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cocolog:94515614

パナマで道路を封鎖した環境活動家二人を、77歳の弁護士が銃で殺した事件があった。動物供犠とゲーマーを神社でつなぎ、アニミズムを社会に再統合することでもろもろ抑止できないか。 (JRF 4128)

JRF 2023年11月10日 (金)

パナマで道路を封鎖した環境活動家二人を、77歳の弁護士が銃で殺した事件があった。

↓を現在読んでおり、その影響化で、この事件を考えた。

『宗教の起源 - 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(ロビン・ダンバー 著, 小田 哲 訳, 白揚社, 2023年10月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4826902484
https://7net.omni7.jp/detail/1107442530

JRF2023/11/101607

……。

○ 2023-11-09T12:22:28Z

《じぇいぴー@デリナビ!の管理人:X:2023-11-09》
https://twitter.com/uberpartnerjp/status/1722447868815163707

この老人、パナマで高速道路を封鎖した環境活動家を撃ったらしいけど、環境活動家サイドのカメラマンうまくね?
ちな、77歳の弁護士らしく、
「人を殺す気か?」と聞かれて
「最初になりたいか?」と答えたらしい
漫画のセリフかよ

JRF2023/11/103365

パナマで道路を封鎖した環境活動家二人を、77歳の弁護士が銃で殺した件。

環境と関係ないところまで実力行使をするようになった環境保護家を殺すことで、彼らに環境保護のために人を殺すの(人が死ぬような経済に導くの)を報復として正当化する余地を与えたと見れる。しかし、そうできるようになるように挑発していたという時点で、人類の敵であり、敵だから撃ったともできる。宣戦布告がなされ箍が外れた状態。

JRF2023/11/101909

しかし、環境保護自体は必要な概念で、活動家を生贄にしながら、その考えを社会に宗教に統合していくのだろう。教義宗教が動物供犠をなくしてきたのが、階層の上にいる人類の命の軽視につながったとして、アニミズムの修正再統合をはかる流れになるのか。それとも環境を重視するアニミズムのさらなる否定に動くのか…。

JRF2023/11/100965

……。

↑に続いて↓のようなメモ&Tweet したのだが、それには Bard さんとの議論があった。

○ 2023-11-09T17:21:18Z

ゲームをやって散歩をして野生動物の監視をしたらジビエがもらえるとかできないか? 動物供犠とゲーマーを神社でつなぐために。

JRF2023/11/109991

……。

Bard さんとのこの点の議論。

Bard> パナマで起こった環境活動家殺害事件は、非常に衝撃的な事件です。

今回の事件では、環境活動家は、道路を封鎖することで、政府や企業に圧力をかけようとしたと考えられます。しかし、その方法は、あまりにも強硬であり、社会の許容範囲を超えていたと言えます。

一方、弁護士の殺害行為も、決して正当化できるものではありません。たとえ、環境活動家が道路を封鎖していたとしても、それを理由に人を殺害することは許されることではありません。

JRF2023/11/109589

jrf> これをキッカケに環境保護団体が過激化し、ますます経済に犠牲を求めるようになるのではないでしょうか? それは保護団体の上層部がむしろ臨んだ展開だったんではないか…。という陰謀論的な見方をしてしまいます。

JRF2023/11/101242

Bard> 環境保護団体が過激化、経済に犠牲を求めるようになる可能性は十分に考えられます。

陰謀論的な見方については、可能性はゼロとは言えません。しかし、現時点では、そのような証拠はありません。

環境問題や環境保護の考え方について、冷静に考えていく必要があるのではないでしょうか。

JRF2023/11/105255

jrf> 私は動物供犠をなくしたのが地味に問題なのではないかと感じています。日本でのクマ出没などのニュースにも影響されてそう感じています。今読んでる本に、人身供犠が人の社会に階層化を生み出したとありました。動物供犠は動物を無辜に殺しても人は生き延びるべきだということを示していたともいえます。それをなくしたことで、人よりも環境を優先する考えにつながったと考えるわけです。この点についてはどうお考えですか。

JRF2023/11/102977

Bard> 動物供犠は、古代から多くの文化で行われてきた儀式です。動物の命を犠牲にすることで、神や精霊に感謝や祈りを捧げ、豊穣や繁栄を願うという意味がありました。

