cocolog:94505557
エリアーデ『世界宗教史 1』を再読した。人類スカベンジャー説から、骨髄食をやめ道具を使って狩りするようになるため骨の埋葬をはじめた…という補助線を引くことで、いろいろなことがつながった。 (JRF 2671)
JRF 2023年11月 5日 (日)
現在、私は『宗教学雑考集』(仮題)を書いていて、そこで参考にするために、この本を再読した。直前の [cocolog:94490727] では、同じ動機で、吉田敦彦『日本神話の源流』を読んで、定住の文化(=「堕胎」文化)と非定住の文化(=「捨て子・骨肉の争い」文化)の違いなどを考えた。
いつものように引用しながら、コメントしていく。今回は、先にグローバル共有メモや Twitter に書いたアイデアも多いが、その点は残さずコピペ&ブラッシュアップする。
JRF2023/11/51799
……。
熊の骨が特定の場所に「堆積」しているのが、ヨーロッパ各地で発見された。それをただの堆積と見る研究者もいるが、供犠か何かの宗教的感情によるものとも考えられる。
JRF2023/11/51130
>頭骨と長骨が至高神、もしくは動物主への供物をあらわすのかどうか、あるいはそうではなく、骨がまた、肉に覆われることを願って保存されるのかどうかはやがて判明するであろう。この後者の信仰でさえもが、さまざまに解釈されうるのである。動物は動物主によって「再生」するのか、骨に宿る「霊」によるのか、あるいは狩猟者が、その骨を(犬に食われることを避けるために)「埋葬」したという事実によって「再生」するのであろうか。<(p.38)
>サハリンのギリヤーク人、アイヌ人の熊祭り<(p.39)
JRF2023/11/51210
>アルカイックな宗教思想の重要性は、それが後代に「生き残る」力によっても確認される。したがって、動物がその骨から再生できるという信仰は、相当数の文化に認められている。これが肉を食べたあとの、動物の骨を砕くことを禁じる理由である。これは狩猟民や牧畜民の文明に固有の思想であるが、より複雑な宗教や神話のなかにも生き続けた。<(p.39)
JRF2023/11/56391
熊祭りなどに関して、骨を砕かずに埋め、その再生を願う宗教があったという。しかし、昔の人類にも、再生しないことは明らかで、骨を砕かない意味はない。とすると、人類スカベンジャー説を思う。つまり、従来のスカベンジャーとして生きるのを否定し、道具を使った狩りに生きるのを子孫に強制するために骨を砕いて骨髄食することを否定したため、そのような宗教という形になったのではないか?
もしかすると、そうやって動物の骨を埋葬するのが先で、そこから人類の埋葬がはじまったのかもしれない。
JRF2023/11/58184
埋める理由は人間の場合は、人間の味を他の動物に覚えさせないためとできるが、動物のほうは、犬などがあさると自分も欲しくなるからだろうか。
あと、食人もしばしば見られたようだが、食人を(あまり)しない理由は、人間の味を覚えて、戦争や不用意な殺人を犯させないためであろう。
JRF2023/11/51685
……。
あと、なぜ骨髄食が避けられたかであるが、上に挙げたように、道具を使い狩りをするのを優先するため…というのはあるとしても、他に一つ、狂牛病(BSE)でささやかれたプリオンの問題があったのではないか?
