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cocolog:94949593

Ubisoft の発売予定のゲーム『アサシン クリード シャドウズ』が炎上している。黒人奴隷の扱いについて、慰安婦問題に似た無視できない展開になってきたので、それをメモしておく。 (JRF 1181)

JRF 2024年7月17日 (水)

Ubisoft の11月発売予定の新作ゲーム『アサシン クリード シャドウズ』が炎上している。私は Steam『Assassin's Creed Odyssey』で日本語の不具合が長く放置されていることの意趣返し的側面があると軽く見ていたが、黒人奴隷の扱いについて、慰安婦問題に似た無視できない展開になってきたので、それをメモしておく。

そのゲームでは、織田信長の部下で黒人の弥助が主人公の一人となるようで、ただ、その研究が Thomas Lockley とう方のものを参考にしているとのこと。↓によると

JRF2024/7/178078

《いつ:X:2024-07-15》
https://x.com/naturalbarance/status/1812786082012188712
>>今トーマスロックリーの本読んでるんだけど、ホントに書いてる…日本でアフリカ人奴隷が流行したなんてそんなひどい嘘ある…?

(本のページの写真: >権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。<)
<<

JRF2024/7/175606

これについてハティという方が反論している。『大航海時代の日本人奴隷』などを参考に、豊臣秀吉の奉公人に黒人がいたという記述を元に…。

《ハティ:X:2024-07-16》
https://x.com/Squallfang/status/1813039782827815011

JRF2024/7/178279

>当時の奴隷の定義は、現代一般人がイメージする差別的な「黒人奴隷」が形成される前の、古代ローマから継続していたもっと緩やかな奴隷でした。
人攫いに売買される終身奴隷ももちろんいましたが、年季明けがある日本の奉公人もポルトガルの定義では「奴隷」に含まれていました。

自分から雇用を申し入れたケースも同様です。そのため、日本の商人が丁稚奉公を使役する姿も、ポルトガル人からしたら「奴隷を使っている」と解釈されていたのです。 「奴隷を使っていた」と記述されていても、鞭打って酷使とかではなく、一般的な労働者として雇っていたと考えられます。

JRF2024/7/173734

《コブラツイスト:X:2024-07-16》
https://x.com/ishin_is_fake/status/1813223600859848777
>ごく一部で黒人奴隷を傭兵として使ってたと書くのならともかく日本人が黒人奴隷を使用することがブームになっていたように誤解させる書き方はまずいのでは…<

JRF2024/7/173387

《ハティ:X:2024-07-17》
https://x.com/Squallfang/status/1813229198145954039
>別のツリーでも書きましたけど、当時の「奴隷」は今の酷使するイメージと違って、奉公人も含む一般労働者に近い概念でした。
この辺の話は日本の奴隷貿易を研究しているソウザ氏の論文から取っているようなので、しつこいですが「大航海時代の日本人奴隷」を是非読んでみて下さい。<

JRF2024/7/179893

《コブラツイスト:X:2024-07-17》
>奴隷という言葉を日本人以外の人がどう思うかで印象が変わりますね
今回のは海外に飛び火してるんで<

JRF2024/7/172650

確かに「奉公人」まで「奴隷」と定義するなら、その通りなのであるが、その場合、「奉公人」以外も含め、この時代の日本人の大部分が奴隷だったことになる。それと同じ扱いをされていた黒人が「奴隷」であるというのが、この先の日本で海外でどう受け取られるかということを考えると大変デリケートな問題である。

この問題は慰安婦問題に似ている。確かに慰安婦が性奴隷であったという側面は定義によっては出てくるが、しかしそう言い切れない側面があり、その強調は、かなりアジア全体にとってマイナスだというものである。

JRF2024/7/171399

この問題は、宣教師が奴隷に反対していたということにミラーして反論できる。つまり、宣教師が奴隷に反対していたとしても、宣教師が乗っている船に奴隷がいれば、奴隷を是認したことになる。なぜなら、「奴隷を是認」することの定義は、当時一般的な契約に従い下働きさせることだから。船に乗れば利益を得ていたから必ずそうなる。…となる。定義をいじってよいなら、このようなことも言えるからである。

