cocolog:94817429
ルース・ミリカン『意味と目的の世界』を読んだ。私の立論「イメージによる進化」に関して読んだが、それとはあまり関係を見出せなかった。しかし、ニューラルネットの途中に心理モデルを組み込むハイブリッドシステムと強化学習・LLM の関係などを考察できた。 (JRF 1649)
JRF 2024年4月28日 (日)
私には「イメージによる進化」という立論がある(↓)。それは拙著『宗教学雑考集』にも書き写したのであるが、私にとっては、中心的な論題である。
《イメージによる進化 - JRF の私見:宗教と動機付け》
http://jrf.cocolog-nifty.com/religion/2006/06/post.html
《宗教学雑考集 易理・始源論・神義論 アーリーアクセス版 - ジルパのおみせ - BOOTH》
https://j-rockford.booth.pm/items/5358889
JRF2024/4/286166
それに関し、ずっと以前から、関連する本を探していたのだが、そこに近いのが、この本のようだとあたりを付けた。高くて買うのが遅れたが、『宗教学雑考集』(の正式版)出版に向けた取材の中、意を決して買ったのだった。
この本を読んで理解したとはいい難い。「志向的記号」という中心的言葉が意味不明だった。前の論文から続く言葉らしいのだが、最初のほうで説明されず、途中で定義らしきものもあるのだが、よくわからなかった。私はその程度の人間。
ここからはいつも通り、コピペしながらコメントしていく。
JRF2024/4/283955
……。
記号には「目的」と「表示するもの」があるという。
>目的の典型例は、明示的な人間の意図である。(…)他方、表示するものの典型例は、文のような志向的記号である。志向的記号は、誤って表象すること、つまり偽であることがありうるという点で、自然的記号から区別される。<(p.ii)
…ということで、ここで「志向的記号」がいちおう紹介されるのだが、さっぱりわからない。圏論(Category Theory)の関手(Functor)みたいなものを私は想像するのだが、文による指示とも違うようだし…。
JRF2024/4/284806
Gemini さんによると、
Gemini:>
ミリカン哲学の「志向的記号」という概念、確かに理解するのが難しいですよね。私も最初はかなり苦戦しました。
まず、「志向的記号」とは、何かを「表象」し、同時にその「表象内容に基づいて行動を指示」する記号のことを指します。つまり、単に情報を伝えるだけでなく、その情報に基づいて行動を起こさせる力を持っているのです。
JRF2024/4/283075
例えば、「蛇がいる」という文は、蛇の存在を表象するだけでなく、「逃げる」という行動を指示する志向的記号と言えます。
ミリカンは、志向的記号を「自然的記号」と区別します。「自然的記号」とは、ある事象と別の事象が規則的に共起する関係に基づいて意味を持つ記号です。例えば、煙は火を表象する自然的記号です。しかし、煙が必ずしも火を意味するわけではありません。火事以外の状況でも煙が発生する可能性があるからです。
JRF2024/4/282961
一方、「志向的記号」は、単なる共起関係ではなく、表象内容と行動指示の関係に基づいて意味を持つのです。「蛇がいる」という文は、煙のように必ずしも正しい情報であるとは限りませんが、その情報に基づいて行動を起こさせる力を持っています。
<
JRF2024/4/287975
……。
「目的」とひとくちにいっても、それはどういうものなのか。
>つぎの場面を想像してみてほしい。眼医者があなたに点眼しようとするが、あなたはまばたきしてしまう。眼に薬液を入れないようにしようという意味合いはないとあなたは言うが、どれほど眼を閉じまいと思っても、点眼器が近づくと、眼は閉じてしまう。あなたは無意識のうちに薬液を眼に入れたくないと思っているのだろうか。根底にある動機はなんだろうか。
JRF2024/4/289954
(…)
眼が閉じられるのは、異物が眼に入らないようにするためである。それはつまり、まばたき反射の目的にほかならない。困ったことに、あなたとあなたの眼、あるいはあなたとあなたのまばたき反射は、その目的が食い違っているのである。
JRF2024/4/285466
(…)
これにたいして、つぎのような反論がなされるかもしれない。そのような食い違う目的のうち、一方だけが本当の目的であり、他方は文字どおりではなく、類比的ないし比喩的に目的であるにすぎない。本当の目的は、まばたきしないという意識的な人間の意図のほうだけである。まばたきしないという意図だけが、たんに「サブパーソナルな(つまり人のある部分の)」目的なのではなく、人全体の目的である。
