« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »

cocolog:94512250

島 泰三『親指はなぜ太いのか』を読んだ。人類スカベンジャー説というよりボーン・ハンター説の本。主食の骨を砕くための石を片手で握り、もう一方の手で骨を持って移動するため直立二足歩行になったとする。 (JRF 3729)

JRF 2023年11月 8日 (水)

『親指はなぜ太いのか - 直立二足歩行の起原に迫る』(島 泰三 著, 中公新書 1709, 2003年8月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4121017099
https://7net.omni7.jp/detail/1102012450

JRF2023/11/86332

現在、私は『宗教学雑考集』(仮題)を書いていて、そこで参考にするために、エリアーデ『世界宗教史 1』([cocolog:94505557])を再読した。そこでは、人類スカベンジャー説から、骨髄食をやめ道具を使って狩りするようになるため骨の埋葬をはじめた…という補助線を引くことで、いろいろなことがつながったのだった。

その元となった人類スカヴェンジャー説は、日本語で本が出ているらしい。しかも新書で安い。…というので、これを機に買って読んだのがこの本である。

JRF2023/11/89019

ただ、先に書いてしまうが、正確には、この本は、初期人類は「骨髄食」ではなく、固い骨も噛み砕いて食べているという結論になっていた。スカヴェンジャー説には、積極的に獲物を狙っている途中の肉食動物を襲うなどするという説もあるのだが、この本はそうではなく、肉食動物が活発に活動しない昼間に、落ちている食べ残しの骨を狙って、ボーン・ハンティングするのが初期人類だったと結論付ける。歯が骨を噛み砕けるほど丈夫なのが人類の他にない特徴で、骨髄食だけだと栄養が足りなそうだが、骨食であれば栄養も足りるとの見解だった。

JRF2023/11/82899

私のエリアーデ『世界宗教史 1』([cocolog:94505557])の再読時の議論は、骨髄食を前提としていたため、ボーン・ハンター(ボーン・コレクター)説を取り入れるとやや修正を要する。骨髄を骨にするだけで良い部分もあるが、長骨がない蛇が出てくるのは骨髄食の食べでがないからという部分は、骨として食べるときも、長骨に骨髄があって美味だから…と若干修正する必要があるだろう。ただ、基本的には未だ [cocolog:94505557] での議論は大筋では間違っていないとできると思う。

さて、ここからはいつもどおり、引用しながらコメントしていく。

JRF2023/11/80289

……。

>19世紀末の動物学者たちは、マダガスカルを特別な動物区系「レムリア」とよぶことを提案したほどである。これはマダガスカルのサルがレムール類とよばれるためで、レムールとはラテン語の「幽霊」である。<(p.1)

「レムリア大陸」ってのがあったね。

JRF2023/11/83779

《レムリア - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%82%A2
>アフリカのマダガスカル島にはキツネザルが生息しており、この仲間は世界中でここからしか知られていない。しかし化石種がインドから発見されており、また近縁の原猿類はこの島を挟んでアフリカ中部と東南アジアのマレー半島・インドネシアにのみ生息する。このようにインド洋を隔てた両地域には近縁な生物が見られる(隔離分布)。

JRF2023/11/85586

これを説明するために、スクレーターは5000万年以上前のインド洋にインドの南部、マダガスカル島、マレー半島があわさった大陸が存在したのではないかと考え、キツネザル(レムール、Lemur)にちなみ「レムリア大陸」と名付けた[3][4][5]。また、ドイツの動物学者エルンスト・ヘッケルは自著『自然創造史』 (Natürliche Schöpfungsgeschichte) でレムリア大陸こそ人類発祥の地であると主張した[6]。そのほかにも一部の地質学者がインド洋沿岸地域の地層の構造が酷似していることから似たような説を唱えている。

JRF2023/11/87703

しかし、インド洋を含め、大洋によって隔てられた地域間の生物相の類似については、1912年の気象学者アルフレート・ヴェーゲナーの大陸移動説によっても説明がなされた。当初はレムリア大陸説をはじめとする陸橋説が優勢だったが、1950年代より大陸移動説が優勢となった。1968年にプレートテクトニクス理論の完成により大陸移動説の裏付けが確実なものとなり、レムリア大陸説は否定された[7][8]。

JRF2023/11/82475

大分前から考えていてちょっとどこに書いたか見つからないが、大陸移動説には昔から疑問がある。いちおう、グローバル共有メモの >>2020-11-13T18:18:42Z にはあるが…。『宗教学雑考集』には書く予定。

大陸移動説への疑問とは…。

大陸が移動することには疑いはない。しかし、回転する天体で、元が一つの大陸だったというのが不安定に思え信じられない。プレートの移動方向や境界が変わり、くっついたり離れたりを繰り返しているとするのは矛盾をきたすのだろうか?