キリスト教だけが奴隷利用の罪をまぬかれ、日本人は現代の基準で黒人奴隷使用の罪に問われるような「不正」は、将来のために、見過ごすことができない。

JRF2024/7/179203

……。

追記。

ただ、「奴隷」と「奉公人」を分けて定義すれば、黒人をわざわざ奴隷にすることはなくても、(海外)商人に黒人奴隷を求めて、それを奉公人にする「流行」は、豊臣秀吉などの例からすると、あった可能性はあるとは言える。

JRF2024/7/173423

《第2章 日本に渡ったアフリカ人 - 本の万華鏡 第14回 アフリカの日本、日本のアフリカ - 国立国会図書館》
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/2.html
>戦国時代、ポルトガルやスペインなどヨーロッパの船が日本を訪れた際に、黒人が従者や奴隷として連れられていたことが、アフリカの人々が日本を訪れた最初の事例であると考えられています。

JRF2024/7/176093

織田信長の伝記である『信長公記』には、イエズス会司祭ヴァリニャーノが従者として連れており、その後信長に仕えることとなった「黒坊主」が登場します。「彼男健やかに器量也爾も強力十之人に勝タリ」と描写されており、信長をはじめ、当時の人々に高く評価されたことがうかがえます。日本では「弥助」と呼ばれたそうですが、アフリカでの本当の名前はどのようなものだったのでしょうか。

JRF2024/7/173348

また、第一章の冒頭で触れた天正少年使節団も、『天正年間遣欧使節見聞対話録』【226-29】によれば、アフリカを訪れた際に「今迄にもあの黒い者らが我々の方へ渡つて来るのを沢山に見た事はあるが」と発言していることから、日本へと渡ってきた黒人を知っていたことが分かります。

JRF2024/7/175390

しかも、使節団を派遣した大名のひとり、有馬晴信は、その軍がアフリカ人とマラバル(インド)人に助けられたという、次のような報告もあります。フロイスの『日本史』【GB315-21】に、有馬・島津軍と竜造寺軍の戦いにおいて、日本人の砲手がいない中で大砲を「一人の(アフリカの)カフル人が弾丸を込め、一人のマラバル人が点火して」発射し、「千人の兵隊を有しているよりもそれらはより効果的に役立った」と書かれています。そのほかにも豊臣秀吉が「カフル人」の踊りを見て褒美を与えたなど、さまざまな記録にアフリカの人々の姿が残されています。

JRF2024/7/175353

……。

追記。補足。

黒人が日本に来るには海外商船に乗る以外になく、そこでの契約形態を日本側は気にしていなかったであろう。

宣教師が奴隷に反対していたという話については、制度的にイエズス会が奴隷を禁じていたというならば、日本も鎌倉時代の御成敗式目で人身売買が禁止されて以降、「奴婢」は認められなくなっているという建前がある。飢饉の際に一時人身売買が容認されることなどはあったので、戦国の世にそれがどれほど守られていたかは問題にはできるけれども。

JRF2024/7/188228

《ケイ:X:2024-07-16》
https://x.com/ksk0628ps/status/1813185236764926141
>アサクリ、話が凄い勢いで展開してる

ロックリーの「日本が黒人奴隷を流行らせた」というのは、おそらく世界史上最悪の歴史改竄やね

日本では鎌倉時代に定められた御成敗式目(要するに法律)で人身売買は禁止、奴婢も一定期間で解放するよう定められた

それ以降、日本に奴隷は存在しない

JRF2024/7/187044

《弥助研究の権威が英語版Wikipediaで自分の未発表論文を引用して学説発表をしていた件、その内容に主張と紐づかない引用や純粋な創作が含まれていた件、ついでに小説の宣伝や自分自身の記事を作成していた件まとめ - ラム・マイヤーズ - Togetter》
https://togetter.com/li/2401301

JRF2024/7/180362

……。

追記。

あ、いちおう、旗幟鮮明にしておくと、アサシン クリード シャドウズの発売には反対していません。私。たぶん、定価では厳しいですが、セールのときにいずれ買うでしょう。

JRF2024/7/185885

……。

追記。

○ 2024-07-18T03:28:14Z

秀吉公が絡んでるとなると、「流行」はあったんじゃないかな。あの方は、後代の益になることもなさったが、癌になることもなさったから。(^^;

