cocolog:94865920
グレーバー&ウェングロウ『万物の黎明』を読んだ。悪く言えば、党派性のある衒学的な鈍器。しかし、衒学的な鈍器ということは知識にあふれているのは事実で、古代アメリカや古代メソポタミアに関する記述は特に詳しく、参考になった。ただ左派の著者らは「言論の自由」は軽視する。 (JRF 5466)
JRF 2024年5月27日 (月)
次の Tweet が目に付いて、この本を購入した。
《正木伸城:X:2024-04-30》
https://x.com/nobushiromasaki/status/1785239865032094042
>凄い本だ。
今後数十年は本書が人類史に関する議論の土台になるだろう。ビッグ・ヒストリーは万人にウケる。『サピエンス全史』もその先例だが、著者のハラリは専門家ではない。一方で、本書は専門家による人類史再検討書・素描書である。この本を読めば、『サピエンス全史』のヤバさがよくわかる。
JRF2024/5/270524
(…)
たとえば農耕革命は、数千年の年月をかけながら大小の試行錯誤と革新の中で、特殊な天才によってではなく、「みんな」によって進められた。しかもそこにおいて力を発揮したのは実は「女性」たちであった――。
JRF2024/5/275143
(…)
これほどの多様性に満ちた人類史に比して、現代は近代国家や資本主義といった統一的な、あるいは極めて近似したもので世界が占められている。それゆえに、「資本主義以外の世界のあり方」「国家以外の、国家なき社会体制」等を私たちはほとんど想像できないでいる。これは思考の自由を「奪われた」状態といえまいか――。人類史は、私たちのこの思考の束縛を解き放つフックに満ちている。ぼくらはいったん、安易なビッグ・ヒストリーを手放さなければならないかもしれない。
<
JRF2024/5/271775
そこまでいうなら…と、この本を買い、この本を読む前に比較対象としてハラリ『サピエンス全史』をまず読んだ([cocolog:94853370])。しかし率直に言わせてもらえれば『サピエンス全史』のほうが偏りのない読みやすい本だったように思う。この本は後に述べるように、「党派性のある衒学的な鈍器」である。
JRF2024/5/277832
なお、この本も最近の読書同様、↓の取材として読んだ面がある。
『宗教学雑考集 - 易理・始源論・神義論 第0.8版』(JRF 著, JRF電版, 2024年1月)
https://j-rockford.booth.pm/items/5358889
ここからはいつも通り、「引用」しながらコメントしていく。
JRF2024/5/272295
……。
まず、引用にうつる前に、読みはじめてすぐに、第一印象を Tweet したので、それをコピペ(ちょっと改変)しておく。
JRF2024/5/278759
>>
○ 2024-05-23T00:04:11Z
グレーバー&ウェングロウ『万物の黎明』を読み始めたのだが、党派性のある衒学的な鈍器で辟易する。ルソーとホッブズのモデルを批判するのはいいのだが、じゃあ、自分はその枠組みから離れているかというと、それらはかなり抽象的なモデルなので、どちらも免れることはやっぱりできていない。にもかかわらず、他者はどちらかのモデルに偏ると批判し、気に入らない相手には>子供たちからはおもちゃをとりあげなければならないものなのだ<(p.17, 注)みたいな愚弄もする。
JRF2024/5/271772
これを読み続けるのはハッキリいって苦痛だが、私は暇人なので読み続けようと思う。衒学的とはつまり歴史学のいろいろな知識は身に着くということだと思うので。
他の人はできれば第1章を立ち読みしてからこの高い本を買うべきか判断したほうがいいように思う。
<<
JRF2024/5/277017
あと、党派性とはつまりアナーキズムなのだが、党派性があるから即ダメだとはならない。アナーキズムへの理解があるから、こういう時代に惹かれたという面もあるだろうし、それへの鋭い批判もできるという面がありうると思う。もちろん、割り引いて読むべきところもあるだろうけど。
JRF2024/5/276720
……。
ここで、ルソーとホッブズのモデルを免れていないというのは具体的には次の部分である。
>農耕開始以前の人類社会が平等主義的な小集団[バンド]にとどまってなかったことは、いまやあきらかである。それどころか、農耕開始以前の狩猟採集民の世界は、大胆な社会実験の世界でもあり、進化論のような貧しい抽象の提示するイメージより、政治形態のカーニヴァル・パレードこそふさわしいといった具合である。かたや農耕も、それが私有財産の誕生のきっかけをつくったわけでも、不平等への不可逆的なステップを画したわけでもなかった。
JRF2024/5/275703
実際、最初の農耕共同体の多くは、身分やヒエラルキーから相対的に解放されていたのだ。また、世界最古の都市の多くが、確固たる階級的区分を有していたどころか、強固なまでの平等主義にもとづいて組織されていた。権威主義的な統治者や野心的な戦士=政治家、あるいはボス然とした役人すらも必要としていなかったのだ。
<(p.5)
ルソーモデルを平和状態からの堕落、ホッブズモデルを戦争状態からの発展と位置づけるなら、著者の「強固なまでの平等主義にもとづいて組織されていた」という記述は、ルソーモデルになる。
JRF2024/5/276880
ルソーはそれだけを言っていたのではないことはこの本で示されるが、しかし、そうやってポストモダン的に論点をズラしていくのは、卑怯で不誠実だ。
平等主義だけがあったのではないことを示唆して、ホッブズモデルとの中間(または無関係なところ)を行っているというのであれば、フランシス・フクヤマやジャレド・ダイアモンドもそういう部分はあるはずで、彼らへの批判も不誠実ということになるだろう。
JRF2024/5/272005
……。
著者らは、知を知識人の内輪でのみ発展したものであるとするような史観を批判する。
アメリカ大陸と出会ったとき…、
>ヨーロッパの知識人は、中国やインドの文明だけでなく、それまで想像もしていなかった社会的・政治的観念の数々にさらされることになった。このようなあたらしい観念の洪水が積み重なたあげくの究極の産物が、「啓蒙」として知られるようになる。
JRF2024/5/277485
もちろん、思想家はふつうこのようには語らない。かれらの教えによれば、[ruby:知の歴史:インテレクチャル・ヒストリー]とは、偉大な書物を書いたり偉大な思想を抱いたりしている個人によっておおよそ生み出されるものである。そればかりか、こうした「大思想家」たちは、著述と思考の二つのいとなみを、ほとんど[ヨーロッパの知識人たる]内輪のやりとりだけでおこなっている。その結果、啓蒙思想家たちが、自身の考えをよそからえたものと公言しているようなときでも(…)、現代の歴史家たちはそれを額面通りに受け取ろうとはしない。
JRF2024/5/277435
あるいは、かれらが中国やペルシア、アメリカ先住民の思想を取り入れたとはっきり述べているようなばあいでも、本当はかれら自身がこしらえたものを、エキゾチックな〈他者〉に帰属させているだけなのだといおうとする、そのような傾向が存在しているのである。
まるで「西洋思想」(のちにそう呼ばれるようになった)が、影響力において並ぶものなき強力で一枚岩の観念群であるかのような、きわめて傲慢な想定である。そしてそれはまた、あきらかに事実に反している。
<(p.34)
JRF2024/5/274097
しかし、そのように批判しながら、当人たちが、その罠にはまっている。
今の我々は、「未開人」・「原始人」というとき、彼らが、人類の発達段階において文明以前であるという了解がある。(未だ発展してないという見方が、彼らが過去と似た生活をしているだけで発展しないことを選んだ面もあるという面を捨象しているというなら、「非発展人」と呼ぶべきといった議論もできるかもしれないが、そう言えば発展がまったくないという虚偽も示唆することになるので、同じことだ。)
JRF2024/5/272717
が、しかし、アメリカ大陸発見当時は、そういう理解ではなく、文明人が、その文明を忘れた状態であるという見方があった。
JRF2024/5/274181
>王をいただかず、石器のみを道具とする森の住人を前にした当時の著述家たちが、かれらを原初的存在とみなしていたということはありそうもない。スペインの宣教師ホセ・デ・アコスタのような16世紀の学者たちには、古代文明の失われた痕跡であるとか、放浪の途中で冶金術や統治術を忘れてしまった難民であると断じる傾向があった。真に価値ある知識はすべて世界のはじまりに神によって啓示されたと考え、大洪水以前には都市が存在していたとみなし、みずからの知的生活をいまでは失われた古代ギリシアやローマ人の知恵を取り戻すいとなみと捉えていた人びとにとって、このような結論は有無をいわさぬ常識であっただろう。<(p.49)
