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ミルトン『言論・出版の自由 アレオパジティカ 他一篇』を読んだ。私は、法にも限界があり、限界の表現として天皇制を位置付ける。AI が人を支配するようになれば、法がプログラムとなる。ますます人が法とどう組んずほぐれつすべきかを考えねばならない。 (JRF 5766)

JRF 2023年1月22日 (日)

『言論・出版の自由 アレオパジティカ 他一篇』(ミルトン 著, 原田 純 訳, 岩波文庫 赤 206-1, 2008年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4003220617
https://7net.omni7.jp/detail/1102527182

『言論・出版の自由 アレオパジティカ』は 1644年、「他一篇」は『自由共和国建設論』で 1660年。著者のミルトンは、『失楽園』でも有名な「詩人」だが、解説によると、「イギリス共和国」を支えたラテン語に優秀な外務官僚でもあったらしい。

本編より先に解説から引用していく。

JRF2023/1/226325

……。

>十七世紀前半はチャールズ一世(1600-1649)による十一年間無議会の強健恐怖期であり、サラ・ピリオドと呼ばれる。

(…)

この圧政は1640年に下院がピューリタンの圧倒多数となって後退していく。その主力は長老派と呼ばれる信仰・政治集団である。しかし国家大権を手にするや今度はこの長老派が圧制者となる。ミルトンは彼らとの戦いに立たざるをえなくなる。『言論・出版の自由』は新たに現れた圧制者、長老派議会に対する抗議の書である。
<(p.170-171)

JRF2023/1/222729

いわゆる清教徒革命またはピューリタン革命と呼ばれる時期の話。ミルトンは、それまでブルジョワで哲学者的な人生を送っていたが、外務官僚として活躍するようになる。

JRF2023/1/222091

……。

>『言論・出版の自由』刊行の十六年後、1660年の初め、王制復古(…)の声が全国を覆い、共和制崩壊が目前に迫る。『自由共和国建設論』はこの中で書かれる。軍上層部に支えられていた独立派はその無力によって解体同然にあり、長老派は王制復古の共犯者となっていた。ミルトンが批判し忠告してきた議会そのものが消滅の危機に瀕している。『自由共和国建設論』は滅びゆく共和制の理念の再確認と共和国再生の建議であり、議会ではなく国民に直接訴えるものとなっている。<(p.174-175)

王制復古は間違いだ、共和制こそキリスト教(プロテスタント)に許されたものだ。…というのがミルトンの論調。

JRF2023/1/222165

……。

>(…ミルトンが…)いちはやく唱道した結婚と離婚の教会支配からの解放、言論・出版の自由、政治と宗教の分離、国家権力による個人の内面の支配の排除など、人権に関わる諸々の課題は、近・現代史の進行のなか不十分ながら実現されてきた。だが、この過程でミルトンの英知・鋭角は時代からずれ、そがれていく。

JRF2023/1/223884

ニーチェの言う「神が死んだ」十九世紀後半以降、自嘲し自己閉鎖する現代人の意識は自由飽食の幻想に取りつかれ、身を挺してまもらなければならない自由など知りもしない。本当は不自由な自己不安に脅かされているというのに。ミルトンは手に負えないもの、手に余るもの、ある批評家の言う「死せるモニュメント」になってしまった感がある。
<(p.175-176)

「表現の自由戦士」という揶揄があるが、むしろ、私はそう自任していて、結構、「身を挺してまもる」…つもりはあるんだけどな…。

JRF2023/1/225802

……。

>結婚と離婚が個人ではなく家と教会のものであった封建時代にあっては、愛は騎士と貴婦人の不倫と絶望の歌で表わされた。この宮廷愛[コートリー・ラヴ]に取って代わる近代個人の愛はまっすぐ結婚につながり、市民愛[ブルジョワジー・アムール]と呼ばれる。彼(…ミルトン…)は新しい愛を唱道し実践する先駆者であった。<(p.177)