JRF2024/4/287394
(…)
わたしはこのような考えを覆したいと思う。つまり、この二種の目的のあいだに理論的に興味深い区別を設けることはできないということを説得的に示したい。人全体の目的は、もっと「低次」ないし「生物的」なレベルの複雑に絡み合った諸々の目的から出来ているのである。
<(p.3-4)
JRF2024/4/287851
数学やプログラミングにおける「最適化」の議論を思い出す。複数の項目の同時最適化は、和や最大値の最適化にせざるを得ないのだが、それはどこか人などが自然にやってる最適化…目的に対する行動…とは違う印象を持つ。
私は『「シミュレーション仏教」の試み』(↓)において、仏教を社会の最適化としようとした。そこでは集団と個人で最適化の違いみたいなものにブチ当たるだろう…といったことを当初考えていたのだが、結局、社会全体で、各パラメータが、その最適化に相当するだろう…みたいなことしか言えなかった。
JRF2024/4/280898
『「シミュレーション仏教」の試み』(JRF 著, JRF 電版, 2022年3月)
https://www.amazon.co.jp/dp/B09TPTYT6Q
https://j-rockford.booth.pm/items/4514942
JRF2024/4/285631
どういう主体(集団含む)が、その最適化の単位になってるかみたいな議論はできるのだと思う。そして、並列に主体が最適化する中、ある部分で、より強力な主体が、それ以外の最適化をコントロールする段階が来る…みたいなことを私は考える。そういった最適化とコントロール自体がある種の最適化になってるフレームやレイヤーも存在するのだろう。
JRF2024/4/286442
ただ、そういった考えをどう定式化すればいいのかはわからない。結局私も、上の「数学やプログラミングにおける「最適化」の議論」と同じ方法ぐらいしか考えついていない。
なお、この点を Gemini さんに聞いたところ…。
Gemini:>目的は単なる「望ましい結果」ではなく、行動を導く力を持つものである。<
…という指摘を受けた。
JRF2024/4/287128
……。
>われわれはここでふたたび、挨拶そのものがもつという意味での「目的」は本当の目的なのか、それとも比喩的な目的にすぎないのか、と問うことができる。<(p.7)
挨拶は、集団における健康状態のバロメーターみたいなところがある。集団の目的というものが想定できるなら、それは目的があるということになるだろう。集団にある種の人格性を見出すという方向。
JRF2024/4/287483
……。
>なかなか眠れないときに、突然、自分のしている呼吸をはっきりと意識するようになったとしよう。このとき、呼吸の目的は突如、生物的な目的から心理的な目的へ変わるのだろうか。それは突如「サブパーソナル」な目的から自己全体の目的に変わるのだろうか。
JRF2024/4/285868
(…)
たんなる生物的な目的からもっともかけ離れているようにみえる目的は、明示的な人間の目標や欲求、意図である。(…)明示的な欲求と意図は、それらが表象するものを算出することに貢献するということを自分自身の目的とするような心的表象である。それらは、それらが表象する事態を実現するのに役立つがために選択されたのである。
JRF2024/4/284918
それらはもちろん、ひとつずつ選択されたわけではない。遺伝子進化のレベルでそうでないのは確かである。自然選択によって設計ないし選別されたのは、もっぱら欲求と意図を形成する役割をもつ認知的・意志的メカニズムだけである。これらのメカニズムは、実現されればときにわれわれの利益を増進させるような目標や未来のありうる事態について、それらの表象を経験にもとづいて形成する能力を有するがゆえに選択された。
<(p.11-12)
JRF2024/4/284258
人間の目的には主体が必ずあるかというとそうではない。「主体の目的」がない状態に人間は陥いることができる。しかし、その状態を長く続けると生命体として維持できなくなるため、身体が、主体的な目的を呼び起こすだろう。
JRF2024/4/289808