JRF2024/5/276209
それが常識であったのは、神学に通じていた知識人サークルの中だけだったのではないか。もちろん、本気でそういう常識を持っていた者もいたであろうが、有無を言わさぬほどのものだったというのは、アフリカなどと接していたイスラムと接触のある者(商人など)がいたことも想定される以上、疑わざるを得ない。
この点が、思想を西洋の知識人を内輪での発展とする罠にはまっていると私には思える。
JRF2024/5/275824
……。
>ほとんどのばあい当人の同意していないことをその人間に強制する手段をもっていなかったアメリカ先住民の政治的リーダーたちも、その修辞的な能力では名声を獲得していた。<(p.54)
なるほど、強制する手段を持たなくすることによって、リーダーたちは弁舌の才を磨かねばならなくなる。人間が知性を重視する動物だとするなら、そのほうがより人間的であり、そのように人間は進化してきた…つまり、そうでないヨーロッパ人(また現代人)は退化している…ということが言いたいのかもしれない。
この辺は、体罰禁止の議論と似ている。私はどちらかと言えば体罰肯定論者だが。
JRF2024/5/278410
[cocolog:94838245]
>>
[cocolog:75330389]
>口の達者な人だけが指導者になるべきなのか?それが正しいのなら、まずは口だけで、説得だけで、(刑事罰とか経済力とかを使わず)体罰をやめさせればいいじゃないか。<
体育会系の指導者に(例えば素人野球の監督に)、運動がどれだけ得意であってもなれないのは、問題があると思う。そういうロールモデルがないと、夢がないと、「やってられない」という運動部員もいると思う。それを排除していいのか…という問題だと思う。
<<
強制を禁止したほうが、口が達者になる…というわけだ。
JRF2024/5/274411
……。
ハラリ『サピエンス全史』([cocolog:94853370])もバッサリ切られる。
>「狩猟採集民の社会政治的世界も、私たちがほとんど何も知らない領域だ。すでに説明したように、学者たちは、私有財産や核家族、一夫一婦制の関係が存在したかどうかといった基本的な事柄についてさえ、意見の一致を見ていない。集団ごとに異なる構造があった可能性が高い。このうえなく意地の悪いチンパンジーの集団並みに階層的で、緊張していて、暴力的なものもあれば、ボノボの群れのように呑気で、平和で、好色なものもあっただろう」(ハラリ『サピエンス全史』(上巻, p.79)。
JRF2024/5/278509
つまり、農耕がはじまるまで、だれもがバンドで生活していたのみならず、そのバンドは基本的に猿のような性格をもっていたというわけである。このような要約がハラリにフェアでないようにみえるなら、こう考えてみてほしい。ここで「厄介きわまりない[ruby:暴走族:バイカー・ギャング]のように緊張していて、暴力的」であるとも「ヒッピーのコミューンのように呑気で、平和で、好色」と書くこともむずかしくはなかったはずではないか。ある人間集団を比較するとき、ふつうは別の人間集団と比較しないだろうか。
<(p.105)
JRF2024/5/278370
明らかにハラリにフェアではない。例示するときは、シンプルなモデルを使うべきだ。暴走族やヒッピーでは、複雑過ぎ、そこから右翼政治家の存在や、麻薬の存在の示唆を受け取ることになりうる。説得力のためにルソーやホッブズという昔の哲学者を持ち出すのといっしょだ。むしろ、霊長類に例えるのをいやがるのは、あまりにも人間中心的な思考に染まっていると反論されたら何と答えるつもりか。
JRF2024/5/279565
まぁ、もちろん、これは党派性…というよりは話題性のため、あえて炎上を狙っているという疑いのほうが私には強い。『サピエンス全史』を読んだ限りでは、ハラリはむしろ左派的に感じたから。
JRF2024/5/274580
……。
>学者たちはいまだに、経済発展の初期段階にある人びと、とりわけ「平等主義的」と特徴づけられる人びとが、文字通りすべて同一であり、なんらかの集団思考のなかで生きているかのように論じている。<(p.108)
投影しているのはむしろ著者らではないのかという疑いが私に湧く。自らの思想史、または親や別れた友人の思想を、ヨーロッパの過去に投影しているだけではないか…と。ヨーロッパの中でもあったいろんな人の思考が見えてない…見えてなかっただけではないか…と。
JRF2024/5/275101
……。
狩猟採集民は、季節によって違う政体…冬には国家的特性を持ち夏にはより自由な行動…を持つことがあった。それは先史時代もおそらく見られただろうという。それは、マンモスの牙で飾られて埋葬された者が何者であるかという解釈に別の視点をもたらす。これまではそれは、世襲性の王などであると考えられていたが…
JRF2024/5/276833
>このことは、最終氷期の「プリンス」や「プリンセス」が、ある種のおとぎ話やコスチューム・ドラマの登場人物のように、みごとなまでに孤立して出現することを説明してくれる。もしかしたら、字義通り、そう[「プリンス」や「プリンセス」]だったのかもしれない。すなわちもしかれらが支配していたとするなら、それはストーンヘンジの支配的クランのように、ほんの一季節のあいだのことだったのかもしれないのである。<(p.126)
JRF2024/5/272977
年ごとに支配する部族が交代するようなところもあったので、その年だけの「プリンス」や「プリンセス」だった可能性もあるという示唆である。支配があったとしても、世襲とは限らない…と。
JRF2024/5/275037
ただこの点は、どうも著者の一人、グレーバーがアナキストだったので、その偏りがあるかもしれない部分である。確かにそういう制度があったものもあったろう。過去には多かったかもしれない。しかし、後のユーラシアで見られるような、王制に近いものもそれなりにあったのではないか。
あと、この季節によって支配が現れる点、なんとなく「眠り姫」のおとぎ話を思わせる部分ではあり、著者らはそれも示唆はしているのだと思う。
JRF2024/5/275814
……。
首長は皆のごきげんをとってその「権威」を維持していた。
JRF2024/5/272766
>(…未開人の…)首長がこのような状況に置かれていたのは、首長だけが成熟した洞察力ある政治的アクターだったからではなく、ほとんどの人がそうであったからだ、とクラストルは主張した。ルソー的無垢の罠にはまって、もっと複雑な組織形態を想像することができないどころか、総じてかれらはわたしたちよりもオルタナティヴな社会秩序を想像する能力があり、それゆえに「国家に抗する社会」を形成していたのである。かれらは、わたしたちが「高度な政治システム」と関連づけている恣意的な権力や支配の形態がけっして出現しないような方法で、自覚的に組織化をおこなっていたのだ。<(p.128)
JRF2024/5/276039
ピエール・クラストルもまたアナキストである。ルソーが当時のアメリカ先住民の在り方から影響を受けていた的なことがこの本では語られるが、現代に近いアナキストもまた、アメリカ先住民などを源泉としているということかもしれない。ルソーがそうでなかったように、それは単なる西洋のオルタナティブの仮託ではない…と。
JRF2024/5/271160
……。
>人類がその歴史のなかで、さまざまな社会的組織法のあいだを柔軟に往復し、定期的にヒエラルキーを構築したり解体したりしてきたのであれば、真の問いは「なぜわたしたちは閉塞してしまったのか? how did we get stuck?」ということになるはずだ。なぜわたしたちは単一のありように帰着してしまったのか?<(p.130)
アナーキーなところから考えるだけでなく、実践する癖をなくしてしまったのはなぜなのか…ということらしい。
私は武器の高度化の問題のように、やはり、思ってしまうのだが。
JRF2024/5/279669
……。
>この時点で、わたしたちは「余剰 surplus」という観念と、それが惹き起こす広範な -- ほとんど実存的であるような -- 問いに焦点を合わせる必要がある。<(p.144)
ジェームズ・ウッドバーンによれば、ハッザとサン・ブッシュマンやムブティ・ピグミー、さらには南インドのパンダラム族やマレーシアのバテク族などは、真の平等主義的社会であるが、それらは、余剰を持たないようにわざとそう選択している集団なのだという。
JRF2024/5/270181
私は『宗教学雑考集 第0.8版』《コラム 「捨て扶持」理論》で「余剰」が聖職者階級を作ったことを論じている。もちろん、こういうことは私が最初に言ったことではないとわかっていたが、典拠になるような文章があまり見つからなかった。ここも典拠としては弱いが、典拠とすべきものが確実に存在することを示しているようだ。
