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アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』を読んだ。企業経済小説であり、少し SF でユートピア小説の要素を持ち、ギークで経営者の女主人公による三人の男性遍歴の小説であった。所得税を許さないあたり私はイデオロギー的に相容れなかった。 (JRF 1061)

JRF 2023年8月18日 (金)

『肩をすくめるアトラス (全三巻)』(アイン・ランド 著, 脇坂 あゆみ 訳, アトランティス, 2014年12月-2015年3月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4908222010 (第一部 矛盾律)
https://7net.omni7.jp/detail/1106587676 (第一部 矛盾律)
https://www.amazon.co.jp/dp/4908222029 (第二部 二者択一)
https://www.amazon.co.jp/dp/4908222037 (第三部 A は A である)

JRF2023/8/189976

原著は Ayn Rand『Atlas Shrugged』(1957年)。アイン・ランドの著作のうち『利己主義という気概』(2009年01月10日のひとこと)を私は読んだことがあった。

非常に長い小説。アイン・ランドの哲学的・思想的な「利己主義」が強く反映された作品。あらすじは…。

JRF2023/8/187842

主人公は、鉄道を実質的に経営している女性副社長 ダグニー・ダッガート。アメリカ経済が傾きつつ、なぜか重要な経営者が次々失踪していく時代。本物のアメリカというよりも、世界は「イギリス民国」「ノルウェー民国」など、現実とはちょっと違う SF な舞台設定である。

優れた経営者・技術者による自由な経済を主人公(達)は求めるのに対して、「敵」は、福祉や愛を重視して人に犠牲になることを「自分の意志」で選ぶことを強要することが描かれる。

JRF2023/8/188369

「敵」の制度的攻撃や、経営者の失踪で、どんどん苦しくなる鉄道経営。そんな中、経営者の失踪の背後に、ジョン・ゴールトという人物がいることが浮かび上がってくる。

そしてほぼ偶然の事故によって、ジョン・ゴールトや失踪した経営者達が隠れている「ユートピア」にダグニーはたどりつく。彼ら経営者および本当の知識階級は、社会に対して「ストライキ」をしていたのだ。ダグニーももちろん誘われるが、ダグニーは外の世界の特に自分の鉄道が破綻していくのを見過ごせず、元の社会に戻る。

JRF2023/8/185093

ついに、社会が破綻するとき、ジョン・ゴールトは、ほとんどわざとアメリカ政府につかまる。ジョン・ゴールトは「支配してくれ」という「命令」を受け容れない。

最後はニューヨークの灯りが消える。ダグニーはジョン・ゴールトの勢力についに合流し、ジョン・ゴールトは仲間達に武力に対した武力で助け出される。世界が文明を失なったあと、ジョン・ゴールト達はやっと再び社会に戻ろうか…というところで物語は終る。

JRF2023/8/188092

……。

ダグニーは小説の中で三人の男性に恋愛遍歴する。最初の相手はフランシスコ・ダンコニアで、彼はダグニーの幼なじみの世界的銅生産企業の御曹司でとても優秀であった。しかし、この小説の開始時には、「堕落」しており、女性などをはべらして、パーティに明けくれている。しかし小説が進むとそれが演技であったことがわかる。

JRF2023/8/180155

小説の第2部までの恋愛相手は、妻のいる不倫のハンク・リアーデン。彼は、リアーデン・メタルという特許技術を元に小説の中を通じてメキメキと力を付ける技術者兼経営者。モラルも高く、理解のない妻や家族との関係に苦しんでいた。フランシスコ・ダンコニアとダグニーをめぐって拳で語り合うこともあった。

JRF2023/8/180705

小説の第3部になると恋愛相手は、ジョン・ゴールトになる。ジョン・ゴールトはフランシスコ・ダンコニアの友達だが、決して出自が良いわけではない。しかし、超技術のモーターを発明した技術者で、哲学者として、ストライキした知識階級をまとめるリーダーとなっている。

三人の男性は基本的にお互いのことを認め、二人はダグニーのことを譲る構造となっていて、なんとも女性に都合がよいのは、この小説が娯楽小説であることも示しているということだろう。