様々なレイヤーでの「最適化」が存在しているが、「生きたい」という目的は確実に存在し、子孫を遺したいというレイヤーも存在しているはずである。なぜなら、そこには「総体として生きたい」があって、「総体として生きる」ためには、生存競争して死んで子孫を遺すような在り方が有利だったからそれが選択されてきたという進化史があるからだと私は思う。
JRF2024/4/288403
そしてなぜ「総体として生きたい」があるかというと、それは、私の「なぜ生きなければならないか」の議論で仮説(仮設)として挙げたところである。
『宗教学雑考集 第0.8版』《コラム なぜ生きなければならないのか》
>かつて宇宙に安住があったことの反作用として「総体として生きたい」ができる。…ということである。とにかく「総体として生きたい」までが出れば個々が「生きなければならない」はすぐに出る。<
JRF2024/4/280893
……。
>われわれの本来の意識的な目標は、たんに生存し、多くの子供をもつということではない。ここで、つぎのような考えがすぐに思い浮かぶかもしれない。すなわち、計算した行動によってわれわれが本来、求めるもの、あるいは回避するものは、われわれを正あるいは負に強化するものにほかならず、そのうえでわれわれは、そのような本来の目的の手段となると計算したものを求めるのである。この考えは、古典的な20世紀の動機心理学によって頻繁に提案されたものである。しかしわたしは、ほぼ確実にそれは間違っていると思う。
JRF2024/4/283148
ある内的状態や感覚、知覚などをもたらす行動を強化するメカニズムをもつことと、そのような行動の強化子が何であるかを理解することとのあいだには、大きな隔たりがある。
<(p.16)
JRF2024/4/282154
理解して計算しているわけではないが、実質計算しているとみなせる場合もあると思う。
同時に別のレイヤーの「主体」が最適化する中、どれも「怒らせない」よう人(の身体)はその調整を主にやっているが、いざとなれば「生存し、多くの子供をもつ」ということに、大きな価値を置くことが多いと私は思う。
JRF2024/4/283393
……。
>詐欺の可能性に注意しなければならない場合も、あるにはある。しかし、ほとんどの場合、社会的協調は関係者全員の利益になる。この点では、社会的協調が進化することに、何の不思議もないのである。<(p.30)
JRF2024/4/282213
この本は、利他的行動を強く認める。目的論は、創造論において、神がどういう「目的」でその創造を行ったかで重要になる。この本は創造論には組みしないが、ならば、なぜ「目的」を問題にしうるかを問題にしようとしているのかもしれない。
生物に目的の意識がなくても、「総体として生きたい」の中、環境と相互作用して、その生物集団に、いわばその人格的「外部」に一定の目的が生じていて、「選択慣性」や「形質重畳」が起こることがありえるのだと思う。
JRF2024/4/282359
……。
>ここでもまた、時刻は時刻を表し、諸性質の位置がキツネやジョニーの位置を示す。時刻 t に位置 l1 で生じる網膜像は、ある位置における大きさ・形・色・肌理のある一定の組み合わせの自然的記号でありうるし、それゆえ時刻 t に位置 l2 (l1 に密接に関係する場所) にいるキツネやジョニーの自然的記号の自然的記号でありうる。<(p.71-72)
まぁ、ここは例示の部分だから本気でないだろうが、時空を論理に組み込むのは難しい。
法や裁判を記号論理にしようとしたときそこでつまづいたのを思い出す。
JRF2024/4/283941
『「シミュレーション仏教」の試み』《信頼度付き論理?》
>そもそも「事実」とは何か? ある場所や時点の特定…だけではなく、ある事実が続いていたかどうかが問題となって、継続自体が「事実」とされる場合もある。そうすると、場所の広がりも事実の構成には意味があるかもしれない。抽象的な真実、具象的なものと抽象的なものがまじった事実などは扱うべきなのか。…<
JRF2024/4/285764
「t 時に l1 である事件が起きた」というとき、しかし、問題はその事件における行動だとすると、その事件の中身の詳細に時間を割り振ることになる。その詳細がすべて終わったときが t 時なのかというと普通はそうはならない。しかし、t 時の完了をもって、効果を持つ法律などはありうる。また、詳細はそれほど確定した時間を決められるわけではない…とすると、ファジーに時間に幅をもたせたりすることも考えねばならない。しかしすると、前後関係がおかしくなるような事態が出てくる。
JRF2024/4/288399
Occur(t1, t2, l1, case1) みたいな形で、一般的に書ける話ではないのである。