JRF2024/5/275825
……。
>読者のかたがたには、まさにこれこそ発してはならない問いであることはおわかりだろう。<(p.158)
レトリックではあるのだが、これが、「表現の自由」を左派が攻撃する根拠になっているように思う。問いを攻撃する者は、自由の敵だと思う。著者らは、自由を大事にするという論者でありながら、そう言ってるのが悲しい。もちろん、矛盾なき答えを強制されてる文脈で、答えられない問いがあるのは、私も認めるにやぶさかではないが。
後述するが、著者らは「言論の自由」の軽視にまで踏み込む。
JRF2024/5/279578
……。
>(…三内丸山遺跡などの…)その高度に精巧な土器にみられる独特の「縄文」美学が、任天堂の人気テレビゲーム『ゼルダの伝説 -- ブレス オブ ザ ワイルド』のグラフィック・テンプレートとして採用されているのだ。縄文はデジタル時代にもまったくなじんでいるようにおもわれる。<(p.165, 注)
ゲームの話題が、こんなお固い本に出てくるとは意外。一ゲーマーとしてうれしくなる。
JRF2024/5/277139
……。
文化は、互いに拒絶し合うことで自らを定義していくことがある。
>「社会はたがいに借用しあって生きているが、借用を受け入れることよりも拒絶することでみずからを定義している」とモースは述べている。<(p.198)
私は『宗教学雑考集 第0.8版』《定住文化と非定住文化》で、オルフェウスとイザナギの冥界降りが非定住文化からみた定住文化の揶揄[やゆ]だったという説を語る。また、《イナンナの冥界降り》では、イナンナとドゥムジの神話はおそらくそれを逆転させた説だろうと語る。
ここでそれを思い出した。
JRF2024/5/278205
……。
この本では、確か、カルーサ族が農耕以前に「王」を持っていたことを一つの謎としていたはずだが…。
>パラグライのパームサバンナのグアイクル族やフロリダキーズのカルーサ族のように、狩猟採集民が農耕をいとなむ隣人に対して軍事的に優位に立つこともある。このようなばあい、奴隷を確保し貢納を徴収することで、支配社会の一部は生存に必要な労働から解放され、有閑エリートの存在が支えられた。それがまた専門的戦士階級の育成を支え、それがさらなる収奪やさらなる貢納徴収のための手段を形成したのである。<(p.213)
JRF2024/5/276227
わざわざ戦争しなくても、その装備があれば、貢納が得られるということだろう。そして、貢納が求められる側は、装備を作る能力の欠如もあるかもしれないが、むしろ、そういう汚れ仕事を行わないことに自らを定義していく。…ということだろうか。
ただ、それだけでは、あまりにも公平性がないので、支配者どうしをつぶしあいさせて、彼らが奴隷に落ちるのを喜びたい…となるのだろうか。そこに奴隷階級の是認ができる…と。
JRF2024/5/274218
でも、それはメッタに起きないとすればやはりフェアでないということになる。そこで、より高いところからの転落に意義を見出し、まつり上げたり、財産をやたらに貯めさせたり…ということが、是認されるようになるのだろうか?
JRF2024/5/276327
……。
アメリカ西海岸オレゴン沿岸で白人入植者が「ウォギー」と呼ばれていた。そこのチェトコ族の物語からこれは来ている。その物語ではチェトコ自身がまず外からやって来た部族で、元々そこには別の二つの民族がいた。一方はチェトコが滅ぼしたが、もう一方の「ウォギー」族はチェトコの奴隷となった。しかし、チェトコはそのことで太り怠け者となった。ある夜、ウォギー達は逃げ出した。最初、白人たちがやってきたときチェトコはウォギーが帰ってきたのかと思った。(p.217-218)
JRF2024/5/272610
>一見地味なお話にみえるかもしれない。だがそこには多くのことがらが詰まっている。オレゴン沿岸の狩猟採集集団の生き残りが、ヨーロッパ系アメリカ人による植民地化を歴史的報復として語るのはおどろくにあたいしない。<(p.218)
JRF2024/5/277256
インディアンの種族には奴隷制を認めるもの認めないものいろいろいたが、逆にそれゆえに奴隷制を認めるものは自らの力で、それを維持する必要があった。そこには弱肉強食の論理があっただろう。そこにヨーロッパ人がやってきた。ヨーロッパ人がインディアンを奴隷とすることに、諦めが広がっていった背景には因果応報的心情もあったのかもしれない。
JRF2024/5/272858
……。
アメリカ北西海岸とカリフォルニアの先住民は、近くであるのに文化がかなり違う。北西海岸民は、奴隷制を認めるのに対し、カリフォルニアでは奴隷制は拒絶されがちである。
これについて環境決定論または行動生態学または最適採餌理論の論者は、その食の環境に着目する。北西海岸はめぐまれた漁場で、魚を獲ることに特化し、カリフォルニアはドングリなどの木の実を採ることに特化した。
JRF2024/5/271743
魚は「前倒し front-loaded」を必要とする。魚は獲ったらすぐ燻製などの加工をしないと保存できない。そして、そうして保存すれば、それは外的から狙われるようになる。ドングリは「後ろ倒し back-loaded」で、保存のための加工も必要なく、食事に必要な作業が、食事前に集中している。そのため、狙われることが少ないのだという。
狙われる北西海岸の文化は、階層制を作っていったということのようだ。
しかし、この本の著者らは、それでは説明しきれていないという。
JRF2024/5/271711
>北西海岸での奴隷制の存在は、生態環境からは説明できないと結論できないと結論づけなければならない。なにから説明できるかというと、それは「自由」である。称号保持者の貴族たちは、たがいに競合していたため、じぶんたちの従者を強制して、はてることなき壮大なゲームに動員する手段をもたなかった。そこでかれらは、仕方なく[人狩りをすべく]よそに目をむけるよう強いられたのだ。<(p.225)
JRF2024/5/277990
いや、北西海岸のものは、互いに攻撃しあわないとしても、攻撃しあうことがすぐに想像できたために、そうしなかっただけだろう。確かにカリフォルニアのものが、ドングリなどの木の実を得ることを選び、そこそこ価値のあった漁場を重視しなかったのは、北西海岸への反発という文化的要素があったことは私も認めるべきだとは思うけれども。
JRF2024/5/270225
そのような互いの拒絶による文化の生成を、この本では「分裂生成」などと呼ぶようだ。
JRF2024/5/277347
……。
初期の農耕は、川が氾濫した土地に種をまくぐらいのもので、それは必須の食料を作る「まじめの農耕」ではなく「遊戯農耕」であったという。少なくとも、ルソーが考えたような土地の境界を画して行われるものではなかった。
野生のコムギを栽培用のコムギに品種改良する実験が1980年代に行われた(p.262)。その際に必要な遺伝子変異はわずか20-30年で得られた。長くても200年で達成できることがわかった。
JRF2024/5/279804
しかし、俗にいう「農耕革命」には3000年ぐらいかかっている。これは、意図的に栽培しやすく品種改良していなかった可能性を示唆するものである。
>初期の耕作者たちは、食の必要と労働のコストのバランスをとるべき、植物の栽培化のきざしとなる形態変化を忌避するようなやりかたを戦略的に選んだ可能性すらあるのだ。<(p.266)
栽培化すると植物として「弱く」なり、人の手が必要になってくる。それを避けていたのかもしれないということだ。
JRF2024/5/275650
……。
主に女性が担っていた「遊戯農耕」的なものは中世の終りには魔術とされた。そこには資本主義の倫理が現れてきていた。
>フランシス・ベーコンは、額に汗して働くよりも、ちょっとした不真面目な方法によって成果を得ることができるという考えほど自分を不快にさせるものはないと吐露し、「魔術は勤勉を殺す」と嘆いた(フェデリーチ『キャリバンと魔女』)。<(p.271, 注)
JRF2024/5/277510
私は「労働」をしていないことを気にかけている。電子書籍の出版をしたりはしているのだが、ほとんどの人に「遊び」でしかないと見られていると思う。ゲームしたり音楽聴いたりアニメみたり本当の遊びにかける時間も長い。もしかするとそれはワークライフバランスのとれた新しい「働き方」だったと受け取ってくれる人も AI が発達した未来にはいるかもしれない…とわずかに期待する。しかし、基本的には、今の社会には迷惑をかけているばかりで、申し訳ない。
JRF2024/5/279589
……。
「まじめな農耕」はどうも最初は狩猟採集民がすでにいる人口密集地を避けて行われる傾向があったようだ。
>中央ヨーロッパの線帯文土器文化の農耕民たちと同様、(…オセアニアの…)ラピタ人も人口密集地を避けていたようだ。<(p.302)