大陸が元が一つではなく移動しながら離合集散を繰り返しているという説は現在、否定されているのだろうか?

JRF2023/11/80471

Bard さんに聞くと否定されているようだが、元が複数でも、一度、いくつかが一つに集まったことがある(そしてまた離れた)ことを認めれば、私の説の余地もあるという。

現在では、唯一の大陸であったパンゲア大陸は「一時的に」(といってもかなり長い間だが)存在したとなってるようだ。

《パンゲア大陸 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%82%A2%E5%A4%A7%E9%99%B8

JRF2023/11/86053

>古生代ペルム紀の終わりである2億5000万年前頃に、ローレンシア大陸、バルティカ大陸(ローレンシア・バルティカ両大陸は既にデボン紀には衝突し、ユーラメリカ大陸を形成していた)、ゴンドワナ大陸(ペルム紀初期にはユーラメリカと衝突)、シベリア大陸などすべての大陸が次々と衝突したことによって誕生し、中生代三畳紀の2億年前ごろから、再び分裂を始めた[3]。 <

それでも私は信じがたいのだが。

JRF2023/11/87285

……。

>「ニッチとはその動物の生物的環境における位置、その主食にたいする諸関係、を意味する」

こうしてはじめて、ロシアの数理生物学者ガウゼ (G. F. Gauze) による有名な「競争的排除の原理」、つまり「同じニッチを占める競争種間にいかなる平衡状態の存在することも許されず、その内の一方の種が他方の種によって完全に置き換わるという結果になる」という原理が、なぜ成立できるかがはっきりする。「主食を同じくする別の種が、同時に同じ場所にいることはない」からである。

JRF2023/11/88904

だが、この定義のやり直しがもっと大きな意味をもつのは、それが動物の形の意味を説明できることによる。「主食は霊長類の手(指)と口(歯)の形を決定する」(「口と手の連合仮説」)と。もっとも、この関係は霊長類にしかあてはまらないと思うが。
<(p.27)

ニッチを開発することで、カロリーをチート的に十分取れるようになり、特殊な主食のための形態と、同種のものと違った体格などを得られるのだという。

「口と手の連合仮説」が本書の主な主張である。

JRF2023/11/89036

……。

メガネキツネザルの主食は甲虫で、それに適した吸盤のある手をしている。

>この地球は、「虫の惑星」とも呼ばれるほど昆虫が多いが、なかでも甲虫はその過半数を占める。<(p.49)

エリアーデ『世界宗教史 1』([cocolog:94505557])を再読したときに、蜂蜜がやっと受け容れられた昆虫食であることに言及した。

JRF2023/11/83303

なぜ、昆虫食は人類に受けないかというと、それを食べると、体が小さくなる方向に体が対応し、それが子にまで影響してしまうのだろうか? そういうことがありそうなら、昆虫食が注目されている現代、すでに何か言われてるはずなので、そういうことはないのだろう。しかし、骨食から離れるために埋葬をはじめたという私の考えから敷衍すると、自分達の起源と目される小さな猿しか昆虫食をしないのを見て、古代人が昆虫食は体を小さくするという「迷信」を持っていたとしてもおかしくはない。それを主食にはできないという「信仰」は無意識レベルでも残っているのかもしれない。

JRF2023/11/80198

……。

著者は、幸運によりマダガスカルやタンザニアには行けたが、そんなホイホイと行ける「身分」ではない。

>別に逃げも隠れもしない。しかし、私は自慢ではないが貧乏である。財産と名のつく物には、生まれてこのかたまったく縁がない。まして、日本では例の少ない独立研究者である。国の支援がない。<(p.128)

私もなんちゃって研究者で、「独立研究者」ということにはなるだろうが、著者に比べ数段ランクが劣る。なにしろ英語が不得意だからだ。さらにおそらく著者よりも金の自由がない。

日本の本は、洋書に比べて圧倒的に安いのだが、それでも好きに買える感じではない。(それにつけても金の欲しさよ。)

JRF2023/11/80094

図書館で…という人もいるかもしれないが、私が住む田舎の図書館には、私が読みたい本はなかなかない。また、借りないことになれてしまったので、変に買わずに読むと、あとから必要になって、必要な時間に探せないとかある。やっぱり買って読みたいが、そうすると金の問題が大きくなる。

英語を読めないが、仮に読めるとしても、洋書とかはすごく高い。ああいうの、海外の地場(?)の研究者はどうしてるのだろう? 日本の研究室の研究者は公費で買ってもらうのだろうが、しかし、私みたいな地場でやってるなんちゃっての研究者は、他の人、どうしてるのだろう?