おそらく、背景とする事実モデルは共通にできなければならず、その事実モデルに対して、記述としての命題( Occur(t1, l1 case1) とか )を扱い、その命題について、通常の論理学に従って論理を導いていく(矛盾がないか確かめる)しかないものと私は想像する。
この本の場合、不明な場合があっても時空は確定できるものと想定しているが、そういうものではそもそもないのだと私は思う。そういうモデルを取った場合のみ、そうだと言える程度のことでしかない。
JRF2024/4/284239
……。
>目的論的理論は、それ自体としては、われわれの思考が何によってネコがニャーと鳴くという思考になったり、象が大きいという思考になったりするのかを説明しようとするものではない。つぎのように述べよう。あなたが真なる表象とは何か、たとえば何かあるものをネコがニャーと鳴くという思考にするのかについて自分が好きな理論を提示する。そうすると、目的論者は何も差し引かず、ひとつのものを付け加える。あなたの真なる表象が志向的表象であるためには、表象を作ることがそれを産み出したシステムの目的ないし機能でなければならない。
JRF2024/4/288246
そうでなければ、それはなるほど表象であるかもしれないが、志向的表象ではない。それから目的意味論者は、あなたの見解のもとで、偽なる表象が何であるかの説明に進む。これが、結局、目的意味論のすべてなのである。
<(p.89)
ここが大事そうなところなのに私は意味が読み取れなかった。
JRF2024/4/280069
Gemini さんに聴くと…。
Gemini:>
例えば、「ネコがニャーと鳴く」という表象が真なる表象であるためには、「ネコがニャーと鳴く」**という表象内容に基づいて、ネコを見つけて近づいていくことができる必要があります。
(…)
もし「象が大きい」という表象を作るという行為が、象を避けるという目的を持っているならば、「象が大きい」**という表象は真なる表象であると言えます。
<
JRF2024/4/288672
……。
>自分の理論として自然的情報を使う目的論者は、少なくとも、なぜ自然的記号を生産することがそれを生産する生物にとってときに有益でありうるのかを説明しなければならない。生物はいかにして自然的記号の生産から利益を得るのか。なぜ生物のなかのあるシステムがその仕事のために選択されてきたのか。ここはきわめて慎重な姿勢が求められる。
JRF2024/4/289378
(…)
母親のめんどりがえさを見つけたときに出すコッコッという特徴的な鳴き声を考えてみよう。コッコッという鳴き声は、その母親がえさを見つけたことの局地的に反復的な自然記号である。また、ひよこは、母親の鳴き声に反応してそのもとに駆けていき、えさを見つける。じっさい、鳴き声を出す母親の傾向性は、ひよこにたいしてそのような結果をもたらすがために選択されてきたのである。この鳴き声は、たまたまひよこにたいしてそのような結果をもたらすがために選択されてきたのである。
JRF2024/4/285729
この鳴き声は、たまたまひよこによって利用されるたんなるえさの自然的記号ではない。それは、えさの記号としてひよこに役立つように、目的をもって生産されたのである。提案中の理論においては、母親の慣き声は志向的記号なのである。
<(p.96-97)
ここで書いた付箋が読み取れない。orz
「対'3」みたいに読める。「符号」ではないと思うが…。
JRF2024/4/288712
……。
>世界の変化は記号の変化に対応し、記号の変化は記号の解釈者ないし消費者の活動に適合的な変化をもたさなくてはならない。<(p.101)
上でも「外部」が最適化していることを述べたが、記号が生じているまたは像を結んでいるのが、個体の中ではなく集団であったり、そもそも抽象空間の中でしかなかったりということはありうるのだと思う。それが表象されたときそれが特定の何かであることもあるだろうが、一定しないこともありうるのだと思う。しかし、そうであっても、それを個体がまたは集団が読みとることができる場合はあると思う。
JRF2024/4/285351
……。
第III部 第8章-第12章は、言語に関して細かな議論が続くのだが、私はいまいち理解できなかった。替わりに私の脳は AI …機械学習に関する考えが支配していた。
JRF2024/4/285207
