのか。例えば、モーゼがなした奇蹟で海を割るというのがあったが、その価値はどう判断すればよいのか。無限に感謝すべきなのか。

すでに実現してしまったが、しかし、実現する確率はあったはずである。それと、アイデアがそれを阻止する確率を比べて、価値が決まるのであって、顕在化したかどうかは関係ないとすべきなのだろうか?

JRF2022/9/212771

逆に考えよう。敵にとって、海が割れる確率は 0 だった。それが実現したから無限の価値があるのだろうか? しかし、海が割れても助かる確率は 1 ではなかったから、無限の価値まではないのであろうか?

そもそも、過去は忘れるべきで過去に無限の価値があったとしても、それに無限の価値を認めて将来無限の期間反映する必要はないのかもしれない。価値と期間×価値では濃度が違い、期間は有限でいいのかもしれない。(この辺、「来世がないのがよい」との関係が思い浮かぶ。)

JRF2022/9/213458

……。

無限の価値がありやるべきだといっても、生物は死滅するまでしか働けない。死を受け容れればそれまでである。

死滅したところで、主観的に無限の価値があったとすべきなのだろうか? すべての過去のリスクを取り除いたかどうかは重要ではなく、死滅したそのときを基準にそこからさかのぼってすべて考えなおすべきなのだろうか?

JRF2022/9/219807

……。

「拡大する文明」ってそれ自体が、アイデアの拡大で、概念が重なっているように思えるという話。

文明を拡大するものとリスクを低減するもの、それが贅沢品と必需品という話であり、だからこそ両者は独立なのかもしれない。話が簡単になってしまったが。…

ところで、「平均がない」はどこにいったのだろう!?

JRF2022/9/216357

拡大する文明をリスクに関して考えるなら、それは一軸で、リスクを最適化するだけで良くなる。文明を拡大するコストと生存リスクを下げるコストの見合いという話になる。

無限の平均到達時間があるのを前提とすると、それ以上に文明が拡大しても関係なくなる。それが必需品の最低限必要な量において、贅沢品の量が独立に決めれるということか? …いや、そうではない。その考え方だとやはり贅沢品の最低限必要量というものが考えられるようになってしまう。

JRF2022/9/213112

文明の拡大とリスクの低減が判別できないようにする…。それは結局、文明の拡大が一方でリスクの増大ももたらし、減ったかどうか定かではないというところから導くしかないのだろうか? …しかし、それだと、リスクの増大をもたらさない文明の拡大があるならそれをすればいいということになる。

JRF2022/9/219297

文明の拡大とリスクの低減は無差別…文明の拡大はリスクの低減は行わないが、生存の上限は撤廃し、振幅を大きくする? …振幅を大きくすることでリスクが低減できる可能性が増えることもある?…そうじゃなないな、振幅を大きくすると下に突き抜けるリスクも増えるから、リスクは増幅しそうだけど、定義として「無差別」だから、リスクは増減しないとなるのだろう。そういう無差別な関係が無数に存在しうる…それが「平均がない」ということなのだろうか? …でも、この論には無限の価値とか無限の平均到達時間は関係なさそうだが…。

JRF2022/9/211080

もしかして、無限の価値なんてものがないなら、拡大する文明を考える必要がなかった…となっているか? それならこの議論にも意味はあるのだが…。

JRF2022/9/219668

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