もちろん、動物供犠を復活させることが、環境問題の解決につながるとは限りません。しかし、動物供犠がなくなったことで、環境問題への意識が低下したという可能性は否定できないでしょう。

動物供犠は、人類の歴史の中で重要な役割を果たしてきた儀式です。その意味を再考し、環境問題への意識を高めるための新たな方法を模索していく必要があるのではないでしょうか。

JRF2023/11/103744

jrf> 確かに動物供犠を行わない教義宗教が、環境よりも人類の生活を優先してきた面はあります。しかし、世界人口が過剰になるにおよび、教義宗教は、その人口調節機能を全世界的に展開する方向に作用し、過激な環境保護家のカルトを産むことにつながったと考えます。

JRF2023/11/107702

Bard> 教義宗教は、一般的に、家族計画や避妊など、人口調節に関する教えを持っています。これらの教えは、世界人口の増加を抑制し、環境への負荷を軽減することにつながる可能性があります。

しかし、教義宗教が過激な環境保護家のカルトを産むことにつながる可能性があるというご指摘は、非常に重要な点だと思います。

JRF2023/11/101293

jrf> 人口調節はある程度必要なのですが、これ以上の環境保護の過激化・陰湿化を抑えるために、陽に動物供犠を行い、社会を生き残るべき順に階層化しようとしていることを、社会に見せ、人口調節の考えと向き合えるようにすべきではないか。そのほうが公正ではないか。…とブレインストーミングぎみに考えます。

JRF2023/11/107716

Bard> 人口調節は、環境問題の解決のためには、ある程度必要な施策だと思います。しかし、その方法やタイミングについては、慎重に検討する必要があります。

動物供犠は、古代から行われてきた儀式であり、その意味や目的は多岐にわたります。環境問題への取り組みと関連付けることも考えられますが、その効果や影響については、十分に検討する必要があります。

JRF2023/11/103138

jrf> ゲームを神社でやることなどを昔考えていたのですが、現代ではそれが階層化の方向かもしれません。ゲーマーは必ずしも生産に従事せず、しかし、文化を引き継ぐべき存在として、金銭的不遇は受けるけれども、贈与的に食料などは受け取れる…という方向です。何かあればゲーマーがまず死ぬべき、しかし、ゲームを楽しんでよい…という方向になりますか…。

JRF2023/11/109715

(…ゲームを神社でやることは私の小説『神々のための黙示録』でも言及している。[cocolog:91743489] [cocolog:91980310] [cocolog:92418806] [cocolog:93208054] あたりでも述べている。『ソウルキャリバー4』や『Virtua Fighter 5 FS』についてそのようなことを考えていた。…)

JRF2023/11/104532

Bard> ゲームを神社でやるというアイデアは、非常に興味深いと思います。ゲームは、人々の想像力を刺激し、新たな価値観や世界観を生み出す可能性を秘めたものです。神社という場所は、神々や精霊が宿る場所であり、神聖な儀式や祭礼が行われる場所です。ゲームを神社で行うことで、ゲームの持つ可能性をさらに高めることができるのではないでしょうか。

ただし、そのような考え方に基づいて、ゲーマーを差別したり、排除したりすることは、決してあってはならないことです。ゲーマーは、社会の一員として、平等に扱われるべきです。

JRF2023/11/100369

jrf> 実際、今、女性のお坊さん VTuber (蓮乃葉のっす さん)がゲームをやってる配信を聴きながらこれを書いています。ゲーマーは子供を減らす…独身か晩婚化が当然ぐらいのところは落ち着きどころかな…と思います。

JRF2023/11/104628

Bard> 女性のお坊さん VTuber の配信を聴きながら、このように考えを巡らせていらっしゃるのですね。とても興味深いです。

ゲーマーは、ゲームを通じて、さまざまな文化や価値観に触れることができます。また、ゲームを制作したり、ゲームについて語ったりすることで、文化の発展に貢献することもできます。