定住文化は人口管理のため「堕胎」文化だったというのが、『宗教学雑考集 第0.8版』の議論だった。農耕社会は警戒され、人口が一定以上増えると、攻撃されるような関係があったのかもしれないと想像する。
JRF2024/5/275953
……。
ロビン・ダンバー『宗教の起源』を私は以前読んだ([cocolog:94517420])が、グレーバーとウェングロウは、その社会脳仮説にいちゃもんを付けたいようだ。
>要するに、家族があまり好きではない人間は、この世に多数存在するということだ。<(p.318)
ダンバーの主張は、150人の集団には「必ず」家族が含まれるという言説ではなかったように思うのだが。
JRF2024/5/272441
偏見だが、アナーキズムを標榜するような人々は、家族とあまり関係が良くない人も多いのかもしれない。そういう人にとってダンバーの議論から来る印象には、一言いわねばならないと感じさせる部分があるのかもしれない。
JRF2024/5/274129
あと、グレーバーとウェングロウは150人を超えると必ず管理者を必要としだすとダンバが言ってるかのように読めるのだが、ダンバーの主張は、むしろ、グレーバーとウェングロウが、都市には「想像」が必要というのに似て、宗教などの何がしかの概念的構築物が必要ということだったように思う。
にもかかわらずダンバーを非難して、主張していないことを主張したかのように言っているのは、卑怯・学者として不誠実なように感じた。ここも党派性を感じざるを得ない。
JRF2024/5/273996
……。
>南メソポタミアの最初期の諸都市で君主制 -- 儀式的なものであれそうでないものであれ -- が重要な役割をはたしていたと考える根拠は存在しない。それどころか、実際には、その逆である。<(p.353)
「まじめな農耕」は警戒され、平和主義的なものしか攻撃されずに展開できないものはなかったからではないか。その生産力から王を立てるようなことをすると、攻撃準備ととられ警戒感が高まり攻撃を受けることが増えたのではないか。
JRF2024/5/278765
また、狩猟採集に比べ、広大な土地が死活に関わり、しかも燃やされるような懸念もあった。それを守ることは当初はかなり難しかったのではないだろうか。
農業は平和主義者のやるものという「偏見」がかつてはあり、それに対して、いやむしろ農業が国家主義を作っていったのだという「意外性」の強調がかつてはあったのだと思う。著者らはそれをただそうとしているのだとは思うが、農業が君主制をのちに呼び込んだことへの軽視はあるように思う。
JRF2024/5/272623
……。
そういった平和主義的・平等主義的と見られるメソポタミアだが、しかし、その周辺に序々に貴族制的・英雄主義的エートスをもった集団が現れてくる。
>前3100年頃から、現在のトルコ東部の丘陵地帯、それからそれ以外の都市文明の周縁部にも、戦士貴族の台頭を示す証拠があがっている。かれらは金属製の槍や剣で重武装し、丘の上の砦や小さな宮殿のような場所に住んでいた。官僚制の痕跡はすべて消えた。<(p.355)
JRF2024/5/270733
>貴族政、おそらく君主政そのものが、メソポタミア平原の平等主義的な都市に対抗してはじめて出現したのだ。<(p.357)
都市が巨大になるにつて、平等主義的だからと周りの狩猟民は安心できなくなったということではないか。自ら重武装する必要がある。しかし、そのためには、都市の生産力に頼るしかない。
JRF2024/5/271337
日本の平安時代に武士が登場してきたことを思い出す。狩猟民の襲撃を避けるため護衛が強力になると同時に、襲撃する側に武装が渡るようなことが起きはじめたのだろう。
少なくとも当初は、武装勢力は都市を占領することになっても、その生産手段には手を出さないことが求められたのではないか。
一人の強い王のほうが、英雄主義的な複数の貴族の乱立よりは良い・信用できるという判断も都市にはあったのかもしれない。
JRF2024/5/272542
襲撃する側に武装が渡ってもバレにくくなったり、攻撃しにくくなる過程には、境界を画するような、ルソーが想定してような動きもあっただろう。
JRF2024/5/270740
……。
カースト制のあった中世のバリ。しかし、平等主義的なスク・システムもそこにはあった。
>灌漑システムは、一連の「水の寺院 water-temples」によって管理されており、水の分配は、平等主義の原則による合意的な意思決定を通して、農耕民によって管理されていたのだ。<(p.367)
JRF2024/5/272621
ただ、じゃあ、意思決定に奴隷が参加できたかというとそうではないだろう。カースト制からみれば平等という相対的平等でしかない。このあたりには、著者らの理想の投影があると思う。
また、灌漑システムに官僚制を要したというのを著者らは批判し、そうでない灌漑システムがあったということもここでは言いたいのだと思う。その点は後述する。
JRF2024/5/275529
……。
スペインの南米の侵略において、トラスカラ(族)は、侵略者コルテスと同盟を組んだ。しかし、そのトラスカラはかなり、共和的・民主的で、同盟の決定にはさまざまな議論があったらしい。トラスカラの評議会の討議で、マシスカツィンいう名の領主は、コルテスと同盟しアステカを打倒するよう演説したのに対し、老スコテンカトルは反論した。
>かれは評議会にこう説く。すすんで町に迎え入れた新参者は、しばしば「内なる敵」となるものだ。それには、このうえなく抵抗しがたいのだ、と。なぜか、と、シコテンカトルは問う。
JRF2024/5/273328
「……マシスカツィンは、これらの人びとを神々とみなしている。だがかれらは、むしろ、われわれを害するために不穏な海が投げてよこした貪欲な怪物のごときものなのだ。金、銀、石、真珠を貪り、着物を着けたまま眠り、そして、かれらの行動ときたらいずれ残酷な主人と転ずるであろう者たちのやり方だ……かれらの底なしの食欲や、貪欲な「鹿」(スペインの馬)の貪欲を充たすだけの、鶏やウサギ、トウモロコシ畑は、この土地にはほとんど存在せぬ。隷属せずに暮らし、王を認めたこともないわれわれが、なぜおのれを奴隷となすべく、そのためだけに血を流すのか?」。
<(p.402)
JRF2024/5/270208
インディアンはスペインの侵略者をやすやすと受け容れたかのように語られがちだけど、そうではない…と。マヤ族などもかなり後世にいたるまで反逆していたという。ただ、インカやアステカについては、その印象どおり、帝政が逆にあだとなり、上を取られたらあっけなく崩壊したけれども。
現代アメリカ。私は、タバコへの攻撃について、インディアンから受け継いだ文化をだいなしにして申し訳ないと思うと何度か書いてきた。
JRF2024/5/271879
[cocolog:93866331]
>酒もタバコも私は嗜まないが、嗜む人には文化維持者として尊敬に近い感情を持つ。タバコ、インディアンから受け継いだのに文化を守れなくて申し訳ない…とか思ってる。<
JRF2024/5/277119
ただ、インディアンから受け継いだものは他にもいろいろある。ギリシアからと見られがちな、現代アメリカ大陸の民主主義の文化も、案外、アメリカ先住民にその根があるかもしれないというのがこの本には示唆されている。また、南米ではサッカーがさかんだが、それも伝統を受け継いでるように見えるというのもある。もちろん、トマトやトウガラシなどの作物もある。そういうのがあるから、ことさらタバコにこだわらなくてもいい…というのはあるかもしれない。
JRF2024/5/271304
……。
>トラスカラの評議会に活躍の場をもとめる人びとは、個人的なカリスマ性やライバルを凌駕する能力を期待されるどころか、謙虚なる精神をもって -- そうした能力をむしろ恥とするような感覚をもって -- のぞむ必要があった。かれらは都市民に従属することをもとめられていた。この従属がたんなるみせかけではないことを確認するために、めいめいがいくつかの課題をこなさねばならなかった。
JRF2024/5/271562
まず、野心への適切なる代償と考えられていた公衆の罵声を浴びることが義務づけられた。つぎに、自我をぼろぼろに傷つけられた政治家志望者は、長期の隔離生活のなかで、断食、睡眠剥奪、瀉血、厳格な道徳教育などの試練を与えられた。そしてイニシエーションは、あらたに公務職に就いたものが、祝宴の最中に「カミングアウト」することで幕を閉じた。
<(p.406)
「公衆の罵声を浴びる」というのは、今でも求められてる感じだね。安倍元総理とか政治家は罵声を甘受しなければならなかった。
JRF2024/5/272829
あとは、女性誌が皇族を攻撃するのもそれなのかもしれない。現天皇御即位の前の雅子さまとか。
「公衆の罵声」は、ギリシアとかでもきっとあったんだろうけど、現代への直接的な影響では、意外にアメリカ先住民から来てたりするのかな?