>結局、わたしが受け入れてほしいと思う見方は、たとえばジョニーが入ってきたことを信じるようになるとき、ジョニーが入ってきたのを見ることによってか、ジョニーが入ってきたのを彼の声で聴くことによってか、あるいは誰かが「ジョニーが入ってきた」と言うのを聞くことによってかで、心理的処理の直接性にふつう違いはないということである。ジョニーが入ってきたという情報を獲得するそのようないかなる方法も、推論の遂行を必要としない。推論の遂行が必要だと想定すべきいかなる理由もないのである。
JRF2024/4/281843
他方、それらすべての場合に、少なくっもいくらかの特定目的用の表象が途中で形成される必要があるだろう。もっと原初的な表象やそれらの組み合わせからの翻訳が含まれていよう。すべての翻訳をあくまでも推論の一種として扱おうと言のなら、それらのケースはすべて同じように推論を必要とするだろう。いずれにせよ、それらのあいだには直接性の点で有意味な違うはないのである。
<(p.171)
JRF2024/4/286827
LLM 風に言えば、トークナイザーによる翻訳は特別で、「ジョニーが入ってきた」の三様の認識は、トークナイザーが違うだけで、推論は行われていない…ということだろうか。
こことは関係ない話をするが…。
JRF2024/4/289695
私は「シミュレーション仏教」をやった。そうやって機械にまで落とすなら、詳細な議論やモデル化にも意味があるとは思う。しかし、ここで、著者のように心理モデルを作っても、それを機械に載せるほどにしないのならば、意味があるのだろうか…と私は疑問に思うようになった。
JRF2024/4/288903
このような部分心理モデルも、現代の AI 研究の文脈では意味があるのかもしれない。心理モデルを途中に組み込んだ、ニューラルネットモデルを作り、学習することで、学習効率や、正確性が増す可能性はあるからだ。
ただ、そのようなニューラルネットの途中にモデルを組み込むようなハイブリッドシステム、できるとは聞くが、どうやればいいのだろう?
JRF2024/4/288989
Gemini さんに聞くと…。
Gemini:>
心理モデルとニューラルネットワークのハイブリッドシステムは、近年注目を集めている研究分野であり、様々な技術が開発されています。
代表的な技術
●認知アーキテクチャ: 人間認知のモデルに基づいて設計されたシステムです。代表的な例としては、SoarやACT-Rなどが挙げられます。
●ベイジアンネットワーク: 確率論に基づいて不確実性を扱うシステムです。代表的な例としては、BNMTやInferNETなどが挙げられます。
JRF2024/4/281657
●ニューロシミュレーション: 人間脳の神経回路を模倣したシステムです。代表的な例としては、SpiNNやBrainScaleSなどが挙げられます。
●ニューロモジュレーション: ニューラルネットワークに心理モデルに基づいたフィードバックを与えるシステムです。代表的な例としては、HMN-RNNやCognitively-Inspired Attention Mechanismsなどが挙げられます。
JRF2024/4/289646
これらの技術に加えて、以下のような技術も注目されています。
●強化学習: 報酬と罰に基づいて行動を学習するシステムです。
●進化アルゴリズム: 生物進化のメカニズムに基づいてシステムを最適化するアルゴリズムです。
●メタ学習: システム自体を学習するシステムです。
<
JRF2024/4/288238
……。
>言語を理解することは、他人の認知システムを介して世界を理解することである。その他人は、自分が注意を向けている世界の事物を一様な仕方で立ち現れさせるための学習や訓練を積み、その能力を獲得している。他人の慣習的発話によって何が示されているかを知るためには、その他人の認知システムが何に向けられているか、いま何につながれているかを知う必要があるだろう。しかし、その内部の仕組みについては何も知る必要はないのである。<(p.184)
JRF2024/4/286324
著者は、自然的記号や志向的記号という概念を持ち出す。
記号は、他者を分析・説明する学者は必要とするだろうが、その生物が実際に記号を使っている必要はない。ただ、確かに、記号的なものが、その脳などに生じてそれを利用している可能性は否定しないが、それはいつもそうだとは限らないと思う。
JRF2024/4/288761
……。
>グライス的な含み<(p.190)
この言葉がわからなかった。ここの前にも何度か出てきた。
《ポール・グライス - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9