JRF2024/7/195691

……。

……。

日本に「奴隷」はあったか論争が白熱している。

《滝口:X:2024-07-17》
https://x.com/Yamato694/status/1813582506266079279
>微妙。西洋の「Slave」は、中世日本国内にはいなかった。人身売買の対象や奉公する下人はいた。ポルトガル人史学者の、海外に売られた日本人奴隷についての研究によると、日本人奴隷の多くは年季や使用人の死没を期に「平民」身分に戻れると思っていて、終身奴隷の西洋の法体系と衝突したそうな。<

JRF2024/7/198434

《kemofure:X:2024-07-18》
https://x.com/kemohure/status/1813863008801800677
>鎌倉以降の日本に奴隷はいなかったツイートは、戦国時代に万人単位の日本人が奴隷として海外に売られていったことを隠蔽する歴史修正なんですね。欧州は日本に何も悪いことをしていないという歴史修正。でも日本側からの中立的歴史研究によりそういった流れは変わりつつあるのが近年なんですね<

JRF2024/7/197964

いや、しかし、日本から海外に奴隷として売られていた、または、人身売買が日本にあったというのと、奴婢という身分は建前上なかった、または、黒人を奴婢にせず奉公人にしていたというのは両立する話だと思う。

JRF2024/7/193640

……。

……。

追記。

《ギロチン:X:2024-07-17》
https://x.com/AFFTRPGCoC/status/1813185010176041170
>イエズス会が積極的に奴隷貿易を仲介し、商人に与えた奴隷貿易の許可証だっていくつも残ってるのに。会議の度に禁止令が出てるのは、禁止した司教が死んだりする度にそれが無効化され、会士による奴隷貿易が復活してきたからです。

JRF2024/7/191943

当然、教義としては反対すべきなんでしょうが、経済的な事情もあり。イエズス会創設者の偉い人は判断を求められた際、現地インドの会士の判断に委ねると丸投げして逃げた記録とかが残ってます。本能寺のずっと後になってから、全体一致で禁止する方針になったみたいですね。

JRF2024/7/191353

《そら:X:2024-07-18》
https://x.com/lazward_ao/status/1813806998183649487
>秀吉は1587年に奴隷貿易を禁止したが、
イエズス会は1596年になって初めて、
日本において奴隷取引する者を
キリスト教から破門することを定めた。

しかし司教の死後に破門令が無効になる
これ酷いな、許可証も調べればあるのか‥

JRF2024/7/198238

《そら:X:2024-07-19》
https://x.com/lazward_ao/status/1813958242445500574
>アメリカでの黒人奴隷売買契約書のコレクションが出てきた。
トーマス・マレディ神父の名や
イエズス会のプランテーションも出てくる
19世紀になると具体的に残ってるものなんだね。
https://slaveryarchive.georgetown.edu/collections/show/1

JRF2024/7/190519

……。

……。

追記。

いろいろ読んで、私の今のところの結論として、秀吉公が黒人を求める「流行」に乗った可能性はあるが、それでもその「流行」の規模は小さい…と考える。なぜなら、当時は一次資料もかなり残っているのに、黒人奉公人の存在を示す記載がごくわずかしかないらしいから。

JRF2024/7/190448

……。

……。

追記。

○ 2024-07-19T10:14:53Z

アサクリ問題の黒人奴隷問題。「奴隷」という言葉の何がいけないかというと、それ(奉公人など)が当時の日本では一般的な雇用形態であって、特別に黒人のみ「奴隷」としたわけではないこと。その点で誤解が生じないように、むしろ「奴隷」という言葉は避けるべきだと思う。海外に売られた奴隷は別の契約形態になるため話が別。

JRF2024/7/202729

○ 2024-07-19T10:29:38Z

仮に流行があったとしても、単に「黒人を雇う流行があった」でええんやで。大きな流行はなかったけど。

JRF2024/7/203901

……。

……。

追記。

有名な事業家による論争への参戦。

《デービッド・アトキンソン David Atkinson:X:2024-07-20》
https://x.com/atkindm/status/1814584664914604508