JRF2024/5/275996
……。
支配の形態を考えるとき、著者らは何が(土地の)所有をもたらすかを考えるところからはじめ、支配の三つの原理を挙げる。
土地は、物理的実体という以上に、そこへの侵入などを制限する権力を必要とする。この暴力の統制が当然に支配の原理の一つである。これが王を作る。君主制に結ぶ付く。
JRF2024/5/274348
暴力はしかし、その原初的形態は、日本の天皇制のように王を認めるが、それをまつりあげ、実質、その手と目の届く範囲以外は、力が及ばないようにされがちである。それだけでは支配は安定しないのだ。
次に、信頼できる者のみに、ダイアモンドの所有を見せびらかすのは安全だというときに、そこには情報を伝えないことで侵入させない、情報の統制がある。これが支配の今一つの原理である。これが、官僚制に結び付く。
JRF2024/5/275780
そして、暴力や情報の統制がなくても、人気があれば、ダイアモンドの所有が万民から納得されることもあるだろう。これが個人のカリスマ性で、これが支配の最後の原理ということのようだ。カリスマ性は、選挙を通じた貴族制である現代民主制につながる。カリスマ性には、競い合いが必要で、それは戦争による競い合いでももちろんいいが、ボールゲームなどでも可能であったのが、アメリカ先住民などの例からわかる。
>わたしたちは、これら三つの原理 -- それぞれ暴力の統制、情報の統制、個人のカリスマ性と呼ぼう -- が、社会的権力の三つの可能な基盤でもあると提起したい。<(p.416)
JRF2024/5/270874
支配の三要素というと、↓を思い出す。
『宗教学雑考集 第0.8版』《三種の神器 - 非定住文化による支配》
>>
ギリシアと日本をつなぐのは騎馬民族のスキュタイ(スキタイ)。ヤムナヤ文化を受けたスキュタイには三種の神器があり、それは日本の三種の神器に比定できる。…だけでなく、通り道の朝鮮にも、明示はされていないが、三種の神器的なものを見出せるのだという。
JRF2024/5/272407
>
スキュタイの王家に伝承されていた宝器は前述したとおり、いずれも黄金製の、犁[すき]に軛[くびき]の付属した耕具と、戦闘用の斧と盃であったが、これらはデュメジルとバンヴニストによって、スキュタイ人が人間社会にとって不可欠の要素と考えていたと思われる三種類の職業を、その遂行のために必要な道具によって象徴したものであったことが明らかにされている。耕具と戦闘用の斧に関しては、前者が農民の、後者が戦士の用具であり、これらがそれぞれ、食糧生産と先頭を象徴することは、ほとんど自明であろう。
JRF2024/5/278210
三番目の盃は、イラン系の民族にとっては、宗教の儀式を執行するために肝要な祭具であった。ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』の中で祭司と戦士と農民のそれぞれの「道具一式」が列挙された箇所(ヴェンディダッド、14、8-10)においても、祭司用の道具の主な部分は、聖酒ハオマの盃をはじめとする多くの盃によって占められている。(…)盃は、スキュタイ王によって大女神自らの手で施行されるものと観念されていたらしい王権の授与式においても、中心的な役割を与えられていた聖器であったと結論してよかろう。(吉田敦彦『日本神話の源流』p.161-162)
<
JRF2024/5/275075
日本の三種の神器においては、鏡=盃=(宗教=王権)、剣=戦斧=軍事、玉=耕具=食料生産 とピッタリ対応できるということだ。高句麗においてはそれぞれ金爾、兵物、鼎[かなえ]となるらしい。
<<
グレーバーとウェングロウの枠組みでは、暴力の統制が「剣」、カリスマ性が「鏡」、情報の統制が「玉」だろうか。ズレは少しというかかなりありそうだが。そのズレは古代人自身の目と、現代の民主政治を理想とする目との違いから来るのかもしれない。
JRF2024/5/273409
……。
>徐々にあきらかになってきたように、近代国家は、人類史のある時点でたまたま束ねられた諸要素の集合体であり、まちがいなくいまやふたたびほどけていく過程にある (たとえば、WTO や IMF のような地球規模の官僚機構に対応するグローバルな主権の原理が存在しないことを考えてみよう)。<(p.419)
JRF2024/5/274434
私には「日本に必要な若者専門家による専制的支配として、(「若者」)官僚の事務会議、医師・弁護士を中心とした専門家会議、科学者・(IT)技術者からなる技術会議、とそれらを統べる三者調整会議を作る」という構想([cocolog:94354877])がある。直近で、それを民主党の「事業仕分け」体をまねることで、作っていってはどうかという提案をしていた([cocolog:94856421])。
JRF2024/5/270897
事業仕分け体は、国会を軽視し、むしろ国会を操ろうとしていく。その力学は、国会の向こうにある、国連や GAFA などの国際企業体にも、影響を及ぼすにはどうするかがあると言えるかもしれない。近代国家的なトップダウンでない思考が求められているため、そうなっている側面もあるということだ。
JRF2024/5/275154
……。
>ある帝国がその基盤を主要に軍事力に置いているばあい、それと類似したより力に勝る勢力がその領土を掌握するのは比較的容易である。というのも -- コルテスが1521年にテノチティトランを包囲したように、あるいはピサロが1532年にカハマルカでアタワルパを捕縛したように -- その中心を掌握すれば、それ以外のすべてがたやすく陥落するからである。<(p.428)
上で「インカやアステカについては、帝政が逆にあだとなり、上を取られたらあっけなく崩壊した」と書いた部分。
JRF2024/5/277418
……。
上で書いたように王はしばしば囲い込まれ無力にされる。アメリカ先住民のナチェズのそのような例が語られたあと…。
>ナチェズの事例は、王を封じ込めることが王の儀礼的権力のひとつになるという、より一般的な原理を比類なき明快さをもって示している。主権はつねに道徳秩序との決別としてあらわれる。だからこそ、王はしばしば、兄弟を虐殺し、姉妹と結婚し、祖先の遺骨を冒涜し、あるいは記録されているいくつかの事例では、文字通り宮殿の外に立って無差別に通行人を銃殺するなど、みずからの地位を確たるものにするためになんらかの暴挙にでるのである。
JRF2024/5/274231
しかし、まさにこのような行為そのものによって、王はおのれを潜在的立法家や高等法院として確立するのだ。これは〈高位の神々 High Gods〉が、無差別に稲妻を落とすと同時に人間の道徳的行為を裁くものとしてよく表現されるのとおなじことである。
<(p.450)
現代の日本の天皇が選挙権などを剥奪され、その権威にもかかわらず、軟禁されているようにも見えることに批判らしきものがあることもあるが、それは、ある意味世界において伝統的にそうだったということのようだ。
JRF2024/5/277982
ただ、一方で、現代天皇制に道徳からの超越というものは今は見られない。[cocolog:94856420] で書いたような、第4妃まで娶ることを天皇(または皇太子など)にだけ認めるとなれば、少しはバランスが取れるのかもしれない。
JRF2024/5/271332
……。
南スーダンのシルック族の王であるレスという地位も、そのような封じ込まれた王だった。シルック族には古い言い伝えがある。
JRF2024/5/271815
>「むかしむかし、あるところに残酷な王がいました。かれは多くの臣下を殺し、女たちまで殺しました。臣下はかれをおそれていました。ある日、みずからの臣下たちが恐怖心からなんでもいうことをきくことを示すため、かれはシルックの首長たちを集め、若い女の子といっしょにじぶんを家の中に閉じ込めるよう命じました。それから、ふたたびじぶんを外にだすよう命じました。しかし、臣下たちはその命令をききませんでした。それで王は死んだのです」。
JRF2024/5/273252
こうした口承の伝統をみると、恣意的でときには暴力的な主権者が散発的にあらわれるほうが、より穏やかで体系的な統治方法よりも望ましいという意識的な選択をシルックがおこなっていたようにもみえる。「レス」が行政組織などを立ち上げようとしようものなら、たとえ打ち破った人びとから貢物を徴集するためであっても、その行動は圧倒的な民衆の抗議の波にさらされ、その計画を断念させられるか、完全に追放されるかであった。
<(p.452-453)
農耕と同じく、行政・官僚制も警戒される文脈があったということだろう。
JRF2024/5/278033
……。
なぜ、王朝の初期において、王が死んだときその側近も殺して葬られるようなことが起こるのだろうか。その目的の一つが、死んだ親族のケア(追善供養など)をさせないようにすることにあったのではないかという。例えば中国の殷…
>祖先とのつながりを喪失し、社会的傷を負った生存者たちは、殷の宮廷の支配下におかれる可能性が高くなった。殷の統治者は、じぶん以外の人間が祖先になるのを防ぐことによって、より偉大な祖先となったのだ。<(p.456)
