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技術系電子本。Python による仏教社会シミュレーション( https://github.com/JRF-2018/simbd )の哲学的解説です。

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cocolog:94449747

35歳までで産める女性は間違いなく子供を産もうとする話、密教では女性が悟っていた話、インドでは四住期(結婚あり)を経て悟るとする話…を考えると、人間の完成=涅槃となるには本来は結婚を経て子供を持つことの本能と向き合う必要があるのかな…と思う。 (JRF 5400)

JRF 2023年10月 6日 (金)

(「グローバル共有メモ」と Twitter に書いたことを主としてそれを少し改変してコピペする。)

JRF2023/10/63096

○ 2023-10-05T12:17:39Z

35歳までで産める女性は間違いなく子供を産もうとする話(今探すと見つからない)、密教では女性が悟っていた話、インドでは四住期(学生期・家住期(結婚あり)・林住期・遊行期)を経て悟るとする話…を考えると、人間の完成=涅槃となるには本来は結婚を経る必要があるのかな…と思う。

性を通じて異性とその関係を理解し子供を持つことの自らへの本能的意味を体得するのが必要なのかなと思う。

JRF2023/10/64867

涅槃=悟りは一味といってもいろいろあって、人間の完成=涅槃はそのうちのある種の考え方に過ぎないかもしれないけれども、そういうのが少なくとも大乗仏教のブッダまたは涅槃には必要なのかもしれない。

私はこれまで、純粋に修行する者が(結婚しようがしまいが)悟りに近いものだと思っていたけれども考えを改めるべきだろう、釈尊もそういえば結婚していたのだった。(私のような学ぶばかりの)独身の修行者は、学徒・寺男・(ある種の)僧どまりなのかもしれない。

JRF2023/10/60476

もちろん、私は悟りに憧れるけど、悟れるつもりは毛頭ないし、戒とかはさらさら持しないし、上のように考えても独身のままでいつづけるだろうけど、他の人(修行者的人物)を見るときに妻帯しているから、ランクを下げて考えるみたいなことはなくなると思う。そういう意味では僧的な人物でなくても、立派に家庭を持っていれば、宗教的にも尊敬するようになるのかも。

JRF2023/10/62732

……。

なお、「密教では女性が悟っていた話」は↓。

《DJ プラパンチャ:X:2023-10-04》
https://twitter.com/prapanca_snares/status/1709467891584901294
>仏教と女性の関係で気になるのが、後期密教ですね。チベットでは、性的ヨーガを実践し成就者になったと伝えられる女性行者が結構います。マチク・ラプドゥンマ、マチク・シャマ、ナンサ・ウーブム、チョモ・メンモ、マチク・オンジョ、テンチェン・レーマなどが有名で、いずれも11~14世紀頃の人です。

JRF2023/10/63281

例えば、11世紀後半から12世紀前半頃のマチク・ラプドゥンマは、チューと呼ばれる行法を創始し、シチュー派という密教の一派を開きました。女性が新たな「宗派」を創始するというのは、おそらく後期密教以外の仏教では全く見られない現象ではないかと思われます。

有名な密教行者のナーローパにも、女性密教行者のニグマのもとで性的ヨーガを実践したという伝承があり、彼女は「ニグマの六法」という修行法を開発したとも言われています。また、15世紀頃の『テプテルゴンポ』という文献には、サキャ派の女性行者として有名なマチク・シャマの生涯が記されています。

JRF2023/10/68624

『八十四成就者伝』にも、成就者の女性が何人も登場します。このように、女性の活躍が目立つという点では後期密教は他の仏教と大きく異なっていると言っていいでしょう。そして、性的ヨーガを「事実上」禁じたツォンカパ以降、女性の解脱者は出現していないのも興味深いところです。

こういったことを踏まえると、どうも仏教は歴史的には、後期密教の性的ヨーガを組み込むことではじめて、女性が解脱に至る具体的な道筋を構想することが可能になったのではないかという気がしてくるんですが、ついったらんどではこの手の話は可燃性が強そうなので、このくらいにします。

JRF2023/10/66902

……。

……。

追記。


○ 2023-10-13T17:14:49Z

前に [cocolog:94449747] (…このひとこと…)で、結婚が、少なくとも大乗仏教においてブッダや涅槃になるには必要かもしれないと書いたが、往生とかを考えると、必ずしも結婚しなくても、進化をシミュレートできるぐらいの途方もない年数、瞑想できるなら、それで代わりはできるのかもしれない。それはほぼ、転生して結婚したのに等しいのだろう。結婚しても子をなすことの欲望は理解できても異性の中のものは学ぶしかなく、進化を経た生物である人の経験があれば途方もない時間をかければ瞑想のようなものでも学べるのだろう。

JRF2023/10/165046

……。

生きてる間に「人間の完成」といえるためには、結婚が必須のようには思うのは変わらない。ただ、往生は浄土に行った後、結婚なく、涅槃まで修行するという教えだったはずなので、そうすると、いつまでも「人間の完成」がないのはまずいかと思った次第。その前の転生やひょっとすると涅槃が確定してからの転生とかも許されるのかもしれないが。

JRF2023/10/167413

……。

一生で「人間の完成」をしての涅槃に致るには結婚が必要だが、ただの「完成」…「生の完成」の涅槃ならば、死んだあと、前世・前々世…の結婚または浄土での修行を通じて可能となっている。「人間の完成」をする者も、釈尊のように転生はしてきているということになるだろうから、あまり違いはないかもしれないが。…というのがまとめか。

結婚を重視するのが大乗仏教的だが、ただ、大乗仏教がそういう教えだというのは違うか。そこは私の間違い・私独自の考え方に過ぎない。

JRF2023/10/166403

……。

……。

追記。

○ 2023-10-18T08:43:42Z

「人間の完成=涅槃」のために結婚が必須というのは私個人の信条としてはいいとしても、宗教組織を世代を越えて永続させるには、坊主に資産を集める=坊主が偉くなければマズイだろう。宗教組織を永続させなければ集団の救いは難しい。僧の間では結婚しない僧のほうが偉いほうが、聖俗の違いがきわだち、「坊主が偉い」を実現しやすいだろう。もちろん、僧ぐらいの学識があればその偉さは方便であると喝破してるだろうけど。

JRF2023/10/202810

結婚するほうが「人間の完成」に近い、しかし、結婚してない坊主が偉いのは、キリスト教(マタイ 20:16)の「後の者が先になる」からなのかもしれない。苦行の肯定に近いが、それは聖性をもたらす方便で徳があり善いことなのだろう。

JRF2023/10/203412

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