« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »

cocolog:94417533

Hieros Phoenix『必修魔術論』を読んだ。「錬金術」は秘術でなければならないが、この本に関しては、秘密にして人を誘う要素が少なく、すでに秘密を知る者に外部に説明するための語り口を教える「護教の本」という印象を持った。 (JRF 5386)

JRF 2023年9月18日 (月)

『必修魔術論: アレイスター・クロウリーと〈大いなる作業〉』(Hieros Phoenix 著, 国書刊行会, 2023年8月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4336075433
https://7net.omni7.jp/detail/1107433226

JRF2023/9/185896

最近、『宗教学雑考集』(仮題)というこれまでこの「ひとこと」などに書いてきた宗教(哲)学的つぶやきを雑駁に集めたものを書きまとめている。そこで参考にできるものはないかと思っているときに、Twitter で紹介され Amazon の新刊として現れてきたのが、この本。

現代魔術の本だが、この本を読む限り、それは精神修養技法でしかなく、組織の系譜と儀式とヨガが活動の中心になるようだ。悪魔を使役するような儀式もするのだが、そこに現れるのは自分の内面にあるものというスタンス。

ただ私は現代魔術につながる錬金術について次のように書いている。

JRF2023/9/188570

《錬金術》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/post_11.html
>「錬金術」で象徴される宗教技術には二つの側面がある。一つは、金のように決して「実用的」ではないものに永続的な価値があることを、人々に認めさせるための方法という側面(金を作り出すという側面)。もう一つは、秘術を秘術として伝達するための組織法という側面(金は作れないと思わせる側面)である。<

JRF2023/9/185068

この本に関しては、秘密にして人を誘う要素が少なく、すでに秘密を知る者に外部に説明するための語り口を教える「護教の本」という印象を持った。「必修」なのは、情報社会の現代に生きる魔術者はそのような「偽装」を覚えなければやってられないということだろう。関心を持つ者の中から人を選び、それ以外は、本当に魔術をするところから遠ざける本とも言えるかもしれない。

ここからはいつものごとく引用しながら語っていく。

JRF2023/9/183901

……。

>さて『魔術: 理論と実践』の冒頭でクロウリーが述べているように、それは本当に万人のための書、初心者を含むすべての秘教学の志願者たちのために書かれた入門書なのであろうか? 一部の著述家たちは、初心者にとってクロウリーの著作は毒を含んでいると警告している。この場合の毒とは、ずばり「誤解」という名の毒であろう。たとえば、クロウリーが「血の犠牲」や「サタン」について語るとき、そこには当然想定されるような黒魔術的要素は一切含まれていない。「血」とは「生命」そのものであり、彼は魔術師の献身と愛の比喩として「血」という言葉を用いている。

JRF2023/9/181090

また彼はキリスト教が想定したような「全き悪」としての悪魔像を嘲笑していた。クロウリーにとってのサタンとは高潔なる神、父、太陽、そして創造の主催者なのである。
<(p.045)

唯一神の創造の一部としてサタンがいる…とか、純然たる悪はない…とか、とは違うのだろう。危険な火遊びのように私は思う。

JRF2023/9/183886

……。

>もちろん、彼が『魔術: 理論と実践』の12章で書いている有名な「無垢な男子の生贄」を毎年平均150回捧げた。という記述はたちの悪い冗談である。彼は「東方聖堂騎士団」の第8位階の魔術作業を覆い隠すために、このたちの悪い冗談を使わざるを得なかったのである。<(p.046)

カルタゴで人身供御が行われていたというとき、実際には子供の犠牲ではなく、それを理由とした兵士の自己犠牲が求められた…というスジを私は小説に書いたことがある(↓の『水竜狩り』)。

JRF2023/9/183497

《エアロダイバー 他五篇 - JRF - Amazon Kindleストア》
https://www.amazon.co.jp/dp/B01CEE9CW6

そういう象徴的なものもあるかもしれないが、古代にあったのは、本当の犠牲だろう。それを覆い隠すことになったら、それはそれで間違っているだろう。そう書いたということは、数はわからないが、忌むべき犠牲はあったのではないか。

