cocolog:93775112
福田歓一の本を以前読んだ([cocolog:90689746])とき、持続可能性(SDGs)が求められれば、宇露戦争におけるロシアなどの強権政治が世界の主流になるのをある意味「予言」していた。やや「陰謀論」的に…。 (JRF 8252)
JRF 2022年10月 7日 (金)
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福田歓一『近代民主主義とその展望』と『近代の政治思想』を読んだ [cocolog:90689746] 中で、宇露戦争におけるロシアなどの強権政治が世界の主流になるのをある意味「予言」していた。やや「陰謀論」的に…。
JRF2022/10/76174
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日本には「どうやったってよくならない」という閉塞感がただよっている。その大きな要因はなんと言っても「少子化」だろう。しかし、この「少子化」という事態、世界規模でみると資源・環境の制約のためむしろ必要とされているのがやっかい。昔であれば、新天地を宇宙に求めたり、核の「無限のエネルギー」に夢をはせたりできたのだが、それらは100年単位でもどうも難しいぞ…という話になっていて、先に持続可能な社会を築く必要がありそうだ…となっている。
JRF2022/10/72822
人口減少を世界のトレンドとすべきだから、それを移民で解決するのは今後の地球のシミュレーションを一国でしているとすれば、望ましくない。むしろ、ヒトやモノの移動を制限して、今後の地球のシミュレーションをそれぞれが試すほうがいいのではないか…という動き…経済のブロック化も心配されるところになっている。そのために、まず、情報もブロックせねばならないということで、インターネットの制限の話につながってくる。
JRF2022/10/77244
これはホッブスの世界観に少し似ている。そこでは資源の限られた世界で、絶対主義が必要とされた。強い権力を求める指向は、「資源が限られている」以上しかたないのかもしれない。閉じた世界がいくともあるというのは、ライプニッツのモナドを思い出させるが…。
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JRF2022/10/79647
ところで、ホッブスの世界観とはどのようなものか…。
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JRF2022/10/75754
>(…「人間は人間にとって狼である」の…)ホッブスにとりまして、自然を超える人間の能力に非常な自信を与えましたのは、何と申しましても科学の発展という実績でありまして、ことばを使いましての人間の推理能力、つまり、人間の理性というものが、何よりも人間を他の動物から区別する。自然の世界を乗り越える文化という人間のいとなみを、もっともはっきりと例示しているのであります。<(p.119)
JRF2022/10/74737
>ホッブスの場合にこの富、つまり人間の生存の手段の総量というものが、固定的に考えられていたということであります。富の社会的総量は有限であるばかりでなく、はじめから一定したものだという固定的イメイジがある。ところがその富はホッブスによれば元来生物としての人間が生存のために必要とする手段にほかならない。<(p.121)
JRF2022/10/73551
>彼のいう「自然状態」つまりいっさいの社会的統制をとりはずした人間世界には、もちろん身分制度などあるはずはありませんから、人間すべて平等である。しかもこの平等な人間が神様から命じられた第一の義務は「自己保存」(…)その手段に対する人間の欲求(…)を、端的に自然権として肯定しているのであります。(…)身分によって徳目をわりあてるという伝統的なやり方の清算(…。…)こういう「人間にとって自然であることを罪とするのは、人間の存在自体が罪だというのと同じだ」と申します。<(p.122-123)
JRF2022/10/72412
生存への欲望は自然で、「人間にとって自然であることを罪とするのは、人間の存在自体が罪だというのと同じだ」…というパワーワード。
JRF2022/10/79682
>もしこういう生物的人間が、他の動物のように、単に本能にだけ従って生きるものでありますならば、そこにはまだしも解決の余地がある。彼らは大体おなかの空いたときに食い、のどのかわいたときに飲み、もし、その時に食物も水もなければ、結局倒れてしまうことでケリがつく、と考えられるからであります。ところが(…)ホッブスの人間は(…)他の動物よりは知能が進んでいる。彼(…は…)先が見えるのであります。(…)複数の人間が、そのわけまえを争って、いまはいらなくても先になればいりそうなものは、何とか自分のものにしておきたい、眼の色をかえる(…ので…)あります。<(p.123-124)
JRF2022/10/74312
>こういう個人は自分で秩序をつくり、安定した社会生活をつくりだす能力に欠けているわけであります。(…)こういう不安定な、自律できない人間に他人の生存を尊重させるには、ルールを強制するしかない。無制約な欲求を生御するには刑罰の恐怖以外にはないから、国家権力はいっさい無制約でなくてはならない。そこにホッブスの絶対主義の主張が引き出されるわけであります。<(p.124-125)
ホッブスは身分を否定した状態からはじめて、絶対主義を主張した…と。支配する側の能力の限界についてはどう考えたんだろう?
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JRF2022/10/74451
つまり、無制約な欲求を制御するには刑罰の恐怖以外ないから絶対主義が必要…と、SDGs とか言っても人は基本動かない、恐怖で動かすしかないから強権的政権が必要なのだ…ということらしい。ただ、「強権」のロシアや中国が SDGs を進めるかどうかはよくわからない。経済制裁の窮乏生活の中で省資源を追及するようになる…というのは、なくはないかもしれないが。
すると、強権政治は、経済制裁されているのを常態としなければならないのではないか?
JRF2022/10/72661
一つは民主的でないから制裁という方向がありうるが、それは強権政治の国のほうが増えている現状では難しいかもしれない。
一つは核不拡散で制裁という方向がありうるかもしれない。核開発をする国は制裁する。ただし、そのような国は原発でエネルギーをまかなえる。…という方向。ただ、この方向だと日本がなぜ制裁を免れるのか考える必要がある。核兵器を持ってないから…といってもそれを認めれば、制裁は機能しないかもしれない。すると原発も基本ダメとすることになるだろう。…だから円安なのかもしれないが。
JRF2022/10/72428
日本は超高齢化で、若者による強権政治の可能性があることも忘れずに…。[cocolog:89428585] で書いたこと…。
JRF2022/10/73324
>「東アジア」の中の日本の誇るべき点はまがりなりにも「民主主義国」である点で、今後それぐらいは保っていかなければ、日本の国際的地位は埋もれる一方になるだろう。ただ、一方で、日本は超高齢化社会となり、「民主主義」のままでは、高齢者の意見だけが通り社会が動かなくなることが予想される。言わば、中国のような専制…特に少数の若者中心の国にしないと国が動かなくなるだろう。そこにジレンマがある。
JRF2022/10/74521
労働力が減る中、若者をどう動かすかも問題になっていて、戦争を起こして若者の支配権を握るというのは、人口がピラミッド型の国ならありえるだろうが、現代日本では無理筋。
これらを総合して考えると、体裁としては「専門家支配」を目指すしかないのではないか。若い人が多く専門家になって、老いた人が少なくなるようなものということで、人工知能あたりの利用に資格を設けてそれを若い人が取るみたいな形にするんだろうか?
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JRF2022/10/72124
原発増設(再稼動含む?)や火力発電増設に国際的な国家への税を課す…とかなれば穏やかだが、それを途上国と先進国の差なども考慮して公平に行うのはとても難しい。
JRF2022/10/76732
↓という記事を見て。
《民主主義国の人口、世界で3割未満に 新興国が離反: 日本経済新聞》
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN16DIW0W2A910C2000000/
>米ニューヨークで開催中の国連総会は3年ぶりの対面会議となったが、国連改革など具体的な成果は見えない。混迷の背景に強権国家の攻勢に加え、民主主義の劣化とそれに失望した新興国の離反がある。世界の10人に7人が強権国家に住み、民主主義はいまや3人未満――。
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JRF2022/10/71641