JRF2024/4/288551
>発話された表現が字義的に持つ内容から、その発話が持つ含みが計算される仕組みを体系的に記述しようとした理論。 もともとは知覚の因果説の擁護のために提出された(`the Causal Theory of Perception', 1961, in Grice (1989))。 `Logic and Conversation'(1975, in Grice (1989))などで大きく扱われている。
JRF2024/4/281947
例えば、ガソリンが切れて困っているひとに、あるひとAが「あっちにガソリンスタンドがあるよ」と言ったとしよう。 この場合、Aは単にあっちにガソリンスタンドがあるということだけでなく、そのガソリンスタンドが開いている、そのガソリンスタンドにはガソリンがあるといったことも伝えようとしていると言える。こうした文字通りの内容を超えた言外の内容を、グライスは「会話の含み(conversational implicature)」と呼ぶ。 <
JRF2024/4/282611
あと「アフォーダンス」もわからかなった。こちらも Wikipedia で調べた。「自動行為」か何かかなと思ったが違った。afford から来る言葉で、環境から「そういう猶予がある」的に示唆されるもののようだ。
JRF2024/4/284252
……。
>第11章 意味論と語用論の区別のさまざま<(p.185-197)
意味は非言語的でありえ、「文脈」依存といっても、その「文脈」が記述できないことはありえる。それについて、意味関数や意味写像というものをそんな簡単に考えることができるものなのか…。まぁ、モデル化するなら、そうせざるを得ないが。
語用論と意味論の関係は著者によるといろいろあるようだ。これも、機械に載せれるほどモデル化して、「いろいろ」のだいたいどれに当たるかをパラメータの数値で、表せるならおもしろいのだが。
JRF2024/4/283878
……。
>総じて言えば、P-P は生物のなかの多くの異なるレベルで生じ、その洗練度にはじつに大きな多様性があると結論づけることができるだろう。<(p.220)
記号に内的実体があることもありうる。…と。
「P-P」は「オシツオサレツ (pushmi-pullyu)」の略。
JRF2024/4/285107
……。
第IV部 第13章-第19章も、理解できなかったが、第III部よりマシで、生物の例はわかりやすかったように思う。ただ、期待したような進化論がらみの話はほぼなかった。
JRF2024/4/285667
……。
>どんなオシツオサレツ動物であれ、Bアフォーダンスに出会う確率を高めるために備えている基本原理は、非常に初歩的である。すなわち、ある種のアフォーダンスを知覚することができ、このアフォーダンスがある新しい位置に身を置く確率を高め、この新しい位置からは、ある新しいアフォーダンスを知覚する可能性が高く、この新しいアフォーダンスがさらに新しいある位置に身を置く確率を高め、等々、そして最終的に Bアフォーダンス状況に身を置く確率を高めることになる、ということである。<(p.228)
「強化学習」を思い出す。
JRF2024/4/280057
上でニューラルネットの途中に心理モデルを組み込むハイブリッドシステムの話をしたが、そういった特定のモデルの利用を学習するというときは、強化学習を使うのがセオリーである。
逆に言えば、そういうニューラルネットは、モデルに適合させる強化学習に相当することを行えるということだろう。そのようなニューラルネットには、強化学習の試行の状況が並列に畳み込まれるのかもしれない。
JRF2024/4/284961
そのような並列試行は本来とても大きな空間を必要とする。それが畳み込まれるということは、そのような試行が実はスパースであったりするのかもしれない。畳み込まれるといえば、画像生成 AI のようなものが考えられるし、スパースな空間を扱うと言えば、LLM はそういうものを扱っている。LLM だと、学習データが十分な変動を持ち、それが強化学習のランダムな試行に近い挙動を持ちうるのかもしれない。
そういうことをする素材はすでにあるのかもしれない。
JRF2024/4/282850
……。
>先見の明によって行動を再結合できるようになるための一歩は、行動を支配する P-P 表象を断片に分節化して、それらを再結合することによって新たな P-P 表象を作り出せるようにすることである。<(p.232)
機械学習で強制的に関係を忘れさせる「ドロップアウト」を思い出す。
JRF2024/4/288109