ブルジョワジー・アムールの時代が現代に続いていて、それが現地妻の合法化に続いているのだろうか。

JRF2023/1/224796

[cocolog:92807829] でも言ったが、強姦罪を親告罪でなくした上での不同意性交罪の話は、基本的にある種の「結婚」をしなければ性交してはいけない…という話であるが、一夫一妻で永続的な通常の「結婚」以外の「結婚」を認めていこうという話になる。しかし、自由な契約による「結婚」は通常の「結婚」に比べ、条件がかなり劣後するのは目に見えている。現地妻を合法化し、海外で働く「エリートビジネスマン」にのみ有利な内容になるのではないか。

それはブルジョワ男性の求めるものであったというのはその通りだろう。それがなぜかフェミニズムから提案されているのが、現代の怪奇だ。

JRF2023/1/226066

……。

>(…)ミルトンにあっては、人は神によって自由な選択をする者として創造された。自分が自分で選ぶ自由、これが人間存在の証しである。ミルトンの人間理解の原則である。結婚と離婚を教会から解放するのは、神の冒涜どころか人間を創造した神の本意を体現するものである。<(p.178)

ミルトンは結構、自由意志論を支持する。プロテスタントであるにもかかわらず。でも、離婚はエロ本とかよりも子供に影響が大きく、完全に「自由」とするのは問題がある。教会が関与しないとすれば、世間の目がそれを抑えるのだろうか。それもまた不自由ではないかと思うのだが。

JRF2023/1/225423

……。

>国家主権者は投票した後は用済みにされる。<(p.188)

これは中国共産党が日本などを批判するときに使う言い回しとして聴いたことがある。ミルトンが元だったんだね。昔は、中国は日本との外交において、中国の古典を典拠とすることが多かったけど、むしろ西洋古典を参照するようになっている…という面もあるのかな?

JRF2023/1/221107

……。

>国民の大多数には選挙権がなかった。彼らは選挙権を求めて政治運動をする。分派や異端と蔑視され、議会令によって厳しく弾圧され、壊滅か沈黙を余儀なくされた。この差別時代に、ミルトンは、国家権力が反対者を分派や異端として分別してはならない、迫害してはならない、と繰り返して言う。彼を支えるのは神によって自由に創造された人間の聖なる尊厳信念である。ここに目を向けないとミルトンがなぜ自由のために身を挺して戦ったかがわからない。人間個人の尊厳を最も保障する統治が共和制であり、これを滅ぼしてはならないというのが、『自由共和国建設論』の眼目である。<(p.189)

JRF2023/1/228090

私は共和国原理を信じる王党派的な人間である。共和国は法治である。あとで書くが、私は、法にも限界があり、限界の表現として天皇制を位置付ける。天皇が法を超えるということではなく、法の下にあるとしても。

JRF2023/1/220613

……。

……。

「解説」はここまで。最初に戻って『言論・出版の自由 アレオパジティカ』を読んでいく。

JRF2023/1/227757

……。

検閲令について、三点の忠告がある…そのうち一点目二点目はおいておいて…

>第三は禁じている中傷、扇動、誹謗文書の取り締まりに、この法は何ら役立たないことであります。<(p.12)

日本では、誹謗中傷に関して、侮辱罪の強化がなされた。昔から、誹謗中傷は、言論の自由を圧する口実として用いられてきたのに対し、あまりにも警戒が少なかったのではないか…という反省が浮かぶ。

JRF2023/1/222305

私は情報の自由市場論を信じていて、その亜種として、マスコミでなされるものと違い、ネットでなされる中傷は、ネットを通じて一般人も反論できるから、マスコミでなされるものより大目に見るべきだと考えてきた。

近時、SNS で不釣り合いなほど誹謗中傷がなされるに及んで、その考えは修正を余儀なくされている。

ただ、誹謗中傷がなされたとき、それを RT した者に、強制的に反論を表示する(権利を与える)など、システム的にまだできることがあったのではないか…と私などは、まだ考えてしまう。

JRF2023/1/222129

……。

>以上見てきたように、書物検閲の発明者とその起源が暴露され、まぎれもない素性が明らかになりました。われわれが知る限り、検閲はいかなる古代の国家、社会あるいは教会から出たものでもありません。また古代あるいは後代のわれわれの祖先によって伝えられた法に拠[よ]ってはいません。また宗教改革をおこなった外国の都市や教会の近頃の慣行から来たものでもありません。最大の反キリストの宗教会議および歴史にはじまって以来もっとも非道な異端審問所から出て来たものであります。<(p.22)