JRF2023/8/187698

主人公は、最終的に技術者を選ぶわけだが、その辺は、保守主義にとっても技術が大事で、技術者が女性に選ばれて欲しいという願いがあるのかもしれない。しかし、ジョン・ゴールトは単なる「ギーク」ではなく、美貌の青年であるところ、現実のギークには求められるものが大き過ぎるかもしれない。

小説の読みはじめのころは、ダグニーなどは「陽キャ」だと思っていたし、結局は最後までそうだと思うが、でも、作者の中では「陰キャ」のギークに寄せた造形なのかもしれない。

JRF2023/8/182604

ところで、この「ひとこと」を書いてるときにギークの恋愛をめぐって次のような Tweet があったので、それを参考に挙げておこう。

JRF2023/8/188028

《大豆職人(美少女):X:2023-08-15》
https://twitter.com/morypto29/status/1691394781942095872
>理系の大学院を出たような高度人材が、メス一匹確保するためにナンパだの婚活だの恋愛工学だの、バカみたいなことにリソースを割かなきゃならない社会とか非効率すぎるだろ。

ある程度の年齢になったら上司なり親戚なりが適当な女を見繕ってあてがうような慣習があれば、社会の生産性も上がるのにな。<

JRF2023/8/181272

《Licca Tanuma, Ph.D.:X:2023-08-16》
https://twitter.com/tkmpkm1_mkkr/status/1691623287158432088
>マジで高学歴エリート理系人材だったら、普通にそういう制度があってもおかしくなかったように思う。すくなくとも昭和時代はそういうのは「お見合い」の形出会ったと思うんだが、それがなくなってしまって、高学歴エリート理系人材が結婚するルートがなくなってしまった(イケメンなど除く)。<

JRF2023/8/189422

確かに、お見合が効率的な部分はあると思う。女性経験が少ない男性は男性経験の多い女性を好まないというのもある。女性にしてみれば、そういう社会は不自由が過ぎるのかもしれないが。

JRF2023/8/187295

そういう点で、女性も作業にかまけていて恋愛にリソースを割いていないが、恋愛に興味がないわけではないというのを現す生き方として、同人誌活動などがあったのかもしれない。しかし、それをお見合い的マッチングに活かせなかった。そのあたり、何かできたことがあったのだろうか? もう私自身は結婚は考えられないが、今後の社会での他者の結婚を促進していく上で、考えることはある。

JRF2023/8/180793

話がそれた。

ここからは引用を中心にいろいろ語っていこう。

JRF2023/8/182485

……。

ハンク(ヘンリー)・リアーデンの弟、フィリップは、ろくな仕事をせず、兄の元で暮らしている。政治的なロビー活動のようなことはしているようだ。ハンクの妻、理解のない妻は、リリアン。

リアーデン・メタルがやっと出鋼されたその日、ハンクはフィリップの団体に1万ドルの寄付を約束する。

JRF2023/8/182430

>「親切だね、ヘンリー」フィリップは淡々と言った。「驚いたよ。あなたに期待していなかったから」

「フィル、わかってないわね」リリアンが、妙に澄んだ軽やかな声でいった。「ヘンリーは今日彼のメタルを出鋼したのよ」彼女は夫のほうを向いた。「あなた、今日を国民の祝日にしましょうか」

「おまえはいい人間だよ、ヘンリー」母親がいった。「しょっちゅうじゃないが」

JRF2023/8/189230

リアーデンは何かを待つように、フィリップの顔をじっとみつめていた。

フィリップは目をそらし、しばらくして顔をあげ、探るようにリアーデンの目をみた。

「本当は恵まれない人たちのことなんてどうでもいいんだろう?」フィリップがたずねた -- リアーデンは弟の声が非難がましいことに耳を疑った。
<(第1部 p.70)

JRF2023/8/181242

私はこのフィリップのように家族に巣喰って生活している。フィリップは団体のために働いている分、私よりマシだ。でも、フィリップの「苦労」は私にはよくわかる。何か新しいことをしようとしてできなかった。今さら別の努力をするには遅過ぎる。そういう失敗者として、同じ失敗者のために働くのが一番よいのかもしれないと思う。それも自然なことではないか。