いや、話は逆なのかもしれない。プリオンなどの問題が現代提唱されたのは、骨髄食に致ろうとしていた現代人にそれをやめさせるためだったのかもしれない。陰謀論になるが。
JRF2023/11/52236
……。
>脳を「霊魂」や「精霊」の宿るところとしたことは、重大な結果をもたらした。一方では、生贄の脳を食べることによってその霊的要素を同化することができると信じられたし、また他方では、力の源泉である頭骨は崇拝の対象となった。<(p.64)
それに対して、心が心臓にあるという説は、心臓が動いていることに価値を見出すことから、それが止まっていては意味がないとなる。だから、殺して食っても意味がないとなる。これは人肉食のため人を殺すのを押し留めるための言説だったと、脳に関する説と対照してみると、そう思う。
JRF2023/11/50465
……。
>土壌の豊穣は女性の多産と密接に結びついており、その結果、女性は豊作に責任を負うことになる。というのは、女性は創造の「神秘」を知っているからである。<(p.72)
ハイヌウェレ神話に対する仮説を唱えた [cocolog:94486803] では、ハイヌウェレが女性であるのは、定住を続けるために「堕胎」をするのが女性で、そこが秘密=聖の領域だったからだ…と考えたのだった。
ただ、土地が肥えてるほうが多産になるから、女性と結びつくというのもそうかな…とは思う。ただ、肥えた土地を持つことを誇る男性王権とかもありうるのでは、ちょっと理由付けとしては弱いかとも思う。
JRF2023/11/57520
土地を肥えさせるために使う糞尿を男達に秘密にできたとも思えないし…。でも、糞尿を見て怒る男性がハイヌウェレ神話の大事なモチーフになっていることを考えると、意外に男性はそのことを知らなかったのか? …とすると、男性は狩猟・漁撈に出て忙しかった…ということなのだろうな。それほど男性は忙しくしないといけないというのも物語は暗示していたのかもしれない。
JRF2023/11/54414
……。
>農耕文化は、その宗教的活動が、宇宙の周期的更新という中心的な神秘のまわりに集中されるので、宇宙的宗教とよばれるものを作りあげた。人間的存在とまったく同様に、宇宙のリズムは、植物の生から借りた言葉で表現される。宇宙の聖性の神秘は、世界樹に象徴される。宇宙は周期的、言いかえれば、毎年、更新されなければならない有機体として考えられた。<(p.74)
狩猟・漁撈文化も結構、季節が大事だとは思うのだが、農耕ほど日付が厳しく問われないのかもしれない。
JRF2023/11/55639
……。
かつては鉄は隕鉄…空からやって来るものしかなかった。それが冶金術の登場により、地殻鉄鉱が使えるようになった。
>この事実は重大な宗教的帰結をもたらした。隕石に内在する天空の聖性と並んで、人々は今や、鉱山や鉱物が分有する大地の聖性に直面している。金属は大地の懐で「成長する」。鉱山や洞窟は、母なる大地の子宮と同一視される。<(p.88)
JRF2023/11/58454
>数千年後の錬金術師も、これと異なる考え方をしているわけではない。ベン・ジョンソン作『錬金術師』の一登場人物は、「鉛や他の金属は、金になる時間を与えられれば、金になるだろう」と断言する。また、別の錬金術師は、「それこそ、われわれの技術が実現することなのだ」とつけ加える。「時間の支配」をめぐる争いは、「生命の合成」(錬金術師の長年の夢である小人)への決定的段階である、有機化学がもたらした「合成物」によって大成功することになる。近代の科学技術社会の人間を特徴づける、時間にとって代わろうとする努力は、すでに鉄器時代に始まっていたのである。<(p.91)
JRF2023/11/50116
金が生成されるには、銀河の衝突ぐらいのことが必要で、そこだけ見れば、ダイアモンドなどよりは、よほど価値があるという話はどこかで観るか読むかしたことがある。金、今、市場では最高値とか言われてるが、アジアでは金が重視されるから、金価格が上昇するのは、当然のトレンドだったか。アフリカなどが豊かになるから、金にはまだ上昇する余地があるのかもしれない。でも、その先はどうなのだろう? 宇宙で金鉱床が見つかって安くなるときが来るのだろうか?