JRF2023/1/223362

東洋には焚書があり、おそらくは「アレクサンドリア図書館の破壊」も似たものがあったとは思う。ただ、「検閲」が本格化したのは、活版印刷の発明以降で、それまではそこまで大規模な事前の破壊は必要なかったのだろう。反宗教改革までそれがなかったのは、活版印刷に対応が遅れていたということではないか。そして検閲の害が明らかになるのはさらに遅れた感じか。

JRF2023/1/228964

……。

>「すべてのものを識別し、良いものを取りなさい」というパウロのテサロニケ信徒への手紙の言葉<(p.26)

新約聖書 新共同訳では「テサロニケ信徒手紙一」の 5:21-22 >すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。<…とある。

ここが反検閲の言葉となるんだね。悪いものも含めて読むことが「あらゆる悪いものから遠ざかる」ためには必要だとミルトンは考えている。私もそう思う。

JRF2023/1/220390

……。

>この世という畑では、善と悪の知識はほとんど見分けがつかず、一緒に生まれてきます。善の知識は悪の知識とからみ合い、巧妙にあれこれ似ており、区別ができないほどです。<(p.29)

善い知識・悪の知識などそもそもなく、受け取る側のあり方で変わる…と私などは考えてしまうけど、ミルトンは、からみ合っているものの、善い・悪いはあるとは考えているようだ。そのあたりはカルヴァン派の予定説的かな…と思う。

JRF2023/1/227726

……。

>悪い習慣は書物がなくなければひろまりませんが、教師は書物によらなくても、口頭でひろげることができます。書物を禁止してもどうにもなりません。以上のことから、検閲の悪だくみは無益であり、実施は不可能であります。<(p.33)

これはスジの悪い反論だと思う。教師を抑えるという伝統が、書物の登場によって、ある程度無効化されたがゆえに、教師への統制がゆるくなったという面があるのだと思う。ここの言い方では、書物を検閲した上で、教師への統制が逆戻りしていくことになる。

JRF2023/1/222559

現代はプリンタとインターネットが登場して、さらに書物を抑えるのが難しくなっているのだが、逆に、数はある程度あるが少ない印刷所が政治力を失い、出版社が統制を求めるような形になってる面もあるのではないか。DRM もその流れから受け容れられているのかもしれない。DRM のために統制を求めているという話ではなく。

JRF2023/1/224597

……。

>プラトンは自分が書いた多くの対話篇よりも少ない書物で間に合う、慣行法程度の学問だけ容認し、それ以外の書物を布告で禁じています。裁判官および政治家が読んで許可するまで、詩人は自分が書いたものを市民に読ませるべきではないとしています。

だがプラトンは自分が想像した国家にこの法を適用しようとしたのであり、現実の国家に適用しようとはしなかったのは朗らかであります。彼自身この理想国家の立法者ではなく、違法者であります。
<(p.36)

表現規制の思想はプラトンの昔からあるんだね。

JRF2023/1/228179

……。

>罪を除けばそれと一緒に徳をも除きます。罪と徳は等しく人間の条件であります。<(pp.40)

少し違うが、人間、いちいち間違わないと身につかないということはある。間違える余地が確保されている必要がある。積極的に間違うべきかどうかは、議論のあるところだが、個人的には、そうしないと学べないことはあるように思う。特に若いうちは。

JRF2023/1/223386

……。

>真理と虚偽を組み打ちさせよ。自由にして公然と開かれた対決場で真理が負けた例がありましょうか。<(p.73)

>(…検閲という戦術をとる者は…)戦術では勇んでいるが、真理の戦いでは弱者であり、臆病者であります。真理は全能者に次いで強く、政略も戦術も要りません。これらは誤謬が真理に対して用いる防御の術策にすぎません。<(p.74)

…これは論争に強い者の言い分だな…。口先の達者じゃない者を無視している。これでは広い支持は得られない。

JRF2023/1/227343

事前検閲をさせないためには、まずどんな意見でも両者の意見は開陳する…それがフェアだというところに持っていくしかないのではないか。

秘密やプライバシーの開陳については、公人と私人で考え方も違うだろう。

JRF2023/1/224132

……。

>禁止しようとすれば、一番禁止しやすいのは真理であります。偏見や慣習でかすみ、ぼんやりしているわれわれの目に映る真理の姿は、誤謬よりもっとひどいものに見えます。それは多くの偉大な人の風采が、見たところ大したものではなく、卑しく見えるのと同じであります。<(p.76)