JRF2023/11/87161

洋書だけでなく論文も読もうとしたら今は高く、とても個人では手が出ない。どうせ好きに論文を読めないのだから…と、結果、無料で読める英語論文も読む気が起きない。それではダメなのだが。

私の場合は、洋書も海外論文も「無理」になった。金の問題だけでなく能力の問題もある。読むのに3倍以上の時間がかかるし、そもそも私は、日本語の文章も読むのも遅いので日本語の文章を追うだけで手いっぱいである。私、研究者に向いてないんだろう。

まぁでも、執筆活動は続けるのだが。誰も読んでくれないと思うので、ほぼ自己満足のためだが。

英米人がうらやましい。彼らには彼らなりの苦労もあるのだろうが…。

JRF2023/11/81598

……。

>試してみたい人がいればやってみるといいが、ヒスイとダイヤモンドをぶつけると、ダヤモンドが割れるはずである。<(p.145)

日本語でググっても試してる人はいなさそう…。

JRF2023/11/84180

……。

西洋のある人類学者の文を批判して…。

>これは、先入観をもった人類学者の典型的な文章で、「異常なほどの」とか「こっけいな」という形容詞は、自分にとっての「正常」な何かを前提にしている。幾度も繰り返して言うが、ある生命体がある形をしているときには、十分な生存のための理由があり、それが「異常」に見えるのは、こちらの想像力の外にそれがあるということにすぎない。生命の研究をするものが、「正常」や「普通」を自分のなかに前提として置いているのはひじょうに危険で、いつも擬人化の落とし穴に落ちる可能性がある。<(p.155)

JRF2023/11/89214

この本を読んでるうちに考えたことで、「グローバル共有メモ」に書いたことがある。あまり関係ないが、ここにぶら下げておこう。

JRF2023/11/81192

○ 2023-11-07T05:02:26Z

特に昔のキリスト教徒の西洋人が、完全な自分(達)に向けて人類が進歩していっているみたいな見解をベースにしているそぶりがあって、それを揶揄するのは正直、楽しいのだが、ただ、それ自体は、ある種の淵源があり、それが、アダムが完全な人間として生まれているといった神話としても現れているのだと思う。それは何か?

JRF2023/11/80776

当初は、アダムの神話も、そしてノアの神話も、多民族がいる中での一民族の創世神話を元にしているのだろうが、しかし、それで初期の完全性を主張するのは、血の近い物の結婚を促す近親婚のすすめでしかない。アダムだけノアだけになるのは、近親婚のすすめを避けたのだろう。どの人類と交わっても彼らの子孫の内というわけだ。

JRF2023/11/88466

とはいえ、それだけとも私にはどうも思えない。中東の底意地の悪い宗教者が、まるで人類全体が平等であるかのようにただいうのはおかしい感じもするからだ。それはそれでメッセージがあるに違いない。もしかすると初期の人間の完全性というのは何か真実を含んでいるのかもしれない。

例えば頭の良い人間どうしをつがわせても頭の良い人間が産まれるとは限らない。平均への回帰があるからだ。そういうことがいいたかったのだろうか? しかし、それは家畜でも起こることである。それを越えて人類は家畜を品種改良してきた。

JRF2023/11/88560

家畜を品種改良したようには、どうも人類を品種改良できないということだろうか? 動かすパラメータが多すぎて、または絶妙過ぎて、動かせない…というのはあるかもしれない。

いや、逆に、人類は最高の家畜として産まれたという認識があるのかもしれない。最高に目的に沿った家畜は、その特長をへらさずにただ増やしてその特長を固定化していくことしかできないという認識があるのかもしれない。