JRF2023/11/50601
銀河の衝突の話は↓。
《別サイト記事再録 − 「日銀カード(仮称)」構想》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2006/09/post.html
『NHKスペシャル 宇宙 未知への大紀行 3 百億個の太陽』(NHK「宇宙」プロジェクト 編, NHK 出版, 2001年10月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4140805935
JRF2023/11/57650
……。
>バビロニアの都市は星座にその祖型をもつ。シッパルの祖型は蟹座、ニネヴェは大熊座、アッシュルはアルクトゥルス星などによっていた。この概念は、古代オリエントでは一般的である。<(p.101)
JRF2023/11/55123
《北極星 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%A5%B5%E6%98%9F
>歳差運動により天の北極が移動するため、北極星の役割を果たす星は年ごとに天の北極に近づいて極値となってから離れていき、他の星との比較によって北極星の役割を交代していく。この変化は人類の有史時代の長さに比べてゆっくりで、およそ25,800年で元の星に戻り、これを繰り返す。
JRF2023/11/52590
ただし、各恒星の固有運動があるために正確な繰り返しとはならない。例えばうしかい座α星のアークトゥルスは全天21個の一等星のうち固有運動がケンタウルス座α星に次いで大きく、紀元前58,000年頃に天の北極に近く北極星となっていた[注釈 2]。計算から、紀元前2,000年代にはりゅう座α星(Thuban)が天の北極近くにあった。
JRF2023/11/51702
紀元前2,500年のエジプト第4王朝に建てられたクフ王のピラミッドは、建設当時の北極星とおおぐま座のミザール(視等級2.2等)を使って正確に真北を求めて建設されていたらしいことがわかっている[2][3]。およそ紀元前12,000年頃はこと座のベガが北極星であり、いまから約11,000年後には再びベガが北極星になる。
<
JRF2023/11/59509
北極星が動いてることは、古代にも認識されていたのではないかと疑う。吉田敦彦『日本神話の源流』([cocolog:94490727])を読んだときは、それを大陸移動と「間違う」こともできたと考えたのだった。
ただ、それをどうやって伝えていたのかは気になる。地上に星を描くといっても、何千年単位でやっと気付く北極星の位置の変化をどう伝えたのか…。
JRF2023/11/59771
……。
>洪水が近い将来起こることを予言している神話を検討してみると、洪水の主因は人間の罪であると同時に世界の老朽化であることが確認される。<(p.103)
keyword: ノア
ノアについてもいろいろ考えているが、まだ、私はその物語を十分に理解できていない。
JRF2023/11/53938
[aboutme:76890]
>義人ノアの物語というのは義人ヨブの物語と同じような周辺を持っているのかもしれない。ノアの行動というのは表面的には決して善ではない、洪水が最も恐ろしい災害だった時代に一人だけ逃れるようなことは唾棄すべきこと、しかし、ノアは善とされる、その条件は何か、という構造だったのでは?<
JRF2023/11/53307
《時効延長絶対反対》
http://jrf.cocolog-nifty.com/society/2010/03/post.html
>カナンはノアの末の息子の子、すなわち、末の孫。「奴隷の奴隷」という表現を使いながら、案外もとは孫を手元にずっとおいておきたい、という微笑[ほほ]えましさ、愛であったと見ることもできる。<
JRF2023/11/52605
……。
シュメールの神話、イナンナの冥界降り。イナンナは冥界で一旦殺される。
>策略を用いて、彼らは「釘に吊り下げられた死体」をやっと生きかえらせる。<(p.105)
なるほど、イエス・キリストの十字架はここに淵源を持つのかもしれない。
JRF2023/11/52233
……。
女神イナンナは冥界主である姉エレシュキガルの地位を奪うため、冥界に降る。一度、死んだところ「生命の食物」と「生命の水」を仲間が届けて復活する。しかし、イナンナは冥界から戻るために、身代わりを要求される。悪霊を連れて戻り、ある都市に向かうが、そこはイナンナにひれ伏したので他を探すことにする。首都ウルクに戻ると、イナンナの夫ドゥムジが、イナンナを悼むどころか、わが世の春を謳歌していた。「この者を連れてゆけ!」。イナンナはドゥムジを悪霊に引き渡そうとした。ドゥムジは蛇になって逃げた。その後は、文献が残っていない。(p.105-106)
JRF2023/11/53811
吉田敦彦『日本神話の源流』([cocolog:94490727])を読んだとき、オルフェウスとイザナギの冥界下りが非定住文化からみた定住文化の揶揄というのが私の説だった。イナンナのものはおそらくそれを逆転させた説だろう。
姉はより古い冥界=非定住文化にとついで文化を守るはずだったのだろう。しかし、イナンナは都市の拡張のためか、非定住文化も支配したいと考えたのだろう。その際、非定住文化側はそれによる文化的断絶をなじり、その代替・補填の文化を求めたのではないか。
JRF2023/11/53960
新しい文化主イナンナは、「生命の食物」は骨髄、「生命の水」は血を与えられた。それを食するのを否定してきた文化的祭りをどう補填するかが求められたということだろう。
するとドゥムジに求められるのは、この補填である。とすれば、ドゥムジはヘルメスとなって、鉱山を探すのにつながる骨に高値を付ける考古学と、瀉血の医学をつかさどるようになったのではないか?
ドゥムジが蛇となったのは、骨髄の食いでのある長骨がないこと、噛まれた際、毒を吸い出すためには血を吸って吐く必要があったからであろう。
JRF2023/11/59239
ちなみに文献が大事な部分で残ってないことが、この本では何度もあるが、イニシエーションの儀式・密儀などで、そこが問題に出されるため、残ってなかったとかあるのだろうか?
JRF2023/11/50453
……。
>世界の創造に先立つ「混沌」は、王の儀礼的な「死」、すなわち冥界降りをも意味していた。つまり、二つの宇宙的様態 -- 生と死、混沌[カオス]と宇宙[コスモス]、不毛と豊穣 -- は、同一過程の両局面を構成しているのである。農耕発見ののち把握されたこの「神秘」は、世界、生命、人間存在の統一的説明原理となる。それは宇宙のリズム、人間の運命、神々との関係をも支配するので、植物のドラマを越えている。
JRF2023/11/58589
この神話は、愛と豊穣の女神がエレシュキガル王国を征服すること、すなわち、死を絶滅することに失敗したことを物語っている。(…)ドゥムジ - タンムズは、六か月後に「再び現われる」ために「消える」のである。
<(p.108)
死と復活の信仰、太陽・季節の信仰は、なぜあるのか。不作になった場合、死が来るのはわかる。しかし、そこから復活するのはなぜか。文字信仰にはまだ早い。不作により文化が死んだあと復活するには秘伝があってはいけない。
JRF2023/11/55912
逆に秘伝があるとする者に王権に庇護を求めさせる、王権集中の制度が季節の信仰だったのではないか。
一方、私には捨て扶持理論がありそれが僧の階級につながったとするが、そちらは文字信仰や偶像信仰など最終的に物として残る信仰で別だったのではないか。
keyword: 捨て扶持
大角修 訳『大日経・金剛頂経 全品現代語訳』([cocolog:93896796])を読んだとき、日本はイザナギ・イザナミの夫婦神の生成によると同時に、日本の国土は原初の海底にあった大日如来の印から始まった…ともあった。その阿字信仰は、文字信仰の究極のものだろう。
JRF2023/11/52575
……。
>ティアマトは、もはやたんに天地創造に先立つ原初の混沌的全体なのではなく、最後に無数の怪物を生みだす神であることがあきらかになる。<(p.116)
デュルケム『宗教生活の原初形態』([cocolog:94474286])を読んだときトーテミズムと私の「イメージによる進化」論を結びつけ、キメラに言及した。古代のキメラの流行の背後には、出産の異常をコントロールする薬などの発見があったのかもしれない。しかし、それはコントロールしきれなかっただろう。キメラの肯定は消えた。それが「無数の怪物を生みだす神」のイメージを作ったのではないか。
JRF2023/11/58647
……。
メソポタミアで、
>王は地上の生まれであることを認めていたが、「神の子」とみなされていた(ハンムラビ王は、自分はスィン神の子で、リピトイシュタル王はエンリル神の子だと公言している)。この二重の出自のゆえに、王は神と人間のあいだの、すぐれた媒介者であった。王は神の前で民を代表した。臣下の罪を償うのも王であった。王は、ときにはその臣民の罪のために死ななければならなかった。それゆえに、アッシリアには「王の身代り」がいたのである。<(p.121)
ここも「王の身化り」はイエス・キリストにつながる概念なのだろう。
JRF2023/11/54906
[cocolog:94206389]
>神が人となることについては、ずっと昔の形態として、ネフィリムとかギリシア神話とか、神と人が結婚して子供が産まれるというものがある。王は神の血を引いているというのがよくあった。「神の化身」も歴史以前にはよくあったと思われる。
JRF2023/11/58811
ただ、神が人を超えた力を持てば持つほど、王などが同じ力を持つとするのは不可能になっていく。王に不可能なことがなぜ他の人に可能なのか。そういう「スーパーパワー」を必ずしも持たないのに、なお神の化身でありうるには、カリスマを持つ「救世主」概念の登場まで待つことになるのだろう。神がその力を抑えて人となるのは、人に範を示すなど人を通してでなければ得られないカリスマが必要などとなったのだろう。
<
《『創世記』ひろい読み - ネフィリム》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/08/post_3.html
JRF2023/11/51352
……。
古代エジプト後代(前2000年頃)のテクスト…
>神の家畜である人間は十分な備えを与えられた。<(p.140)
keyword: 洞窟猿
エジプトには人間が元は、洞窟猿の家畜から進化したという考えがあったのだろうか?
JRF2023/11/57457
はてなブックマーク - 《「親指はなぜ太いのか」・「はだかの起原」をお書きになった島泰… - 人力検索はてな》
http://q.hatena.ne.jp/1176195712
jrf:>骨髄食スカベンジャー説とハダカ洞窟住説が同時に起きたなら、古人類は屍肉が捨てられる洞窟に住んでた。→進化があるほど長期、捨てる別の何かがいたというおかしなことになる。人類は家畜?人類は皆、幼年期?<
JRF2023/11/57339
……。
>天に着いたファラオは太陽神に晴れがましく迎えられ、使者が四方に遣わされて、ファラオが死を征服した旨を告げる。天上では、王は地上での生活を続ける。つまり、玉座に座り、臣民の礼を受け、ひき続き裁きをくだし、また命令をくだす。<(p.147)
副葬品を棺に入れる文化には、霊になったあとも霊界で・霊界から死後も支配するという概念がある。なぜそれが生じるのか。
そもそもの人の埋葬は子宮墓に見られるように、自然に還り、そこから女の子宮に入り「復活」するというものだった。その場合、赤ん坊のように裸で埋葬すれば十分だった。
JRF2023/11/56338
しかし、自然に還って復活するという概念は崩れることがありうる。それは、メソポタミアで頻繁にあったように他民族による侵略がある場合だ。侵略により生き残る場合、再び生まれるものは別の民族である。
埋葬は骨髄食を避け道具を使うためというのが私の上の論だった。ここで、埋葬に対する信仰が崩れると、再び、骨髄食に戻る…道具を使う方向への進歩が否定される恐れがある。ドゥムジは、考古学の方向に進んだ。それは「盗掘」の是認につながる。([cocolog:70803146] で、儒教と盗掘の関係みたいなものを考えたことがある。)
JRF2023/11/51048
つまり、死後、軍団として霊界に生きて再び来る期待を生じさせ、死後、霊界で生きる装備を埋葬させる。…そのことにより、埋葬は維持されるようになる。しかし、その信心だけではシステムを維持できない。システムの維持にはそこから利益を得る者が必要である。よって、霊界に生きて再び来る期待を持続させるのは、制度化された「盗掘」により利益を得る宗教者集団ということになるのだろう。
JRF2023/11/54081
骨髄食が問題なので、盗掘により骨があとから散らされても大きな問題ではない。しかし死後の信仰は、骨を散らす泥棒の盗掘よりは宗教者による管理を選好させることになる。特に譲渡性の高い金属器の登場で、このシステムが可能となった。
しかし、このシステムが民間にまで及ぶと、宗教者が管理しきれなくなる。金属のようには盗まれない物が選好されるようになる。それが埋葬品というか墓の、石への退化で、巨石文化や古墳文化などを説明するのではないか。
JRF2023/11/51178
Bard さんによると、金属器普及前の巨石文化や古墳文化があるとのことだが、埋めて価値のあるもの(宝石など)があればこの論は成り立つので問題ないとしたい。
JRF2023/11/55631
……。
>実際、巨石文化の死者儀礼は、霊魂の死後の存続についての確信ばかりではなく、とりわけ祖先の力への信頼、彼らが生きている者を守りたすけるだろうという期待をも含んでいるように思われる。そのような確信は、他の古代民族(メソポタミア人、ヒッタイト人、ヘブライ人、ギリシア人など)にみられる概念とは根本的に相違する。
JRF2023/11/58770
後者にとって、死者は不幸で無力な、そして哀れな霊魂であった。さらに、アイルランドからマルタ島、エーゲ海諸島まで、巨石記念物を作った人々にとって先祖との儀礼的交わりがその宗教活動の要[かなめ]を成すの対して、古代近東や中央ヨーロッパの原歴史的文化においては、死者と生者の分離がきびしく定められていた。
<(p.175)
宗教者が「盗掘」から利益を得ていることを隠すために、「死者と生者の分離」が必要だったのだろう。そうされるから「哀れ」なのだろう。それがない巨石文化とはどういうことか。
JRF2023/11/56027
巨石文化…石の棺の文化は、副葬品を守ると同時に技術的な価値があるのだろう。
メソポタミアやエジプトと同様、侵略を受けた文化が、埋葬を維持するために、霊界からの支配が続くよう副葬品を充実させたという面はあるのだろうが、ここでは盗掘はあまり考えられていない。
骨髄食をやめさせるのは、同時に道具を使う文化のためだった。道具を使うことが利益となっていた。エジプトでは金属器が利益となっていた。では、金属器の前の石棺の文化にはどういう価値があったのか。それは石を切り出す技術が受け継ぐべき技術となったということではないか。それが受け継げるのが社会の・宗教者の利益とされたのではないか。
JRF2023/11/56313
石の棺の文化は、侵略を受けた文明が、石を切り出す技術を平和時に維持するために、死後自然に帰るのではなく、死後も霊界で生きるという解釈のもとできてきた…と考えるほうがもっともらしいように思う。
ただ、Bard さんによると縄文時代の石棺は私の理論では説明しづらい…とのこと。
JRF2023/11/50427
確かに、縄文時代の石棺は私の論に反するように思う。縄文時代、どうして死後自然に返すのではなく、わざわざ石を切り出してまで、死後の存続を願うような考え方が現れたのか。それはむしろ石に閉じ込めておく呪術であったのか…いや、そこまでするほどの悪人がいたとは考え難い。それは、高貴な身分…埋葬されたのは自然に帰るのを拒否した渡来人だった可能性はないだろうか。
JRF2023/11/56349
……。
>祖先崇拝には他の形体も存在することはたしかであるが、巨石宗教の特徴は、永遠性および生と死のあいだの連続性の思想が、石と合一または結合したものとしての祖先を崇拝することを通じて、理解されているという事実である。<(p.185)
子宮墓のように土に還らなければいいと観念されたのは、石で守るという概念が先にできたからであろう。インドネシア神話の石とバナナの話のように石は従来から永遠を示すものでもあったのだろう。もちろん、(私が重視するような)利益だけの問題ではなかったろう。
JRF2023/11/53187
……。
ミノス文化の…
>クレタ島でも、洞窟が長いあいだ住居の役目をはたしていたが、とくに新石器時代以降は、墓所としても用いられた(この風習は近代にいたるまで残っていた)。<(p.193)
洞窟猿の話を思い出す。
むかし『水竜狩り』という小説(↓所収)を書いたあと、その続篇として、片手を失った主人公が生き延びて着いた島が、哲学者の島で、そこでは人間の錬成…つまり優生学的な好みの子供を作るための実験がなされていた。…という話を考えていたことがある。
JRF2023/11/52670
《エアロダイバー 他五篇 - JRF - Amazon Kindleストア》
https://www.amazon.co.jp/dp/B01CEE9CW6
昔から私は「美しい人類」である金髪・碧眼が生じたのに不思議を感じていて、そこには、そういう優生学的な実験があったのではないかという疑いがあった。先史以前にそれがなされていたのが、「洞窟」であるというのは、ありがちな妄想かもしれない。
JRF2023/11/59805
……。
ヒッタイト人の神話。
神テリピヌが姿を隠す。アマテラスみたいに。
>だが、彼が姿を消したことの影響は直ちに現われる。かまどの火は消え、神々も人間も「打ちひしがれた」と感じる。雌羊は子羊を、雌牛は子牛の世話を怠る、「大麦も小麦も実らず」、動物も人間も愛の営みをやめ、牧場は乾き、泉も涸れる(これは、おそらく、聖杯伝説で有名になった「荒地」という、よく知られた神話モチーフの最古の文献資料であろう)。
JRF2023/11/53512
そこで太陽神はテリピヌを捜すために急ぎの使者 -- まずワシ、それからほかならぬ嵐神(…テリピヌの父…) -- を送るが、失敗に終わる。ついに、母神は蜜蜂を遣わす。蜜蜂は茂みで眠っているテリピヌを見つけ、ちくりと刺してめざめさせる。怒り狂ったテリピヌは国土にひどい災害をもたらしたので、神々は恐れをなし、その怒りを鎮めるために呪術を使う。
<(p.210)
JRF2023/11/54895
荒廃世界の幻想という題のコラムが『宗教学雑考集』にあり、それは『「シミュレーション仏教」の試み』にも載っている。そこでは、憎しみが多いと捕まる人が多い…ことが、仏教の一つの柱になっているのではないかという話をした。
『「シミュレーション仏教」の試み』(JRF 著, JRF 電版, 2022年3月)
https://www.amazon.co.jp/dp/B09TPTYT6Q
https://j-rockford.booth.pm/items/4514942
JRF2023/11/55215
それはそれとして、「蜜蜂」。2013年11月の [cocolog:78267749] にもあるが、最近、話題の昆虫食には、昔から蜂蜜があり、それしか広く受け容れられてこなかった。食料事情が追い込まれて、昆虫食までやらねばならないというのは、人に(神に)怒りをもたらすのではないか。昆虫に含まれる細菌やウィルスの問題なのか、なぜなのか、忌避感が強い。
JRF2023/11/57037
○ 2023-03-02T02:46:32Z
昆虫食。蜂蜜じゃダメなの? 蜂蜜の歴史って…。あと、「発酵食品」じゃダメなの? いや、発酵食品の定義的にはタンパク質は含まないのかもしれないが、微生物がいっぱいいる昔の「発酵食品」には、微生物をタンパク源にする発想もありえなかったわけではないのではないか?…とか妄想する。
JRF2023/11/51634
○ 2023-03-02T21:51:06Z
昆虫食。なんでユダヤ資本の陰謀になるんだろう? 新約聖書の黙示録9章で変な いなご が出てくるから、いなご で「地を埋めつくす」を別の意味で実現したいキリスト教狂信系の陰謀とかいうなら、もっともらしいのだが。
最近、蝗害の解決の糸口が見えたとかいう話もあった気がするので、それで今後、黙示録的状況が発生しにくくなるから、違う意味の「いなごで世を覆う」を発生させようとしてる。…とかなると、キリスト教狂信系に結び付けることはできる。
JRF2023/11/50658
まぁ、「ユダヤ」が出てくるのは、黙示録もユダヤ寄りという意見はあるし、旧約聖書にも予言などに いなご が出てくるからかな?
でも、本当のユダヤ資本のように、中東も基盤とする集団なら、養蜂の歴史もよく知ってるだろうから、昆虫食という発想はそんなに重くならない気もする。旧約聖書レビ記11章には、いなごを食べて良いという記述もあるが特別な場合だろう。
JRF2023/11/55295
蜂蜜も発酵食品という話がある。炭水化物(米・いも)と発酵食品(みそ)と海苔あたりで、本当に肉が手に入れ難くなっても、日本人は乗り切れるんじゃないかという気はするが、他の民族がどうなのか…とすると、みそ より 昆虫のほうがマシという集団もあるのかもしれない…とは思う。
コメ・ミソ・ノリでいけるのかどうかをまず試してみるべき…となると、ヴィーガンの運動がそれだったわけかな?
JRF2023/11/53150
○ 2023-03-02T22:51:46Z
昆虫食の話題は↓が目についたからかな? いいね付けてなかったけど…
《ユウ・ストラトス:Twitter:2023-02-26》
https://twitter.com/sans_of_white/status/1629651837363306496
>@ly_rone
イナゴを佃煮にするし、蜂を食うし、そのままじゃ食えない蒟蒻芋をあれこれして蒟蒻としてまで食うし、なにより2年もかけて毒を抜いてフグの危険部位を食う日本人が在来種であるコオロギを食す日本食が無い時点で答え出てると思うんですよね。
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JRF2023/11/59124
パクツイではないけど、これ系は前に…
《ペココ:Twitter:2023-02-23》
https://twitter.com/pekoko7/status/1628654469188816901
>
イナゴや蜂の子を食べる地域はある
でもコオロギを食べる地域は無い
毒のあるフグや
こんにゃく芋すらも
食べられる工夫をしてきた先人たちが
コオロギは食べられるようにして来てない
日本人が食べてない
もうここに答えが出てると思うのよ(๑´ㅂ`๑)笑
<
JRF2023/11/50202
……。
フリ・ヒッタイトの神話には「神々の父」クマルビから石の擬人化であるウルリクムミが生まれている。クマルビが岩に精液を注いで生まれた。
>石から人間が生まれることを物語る神話は、これよりはるかにひろく分布し、小アジアから東アジア、ポリネシアにまで見られる。<(p.216)
斉天大聖・孫悟空も岩から生まれるようなシーンがあるね。
JRF2023/11/56395
石棺は生まれないためにするものだったが、しかし、石からも生まれるというところに皮肉的な見方があるんだろうね。つまり、実際、先祖が復讐すべきときがきたということで、復讐の神話と結び付きやすいのだろうが、でも、それはほとんど成功しなかった。…と。
JRF2023/11/54252
……。
>裸の女神と竜に守られた奇跡の木のシナリオに戻れば、「創世記」の蛇が生命、もしくは若さの象徴の「番人」としての役割において、結局、成功したことがわかる。<(p.241)
「裸の女神と竜に守られた奇跡の木のシナリオ」が何の神話のことかよくわからない。出典が書かれていない。Bard によると、ギリシャ神話のヘスペリデスの園、北欧神話のユグドラシル、中国神話の扶桑樹、日本神話のヤマタノオロチ…あたりではないかとのことだが…。
JRF2023/11/56661
それはそれとして「創世記」のこの部分は私は以前に記事にしている。
《『創世記』ひろい読み ― 知識の実》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/02/___cfef.html
JRF2023/11/55174
……。
アベルという名は「羊飼い」を意味するのに対し、カインの名は「鍛冶師」を意味するそうだ。カイン…
>彼の子孫のひとりトバル - カインは、「青銅や鉄でさまざまの道具を作る者」(4:22)の祖である。それゆえ、最初の殺人は、言わば技術と都市文明の象徴を具現する人間によって行われた。技術はすべて、暗に「呪術」ではないかと疑われているのである。<(p.243)
トバル-カインについては↓のようなことを書いている。
JRF2023/11/53600
《「ヨブ記」を読む》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2015/03/post.html
>例えば、創世記 04:20-04:22 のカインの末裔の話、トバル・カインが鍛冶師になったなどという職業集団説明説話は、ノアの洪水の前に出てくるが、洪水で皆滅んだとすると説明の意味がなくなる。何かのトリックがあるとも読める。そういうふうに、過去としては別世界であるが未来において統合されるこの世界に創造者としてヨブや私が責任を負っているということはないのか。<
JRF2023/11/51689
『世界宗教史 1』(ミルチア・エリアーデ 著, 中村 恭子 & 松村 一男 他 訳, ちくま学芸文庫, 2000年)
http://www.amazon.co.jp/dp/4480085610
https://7net.omni7.jp/detail/1101651783
原著は Mirdea ELIADE『Histoire des croyances et des idées religieuses: Tome 1』(1976)。私は 2015年2月に [cocolog:81897781] で一度読んでいる。内容はほぼ覚えていなかった orz。
JRF2023/11/50479