真理が強いのは、>自由にして公然と開かれた対決場<においてのみであって、そうでないところでは、むしろ虚偽・デマに見劣りしてしまう…と。

JRF2023/1/229841

でも、私は、真理はときに若く弱いときがあって、粉飾したり、相手によっては譲ってあげたり…といった配慮も必要なように思う。真理だけで勝とうとするのは、できるかもしれないが、ときに無謀であったり無慈悲であったりする。

JRF2023/1/220532

……。

……。

最後に『自由共和国建設論』について。

JRF2023/1/223008

……。

>われわれは神と王という相反する二人、あるいは王と王とよりはるかに高い法の二つに仕えることはできない。<(p.87)

最近、「グローバル共有メモ」に次のようなことを書いた。

JRF2023/1/221036


○ 2023-01-15T19:06:41Z

私の自由に関する「信念」はイラク戦争のころにはじまる。イラク戦争になぜ先進国の若者が参加しなければならないのか? 国のためと言ってもアメリカという国に何があるのか? 極言すればそれは自由のためではないのか?…と。未来に人類が自由になるためではないか…と。

自由に関してはよく言うんだけど、ウォークマンを買う自由のためには、エロ本を買う自由のためには何が必要かと。労働者だって消費者だって文化だって必要になる。そして、そのために国はある…と考えることになる。自由のために副次的に国のために戦うのだ…と。

JRF2023/1/227970

それが日本の国でどう成り立つか。憲法では異物として天皇制を含んでいる。しかし、そこに法の限界が現れていると見るのだ。よくわからない何か・それは法を超える何かがあり、それは即物的には、身体的な・伝統的なもので支えていくしかない。それが未来の・人類全体の「自由」につながるようにすればいい。

青臭い議論かもしれないけどね。私は信じてるんだよ。

JRF2023/1/220283

自由をこころざしながら、ある程度の組織を必要とすれば、その組織のルール=法に気が向くようになる。しかしそれが「自然法」であっても、言葉による法は人のものでしかない。それには限界がある。

日本国憲法ではその限界は天皇制の記述に現れていると端的にはできる。天皇が法を超えているのではない、あらゆる人間にとって、法はやり過ぎなところがあるというだけだ。たまたま、その人間の例として天皇が挙げられているというのが法から見た解釈になろう。

JRF2023/1/221794

では、その「齟齬」がミルトンのいうように、「高い法の二つに仕えることはできない」ようなこともありうるのではないか? それはありうるかもしれないが、今は顕在化していない。その僥倖を多とするべきだ。

以前、妄想的状態のとき、「日本國携帯用憲法」(素案)として次のような事を書いた。

JRF2023/1/227511

《法を体現させる - JRF の私見:雑記》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2006/10/post_2.html
>日本はほうち国家であり、法は守るべきです。しかし、法をつくった者と人との間にはスキ間があり、そこで争いはおこるものです。人のふりみて我がふりなおせといいます。忘れてはならないほうは、法でも人でもなく、「法が人を生かせる野ではなく、人が法をいかすのである」ということだと私は信じています。<

JRF2023/1/223312

人と法は組んずほぐれつしていくべきで、そこには言ってみれば愛のようなものが必要で、それは天皇制についてもそうなのだと思う。齟齬を顕在化させないためには、事前にそこに致らせない努力ももちろん必要だと思う。

AI が人を支配するようになれば、法がプログラムとなる。その非人間性または過度な人間性に対し、ますます人がどう組んずほぐれつすべきなのかを考える機会が増えるだろう。

JRF2023/1/227401

……。

>戦闘の敵の数の大以上に、大事な協議における腐敗あるいは軽信の投票数の大のほうがより危険なのであり、これをたやすく認めてはならない。<(p.89)