JRF2023/11/81544

「逆」といったが、これは人類を品種改良できないという認識にもつながる。なぜなら、すでに品種改良されきっていたから。

「人類家畜化計画」とか陰謀論で話題になるが、それは根本的に何かを勘違いしているのかもしれない。

JRF2023/11/84692

○ 2023-11-07T05:24:25Z

Bard さんに問いかけてみたところ、生成の規制で半分ぐらい通じなかったが、その中で現代では遺伝子操作が可能になっていることを指摘された。宇宙へ人類が進出することを考えると、遺伝子操作などの必要もあるのかもしれない。言葉は悪いが、ある種の家畜化を通じた遺伝子操作を受け容れる人類が一定期間必要なのかもしれない。

その辺は小説『エアロダイバー』で描いた未来図とも重なる。

《エアロダイバー 他五篇 - JRF - Amazon Kindleストア》
https://www.amazon.co.jp/dp/B01CEE9CW6

JRF2023/11/82595

……。

人類の完全性という概念には、狩猟に生きるだけなら百獣の王に勝るだけが、植物採集も行うことで万物の王であるという自負は、それはそれであったのかもしれない。しかし、それでも食えないもの/食わないものはいろいろあった。上で挙げた昆虫食のように。

JRF2023/11/82004

……。

>哺乳動物が小型でも大型でもないという境界線上で生きてゆくためには、特別な生きかたをしなくてはならない。大型種には植物の葉、小型種には果実や昆虫という無尽蔵の食物供給源があるが、この中間的な体重クラスの哺乳類にはそういう指定席はない (ウシ科はどうも別のようで、反芻胃による草の効率的な消化は、中間的な体重クラスでも草で生きてゆける方法を開発している)。他の哺乳類がすでにやっていまっているようなことをしたのでは、生きてゆけない。

JRF2023/11/84658

彼らはある特別の食物をもとめて長距離を移動したり(タイリクオオカミ)、例外的に速いスピードで走ったり(チーター)、跳び上がったり(ヒョウ)、固い地面を掘ったり(ツチブタ)しなくてはならない。こうして彼らは新しいニッチをつくり出した。新しいニッチの開発は、新しい食物の開発とその食物を食べられるようにした体の形、霊長類では口と手の形ができあがることとセットになっている。

人類の新しいニッチについていえば、地上で立ち上がって移動するという例のない生きかたによってはじまっている。
<(p.159-160)

JRF2023/11/83896

上のニッチのところで述べたことがここに書いてある。

JRF2023/11/81140

……。

著者は、渡辺仁『ヒトはなぜ立ちあがったか -- 生態学的仮説と展望』(1985)を大きく参照していく…。

>「ヒト科の祖先は、霊長類としての強大な犬歯を欠くだけでなく、2足化によって敢えて走行速度をも低下させた点で、肉食動物の進化の通則に反したことになる。この異例の、肉食化にはマイナスの方向への形態・構造的進化をうながした要因は、これもまた動物界に前例のない適応方策としての道具の消極的開発以外に考えにくい」<(p.188)

JRF2023/11/81799

そこで出てくるのは芋のような根茎を食べるための「掘り棒」とそれを鋭くするための石器で、それらがここでいう「道具」の原点と渡辺氏は考えているようだ。オーストラリア原住民も棒切れを使って穴を掘り、実際に食物を得ている(p.189)。しかも、オーストラリア原住民は歯で棒をむしって掘り棒を作っており、それなら、アウストラロピテクスにも可能だろう。

JRF2023/11/87357

しかし、この説では、人類の歯の形を説明できないし、アウストラロピテクスと狩猟をしたそれ以外の初期人類のニッチが重なることになり、同じニッチに複数の動物種は共存できないからおかしい。さらに、土中の食物を食べると土や砂も同時にかむがそれに適した歯は別にある。

そこで著者は、スカベンジャー説の説明に移る。実は、渡辺氏もスカベンジャー説やボーン・ハンター説を取り上げてはいたのだ。

JRF2023/11/85797

……。

>スカベンジャー仮説をもっとも早く提唱したのは、アメリカの人類学者ビンフォード(L. R. Binford) である(…1981年?…)。<(p.193)

>スカベンジャー仮説は、いずれにしても肉食に重点があり、そのことが他の肉食獣との競合の問題を引き起こしている。この点で「現生狩猟民ほどの本格的武器もないアウストラロピセサインが敢えて肉食獣との食物の競合の危険性に挑戦したとは考え難い」という渡辺仁さんの見解は健全だと思う。