JRF2024/5/271072
それでも祖先をまつろうとすれば、殷の王を同時にまつらねば不自然になったということだろう。
そういった儀礼的殺人によって…。
JRF2024/5/270372
>主権が最初に拡大して社会の一般的な組織原理となるとき、そこでは暴力の親族関係への転換が作用している。中国でもエジプトでも、初期の大量殺戮の華々しい段階は、マックス・ヴェーバーが「家産制 patrimonial system」と呼んだものの基礎を築くことを意図しているようにみえる。
JRF2024/5/272252
つまり、すべての王の臣下が、すくなくとも王のケアをするために働いているという程度には、王家の一員として想像されるシステムである。赤の他人を王家の一員にすることと、その赤の他人自身の祖先を否定することは、究極的にはおなじコインの裏表のようなものだ。いいかえれば、親族関係を生産するための儀礼が、王権を生産するための方法になるのである。
<(p.458)
JRF2024/5/274028
私は『宗教学雑考集 第0.8版』《金属の盗掘・王家の谷》では、骨食に戻らないよう死後の軍団という概念を維持するため、金属の埋葬と「盗掘」の習慣ができたとしたのだった。死後の軍団という概念を、そういう概念をそれまで持たなかった種族に強制するというのが儀礼的殺人であったという見方が、ここではできるかもしれない。
JRF2024/5/270466
>非常にざっぱくな一般化をおそれずにいえば、中近東の新石器時代(肥沃な三日月地帯)では、文化的焦点 -- 装飾芸術やケア、配慮[アテンション]という意味で -- は、家[ハウスィズ]におかれていたが、アフリカでは、身体[ボディーズ]におかれていた。すなわち、アフリカでは、きわめて早い段階から、美しく加工された身だしなみ用品や精巧きわまりない身体の装備品をとなった埋葬がおこなわれてきたのである。<(p.460)
JRF2024/5/274663
『宗教学雑考集 第0.8版』《金属の盗掘・王家の谷》あたりで述べたことだが…。
通常、肉は自然に帰り、そこから植物が生え、また肉となるという点で、自然は循環しており、そこから、子宮墓のようなものに裸で埋めて、そこから自然を通じて、再び人として生まれてくるという、転生的概念のほうが成立が先のように私は思う。
JRF2024/5/277698
しかし、まったく同じ人物が帰ってくることはありえず、特に、侵略などがある場合はそこに帰ってくるのは別の民族ということになる。にもかかわらず骨食を避けるための埋葬を続けるなら、帰って来ないことの合理化のために、転生を否定した死後の世界という概念が成立する余地が出てくる。そうなれば、死後の世界で役立つような副葬品も同時に埋めるという信仰もうまれてくるのであろう。
JRF2024/5/272041
……。
死んだ王は、ケアしてもらう必要がある。食べる必要もあり、パンとビールを必要とするという概念が成立していたらしい。
>(…エジプトでは…)前3500年頃から、パンを焼いたり醸造したりするための施設の遺跡があらわれはじめる。最初は共同墓地に隣接していたが、数世紀のうちに宮殿や大墳墓に併設されえるようになった。<(p.463)
JRF2024/5/279860
>大ピラミッドの時代(前2500年頃)には、パンやビールが産業規模で製造され、王室の建設プロジェクトに従事する季節労働者の一群に供給されていたが、そのさいには、かれらもまた王の「親族」あるいはすくなくともケア供与者となり、それゆえすくなくとも一時的には十分な食料とケアを供給されることになった。<(p.464)
JRF2024/5/276074
喪に卵を食べるという話だったか、いや、忘れたが、法要でいっしょに食事をすることはよくある。悲しみ過ぎて食事がのども通らない…というのではいけないから、というか、そうやって食事をしないような喪が強制されないように、食事をするのだと思う。エジプトもそういう結論から、パンとビールがふるまわれるようになったのではないだろうか?
JRF2024/5/276282
そういう意味では、儀礼的殺人の「栄誉」を他の人に渡さないという文脈も生じていたのかもしれない。ここでは死後ついていくより追善することのほうがケアとして大事となったということのようだが。
JRF2024/5/276143
……。
エジプトは古王国・中王国・新王国があり、その間は「中間期」とされ、何か重要かことが起きていたのではない混乱期であるとされてきたが、そうではない…と著者らはいう。そこには英雄社会としての複数貴族による政治があった。それは上でカリスマ性が現代民主制につながるという文脈からも肯定すべき政体なのだということのようだ。
JRF2024/5/274256
>要するに、古王国時代から第一中間期への移行は -- かつてエジプト学の正統派が主張していたような -- 「秩序」から「混沌」への移行ではなく、権力行使の枠組みの「主権」から「カリスマ政治」への変化だったのである。それにともない、神のごとき支配者に対する民衆のケアから、権威への正当なる道としての民衆のケアへと、重点が移行していった。古代エジプトでは、歴史上、非常にしばしばみられるように、重要な政治的成果は、だれも石をもって壮大なモニュメントを建造していなかったために見過ごされる、このような時代(いわゆる「暗黒時代」)にこそ生まれるのである。<(p.476)
JRF2024/5/274148
現代では万博批判などもあるが、「死後の王のケア」よりも「民衆のケア」が大事で、それを優先したがゆえにモニュメントが残っていないのだということらしい。しかし、ここに関しては、英雄社会は同時に戦争社会ではなかったのか、という疑いもわく。
また、将来につながる技術などの養成には、もしかすると「死後の王のケア」を優先する社会のほうが、未来を考えてる分良かった面もあるかもしれない。
JRF2024/5/272682
……。
メソポタミアなどを念頭に…。
>かつては複雑な灌漑システムをもつ地域に官僚制国家があらわれる傾向があるとすれば、水路の維持管理や水の供給を調整する行政官が必要だからにちがいないと考えられていた。ところが、実際には、きわめて複雑な灌漑システムであってもそれを調整する能力は農耕民自身がもっており、初期の官僚たちがそのような問題に関与していたという証拠はほとんど存在していない。都市住民たちは、きわだった自己統治[自治]能力をもっていたようにおもわれる。
JRF2024/5/273049
たいてい「平等主義」とまではいかないまでも、今日の都市行政体[アーバン・ガバメント]よりもはるかに参加型であったのだ。いっぽう、古代の皇帝のほとんどが、臣民がどのように道路を掃除したり排水溝を整備したりするかにはあまり関心がなかったため、干渉する理由がほとんどなかったことがわかっている。
<(p.478)
JRF2024/5/272514
上で書いた灌漑システムまわりの批判。しかし、官僚制が一方にあったからこそ、「分裂生成」的に、灌漑システムは平等主義的な管理をしていたという面もあるのではないだろうか。灌漑システムに官僚制がなかったからといって、その社会が官僚主義的でなかったなどというのは言い過ぎのように思う。
JRF2024/5/272895
……。
約8000年前、文字による文書が現れる3000年前のメソポタミア(テル・サビ・アブヤド遺跡)では、数字などの代わりに使用されたであろう幾何学的トークンなどが出土している。官僚制に必要な文書の誕生に関わるそれらは官僚制とはどうも逆方向の文化を生んでいたようである。
JRF2024/5/275876
またインカ帝国下にあったアイリュの紐によるキープも同じように、当初は、平等化のために使われていたようだが、それがインカ帝国に取り込まれるや、国家管理のツールに堕していったようなのだ。
文字以前のメソポタミアの…
JRF2024/5/271450
>前5000年紀には、管理ツールをはじめとするあたらしいメディア技術が中東の広い範囲に普及するにつれ、村落の生活から外見上のちがいや個性の兆候が徐々に消えていったことがわかる。<(p.481)
JRF2024/5/273498
>実際、およそ1000年つづいたこの時代(考古学者は、イラク南部のテル・アル・ウバイド遺跡にちなんで「ウバイド期」と呼んでいる)は、(冶金、園芸、織物、食生活、長距離交易などにおける)革新の時代であった。だが社会的な観点からみると、こうした革新が身分や突出した個人の形成の機会へ転化すること -- つまり村落の内部、そして村落間でのはっきりとした地位の差異が生まれること -- を、あらゆる手をつくして阻止していたようにみえる。
JRF2024/5/277811
興味深いことに、世界初の都市が出現する以前の数世紀のあいだに、公然たる平等イデオロギーが誕生していた可能性がある。さらに、管理ツールが最初に設計されたのも、富を徴収したり蓄積したりするためではなく、まさにそのようなことを防ぐためだった可能性もある。
<(p.481)
JRF2024/5/273010