JRF2023/9/187167

……。

クロウリーに連なる「東方聖堂騎士団」と「銀の星」団。「東方聖堂騎士団」は「血統」が厳密に求められるのか、裁判が起こされて、正統が決着している。一方、「銀の星」団の血統を主張する団体はいくつもある。

JRF2023/9/188176

>分かりづらいかもしれないが、じつはこの要素こそが、「銀の星」団を「銀の星」団たらしめている根底にある理念であり不動の真実である。「東方聖堂騎士団」で活躍する魔術師たちが、「私が所属する「銀の星」団の血統、その正当性を見よ!」と団の血統を主張したその瞬間、憂慮すべき無益なコンフリクトが喚起される。重要な要素は誰に師事したかではない。重要なことは「銀の星」団の不断の鎖に自ら繋がっているか否かである。<(p.059)

JRF2023/9/186795

この章では、現代の魔術師の系譜が語られた。聖書にはイエスにいたる系譜などがあるが、そういったものが…、歴史が実際に何を選んだかが、魔術的に大事なのかもしれない。しかし、「銀の星」団については、途切れた血統から、文書などによって再興することも、ある種の復活の魔術として、歓迎されているのかもしれない。

JRF2023/9/188469

……。

>成功こそ汝の証しなのだ。理屈をこねるなかれ!<(p.075, 『法の書』引用)

セレマ(意志)を大事にする集団だが、結果主義でもあるんだね。

JRF2023/9/188231

……。

>人間は内在する抑圧された影[シャドウ]を容易に他者に投影する。敵は外部ではなく、むしろ己のうちに潜むものである。ラー・ホール・クイトの加護によって、自分の内部に潜伏する敵を発見し、それを打破することがホルスの時代[アイオン]の基本戦略となる。自分と向き合い、恐れおののくことなく、自己を浄化できる者こそが真の戦士である。<(p.076)

古代の母系社会がイシスの時代で、イエスの復活=オシリスの復活を尊ぶ父系社会がオシリスの時代で、今は、その自由な子供、ホルスの時代なのだという。

ところで、ここで私は私の書いている『宗教学雑考集』(仮題)の次の易占いの部分を思った。

JRF2023/9/182858

>そもそもクジや乱数に頼るのは怪しむべきものの(クジの)操作を認めたからではないだろうか。または、自らの中に怪しむべきものを飼っていると認識したからより公平なクジに頼るからではないだろうか。極限状況でなくても、怪力乱神とは兼ね合っていくのが易の宿命なのかもしれない。<

JRF2023/9/182322

自分の中にある怪しいものと外にある(と思える)怪しいものが、合して、自分と易の卦を操る…という感覚・世界観。それは自分の意志でもあり、意志でもなし…。言葉にすれば、そんな感じなのだが、伝わるだろうか? あまり伝わらないと思って、そこまでは書かないことにしたのだった。

JRF2023/9/180483

……。

>ホルスの時代[アイオン]の術式は「戴冠し、征服する子供」の術式である。そこには原罪の意識も、死して復活する贖いの神格も必要ない。そして聖書で預言された「最期の審判」は、ホルスの時代の幕開けとともに、すでに起こったとクロウリーは考えた。<(p.089)

この辺、「水瓶座の時代」とは関連があるんだろうか?

JRF2023/9/181948

……。

ホルスの時代とは言え、儀式にオシリス神話が現れることはある。

>セトによりオシリス殺害の神話を魔術的に解釈することによって、私たちは「覚醒」に関するなんらかのヒントを得ることができる。バラバラにされたオシリスの遺体は、妻であるイシスによりかき集められ復元された。しかし男根だけは、3匹の魚に食べられてしまったために復元できなかった。イシスは失われたオシリスの男根の代わりに、魔術の杖 -- 象徴的男根によってオシリスを再生させた。そしてイシスは懐妊し、復讐神ホルスを産むことになる。

JRF2023/9/181101

女神イシスは、失われた形骸としての男根を、その自然の秘力によって「真に創造的な男根」として甦らせた。この変性の神話は、「大いなる作業」へと従事することによって、自己を「生ける神の神殿」へと昇華させる魔術作業の寓意ともいえる。そして私たちのなかには、「真に創造的な魔法の杖」が生まれながらにして備わっているのである。
<(p.093)

「復讐神」ホルス!