JRF2023/8/180574

ところで、この『肩をすくめるアトラス』はとても分厚く長い小説なのだが、このような小説を読めるというのは、「有閑階級」で、フィリップやリリアンのような人々が多いのではないか。そういう人々がどう見えているかを別の視点から見せる…という点で、単なる娯楽小説にない価値を彼らに提供しているのかもしれない。

JRF2023/8/181283

……。

若いころのダグニーがフランシスコに問う。

>「フランシスコ、もっとも堕落した人間ってどんな人間のこと?」

「目的のない人間のことだ」
<(第1部 p.161)

JRF2023/8/180897

東洋儒教の孔子から流れる考えにおいては 「中庸」が尊ばれる。「中庸」をつらぬくためには、社会が豊かに正義がなされるようにといった社会全体の抽象的な目標はあっても、個人の目的は、極端を求めるものとして排除されがちかもしれない。結果だけを追い求めないということで、それはそれで意味のある考え方だと私は思うが、「機会の平等」信者には受け容れがたいのかもしれない。

JRF2023/8/183094

《「結果」の平等、「機会」の平等 - JRF の私見:税・経済・法》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/02/post_2.html

JRF2023/8/182895

……。

「結果の平等」を求め、共産主義的というより社会主義的というか、必要に応じた分配の「実験」を行った「二十世紀モーター社」は、過去すぐに滅んでいた。その改革を行った創業者の子孫たちの一人ジェッド・スターンズ。彼から会社を買ったリー・ハンサッカーもろくでもない男で、会社がうまくいかなかったのを他人のせいにばかりする男だった。会社もすぐに崩壊させ手放した後、彼は落ちぶれた生活をしながら次のように言った。

JRF2023/8/183692

>「そう、誰かがチャンスをくれさえすれば僕は自伝を書くだろう」彼はいった。「こんなことしなきゃいけないときに真面目な仕事に集中できるもんか!」<(第1部 p.513)

この醜い姿が私に重なる。私もモノを書くだけに「逃避」して、「真面目な仕事」などできないと考えている、能力的に。

JRF2023/8/187304

……。

「敵」が著した本『なぜ自分が考えると考えるのか?』を「敵」に近付き過ぎたロバート・スタッドラー博士が読む。その本には次のような文章がある…。

>「思考とは稚拙な迷信のことである。理性は非合理的な観念なのだ。人が考えることができるという子どもっぽい概念が、何にもまして人類に高くついた過ちである」

「自分で考えたとあなたが考えていることは、リンパ腺、感情、つまるところ、胃の中身によってつくられた幻想である」

(…)
<(第2部 p.8)

JRF2023/8/180237

この辺とはあまり関係がないのだが、LLM (Large Language Model) などの AI のことを思った。また、LLM が起こすハルシネーションのことを。幻想はそれはそれで思考に大事なのではないか。

JRF2023/8/180917

……。

>「スタッドラー博士、おそらく『プロジェクトX』という言葉を口外なさらないほうが賢明ではないかと」<(第2部 p.15)

『プロジェクトX』。NHK のドキュメンタリーシリーズで昔あったが、そういう意味があったのか。ちなみにジャッキー・チェンの映画は『プロジェクトA』。

JRF2023/8/185194

なお、『プロジェクトX』は小説のこの時点では何かがわからないが、後に、音波で物や生物を破壊する周辺兵器であることが明らかになる。そして、その兵器は完成するが、活躍することなく「自壊」する。

犠牲を求める「敵」が「自壊」するのは宿命なのかもしれない。

JRF2023/8/181738

……。

政府は勝者の生産を抑制する法律を作った。リアーデンは経済のため当然それを破ることになる。そして、それを根拠にリアーデンを支配しようと、政府の頭脳フェリス博士がやってくる。フェリス博士はいう。

JRF2023/8/183543

>「あんな法律を守ってほしいなんて思うものですか」フェリス博士がいった。「破ってほしいのです。あなたの相手はボーイスカウトのガキじゃありません。きれいごとですむ時代じゃない。我々は権力がほしい。本気です。そちらはけちな賭けにでたが、本当のタネがわかっているのは我々です。だから賢くなったほうがいい。潔白の人間を支配する方法はありません。あらゆる政府の唯一の権力は犯罪者を取り締まる力です。で、犯罪者が足りないときはそれを作るのです。(…)」<(第2部 p.169)