計算は分配のために必要で、分配の一方法として税の徴収などもある。…ということだと思う。税の徴収に転用するというのは一つのイノベーションではあったろう。計算方法の案出もイノベーションではあっただろうが。
JRF2024/5/276050
イノベーションが生活分野で続いて起きやすくなるようなそういうイノベーションと、国家的規模でなければ起きないイノベーションがあるのだと思う。
生成 AI がらみは、モデルの学習は、国家的規模でなければ起きないイノベーションのようだが、LLM などを生活に役立てる…ということについては、どうも、貧者による平等主義的イノベーションが次々に続きそうに思う。そういう意味でも、ベーシックインカムのアイデアとも相性が良いのかもしれない。
JRF2024/5/275256
……。
>遊戯農耕[プレイ・ファーミング] -- ルーズでフレキシブルなので、それ以外の季節的活動にもたくさん自由に携わることのできる耕作の方法に、わたしたちが与えた名称 -- がより本格的な農業に転換したのとおなじように、遊戯王国[プレイ・キングダム]も実体化をすすめたということだろうか?<(p.489)
JRF2024/5/270991
遊戯官僚制も遊戯カリスマ制もあったのだろう。遊戯カリスマ制は、上で「眠り姫」のところにあったような、祭礼などの中にあったし、ボールゲームなどがそもそもそうだったのであろう。
遊戯官僚制といえば、現代では、Excel が使えるのに、それを計算機でチェックする…というのは、いつでも Excel が使えなくなったときに備えるという形で、ここでいうところの遊戯性があったように思う。
JRF2024/5/274274
王制・官僚制・選良制が、それぞれ一つ成り立っている場合、二つだけ成り立っている場合として、古代のシステムを眺めるようなことを著者らはした。
そこでは、古典期マヤのように、官僚制だけがない場合は、その代わりに、官僚制が星座という天に永遠のものとしてあるだけであったり、エジプトでは、選良制がなかったが、選良制的英雄社会が死者の国では存在していたとかあった…とするようだ。(p.472 ぐらいの記述。)
JRF2024/5/278629
……。
支配者を太陽とするような言説はしばしば見られるが、実際の権力はそこまであることは当然ない。しかし、そう見せたいという全体主義的衝動はある。
>エジプトのピラミッドのようなモニュメントもおなじような目的をもっていたようだ。それらはある種の権力 -- ピラミッドが建設されている数ヶ月だけ真に姿をあらわすような権力 -- を永遠のものにみせようとする試みだったのである。<(p.490)
アナーキストの一人として…ということだと思うが、著者らは、これに警鐘を鳴らす。
JRF2024/5/277808
>現代社会であれ、古代社会であれ、権力の実態を理解するには、エリートができると主張することと実際にできることのあいだにあるこのギャップを認識する必要がある。社会学者のフィリップ・エイブラムスが大昔に指摘したように、この区別をしなかったために、社会科学者たちはおびただしい数の迷宮に迷い込んでしまった。
JRF2024/5/274647
というのも、国家とは「政治的実践という仮面の背後にある現実ではなく、それ自体が政治的実践をありのままにみることを妨げる仮面なのである」から。エイブラムスいわく、政治的実践を理解するためには「国家が存在するという感覚ではなく、国家が存在しないという感覚」に注意を払わなければならない。これらの指摘が、現代の政治体制と同様 -- すくなくとも同程度には -- 古代の政治体制にも強くあてはまることが、いまやわかるだろう。
<(p.490)
JRF2024/5/276367
デモとかストが、実際に効果があり、下々が思ってるほど、支配者側の力はなかったりする…同時に対応できないとか…はあるのだと思う。
今、ウクライナとイスラエルで戦争していて、中国はことを起こせば、アメリカに三正面を強いることができるわけだが、そうすると、自分の国の中で、三正面以上をせまられるようになるという心配があるのだろうか?
JRF2024/5/272338
……。
北米大陸に「トーテム動物」のクランがあり、同じ動物のクランならば、距離が離れていても受け容れられる原則である。言葉が必ずしも通じないのに、なぜそれが可能なのか? その解答を示唆するものとして、著者らが挙げるのがホープウェルの幾何学体系にもとづいた土塁である。その土塁の土木技術はとても発達したものだ(p.519)。
その土塁は、特定の期間のみ集まるのに使われたようなのだ。
JRF2024/5/276879
>何百マイルも離れた場所にいる人びとが、一年のあいだに、一回につきせいぜい五、六日だけセンターでの儀礼のために定められた日程で集合するよう調整するためには、星々や川、季節にかんする詳細な知識が必要であっただろう。<(p.526)
紐のキープと天文学の組み合わせが、何かとても複雑なことを現すのに役立っていたのかもしれない。…と私は想像した。
JRF2024/5/271672
>ホープウェルの壮大な埋葬が後400年頃に終わりを告げたのは、主にホープウェルの役割が終わったからということも考えられる。たとえば、その儀礼芸術の個性的な性格は、うってかわって標準化され、大陸中に拡散しているのである。泥のなかから魔術のごとく出現した幻想的でつかのまの首都への大いなる旅も、もはや集団間の紐帯を確立するために必要ではなくなった。諸集団はいまや、個別の外交に必要な共通のイディオムや、よそものと交流するための共通のルールをもつようになったのだ。<(p.526)
JRF2024/5/278759
天を読み取り人々を交流し、地上に広く痕跡を残すことが、途中から目的になっていたかもしれないことを示唆する文章である。そんなことが半ば知的に(夢の領域で無意識的に?)計画されていたのだろうか?
JRF2024/5/271564
……。
ポスト・ミシシッピ文化において…。
>町の成人男性は毎日集まり、タバコを吸ったりカフェイン入りの飲み物を口にしたりしながら、合理的討議の精神でもって一日の大半を政治についての対話に捧げていた。タバコも「ブラック・ドリンク」[アメリカ南東部の先住アメリカ人が醸造した儀式用飲料、いくつかの種類がある]も、もともとはシャーマンなどの霊能者が意識を変容させるために高濃度で摂取するドラッグであったが、そのときには注意深く計量して集まった人びとに配られるようになっていた。
JRF2024/5/271879
東北部でイエズス会が報告した内容は、ここでもあてはまるようだ。「かれらは、情念を鎮めるのにタバコほどふさわしいものはないと信じている。だからこそ、パイプやカルメットを口にくわえずに評議会に出席することはない。煙はかれらに知性を与え、複雑このうえない問題をも、はっきりと見通すことをできるようにするのである」。
JRF2024/5/277028
さて、これが啓蒙主義のコーヒーハウスを彷彿とさせるとすれば、それはまったくの偶然ではない。たとえば、タバコはこの時期に入植者によって取り入れられ、それがヨーロッパに持ち帰られて普及したが、実にヨーロッパでは、精神集中のために少量摂取するドラッグとして喧伝されたのだ。
<(p.538)
JRF2024/5/274813
ただし、
>多くの点で、当時の新興世界経済(最初は香辛料貿易、つぎにドラッグ、武器、奴隷貿易を基礎とした)の基盤でもあった、ヨーロッパで台頭してきたソフト・ドラッグの使用法は、[先住民のそれとは]かなり異質なものであった。というもの、その使用法は、あたらしい労働の組織法にむすびついていたからである。
JRF2024/5/272161
中世には、ほとんどすべての人間がワインやビールのような軽い酩酊物質を日常的に摂取していたが、あたらしい体制では、仕事を促進するための軽いドラッグ(とくにタバコと並んで砂糖摂取のための媒体として利用されたコーヒーや紅茶)と週末用の強い酒とが分裂していった (Goodman, Lovejoy and Sherratt eds 1995 所収の多様な論考を参照されたい)。
<(p.539, 注)
ソフト・ドラッグをめぐる状況は、21世紀・または22世紀に向けて変化が出てきているようだ。
JRF2024/5/275298
[aboutme:122258]
>…酒・医・高利貸し・神道・売春という体制から、精神薬・サイコドクター・電子化・代替医療・介護保険という体制への大きな流れで捉えられる…<
[aboutme:68614][aboutme:68615]
>アルコールを飲む人と、私のような向精神薬を飲む人は、いってみれば別世界にいる。「異常な言動」は前者では飲んだために現れることが普通となり、後者では飲まなければ現れるのが普通とされかねない。その精神性がとらえる世界は違うというのが一つの解釈。そしてやはり精神異常で見える世界と、酒でゆがむ世界は、まったく違うというのもある。<
JRF2024/5/271951
……。
>ファイブ・ネーションズ(セネカ族、オナイダ族、オノンダガ族、カユーガ族、モホーク族)<(p.549)
セネカ!