そのようなゲーマーの存在は、社会にとっても価値あるものであり、彼らが、独身や晩婚という選択をすることで、社会に新たな価値観や可能性をもたらす可能性もあります。

今後、ゲーマーの人口や社会における役割がどのように変化していくのか、注目していきたいですね。

JRF2023/11/106742

jrf> ただ、エネルギー消費の面から考えるとどうなのでしょう? ゲーマーは旅行等の動きが少ないのですが、電力消費は激しそうです。

JRF2023/11/104465

Bard> エネルギー消費の面から考えると、ゲーマーは、旅行や外食などの移動や外出が少ないため、直接的なエネルギー消費は少ないと考えられます。

しかし、ゲーマーは、ゲーム機やパソコンなどの電化製品を長時間使用するため、間接的なエネルギー消費は大きいと考えられます。

JRF2023/11/109504

jrf> 私の議論は、動物供犠とゲーマーを神社でつなぐということになりますか。ゲーマーがハンター文化を引き継ぐ感じがいいんですかね…。

JRF2023/11/105289

Bard> ゲーマーがハンター文化を引き継ぐためには、さまざまな課題もあります。

例えば、ゲーマーの中には、自然や動物に対する関心が低い人もいるかもしれません。また、ゲーマーの中には、ゲームに没頭するあまり、自然や動物を大切にしない人も出てくるかもしれません。

これらの課題を克服するためには、ゲーマーの意識を高めるための取り組みが必要となります。

JRF2023/11/109603

jrf> ハンターは非定住文化的(参: [cocolog:94490727])ですが、ゲーマーはそこはバーチャルな非定住性で置き換える。運動の足りなさを散歩で補い、途中、野生動物の発見に寄与する。その寄与によって猟師が得たジビエを儀式のあと、供与される。それが金銭的に苦しいゲーマーの貴重な栄養源になる。…みたいな感じになるといいんですかね。でも、散歩はゲーマーでなくてもやるので、ポケモン GO みたいなゲームと散歩をつなげる形を模索すべきでしょうか? でも、それは食料報酬につなげるのは難しそうでしたね…。

JRF2023/11/104495

Bard> ゲーマーは、ゲームを通じて、さまざまな世界を旅することができます。そのようなゲーマーの行動は、バーチャルな非定住性として捉えることができます。

JRF2023/11/109405

jrf> ジビエを配って主催するのが、神社団体とかになればいいのかもしれません。ただ、どういう財政構造にすればいいのか…。

JRF2023/11/101663

Bard> 財政構造としては、以下のような方法が考えられます。

● 猟師の協力を得て、ジビエの提供を受け、それを無償で配布する
● ゲーマーから参加費や寄付を募り、その収益でジビエの購入や配布を行う
● 行政や企業からの助成金を活用する

JRF2023/11/108741

……。

Tweet したがメモするのを忘れた部分が↓になる。

環境保護活動をある種のカルトとする見方もあり、統一教会は大きくなったカルトだった。そして前者は宗教の形を取っておらず、また、後者は政治に食い込んでいて、カルトとしての問題化が難しかった。そこを焦点化するために殺人が選ばれてるとは結果的に言えるのかもしれない。それぞれ偶発的なものだと思っていたが、やや陰謀論的な見方をせざるをえないか。