JRF2023/8/187237

リアーデンは冷たくあしらう。日本の微罪での逮捕などを思う。

JRF2023/8/186811

……。

リアーデンの妻リリアンは、リアーデンの不倫にそれとなく気付いてそれでリアーデンを操作しようとする。でも、それができるのはリアーデンに美徳が少なくとも残っているからである。彼女らはまるで美徳を罰しようとしているかのようだ。リアーデンは考える…。

JRF2023/8/185558

>だが彼女の行動規範は何なのだろう? 犠牲者その人の美徳を糧にする罰の概念をなりたたせる規範とはいかなるものか? その規範に則ろうとするものだけを破壊する規範とは。そして正直者だけが苦しみ、不正直な者は無傷でかわせる罰とは。だが美徳をもつことは苦しむことであると考え、悪徳ではなく美徳を苦悩の源と原動力にする以上に卑劣で破廉恥な行為を考えられるだろうか?かりに彼が、彼女が自覚させようと躍起になっているようなゴロツキだとすれば、おのれの名誉や道徳的価値を問題にしないだろう。彼がそうした人間でないならば、彼女のもくろみの本質は?

JRF2023/8/181857

彼の美徳によりかかりながらそれを拷問の道具として用い、犠牲者の寛容さを唯一のゆすりの手段として恐喝をおこない、善意の贈り物を受け取って贈り主の破壊の道具にすること……彼はじっと座り、言葉にしてはみたもののありうるとは思えない恐るべき悪の公式に思いをめぐらせていた。
<(第2部 p.218)

JRF2023/8/185149

悪の公式とは何か?

正しいことを悪とし、不正を不正で取引しようとする。

…ことだろうか。相手がより多く不正をなすことを望み、それで自分を有利にしようとする悪。悪に向かう負のスパイラル。それこそ深刻な悪ではないのか。…ということだろうか。

JRF2023/8/188733

……。

この世界では海賊ラグネル・ダナショールドが跋扈している。彼がピンチのリアーデンの前に現れる。彼は「所得税」として奪われた富をリアーデンなどのために金地金で積み立てているという。

JRF2023/8/185641

>リアーデンは侮蔑的な笑みを浮かべた。「君は非営利事業に時間を費やして他人に奉仕するためだけに命をかける馬鹿な利他主義者と同じじゃないのか?」<(第2部 p.404)

でも、利他行為は必要だと私はいつか気付いた。私も昔保守主義的利己主義者だったが、研究で挫折したことなどがあってか、利他主義や宗教について理解するようになった。

《IT 革命と私 - 神学の忌避の向こう - JRF の私見:雑記》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2010/11/post-2.html

JRF2023/8/186181

……。

『プロジェクトX』が完成する。それに立ち合わされたスタッドラー博士。

>(…フェリス博士に…)スタッドラー博士はたずねた。「あの気味の悪いものを誰が発明したんだね?」

「あなたです」

スタッドラー博士は身じろぎもせずに彼を見た。

「あれはあなたの理論的な発見に基づいた実用装置です」フェリス博士は機嫌よくいった。「宇宙線とエネルギーの空間伝導の性質に関するあなたのきわめて貴重な研究から導かれたものです」
<(第3部 p.207)

JRF2023/8/188573

あまり関係ないが、『プロジェクトX』の目に見えない波動的性質から私は 5G 陰謀論などを思いだした。

スマホなどの 5G に関する陰謀論は単なる嘘ではあるが、大使館などを音波や電波で狙った事件などが話題になるぐらい、それらを兵器にできること自体は事実である。5G 網を、あらゆる人に狙いをつける兵器とすることも不可能ではないと思われる。そこへの不安が、陰謀論に根拠を与えているのだろう。

JRF2023/8/186588

……。

カフィー・ミーグスという人物がこれまでの政府系の人物とは違うタイプのものとして現れる。少しの間いなかったダグニーの代わりに鉄道に送られた役人だ。彼は、コネを利益に変えることに関心があり、そのために破壊が進んでも気にしない「ハゲタカ」である。彼は最終的には自分の軍を形成して、『プロジェクトX』に立てこもり、その自壊を引き起こす。