JRF2024/7/219063

>戦国時代に日本に黒人奴隷が流行ったかどうかを主張していない。ただ単に、流行っていたかどうかを知りたいから聞いた。あの本が否定されている意見を聞きたかった。そこまで人数は来ていないとか、そもそも奴隷ではなかったとか。教えて貰うことを期待していた。

だから、嘘だったエビデンスは?、と聞いた。<

デービッド・アトキンソンさんはわざとあいまいな意見で火に油を注いでくれた、名プレイの功労者というのが私の印象。

JRF2024/7/219482

……。

『ブッダという男』の著者の清水俊史さんも参戦。

《清水俊史:X:2024-07-20》
https://x.com/AKBhVis/status/1814605781817348139
>ロックリーの英語本2冊ともに読みましたが、日本語本の傍線部に該当する箇所は無いようです。なお、「イエズス会士は、奴隷制には反対はしていたが、実際には奴隷売買の主要な参加者になっていた」と言うような記述はあります。(付: 本の引用の写真)<

JRF2024/7/219692

傍線部は上でも示したが↓の部分。

>イエズス会士は清貧の誓いを立てて奴隷制に反対して(…いたが、日本の…)地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。(トーマス・ロックリー『信長と弥助』)<

JRF2024/7/218813

……。

『大航海時代の日本人奴隷』の著者の一人、岡 美穂子さんの見解。

《岡 美穂子.:X:2024-07-20》
https://x.com/mei_gang30266/status/1814617353763889177
>何人かに聞かれた気がするので、すでにお答えしたことですが、まとめて回答します。「流行した」とまで言えるかは分かりませんが、日本の大名の中に「黒坊」を抱えていたと史料から分かる人は、複数おります。具体的に史料で分かるのは、平戸の松浦、熊本の加藤清正、因幡の亀井、長崎奉行の長谷川など

JRF2024/7/216339

(…)

ご指摘の通り、「黒坊」はカフルに限定されませんが。雇用形態は「奴隷」ではなく、給金契約の方が多かったのではないかと推測します(はっきりとわかるのは加藤家の史料だけですが)。なぜなら、日本人が外国人の奴隷を買うのは、かなり高くついてしまうからです。


「かなり高くつくから」「奴隷」にはしなかった…と。専門家はそういう意見なのか。当時の奴隷売買を背景にしているであろう深い見解だ。参考になる。

JRF2024/7/211036

……。

……。

追記。

○ 2024-07-21T10:53:45Z

《葛西秋:X:2024-07-18》
https://x.com/AKasaiChidori/status/1813816596512796925
>"地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。"
この文章の前後を読むと、地元とは九州沿岸という限られた地域を示している。つまり流行はその地域で見られた、という文意なのだけど、なぜそれが"日本全国の流行"に?<

JRF2024/7/217239


私も誤読していた。確かに 岡 美穂子. さんの記述では九州では少し流行した兆しはある。給与による雇用が想定されるとのことだが、織田信長と違い、身分は奴隷のままで、レンタルみたいなことだった可能性もある。ロックリーさん、間違ってない可能性もあるのか!

JRF2024/7/210856

修正 「日本の…」→「日本の(九州の?)…」。

JRF2024/7/213112

しかし、元の文は、全国レベルの弥助の挿話があるため、文脈を見失いがちな構造であったとは言える。誤読の責は私にあるが、他の人の誤読も理解できる。「日本で黒人奴隷が流行した」自体は否定する言論を公有しておくのが吉だった。…ということにしておく。orz

JRF2024/7/214518

……。

……。

追記。

問題となった上の写真の引用部分をこちらにも文章で大きめに引用しておく。

『信長と弥助 - 本能寺を生き延びた黒人侍』(トーマス・ロックリー 著, 不二 淑子 訳, 太田出版, 2017年1月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4778315561
https://7net.omni7.jp/detail/1106739336

JRF2024/7/225973

>弥助は日本を旅した最初のアフリカ人ではなかったが、これだけ高貴な人物に随行したアフリカ人は彼が最初だったにちがいない。イエズス会士は清貧の誓いを立てて奴隷制に反対しており、通常はアフリカ人を伴うことはなかったからだ。

JRF2024/7/222698

ポルトガルやアジアのほかの地域から来た貿易商たち -- 宣教師とは異なる行動原理を持つ外国人たち -- がアフリカ人を伴うことはあったが、この当時は貿易商が九州沿岸から離れることは滅多になかった。したがって弥助は内陸部に赴くたびに、大騒ぎを引き起こした。地元の名士のあいだでは、キリスト教徒たろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。