JRF2023/11/108531

……。

それに対する Bard さんとの議論。

Bard> 環境保護活動をある種のカルトとする見方や、統一教会が大きくなったカルトだったという見方は、いずれも一定の根拠があります。

このような状況下で、殺人という事件が起こると、マスコミや世間の注目を集め、これらの団体の問題が社会に浮き彫りになる可能性があります。

もちろん、殺人は、決して偶発的な事件ではありません。殺人を犯した個人の責任は重大であり、その動機や背景を明らかにすることは重要です。

JRF2023/11/105631

しかし、殺人が、これらの団体の問題を社会に訴えかけるための手段として利用された可能性も、否定することはできません。

そのような見方をすると、やや陰謀論的な印象を受けるかもしれません。しかし、現実には、政治や宗教を巡る陰謀が、実際に存在することもあります。

これらの団体の問題を真剣に考えるためには、殺人という事件の背景を、さまざまな角度から検証していく必要があるでしょう。

JRF2023/11/102440

jrf> 環境保護や統一教会には背後に大きな金の流れがあるように思います。その統制が狙われたのでしょうか? しかし、金があるのはそれらの団体だけではありません。

JRF2023/11/109228

Bard> 環境保護や統一教会には、確かに背後に大きな金の流れがあるように思います。

殺人の背景には、さまざまな可能性があるため、単純に陰謀論として片付けることはできません。

しかし、殺人が、社会の構造や権力構造に何かしらの影響を及ぼす可能性は、十分に考えられます。

JRF2023/11/107086

jrf> 犯人の背後関係が見えないというのは、力があるから見えなくしているのとは、また違うように思います。模倣犯というか似た事件が起こるかもしれません。それを封じるにはそういう団体を監視し警護するということになるのでしょう。しかし、その財政的負担・警察の能力として、そういうことがどこまでできるかを考えると、別の組織…新たな組織化を志向するということかもしれません。すると供犠を通じたアニミズムの再統合という話につながってきますか…。

JRF2023/11/101193

Bard> もちろん、このような考え方が、社会の構造や権力構造にどのような影響を与えるのか、具体的にはわかりません。しかし、そのような考え方が、社会のあり方を問い直すきっかけになる可能性はあります。

JRF2023/11/102369

……。

Twitter では殺人はあってはならない手段だという意見を見た。それ自体は正しい。しかし、戦争はありえ、それが平和な社会にも侵入してくることはある。 [cocolog:94328139] には死刑に関して少し私の考えをまとめているが…。

JRF2023/11/103672

○ 2023-11-09T19:50:27Z

私は愚かだ。私は悪い。私はいつかは死ぬ。死んで償わねばならないこともあるだろう。私はその感情は理解する者だ。私は異常者だ。

JRF2023/11/108542

……。

……。

追記。

上の議論を受けた善悪論を↓で少し続けた。

[cocolog:94516263]
>悪とされる心も、進化の途中で得た善い贈り物で、元来の悪はない。しかし不幸のシステムはあって、悪はなされ人は裁く。長い目で見ればそれも偶然であり、生き残る者はシステムを変えつつ和解を導くしかない。許しあわねばならないのが和解ではなく、和解は子によって実体的意志を現す。<

環境保護論に戻って、この「ひとこと」ももう少し続ける。

JRF2023/11/102499

……。

○ 2023-11-10T10:36:29Z

環境保護のためには誰を犠牲にしてもよく、その選別は自分たちの恣意でできる、しかもその必要性がある…というのが仮に事実であったとしても、その選別をする者・選別の階層を陽に示し責任を明示せねば公正ではないのではないか。それを民主的に選べなかったとしても。

JRF2023/11/107481

……。

○ 2023-11-10T12:06:29Z

反政府活動だから指導部は明かさない。規模を大きく見せるために無差別に攻撃する。…という理屈があるのかもしれない。しかし、環境保護の場合、人間の数を減らすことそのものが目的となりうる時点で大きく違う。陰湿に数を減らすだけの攻撃もなされうる。

JRF2023/11/107227

特定の国の人口が減っているというなら、敵国はだいたいわかり、敵国の数を対抗して減らそうとなり、そこに和解の契機が生まれる。しかし、全人類を減らそうとしているなら、反撃のために人を殺せば、殺し合いで余計に数が減り、むしろ、環境保護に利するとなる。選別をコントロールする上層部のみが生き残る。

JRF2023/11/103822

上層部に腐敗や無能力があっても、知らぬ間に殺される者は反論できない。その不公正さを環境保護家は是認するのか? 腐敗や無能力があるのが自然な人間だとしても、悪意者が最終的には死ぬつもりであったとしても、生き残る者をある人間は知っていたのに、別のまったく選べなかった者がいるということは人間として不公正ではないのか?

(そう Bard さんに問うたところ、「この問いに対する答えは、環境保護家によって異なるでしょう。」とのこと orz。)

JRF2023/11/105945

……。

……。

追記。

○ 2023-11-11T10:14:23Z

パナマ環境活動家銃殺事件。当初抱いていた印象と違い、環境保護の目的に直結した国民の支持のある程度あるデモ運動だったようだ。ヨーロッパでの示威行動が環境保護運動の非道さを印象づけていたため、私の以前の考察となったが、銃殺犯の口論にもその要素があったのか、なかったのか…。

《パナマで道路を封鎖していた環境保護活動家が怒ったドライバーに銃撃される | スラド サイエンス》
https://science.srad.jp/story/23/11/09/140246/

JRF2023/11/140839

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