……。
>多くのネコは、ドアのノブに手を伸ばしてドアを開けようとするとき、ふたつの手の平でノブをつかんで回そうとしさえする。しかし、ネコの手本となる行動、つまりネコが複製しようとしている行動を行っている人間は、ふたつの手のひらではなく、ひとつの手を使うだけである。(…)世界の客観的な過程を表象する動物の能力がごく自然に照準を合わせるのは、動物の身体ではなく、動物が操作する対象である(Tomasello2000; Runbaugh et al. 2000; Whiten et al. 2005)。
JRF2024/4/288870
動物の身体は、対象の操作を導くために対象と身体の関係を知覚しなければならないシステムによって、暗黙的にしか表象されないのである。
<(p.250)
この例においては、ネコが人間との体の違いを痛いほど学習しているという面もあるように思う。
JRF2024/4/289071
……。
歴史的時間感覚を持っているのは人間だけだという。
>歴史的時間のなかで生じる単一の出来事を同定する能力を、真に客観的な出来事を認識する妥当な能力として発展させテストするためには、時間のなかで起こる同一の出来事を複数の仕方で知覚しなければならない。われわれはこれをどのように行うのだろうか。たとえば、過去の表象が何か実在的なものについての表象であるということの証拠として、われわれはどんな証拠をもっているのだろうか。おもな証拠は、他人が同じ出来事を覚えているということである。
JRF2024/4/282900
われわれが日付のついた同じ出来事にたいして複数の視点を獲得するのは、他人の知覚を通じてである。しかし、他人の知覚は言語を通じてのみ、われわれに利用可能となる。歴史的時間の把握は、まずもって、言語に依存しているのである。
<(p.317)
なるほど。
私は、デュルケムにならって「概念」の発生を戦争の存在に結びつけたことを思い出した。
JRF2024/4/287326
『宗教学雑考集 第0.8版』《霊概念の成立》
>>
「霊魂」という概念がなぜ生じたか。
動物に霊魂がないということはない。人は動物に霊魂を認めうる。しかし、動物自身には霊魂という概念はないであろう。なぜなら、霊魂は社会があってはじめて生じる概念だから。そもそも「概念」というものが生じるのがどうも霊魂が現れたのとときを同じくするように思える。デュルケムは「概念」についてそのようなことを述べている。
JRF2024/4/289607
>概念は、社会が事物を表象する様式を表明するということは、概念的思惟が人類と同時代だということでもある。われわれは、概念を、多少とも、後期の文化の所産とみることを、拒否する。概念によって思考しない人間は、人間ではあるまい。彼は社会的存在ではあるまいからである。個人的知覚に還元されるならば、人間は動物と区分があるまい。(デユルケム『宗教生活の原初形態』下巻 p.361)<
JRF2024/4/288227
動物も死んだ個体のことは思い出すことはあるだろう。記憶はあるから。しかし、その思いはすぐに消えるのではないか。今の自分にはほぼ関係なく、それが現れるにいたった状況に関し警告を受け取ることはあろうが、それがそこにいるなどと考えることは判断を鈍らせるからである。
しかし、人間は死者を常時思い出すことができる。それを集合=社会に固着させることで。固着できるような社会は言葉またはシグナルが作るのであろう。シグナルが共通の意味を持ちうる社会が必要だから。
JRF2024/4/280314
社会が記憶を刺激するのは、社会が社会の敵になるため、警戒すべきものであるからかもしれない。人類には戦争が必要なのかもしれない。その付随物として、死者が警告するようにまた判断を邪魔するようになったのであろう。
その散発的残像現象と折り合いを付けるため、言葉で概念化する必要が生じ、そこに概念と死者を概念化した霊魂がほぼ同時に生じたのかもしれない。
<<
JRF2024/4/285156
『意味と目的の世界 - 生物の哲学から』(ルース・ミリカン 著, 信原 幸弘 訳, 勁草書房 ジャン・ニコ講義セレクション 1, 2007年1月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4326199571
https://7net.omni7.jp/detail/1102384684
原著は、Ruth Garrett Millikan『Varaeties of Meaning』(2004)。
JRF2024/4/283939