「魔法の杖」は↓で書いた「石剣」を思い出した。

JRF2023/9/182553

[cocolog:82346841]
>私が統合失調症になったとき、男性器に骨をなくし肉の歴史 = 進化論を置いた代わりに石剣を神はいましめとして未来に置いたと妄想した。それはすなわち石鹸となり、その泡が原始の生命(虹色の生命)を表すと同時に人の罪(いわゆるひとつのソープなんとかね。)と救いとをも表わすなどと考えていたように思う。こことは関係ないけど、ちょっと思い出した。<

JRF2023/9/182301

……。

>「FIAOF」は永続的な戴冠する「子供」の術式として、旧来の「IAO の術式」とはまったく異なる哲学を主張することになった。「ホルスの時代」において「最後の審判」や磔刑の意義といった概念は緩やかに撤廃され、祝福された無垢なる子供の存在の喜びが強調されることとなった。<(p.101)

クロウリーはかなり自覚的に新しい「宗教」を作ろうとしていた。そして、自分用の「宗教」…儀式や道具…を各々が作ることを求めるらしい。だから、教義の解釈がクロウリーのものと違っていてもいいというのが、少なくとも建前のようだ。

JRF2023/9/189093

……。

>「東方聖堂騎士団」は、セレマの法を受け入れた最初の偉大な結社だった。しかし、「東方聖堂騎士団」は「銀の星」団と同様の感覚で教え、また参入させるわけではない。明確なカリキュラムは決まっておらず、またほとんどの位階において試験されることもない。団の真のカリキュラムは、各個人の人生と不可分であり、それぞれの団員のカリキュラムはそれぞれに固有のものとなる。つまり「東方聖堂騎士団」は、セレマの法を秘儀参入によって教示するものの、その後の訓練の詳細は提供しない。

JRF2023/9/189498

したがって、さきにみた「銀の星」団のように具体的なカリキュラムにもとづいた魔術訓練のサポートを希望している学徒には「東方聖堂騎士団」は向いていない。「東方聖堂騎士団」は一連の参入儀式と「グノーシスのミサ」などを通じて集団を教育し、「銀の星」団は厳密なカリキュラムによって個人を教育する場である。とはいえ、そのふたつの団の相互連携は、セレマの法を拡大するうえで不可欠な要素となっている。
<(p.129)

JRF2023/9/186012

セレマの法を受け入れた「セレマイト」。二つの道があるというのが、陰陽を感じさせておもしろい。

JRF2023/9/188131

……。

「大いなる作業(マグナム・オプス)」における3つの試練。


黒化(ニグレド): 聖守護天使の幻視

白化(アルベド): 聖守護天使の知識と会話

赤化(ルベド): 深淵横断
<(p.142)

JRF2023/9/180449

>聖守護天使には人間を構成する魂の5つの部位のうち、ネフェシュ(動物霊)とルアク(知性)が完全に欠落しているように思える。クロウリーの『セレマの聖なる書物』が、私たちの知性からみて極めて難解で理解し難いのはまさにこの理由による。

聖守護天使を構成しているものは、深淵を越えたネシャマー(直観)とキア(意志)とイェキダー(魂の精髄)のみである。そして聖守護天使には、私たちの世俗的な願望や欲望がまるで理解できない。このことはクロウリーの人生を振り返っても明らかである。彼の聖守護天使は、クロウリーを経済的に助けたことなどただの一度もなかった。

JRF2023/9/184854

このことから聖守護天使は、私たちを守護し助けてくれる便利で親切な天使などではなく、ひとびとを次なる段階へと引き上げることにしか興味のない厳格な天使であることが理解される。私たちは聖守護天使にいかなる理想像をも投影すべきではない。この規定を破り噴出するイメージに呑み込まれると、志願者は恣意的な天使存在やそのイメージを聖守護天使と混同し、大いに時間を失うことになるだろう。
<(p.149)

JRF2023/9/180710

うーむ、経済的には助けてくれないか…。まぁ、確かに経済的に助けてくれるのは、むしろ悪魔で、天使といえばそういうイメージかな?