JRF2023/8/180495

>どの惨状が人道主義者によって、どれが大っぴらな夜盗によってもたらされたのか区別する方法はない。どの略奪行為がローソンのような者たちの慈善欲に促され、どれがカフィー・ミーグスの飽食によるものだったか -- どの地域が飢餓寸前の別の地域に糧を与えるために犠牲になり、どこがコネの行商人にヨットを提供するために犠牲になったのかを見分ける方法はない。

JRF2023/8/186753

重要なことだろうか? 双方は精神において類似しているのと同様に事実において類似しているのであり、どちらも必要を有しており、必要は財産への唯一の権利とみなされており、どちらも同じ道徳律を厳格に遵守して行動している。どちらも人間は犠牲にされて然るべきであると主張し、どちらもそれを実行している。<(第3部 350)

慈善欲に促される者と夜盗はそれでも違うだろう。分配は必要悪とした場合、その効率性をまがりなりにも追及できるのは前者だろう。

JRF2023/8/186091

……。

カフィー・ミーグスなどは生産物がどこからやってくるか理解していない。

JRF2023/8/189475

>ここに、自分の啓示を道理として、「本能」を科学として、渇望を知識としてきた書斎と教室の詐欺師の目標がある。それは非客観的であり、非絶対的であり、相対的であり、一時的であり、推定的である野蛮人 -- 収穫を見ても因果律には縛られない農民の全能の気まぐれによって生みだされた神秘現象としかみなさず、農民を捕らえ、鎖でつなぎ、道具と種と水と土を奪い、不毛の岩に押しやって「さあ作物を育てて糧をよこせ!」と命令する野蛮人すべての目標なのだ。<(第3部 p.355)

JRF2023/8/183521

その、兵站を重視しない軍隊みたいなものはありえないわけではないが、そういう者は勝てない。戦争の否定は正しいが、それが、こういう人物を作ってる面はある。

JRF2023/8/185523

……。

ジョン・ゴールトは世界に向けて演説する。その中で…。

>善とは人が理解するものではなく、人の義務は這いつくばって幾年もの苦行をかさね、よくわからない負債を回収する得体の知れない者におのれが存在することの罪を贖うことなのだから。その価値の概念は無だけであり、善とは人間でないものなのだから。この化物のような不条理が原罪とよばれているものだ。<(第3部 p.530-531)

JRF2023/8/186516

キリスト教批判。私は原罪についてはあまり語ってないかな…。神の脳の合わせ鏡にうつる無限の人間の像の中に、罪が固定されている。キリスト教に入れば、それは許されるということではあるが、それも含め罪と組んずほぐれつすることが、人間という存在を形づくる。その意味は、罪をあがなうための生存の権利を(無意識的に)信じることにあるのかもしれない。そこが問われる弱者にならねばわからないこと…でもないと思うが、わからないふりはすべき者もいるのかもしれない。

JRF2023/8/185883

keyword: 原罪

《『創世記』ひろい読み - 知識の実》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/___cfef.html

《『創世記』ひろい読み − 神の像・似像》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/01/post_1.html

JRF2023/8/182830

……。

ジョン・ゴールトの演説はつづく…。

>合理的な価値から生まれた願望を持つ有徳の人物にとって、犠牲とは正しいことを間違ったことに、善を悪に引き渡すことだ。<(第3部 p.537)

いや、弱者が実際いるのだから、生まれるのだから、分配に「犠牲」は必要だろう。「(所得)税」は分配のために必要だ。「夜警国家論」には私は組みさない。

JRF2023/8/182223

[aboutme:118456]
>夜警国家論の問題は、例えば、税務や障碍者支援を民間でやるとしてもその管理を警察がやるのか、プライバシーは秘密だから軍がやればいいのか…と考えると、すぐ無理があるのがわかる。さもなければ国家を果てしなく肥大させるという意味での「ファシズム」になる。

JRF2023/8/188824

「軍」を核に国家をなしたのが事実だとしても、工人や外交などを軍が管理したかというとそうではない。夜警に慎むのが国家理念の欠かせない一面としても、それだけあるのが「自由」だとするのはあまりにもナイーブだ。<