(…)
こうして、最後の仮説にたどりつく。ボーン・ハンティング(骨猟)である。
<(p.196)

JRF2023/11/89665

……。

渡辺氏は書く…。

>「Porshnevは“ボーン・ハンティング”(bone-hunting)仮説を提出した。これはほとんど無視されてきたが、まったくユニークでしかも矛盾がなく適切な見解であって筆者はこれに賛成である。筆者は狩猟採集民と霊長類に関する事実から、“骨あさり”が大型獣猟に先行した可能性を考えている」、「アウストラロピセサイン関係遺跡の大型獣成獣の遺残の解釈については、上述の Porshnev の“骨あさり”説が、既存例としては最も妥当にみえる」(渡辺、前掲書)

JRF2023/11/82562

ポルシュネフ (B. E. Porshnev) の論文は、アメリカの人類学専門誌『カレント・アンソロポロジー』のアイデアの紹介欄に掲載された。この論文を読むと、これを評価した渡辺仁さんのすごさがわかる。
<(p.197)

>ポルシェネフの説明はこうだ。『彼らは骨の猟師だった。肉食獣の捨ててしまた骨を集めていたのである。誰もが知るとおり、肉食獣は腹いっぱいのときがもっとも安全である。ヒト科動物は、彼らが危険な夕方や夜ではなく、昼間に活動していたのである』。<(p.198)

JRF2023/11/80954

しかし、渡辺氏は、結局は「掘り棒」仮説に戻り、ボーン・ハンティング説からは離れた。骨は現代の栄養学の常識では食物ではないからであろう。と著者はいう。スカベンジャー仮説も、骨を食べるのではなく、骨を割って骨髄を食べるのだと明言して、骨を食べることは想定していない。(p.199)

JRF2023/11/81902

しかし、著者は実際、ウシの肋骨を包丁でつぶし、それをゆっくり歯の間でころがしながら、臼歯で前後左右にすり潰すことで、「あれほど堅い骨とそのなかの骨髄は残りなく呑みこめるほどにやわらかな糊状になった」(p.206)、そして食べることができた。骨まで消化するなら、その栄養価はきわめて高い。

>人類は他の霊長類には見られない平らな歯列をもつことで、下顎を前後左右上下に回転させて骨をすり潰すことができる。この運動を根気よく続けると、骨は食物になる。<(p.206)

JRF2023/11/87989

……。

ただし、それにはどうしても前処理がいる。堅い大きな骨は、まず、石で砕くしかない。

>初期人類以来、人類の手の親指は太くなっていたが、(アファレンシスではゴリラ程度とはいっても)。それは主食である骨を割るために石(石器でないとしても)を握りしめる必要があったからである。<(p.205)

ここでこの本のタイトルが回収される。

JRF2023/11/88156

……。

>中期旧石器時代の人類はオットセイの回遊の季節性を理解しておらず、漂着したオットセイを拾っただけなので、あらゆる年齢のオットセイの骨が遺跡に残された。だが、後期の3万年以降では、人類(現代型ホモ・サピエンス)はオットセイの回遊の季節性を知り、捕まえやすい幼いオットセイをとるようになったのである。<(p.224)

吉田敦彦『日本神話の源流』([cocolog:94490727])を読んだときに考えた古代の大陸移動説につながら、北極星の位置の変化などに気付いたのはいつなのだろう?

JRF2023/11/85734

……。

>南アフリカの洞窟遺跡から出土したカサガイを測ると、中期旧石器時代(11万5000年前)には直径が 7 センチメートル以上あるが、後期旧石器時代(3万2000年前〜1万2000年前)では 5〜6 センチメートルに過ぎない。現在では、このカサガイはまったく利用されていないので中期旧石器時代と同じ大きさに回復している。後期旧石器時代にはカサガイを過剰に、十分に成長する前に採取したことがわかる。これはあきらかに人類による生態系の攪乱である。

JRF2023/11/87691


野生動物は生態系攪乱者としては生きてゆけない。だが、ヒト(現代人)は最初から生態系攪乱者として出現している。このことが、ヒトと野生動物との決定的なちがいである。
<(p.225-226)

これにちょっと関連するかもしれない。10月ぐらいに漁獲規制についてメモしていた。

JRF2023/11/86086

○ 2023-10-17T05:38:19Z

私も昔は、動物や魚を食べる国の人のほうが、自然にその動物や魚を保護するようになるだろうと考えていた。しかし、うなぎ が絶滅危惧種となるに及んで考えを改めざるをえなかった。勝川 俊雄 さんなどが主張するように漁獲制限を積極的にするなどすべきだと思う。