JRF2023/9/181506

……。

>また中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者・神秘主義者であるマイスター・エックハルトが「もし私が存在していなかったならば、「神」も存在しなかったであろう。神が「神」である原因は私なのである」(『エックハルト説教集』田島照久訳 岩波書店 1990 173頁)と語ったように、人が感知し得る「神のごときもの」は、実際は神ではあり得ない。<(p.156)

JRF2023/9/183766

『宗教学雑考集』(仮題)に書こうとしてまだ書いていない部分。「始源」を考えた [cocolog:94206389] で、>人格神はなぜ生じるか? 「私」に至る偶然に(まず)神の意志性を見出し、そこから私の意志性を発見する。<…と述べたところ。他者としての神の人格の発見が自分の人格は反省して認識させる…という部分と上の引用箇所は、一見逆に見えて、よく似ていると思う。

JRF2023/9/183106

……。

>もっとも単純な実践魔術の公式は「魔術=意志+想像力」ということになる。<(p.164)

『宗教学雑考集』(仮題)の易理の章は鬼神論からはじまる。

JRF2023/9/180210

>世を混沌と物理(もののことわり)に分ける。混沌から物理をたち上げるとき、要素還元主義的に物の理を追っていくことには限界が必ずあり、物のはじまりを擬制せねばならない。その擬制されたものを鬼と呼ぶ。鬼と物の理も含めたところに全体的な働きが現れることがある。その働きを神と呼ぶ。天意は神の一種と見えなくもない。人心は、神とも見えるがむしろ鬼のように私は思う。鬼・神は起・信なり。<

鬼が「意志」に神が「想像力」に似ているのは偶然ではないかもしれない。

JRF2023/9/183726

……。

『ソロモン王の鍵』のような奥義書…。

>奥義書の発想はシンプルである。魔術師はまず作業のための神殿を用意する。つぎに魔術師は用意周到に防御の円を描く。魔術によって呼び出された悪魔は決してこの結界を破って円のなかに侵入することはない。悪魔たちは魔法円の外側に設置された三角形とそのなかにはめ込まれた魔法の鏡のなかに閉じ込められる。その強制力と拘束力を高めるために円内には仰々しいユダヤの神々や大天使の名前が多数書きこまれている。<(p.176)

JRF2023/9/187819

「魔方陣はそこに悪魔を呼び出すのではなく、悪魔から身を守るために術者が入るところ」というのは Twitter で見たな。昔のマンガとかでは、魔方陣に悪魔を呼び出していたりした気がするが。あと、鏡を使うんだね。これは、私が影に「神」を見出したことがあるのと同じ原理なのかもしれないね。

JRF2023/9/189334

《テレビが裏切っている - 精神分裂病時に考えたこと - JRF の私見:雑記》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2006/02/post_3.html#more
>私は、突然表れたファラオの絵のような影 (おそらく何らかの物の影) に礼をすることで、その「神」の指導を仰ぐことになった。

「神」が、私に初心者として世界の創造の方法と危機の方法を教えようとしていた。その媒体はテレビだった。

JRF2023/9/188391

……。

>一連の儀式とそれに伴う化学変化はすべて魔術師の脳によって知覚され、解釈される。しかし、それによって悪魔や大天使が幻であるということを完全に証明することはできない。

現代の魔術師の解釈はまちまちであるが、彼らはその問題について必要以上に解釈、有り体にいえばこじつけることを好まない傾向にある。なぜならば、魔術師の知覚によってとらえられるそれらの霊の実態を幻覚や錯覚と見做してしまえば、その魔術的効果が著しく低下してしまうからである。

JRF2023/9/185736

だれでも幼いころ、本気で何時間でもオモチャで遊ぶことができたように、魔術師は霊の存在を必要以上に疑うことをしない。幼児玩具がじつにくだらないオブジェクトであると解釈した瞬間に、それはたんなる静止した「モノ」になりさがる。魔術師は、猜疑心が魔術のフォースを著しく低下させることを体験から理解している。奥義書の悪魔たちは、それを確信する者に実際に恩恵をもたらすのだ。
<(p.177)

私も「奇跡」はあったし、あると信じている。時間がたてばそのすべてに合理的説明がつくとしても。

JRF2023/9/182662

……。

>西洋魔術では一般的に五芒星を小宇宙的な象徴、六芒星を大宇宙的な象徴ととらえる。<(p.206)