弥助は流行の発信者であり、その草分けでもあった。

JRF2024/7/227024

……。

○ 2024-07-21T19:43:23Z

アサクリ問題の黒人奴隷問題。ロックリーさんの文章を誤読し、炎上に加担してしまいました。その点、謝罪します。すみませんでした。

まだ、イエズス会との対比が刺激的であるという問題は残るので注目はしつづけます。

JRF2024/7/223732

……。

……。

追記。

○ 2024-07-22T02:13:11Z

上の本の引用部分を「文の対比」としてみると、「イエズス会は黒人奴隷を禁じた」に対比して「日本は黒人奴隷を流行らせた、一部証拠がある」という構造になっている。書かれている文章はそうなっていない(日本全体については書かず九州沿岸の話に限定している)けれども。これは不当ではないのか?…という疑問を発することはできる。書かれていることを部分的に取り出すと一面として正しいが、合わせると別の印象を作るアンフェアなレトリックの例になってないだろうか?

JRF2024/7/227831

ただ、自分を省みたとき、そういうレトリックを知らないうちに使ってないかと言われると苦しい。そういうのを使わないように注意し続けるのは難しい。しかしながら、それを指摘されて納得すれば、可能な範囲で文を改善することを試みるとは思う。

今回の場合、私の考えでは「アフリカ人奴隷を使うという流行」を「アフリカ人を使うという流行」にまず書き換えて欲しい。岡 美穂子. さんはむしろ「イエズス会士は(…)奴隷制に反対して(…)アフリカ人を伴うことはなかった」という部分に違和感を感じていらっしゃるようだけれども。

JRF2024/7/224994

《岡 美穂子.:X:2024-07-21》
https://x.com/mei_gang30266/status/1815036255778095573
>この赤線に部分については、私はあまり賛同できません。というのもイエズス会の修道院にはMoço de Serviçoと呼ばれる身分の人たちが国籍を問わず存在し、彼等は日本で言うところの「下人」であるからです。

(付: かつやさんの投稿で、私が上に挙げた本の引用部分と同じ部分に一部赤線が引かれている。)

JRF2024/7/229275

……。

○ 2024-07-22T10:10:08Z

あとこれもロックリーさんの本に書いていない(はずの)ことだが、黒人をカッコイイものに取り上げることは、黒人が奴隷になってでも海外を目指すインセンティブになることはありうる。「黒人奴隷発祥が日本」という誤解はそのあたりを根拠にするのだと思う。そういうことはなかったことを何らかのデータで示してほしいというのはあるのではないか。

JRF2024/7/220261

弥助のことがアフリカで知られることはなかった。または、他の国ですでに活躍している(奴隷出身の?)黒人がいた。または、自分から奴隷になる黒人はいなかった。…ということが示せればいいのだと思う。できれば Twitter (X) 内で根拠を示して。

JRF2024/7/228524

typo 「キリスト教徒たろうとなかろうと、」→「キリスト教徒だろうとなかろうと、」。

JRF2024/7/239531

……。

……。

追記。

○ 2024-07-22T21:38:57Z

やっと理解した orz。「黒人奴隷発祥が日本」の誤解は、「地元の名士のあいだでは(…)流行が始まったようだ。」を「地元の名士から日本に・世界に向けて(…)流行が始まったようだ。」と読んでいるんだな。根拠は、弥助が出世したのが逆に奴隷になろうとするインセンティブになった…と。

JRF2024/7/239971

だから、文の間(ごく近く)に「九州沿岸を含む一部では」と限定をするか、「始まった」を単に「あった」にすればいいのだと思う。特に「九州沿岸を含む一部では」の限定は欲しい。確かにそれがなくてもそう読める文脈なのであるが、その文脈をすべて汲み取るのは難しく、私も含め、多の人が誤読したようなので、その限定を冗長だが付記してもらえれば、かなり誤解はとけるように思う。

JRF2024/7/235384

あと前言ったように「アフリカ人奴隷を使う」を単に「アフリカ人を使う」に変えて欲しい。当時の日本で一般的な雇用形態が現代基準で奴隷的であったとしても、イエズス会と対比したときアンフェアだから。