ミルトンは普通選挙や多数決を嫌っているようだ。終身の議員制を支持し、それが腐敗するなら、何年かに一度、三分の一ずつ入れ換える制度を推している。

なお、私は、今後の日本は、中国との対抗上、民主主義の体裁を保つべきだが、超高齢化により高齢者の意見のみがまかり通ることを嫌い、ある種の若者官僚や専門家による専制的支配が必要と考えている(参: [cocolog:93844439])。

JRF2023/1/227999

……。

>キリストは言う、「異教の人の王は彼らを支配していう。彼らの上にあって権威をふるうものが恩恵者と呼ばれている。だが、君たちはそうあってはならない。君たちのうち最も偉い者は年少者のようにあるべきであり、長たる者は仕える者としてあるべきである」。<(p.95-96)

この部分は新共同訳では、例えばマタイによる福音書 20:25-28 にある。

JRF2023/1/220175

>そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」<

JRF2023/1/220867

ここをミルトンはキリスト教徒が認める君主は未来に再臨するキリストただ一人であり、そうでない今は、共和国が理想なのだと解釈する。

JRF2023/1/226731

……。

>国民の主権はこの国家総評議会に委譲されてはならない。ただ代議され預託されるものである。<(p.103)

これは「解説」の>国家主権者は投票した後は用済みにされる。<(p.188)…に類する表現だろう。

JRF2023/1/223889

……。

>議会は交代制だという先入観があるから、次のことを聞くと奇妙に思われよう。私は正しく選ばれた議会は常時終身であるべきだと断言する。<(p.104)

>最近ある人たちによっても提案されたように、年ごとに(期間は長ければいっそうよいが)、メンバーの三分の一を選挙で交代することである。こうすれば終身制から生まれる専制権力の固定を防ぐことができる。

輪番交代制と呼ばれるものである。しかしこのような輪は運命の輪とあまりに似ているから、国家の場合には避けたいところである。
<(p.105)

JRF2023/1/228054

ここのことは上で述べたから繰り返さないが、あまり関係ないことを…。

私は、衆議院の65歳定年制や男女1/3の固定枠(パリテ)を支持している。しかし、それを具体的にどう実現するかは難しい。

定年制については、憲法の規定なくそんなことをして良いのか…という問題があるし、じゃあ、今の高齢の議員がそういう法律を作るなんて、力学をどう発生させるのかという問題がある。

JRF2023/1/222094

パリテについても、同じ問題がある上に、制度として、どう選挙制度を作るのかという問題がある。比例代表に近い制度なら容易かもしれないが、単純小選区制では、男女交代制でもやるのだろうか? 難しい。

いずれも、それらをしない政党が支持されない…という形を作るしかない…というのが現状だが、そううまくいくものか…。

JRF2023/1/225738

……。

注にうつる。

>イギリスの外交上の実力はチャールズ一世の処刑によってもほとんど改善されなかったが、1658年までのオランダに対する海軍の勝利、フランドルにおけるスペイン軍に対して、フランスとの共同による戦勝によって、イギリスはヨーロッパで最強の国となった。<(p.153)

イギリスが最強の国になったのは共和国時代なのか。それは知らなかった。君主国日本だからそういうのがあまり教育されていないのだろうか?…いや、単に私の知識不足だな orz。

JRF2023/1/223888

……。

>神の地上の代理人としての王という王党派の主張は、普通は「ローマの信徒への手紙」第13章1節に基礎を置いていた。<(p.159)

新共同訳ではローマの信徒への手紙 13:1 は…

>人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。<

JRF2023/1/227999

……。

>ミルトンは(…ギリシアの民会…)彼らに対するアリストテレスの言葉、すなわち彼らの出生の卑しさゆえに貧しく、そのため買収されやすく専制的になるという批判(『政治学』第二巻九章)をよく知っていた。<(p.162)

出生の卑しさゆえに…というのはあれだが、政治家にちゃんと給料を出さないと腐敗するというのはそうだと思う。出版事業などで支えられる政党もあるようだが、特に現代においては一般化しがたいと思う。

JRF2023/1/226856

……。

……。

追記。

○ 2023-01-22T02:23:39Z

天皇制は限界を表現するものであっても、法を超えるものではない。法はそれを無理にかもしれないが取り込みそれは法の中にある。そこに生きた関係がある。

JRF2023/1/245093

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