私はエラソーなことを書いてるように見えるかもしれないが、こんなことも今まで知らなかった。

ちなみに「六芒星を大宇宙的な象徴ととらえる」というところで私は私の描いた The JRF Tarot の 21. The World のカードを思い出した。

《易双六「The JRF Tarot」印刷用PDF - ジルパのおみせ - BOOTH》
https://j-rockford.booth.pm/items/4485160

JRF2023/9/180890

……。

>新たな時代の魔術師たちは、クロウリーが残した儀式のみにこだわる必要はない。事実、世界中のセレマイトたちによって、日々新しい儀式が創作され、実践されている。この自由で活発な流れこそがホルスの時代の特徴なのである。<(p.218)

上でも書いたが、儀式は各々が作ってよいということらしい。そこに責任をとらないということでもあろう。

JRF2023/9/183336

……。

>クロウリーは「東方聖堂騎士団」との接触以降、性魔術を頻繁に実践するようになった。一方、彼は本場インドのヒンドゥー・タントラにはそれほど深く関与していなかったと思われる。クロウリーの性魔術理論は、どちらかというと素朴で非科学的なものだった。性の力は確かに大きなエネルギーや恍惚をもたらす。その魔術的適用は幅広く、また人間の本能を直接使用するという意味で、だれにでも実践可能である。この技術は表面上、「銀の星」団に大々的に持ち込まれることはなかった。しかし、薔薇十字の伝統はこの相反物の和合に強い関心を抱いていた。

JRF2023/9/183709

タントリズムは秘匿性の高い技術であるため、あまり公にされることはないが、その技術は今後も西洋の魔術師たちに積極的に取り入れられていくことになるだろう。
<(p.242-243)

性は心理的にも影響が強いので、技術的に使えば、心理操作などに有用ではあるのだろう。しかし、同時に男女の仲の問題が生じるなど、堕落もしやすいのではないか。

JRF2023/9/185396

私は太極拳は DVD で習ったなんちゃってのものはするし、いずれ型をちゃんと習いたいとは思う。しかし、ヨガまでやるのは…、私はつよくないし、そこに行くぐらいなら、外のシステムを変えたほうが誠実だと考えるのが私である。まして、性魔術などというものはボッチの私には高度過ぎて、「敬して遠ざく」しかない。

JRF2023/9/181120

……。

>筆者は、自分自身の経験から魔術師の径を歩むうえでの重要な留意点を下記に述べたいと思う。それは4つの事項とひとつの重要な質問から構成されている。

● 目的を定めること
● 目的を達成するための道程を定めること
● 具体的な計画を作成すること
● 生活基盤の安定
● 幸福であるかどうか?
<(p.248-249)

JRF2023/9/184284

>さて魔術修行の基盤は、修行者の安定した社会的立場の確立によってはじめて機能する。社会生活をおざなりにする修行者はむしろ自由を失い、長期にわたる魔術師の径[みち]を踏破する基盤を失ってしまう。これが4つめの事項「生活基盤の安定」である。それは自由をはき違えてはならないという警句でもある。マクレガー・マサースやアレイスター・クロウリーはさておき(彼らは純然たる魔術の天才たちであったわけだが)、筆者は修行過程の進んだ現代の達人たちが、社会人としても磐石な立場を築いていることをよく知っている。

JRF2023/9/183819

不安定な経済状態は生活基盤の安定を阻害し、修行に没頭する魔術師に障壁をもたらすだろう。「生活基盤の安定」はマルクトの神殿の完成を補完し、志願者に自由に飛翔するための翼を与えてくれる。この事項は決して軽視してはならない最重要事項といえるだろう。
<(p.251)

JRF2023/9/182693

夢がないなぁ…。魔術師にはいろいろいて、とんでもない高いステータスの者がいるかと思えば、どうやって生活しているかわからないが、高い魔術的位階を持ってるとかがあって、はじめて、魔術集団として魅力が出るのではないか。まぁ、「どうやって生活しているかわからない」というのは今では生活保護や障害年金等で生活する「作家」や「芸術家」になってしまうのかもしれないが。

JRF2023/9/187805

« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »