cocolog:94542860
エリアーデ『世界宗教史 8』の前半を再読した。人類の祖地アフリカの宗教が知りたくて読んだのだが、あまり得るところはなかった。アフリカ外でも子供のころに経験するような「迷信」が意外に大事ということだろう。 (JRF 9750)
JRF 2023年11月26日 (日)
……。
アフリカにはいろいろ神話があるが、聖書に似ている物語もある。
>西アフリカの数多くの神話において、天空神あるいは彼の従者の一人が人間の体を大地から形作ったと語られている。いったん形作られると、人間の体は、そこに生命の息を吹き込む天空神によって、生へと目覚める。<(p.30)
なぜ息が大事にされたかというと、死ぬと息をしなくなるから、「息がない」=「死」というのが定義だからだろう。逆に、息があれば、動かなくなっていても、介抱をすべきだ…ということなのだろう。
JRF2023/11/266452
医学の進歩で、息を強制的にさせることは可能となったが、呼吸なく人を生きさせる手段はない。人工心肺で、肺による呼吸が必要なくなっても、二酸化炭素を排出し、酸素を取り込むことが、身体を維持するには必要となろう。
JRF2023/11/262808
……。
>影は、見たところ非物質的な現象でありがなら、しかし直接に身体と関係する現象である。人間の影はしばしば霊的な要素の可視的な形態と考えられている。したがって影は、時には生命力と結び付けられ、時には祖先に由来する要素と結び付けられるわけである。例えばフォン族では、影[イエ]は祖先の証である。つまり、「子供は時として、その祖先に生き写しであるが、それは、影が身体の形体を保持しているからなのである」。<(p.32)
JRF2023/11/265075
影は不死でもある。死んでも影は残るから。霊はときに影のようなものである。
影は守護霊的である。守護霊という概念があって、それが影に似ているのか。それとも、影から守護霊を想像するようになったのか。どちらもあるのだろう。ただ、守護霊の概念が複雑になるにつれ、影との類比が崩れ、守護霊の概念が影から独立していくのだろう。
影が霊なら、自然物にも影があるので、自然霊・精霊がありうるとなるのかもしれない。
JRF2023/11/269875
篠田謙一『人類の起源』([cocolog:94528860])を直近で読んだが、ヴァンパイア(吸血鬼)=結核患者 説があった。ヴァンパイアには影がないのであった。
以前読んだとき([cocolog:82346841])は、『カゲマン』に言及しているね。そういうマンガがウケるのは子供の素朴な影の不思議さへの関心があるからであろう。
JRF2023/11/267399
……。
アフリカに置ける祖先信仰。
>この祖先はその独立した個性においてではなく、家族集団を強め、保護する祖先の共同体の代表者として考えられているのである。個々の人間の生の継続が重視されていない(…共同体の存続が重視されている…)ということは、祖先が時折、数人の子供たちに、しかも場合によっては性の異なる子供たちに再び認められるという事実を見れば明らかであるし、また、この祖先が、その再来にもかかわらず、引き続き他界から家族を見守っているとする信念によっても明らかとなる。<(p.34)
JRF2023/11/263372
霊は異次元にある。神の因果の時間もそうだが、霊については人間の時間とは異なる時間・時空間の流れがあるという解釈もできるのだろう。もちろん、単にそこまで時間的なものを気にしてない、気にするべきでないという抑圧があるということでもあるのだろうが。その抑圧が霊に神秘性・恐怖・畏れを維持するという面もあるのだろう。
JRF2023/11/266974
……。
>すべての死者が自動的に祖先の地位を獲得するわけではない。若くして死んだり、子供を通じて共同体を豊かにしなかったもの、したがって子孫を持たないものは除外される。また、変死したり、病気で死んだものも除外される。
(…)
ある理由から祖先の地位を獲得できなかった死者たちは、死によって、共同体と相次ぐ世代との連続性から決定的に切り離される。その上に彼らは、休む間もなく、恐ろしい幽霊のようにさまよう運命に定められている。
<(p.36)
JRF2023/11/262241
「幽霊としてさまよう」というのは、その「害」が記憶されるべきということだろう。おそらくそれが病原菌・ウィルスを避けたり、遺伝子疾患を避けたりするための、方便だったのだろう。現代だとそこまでする必要はないが、古代ではそこまでするぐらいしか安全を確保する手段がなかったのであろう。
JRF2023/11/262910
……。
>家族の存続を保証する、結婚した息子たち -- あるいは時としてまた娘たち -- を持った者のみが、本当の意味で大人とみなされ得るのである。<(p.39)
[cocolog:70267088] では改宗に絡んで「成人」という概念にはいろいろありうることを論じている。
JRF2023/11/265939
[cocolog:70267088]
>「成人」とは何かというのはまた別に考える必要があるだろう。結婚できるようになれば成人だというのはこの場合、改宗というのがしばしば婚礼時に起こることを考えると、厳しすぎる感がある。もちろん、仕事をして結婚をして子供までいるとなって成人ではないとはいえないだろう。逆に、女性に関しては幼い年齢で結婚・出産までする文化も現代にはまだあり、母性の社会的体裁を考えるとそこは子供が結婚できるようになる年齢までに決まっていればいいのではないか。<
JRF2023/11/265016
また性交同意年齢に絡んでは↓のような「ひとこと」もしている。
[cocolog:92422763]
>相互養子契約が可能なのは男子18歳・女子16歳。配偶者相続が有利になる「結婚」は、遺伝子診断を受けた実子が性交同意年齢に達したあとに限る。…としてはどうか。人類種の自然な交配による文化の相続を促すための優遇という位置付け。<
JRF2023/11/265935
……。
>伝統に関する軽視は、共同体の調和に関する破壊的な無知と無経験に通じる。したがって、最年長者たちに対する子供の従順と若者の尊敬は、西アフリカでは最高の徳を意味する。伝統との深刻な断絶は、妖術師や邪術師に見られるように根本的で反社会的な混乱を引き起こす可能性がある。<(p.42)
妖術師や邪術師という「制度」は、ある種の精神疾患と向き合ってきたということなんだろうな。人が進化の過程で得てきた負の感情の暴走をどう止めるか、または、善用するかという問題なのだろう。
JRF2023/11/269045
あと、精神疾患者がどう生きて子孫を残すかという観点からも、妖術師や邪術師は興味深い。どういう福祉があったのか…。
頼れる男性の(暴力を使わない)奪いあり…。出産で死ぬ女性があるが、その替わりとして求められるのは若い女性で…。だから妙齢を過ぎた女性は、福祉の必要性を示すために、呪術に訴える…ということなのか…。どうせ嫌われてるので、呪術をしても失うものがないから…。そうすれば、弱者男性と福祉をあてがってもらえる…。
JRF2023/11/263247
……。
>妖術に関する知識は、基本的に、「怒りと憎しみそれ自体が、他人を傷つけることがあるという一般的知識」以外の何物でもない。<(p.49)
SNS で誹謗中傷が話題になるが、それだね。
JRF2023/11/262804
……。
天空神は人々に関心を示さない。国々の神々もそうである。
>さらに、この国家の神的諸存在も、また、国家の繁栄に関心を示すわけではなく、この神的諸存在に他の神的諸存在よりも馴染んでいる民衆は、ただ、よりうまく彼らを操ることができるだけなのである。<(p.52)
マスコミというものができる前は、神の物語を人々は操作して、国を動かしていたんだね。マスコミが民衆を動かすツールのように思えるけど、民衆がマスコミを操って国を動かすという方向は今もあるんだろうね。
JRF2023/11/265966
……。
中央アフリカ東部のバントゥー語族などに見られるが、神の諸側面が擬人化されることがある。
>大地に恵みを与える神の「唾液」としての雨といった例が挙げられる。<(p79)
神が自然を人を育てる。それは神がお召し上がりになり嘉[よみ]するため…と。
JRF2023/11/269849
……。
ルワンダ人の死の導入神話。
>ある日のこと、イマナ(…神…)は人が死なないようにするために、死を捕らえ破壊することに決めた。彼はすべての住民に屋内にとどまるようにと命じた。翌朝、イマナは死を追跡し、両者のあいだはぐんぐん縮まった。ところが畑に出ていたある老女の耳には、死からの呼びかけが聞こえてきた。「私を哀れに思って、かくまってください! 死にそうなんです!」。老女はかわいそうに思ってこう尋ねた。「どこにかくまっったらよいのです」。死は答えた、「あなたの衣服のなかに入れてください!」。
JRF2023/11/261111
老女が言われたとおりにしたちょうどそのときに神が到着して、彼女に向かってこう告げた。「人々の何と哀れなことよ。彼らは愚かさのえじきなのだ。あの女の胸に死が宿るかぎり、彼らは死の刻印を受けて生まれてくるであろう!」。
それ以来、死はこの世にとどまっているのである。
<(p.93-94)
なぜ女の胸なのか。そこには乳房がある。乳が足らなくて死ぬことが多かったということか。
JRF2023/11/260842
人は賢さのために、頭が大きい。頭が大きいと産道を通りがたい。だから、少しでも小さいうちに、未成熟のまま産まれてくる。だから、乳が必要な期間も長い。同時に育てられる数には限りがある。それが妊娠期間を長くする方向に作用する。それが人としての多産を制限し、民族を死に近づけている。…ということだろうか?
JRF2023/11/269169
アフリカでは多産が祈られることが多いようだ。人が生きるためには栄養状態が良いほうがよい。栄養状態が良ければ多産になる。だから多産を是とすることは長寿を是とすることにつながる。多く産まれたあとの死はありうるが、そのときは栄養状態も悪くなりそのとき多産にはならないということだろう。広い土地を背景にすれば栄養状態が良くなり、多産になりがちである。だから広い土地を持つべきだというのもそこから導ける。狭い土地でも多産になるときはあり、それは戦さを導くが、それはそれで良いということだろう。
JRF2023/11/263111
ただ、そこには賢さの称揚もあるべきなのだろう。だからヤコブ物語のようなズル賢さを称揚するものが古代には現れていたのではなか。
JRF2023/11/269000
……。
南米のカヤポー族の神話。
>かつて天は地表と並行しており、一本の柱によって天は地と分けられ、支えられていた。ところが獏がその柱によりかかり、ついにはこれを倒してしまった。こうして天の両端が折れ曲がってしまい、丸天井の形となってしまったという。<(p.116)
吉田敦彦『日本神話の源流』([cocolog:94490727])で「古代の大陸移動説」を考えた。釣り針のない釣り竿で海流を見て島を探したり、地平線をよく知る海洋民族は、地球が亀の甲羅のように丸いことを知っていて、重力のような天と地からの作用を考えていた…といったものである。
JRF2023/11/264895
なるほど、ここにあるように、空が丸天井であることも不思議なことであり、ここから、地球が太陽や月のように丸いことを想像していた可能性もあるのだろう。
JRF2023/11/268318
……。
>人間の起源に関連してひろく見られる第三の主題は、もっぱら人間の地上への出現ということにかかわっている。ここでは、狭義の創造の業という要素は欠落している。この種の伝承によると、人間は宇宙の別の層で生まれ、その理由は伝承によりさまざまであるが、その後地球に移住してきたことになる。人間の起源については、何ひとつあきらかにされない。<(p.123)
↓が新しい宇宙起源説ということになるのだろうか?
JRF2023/11/261526
[cocolog:94474480]
>
原油 無機起源説には宇宙起源説というのもあるらしいが、↓のように「137億年以上前のこの時期は、宇宙全体が生命を維持するのに適した温度だった」ときに生じたものなどが原油になっているのだろうか。私の「なぜ生きなければならないのか」論で「安住の反作用」を問題にしたが、原油が生命の始まりに関係しているのだろうか。原油とは別の炭素などが地球生命の起源だとしても、原油が現在の人類の「総体として生きたい」を支えている…というのはある。
JRF2023/11/267777
《宇宙で生命はいかにして誕生したのか? - GIGAZINE》
https://gigazine.net/news/20231011-ancient-life-old-universe/
<
JRF2023/11/261397
……。
北米のオグララ族の「神話」。
>新生児はすべて、邪悪な霊から身を守ってくれる守護霊(シチュン)を獲得した。シチュンは、人間存在に現われるワカン・タンカの万能を表わしていた。さらに人間は誰でも出生の際に、星から来た霊(ニヤ)を受けとった。また、誰もが、これ以外に、身体の非物質的な不死の鏡像としての霊(ナギ)をもっていた。オグララ族の人々は、守護霊(シチュン)が人の死後にその霊(ナギ)を、銀河の向こう側にある霊の世界へと連れて行くと考えていた。シチュンとニヤは、最終的には子供の出生の前にそれらがいた場所へと帰って行った。死者の身体は、しかし朽ちて無へと帰るわけである。<(p.158)
JRF2023/11/261790
魂と魄なら二つだがこれは三つある。
《魂の座》モデル(参: [cocolog:94424426]) なら、「神の記憶モデル」がナギで、「霊的肉体モデル」がニヤになり、記憶するだけでなく良い方向に行くよう見張り守っているのが、シチュンということになるのだろう。生きてる間にあるそういう聖霊的・精霊的なものは別なのかもしれない。
JRF2023/11/269433
『世界宗教史 8』(ミルチア・エリアーデ 原案, 奥山 倫明 & 深沢 英隆 & 木塚 隆志 訳, ちくま学芸文庫, 2000年10月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4480085688
https://7net.omni7.jp/detail/1101694441
原著は Mircea ELIADE『Geschichte der religiösen Ideen III/2』(1991)。[cocolog:82346841] で一度読んでいる。
いつも通り引用しながらコメントしていく。
JRF2023/11/267705