JRF2023/8/183176

[aboutme:127448]
>自由を尊重して「他者」を守ることに慎むのは軍だけでなかったといつか気付くようであって欲しい。公務員とその周りの集団も私個人も、そうあれたらいい。私は「夜警国家論」は寂しすぎると思う。<

JRF2023/8/187475

……。

>神秘家の教義がなしとげた成果といえば破壊だけであり、今日諸君が目撃しているのもそれだけだ。かれらの行為がもたらした荒廃を目にしてもなお、その教義についてかれらが疑問を抱くことがないとすれば、愛に動かされていると公言しながらも、人間の死体の山に怖気づくこともないとすれば、それはかれらの魂が、実は諸君が許した卑劣な弁解、すなわち、目的が手段を正当化し、かれらがもたらす恐怖はより高い目的のための手段であるという弁解よりもよこしまだからである。実はその恐怖こそがかれらの目的なのだ。<(第3部 p.563)

JRF2023/8/183363

拙著『「シミュレーション仏教」の試み』において、本目的三条件「来世がないほうがよい」「生きなければならない」「自己の探求がよい(改め「思考と思念を深めるのがよい」)」という枠組みを挙げた。思考を深めることが生きることを有利にするようにそれぞれはの条件は互いに独立ではないが、それぞれ違う価値を表している。

JRF2023/8/185695

違う価値であり、その一つが「生きる」ことである以上、それ以外を重視するということは、ときに「生きる」ことを選ばないことを意味する。そういう意味では神秘家が、「生きる」に反する…「死」を指向することがありうることはやむをえないと私は思う。

ジョン・ゴールトの枠組みに沿えば、ジョン・ゴールト達が「思考と思念を深めるのがよい」を代表しているのであり、そうすると「生きなければならない」を代表するのが軍隊ということになろう。「思考と思念を深めるのがよい」を「生きなければならない」よりも重視した結果、人々が死んでいくのを見過ごしているのがジョン・ゴールトとも言えるだろう。

JRF2023/8/180532

しかし、「思考と思念を深めるのがよい」は狂信に導かれることがあるというのが私の枠組みから導かれることだった。ジョン・ゴールト達は科学に根拠があるため、そういうことはありえないと思っているのかもしれないが、人が増えるにつれて、子供が増えるにつれて、その問題にぶちあたるだろう。そこでは「来世がないほうがよい」に相当する「神秘家」の必要性にやがて気付かざるを得ないのではないだろうか。

『「シミュレーション仏教」の試み』(JRF 著, JRF 電版, 2022年3月11日)
https://www.amazon.co.jp/dp/B09TPTYT6Q

JRF2023/8/185983

……。

>唯一適切な政府の目的は人権の保護、すなわち人民を暴力から守ることだけだ。(…)だが他人に何も強制していない人間に対して武力を行使し、無防備な被害者に対して軍を介して制裁をおこなう政府は、道徳を完全に破壊すべく作られた悪夢の装置である。<(第3部 p.588)

軍が民間人に武器を向けてはいけない。それはそうなのだが、他国の軍が自国の民間人を企業を狙うことがあるがゆえに、自国の軍が必要で、それを根拠に税を取れるという側面はある。

JRF2023/8/186272

……。

あとは小説の最後まで行くのであるが、引用はなしで…。

ダグニーの幼なじみで弟のようなエディー・ウィラーズがなぜあんなに苦しむラストを迎えねばならないのかはよくわからなかった。アイン・ランドのような女性にとって、ああいう生き方が、善良なサラリーマン的あり方が、許せない・魅力を感じない…ということだろうか?

JRF2023/8/181062

……。

最後に。

この本は読むのにかなり長くかかったが、その間に、>独立を尊ばず依存から始めることを求める「資本主義」に何の価値があるんだ?<([cocolog:94363035])…とか、>日本の未来に対するビジョン<([cocolog:94354877])…とかを考えたりした。

アイン・ランドが示す理想は非現実的だとは思う。しかし、理想としての価値はあり、現代の日本が落ちている陥穽に対し、ある種の処方箋としての意味はあるとは思った。

JRF2023/8/185044

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