JRF2024/5/275433
《ソウルキャリバー4 キャラクリ 懐かしキャラ 編 - JRF の私見:雑記》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2010/11/post-1.html
>『宇宙の騎士テッカマン』からアンドロー梅田。なぜか私はこのキャラをセネカの名で覚えていて、テッカマンの二次創作をすることばあれば、必ず登場させたいと想っていた。<
JRF2024/5/271238
それでローマの哲学者のセネカの本を読んだりもしていた ([cocolog:93763227])。しかし、アンドロー梅田と哲学者セネカのつながりは何も感じなかった。
しかし! アンドロー梅田は、その姿が、どちらかと言えば、アフロのインディアンであることを考えれば、ファイブ・ネーションズのセネカのほうが、つながりがありそうに思う。
でも、なんでそれが私の中でつながったのかは、やっぱり不明だけど orz。
JRF2024/5/275655
……。
>メソアメリカ社会では車輪を使った輸送はおこなわれていなかった。だが、スポーク、車輪、車軸にかれらがなじんでいたことは、それらを使った子どもむけのおもちゃがつくられていたことからわかっている。<(p.567)
「車輪の再発明」で話題の、アメリカに車輪がなかった話。おもちゃはあったんだね。
JRF2024/5/277747
[aboutme:117811]
>古代アメリカには車輪がなかったというのもよく聞かされた。道路というものがなければ、車輪の有用性は薄い。でも、石の床があり、転がせる壷があった文明に(円盤の車輪も)「ない」なんてことがあるのか、むしろ、宗教的禁忌で輪を使うことが制限されていたのではないか。<
JRF2024/5/273817
……。
自由については著者らは、三つの基本的な自由を挙げる。
>目的地で歓待されることを前提として、いまの環境から逃れ去る自由(…移動の自由…)、恣意的な命令に逆らったとしても、追放されることはない自由(…服従からの自由…)。<(p.641, 訳者解説)
JRF2024/5/279381
そして、
>まったくあたらしい社会的現実を形成したり、異なる社会的現実のあいだを往来したりする自由(…政治的自由…)、である。<(p.570)
しかし、著者らは表現の自由は重視しない。
JRF2024/5/278696
>よく考えてみるならば、「言論の自由」や「幸福の追求」のような、わたしたちが典型的な自由だと考えているものの多くは、実は社会的自由ではまったくない。好きなことをなんでもいう自由があるとしても、だれも気にしたり耳をかたむけたりしないのであれば、ほとんど問題にはならないのだから。同様に、好きなだけ幸せになることができたとしても、その幸せが他人の不幸と引き換えであるなら、それもまた大して意味をもっていない。おそらく、典型的な自由とみなされているものは、たいてい、ルソーが『人間不平等起源論』でこしらえた幻想、すなわち孤立した人間の生活という幻想を基盤としている。<(p.571)
JRF2024/5/275047
ネット時代、孤立した人間に最後に残っているもの、それが表現の自由だ。それはとてつもなく貴重なものだ。
一所懸命、ある場所で死ぬことを決めた人間にとって、少なくとも声は上げられることほど大切なことはない。著者らの主張は、非定住と定住というパラダイムの対立において、非定住側に大きく偏っている。
JRF2024/5/278482
もちろん、逃げる場所があることは大切で、国は複数あったほうがいい。分裂生成された文化があるべきだ。しかし、基本は、その国で正当に働き、報われるべきというのを基礎にせねばならない。[cocolog:91743489] などでも書いたが、難民は別として、移民は国とのつながりを保つためのリモート留学支援などを行い、そのためにも当然に自国の労働者より高い所得を得るべきで、奴隷労働みたいなののために呼ぶべきではない。
私はよく自由を問題にするとき次のようなことをいう。
JRF2024/5/275996
[cocolog:91758418]
>私はよく話をするのが、新商品たるウォークマン(今なら「ポータブルプレイヤー」かな)を買える自由のためには何が必要か…ということ。そのためにはウォークマンをどこかから買ってくる自由があればいいだけではない。そのアイデアを生み、それが生産できる何者かがいなければならず、その生産には長い教育が必要である。また、その需要のためには、音楽がなければならず、文化資本が必要となる。エロ本を買う自由という話も私はする。それも少し違った論理が必要になる。<
JRF2024/5/271725
これをつきつめれば、自由のために国家が必要となる。国家自由主義。ある種の人々には、驚くべき主張かもしれないが。
また、私は、移動の自由をある程度制限する「地域関税」の考え方を推している。
JRF2024/5/279966
[cocolog:94390443]
>地域関税。基本的には、出所のわからない物に高い関税率を課し、GPS の記録などが追える物は、商品にあった低い関税率にする感じか。そこに移行するのにまず GPS の記録などを元に消費税の軽減税率を認める仕組みからはじめればよいのでは?<
グレーバーらの主張は、「退化する自由」でしかないのではないか。その自由ももちろんあるが、できれば、進歩を未来に届けたいというのも当然の願いではないだろうか。
JRF2024/5/276130
……。
>人類史のなかで、このようなこと[無差別殺傷]をおこなう理由はあまりなかったか、あったとしてもまれだったようにおもわれる。旧石器時代の記録を系統的に調べても、このような特殊な意味での戦争の証拠はほとんどない。さらに戦争はなんらかのゲームのようなものだったので、ときに芝居がかった、ときには血なまぐさいかたちでその姿をあらわしてきたことには、いっさいおどろくべき点はない。民族誌を眺めてみれば、「遊戯戦争[プレイ・ウォー]」と呼ぶにふさわしい事例には事欠かない。<(p.573)
旧約聖書『サムエル記上』第17章のダビデとゴリアテの遊戯的「一騎打ち」を思い出す。
JRF2024/5/275363
また福田歓一『近代の政治思想』の↓も思い出す。
[cocolog:90689746]
>>
>ルネッサンスの時代の戦争は、なるほどずいぶん残忍なこともありますけれども、ある意味では、たいへんのんきな面がありまして、お互いに傭兵と傭兵でいくさをするわけですから、商売として戦争をしている人間は、うまくいくさをしたふりをしていればいい。だいたい兵力を見れば、あとは取引きで片づけて、両方とも殺されず、適当に金はもらえるようにやっていくわけですが、ところが戦争をするという場合でも、宗教がからんでまりますと、そういうわけにはいかない。聖戦の意識というものがあらわれてまいります。<(p.81)
JRF2024/5/274273
やっぱり。「普通の戦争」は戦わないのがデフォルトだったんだろうな…とは思っていた。それが「陰謀論」ではなく、こういう知識人にも支持されるとは…。
<<
しかし、「系統的に調べた」というのは DNA などの痕跡を調べたという意味であろうが、次のような記述もある。
JRF2024/5/273500
『宗教学雑考集 第0.8版』《ゲノムの残る不平等のしるし》
>>
女子供は助け、男は皆殺し…というのはどうもよくあることだったようだ。皆殺しまでしなくとも、権力のある男性の子がとても残りやすかったようだ。遺伝子にはその痕跡が残る。
>権力のある男性は権力のある女性よりも、次世代に大きな影響を与えることができ、わたしたちは遺伝学的なデータからそれを読み取ることができる。(デイヴィッド・ライク『交雑する人類』p.331)<
<<
聖書にも聖絶(聖なる虐殺)に関する記述はいくつもある。
JRF2024/5/274634
……。
>ここでとりあげた資料の既存の解釈をすべて概説したり、反論したりしようものなら、この本は二、三倍に膨れあがっていただろうし、著者たちは傍目にはみえない悪魔とたえず格闘しているような感覚を読者に与えることになっただろう。というわけで、わたしたちは実際に起きたとおもわれることの素描を試みてきたのである。そして、他の学者の議論の欠点を指摘するのは、それがより広く知られた誤解を反映しているとおもわれるばあいに限定したのであった。<(p.582)
JRF2024/5/275884
党派性というよりは「分裂生成」的判断をしたということなのだろう。相手を鋭く拒絶することで文化を確立する。…ということだ。私も別の方向に折れるしかないようだ。
JRF2024/5/278656
……。
>グレゴリー・ベイトソンから借用されたキーワードのひとつである「分裂生成」の概念を磨きあげていったのである。<(p.604, 訳者解説)
ベイトソンがもとだった…と。
JRF2024/5/271251
『万物の黎明 - 人類史を根本からくつがえす』(デヴィッド・グレーバー & デヴィッド・ウェングロウ 著, 酒井 隆史 訳, 光文社, 2023年9月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4334100597
https://7net.omni7.jp/detail/1107437298
原著は、David Graeber and David Wengrow『The Dawn of Everything』(2021)。
JRF2024/5/272266