まとめると、

「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。」



「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人を使うという流行が、九州沿岸を含む一部でだが、あったようだ。」

…として欲しい。

JRF2024/7/234134

そして

「イエズス会士は(…)奴隷制に反対しており、通常はアフリカ人を伴うことはなかったからだ」

という部分の修正は

「基本的にイエズス会士は(…)奴隷制に反対していることもあって、通常はアフリカ人を伴うことはなかったからだ」

…とすればいいかな。

JRF2024/7/236213

私が修正できるとすれば、そういう修正をするかな…という感じ。ロックリーさんには別のこだわりがあるだろうから「そうしろ」と強制する意見ではない。ただ、このところの騒動で注目され本が売れただろうから、だぶん第2版的なものを出せると思う。その際の「修正」に注目したい。

JRF2024/7/231072

……。

追記。

○ 2024-07-22T22:56:17Z

《しかかく:X:2024-07-21》
https://x.com/SquareDeerHorn/status/1814938541748854895
>・弥助は奴隷ではなく、インドにて主人が死んだため自由を勝ち取った(31:20)
・日本人はこの時代、肌の黒い人に対して否定的なイメージどころか崇拝さえしていた(39:10)
・当時国外には多くのアフリカ奴隷がいた一方で自由人も多くおり、ポルトガル騎士や政治家北アフリカの大司教にもなっている(4:00)

(ロックリーさんの↓のビデオの話。

JRF2024/7/236737

《Was There Really A Black Samurai?? - YouTube》
https://www.youtube.com/watch?v=MFbL9pf08ec
)

JRF2024/7/231056

「黒人奴隷発祥が日本」を否定するために、弥助以外にもロールモデルがいたという話があるべきなのだが、「ポルトガル騎士や政治家北アフリカの大司教にもなっている」というのはそのスジだと言える。しかし、それはオペラ『オセロ』にも黒人が出てきたように、そこまで重要ではない。「(実質的)奴隷から成り上がった」がやはり弥助を特別にしているのかもしれない。

JRF2024/7/234358

……。

……。

追記。

○ 2024-07-24T02:58:41Z

弥助問題。私はロックリーさんは「謝罪」もいらないと思う。誤解されやすい文章があっただけで謝罪するほどのことはしておらず、悪意はないと信じるから。ただ、誤解されやすい文章をそっと修正し、または、Twitter (X) などで発表してもよいが、その部分が Twitter (X) に流れてくれば十分だと思う。

JRF2024/7/244065

……。

……。

追記。

○ 2024-07-27T00:08:08Z

《ヴォルヴィーノ:X:2024-07-25》
https://x.com/dokushoa/status/1816465726376714277
>岡美穂子「弥助もそもそもアフリカ大陸内の部族間闘争で生け捕りにされ、外国人に売られたといわれます。」

岡美穂子先生なんと弥助の前半生についても知ってる!

(付: サイゾー2021年9月号(通常版)からの写真による引用)

JRF2024/7/278448

通常は、奴隷になるのは部族間闘争によるもので、自発的に奴隷になって世界を目指したものなどいない。弥助に憧れたからと言って奴隷になったものはいないだろう…ということで、「黒人奴隷は日本発祥」説のインセンティブ面からの否定になるようだ。

……。

広報すれば、他の人は、もう誤読は起き得ないと思っているのかもしれないが、私は日本人だけでなく外国人にも将来誤読は起き得ると思うので、起きたあとの言説をどう反駁し納得に導くかという観点も必要だと思い、このような論証もしている。

JRF2024/7/279185

……。

……。

追記。

上記のロックリーさんの本を買って読んだ。

[cocolog:94975464]
《トーマス・ロックリー『信長と弥助』を読んだ。Twitter (X) で話題の本。資料にしっかり基づいた冷静な筆致のかなり学術的な本だと思った。第1章と第7章に一般向けのフィクションがあるが、それ以外はノンフィクション。 - JRF のひとこと》
http://jrf.cocolog-nifty.com/statuses/2024/07/post-cef778.html

JRF2024/7/299503

typo 「とう方」→「という方」。

JRF2024/8/290320

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