JRF2023/11/82670

○ 2023-10-22T11:37:44Z

(…勝川俊雄さんの小サバに関する論調を受けて…)漁獲規制には賛成だけど、稚魚の放流よりは網の目を大きくして成魚だけ獲るようにした方がいい…というのは今はいいけど、何百年単位で考えた場合、魚のサイズを小さくする方向に進化的淘汰圧をかけるのでまずいんじゃないか。大きい体の魚の遺伝子を意図的に放流するのも必要では?

JRF2023/11/86324

○ 2023-10-23T17:55:23Z

《勝川 俊雄:X:2023-10-23》
https://twitter.com/katukawa/status/1716423160260858059
>「日本の水産資源は勝手に減る」
「日本の漁業は利益が出るはずがない」
「公的資金で漁業の現状を維持しないといけない」
そういう風に信じ込んでいる人が多くてビックリする。ちょっと考えれば、そうでないとわかるはずなんだけど。

JRF2023/11/80153

ただ、以前『サイエンスZERO』で、海水温の変化のため魚が減っているという話題は見たことがある。私は、海水温のわずかな変化で魚がそこまで減るのは信じられなかったので、排水設備の充実で、海がきれいになりすぎたのが問題では?…と思ったのだが。

JRF2023/11/86000

……。

>主食は常の食物だから、握りしめる石は常にもっていなくてはならない。握りしめた石は四足歩行をむつかしいものにした。肉食獣が食べ残した骨があるのは、アフリカの平らなサバンナである。平坦な広野という二足歩行に適した環境条件があり、食物のために石を握りしめていた初期人類は、二足で立つ理由があった。この条件のなかでだけ、力学的バランスの悪い、移動速度の遅い直立二足歩行が可能となった。

JRF2023/11/86093

サバンナには、ライオンやヒョウやハイエナのような多くの捕食者たちの脅威があるにもかかわらず、速度の遅い直立二足歩行を人類が採用したことには驚かざるをえない。ニッチは捕食者よりも主食によって決定され、ニッチはまた、移動方法を決定している。
<(p.229-230)

JRF2023/11/80668

……。

>化石の絶対年代の決定技術が開発されるとともに、分子時計の技術が開発され、分岐年代があきらかにされつつある。これが分岐の深さの問題を解決してくれる。しかし、空白をうめるための作業は、山師たち、精神的にも肉体的にもタフで恐れをしらず、知識の世界と現実世界での冒険者たることを恐れない者たちの手にゆだねられている。<(p.248)

JRF2023/11/89550

事実から逆に系統樹を辿ることの問題は、[cocolog:73888324] で>遺伝子の違い、つまり、「距離」からその祖先を決定するのは「グラフ理論的」におかし<いと書いた上で、>考古学資料とか、別の情報を加味することで(進化の)方向が特定できる<。…と書いたことがある。

JRF2023/11/81086

ただ、これが本当に意味のあることを言っていたのか、今では自信がなくなってきた。[cocolog:73888324] で挙げた例が単純過ぎたからだ。単純なものにした適用できない論なのかもしれない。事実から逆に系統樹を辿る分子遺伝学(考古遺伝学・分子人類学)の方法(「遺伝子木」の方法?)は正しいのかもしれない。…と傾きつつある。

JRF2023/11/83939

……。

>「"bone hunting" はこれだけをとりだしてしまうと、霊長類にも現代人にも類例がないので突飛にみえるが、食性進化史的ないし技術史的にみれば、大型獣猟の発生とともにその中で吸収され発展的に解消したとみることができる。獣骨割り -- 骨髄食が現生狩猟採集民間に殆ど汎世界的に広くみられるのは、それが大型獣猟以前からの古い習性の名残である可能性を暗示するようにみえる」と渡辺仁さんは言う。<(p.249)

JRF2023/11/88527

骨髄食が続いているというのは、私の「骨髄食をやめ道具を使って狩りするようになるため骨の埋葬をはじめた」という説とは衝突する。骨髄食を続けているのがタブーが通用しない老人などであれば、または、埋葬の習慣がなかったりすれば、私の説はまだ成り立つのだが。

JRF2023/11/80628

« 前のひとこと | トップページ | 次のひとこと »