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cocolog:94937656

(承前) ポパー『開かれた社会とその敵 - 1巻(上・下) プラトンの呪縛』を読んだ。(つづき) (JRF 7471)

JRF 2024年7月10日 (水)

↓のつづき。

《[cocolog:94937590] ポパー『開かれた社会とその敵 - 1巻(上・下) プラトンの呪縛』を読んだ。ポパーはプラトンは全体主義を唱えたして非難とする。しかし、私はプラトンが「死んだほうがマシ」を押し付ける社会と対峙し、真の哲学者かもしれない奴隷も幸福に過ごすための人類愛を自由よりも大事にしたのだと思う。 - JRF のひとこと》
http://jrf.cocolog-nifty.com/statuses/2024/07/post-8b45fb.html

JRF2024/7/106567

……。

交易が民主主義革命を用意した。

>同時に新しい不安の兆候が現れた。文明の内部緊張と文明が要求するものから生じる重荷が感じられ始めたのである。

JRF2024/7/105225

こうした重荷、こうした不安、こうした内的緊張は、閉じられた社会の崩壊がもたらしたものである。それらはこんにちでもなお感じられている(そしてドイツでは〈人間の自己疎外〉というヘーゲル的なセンチメンタルな名前が好んで用いられている。) それは、開かれた、そして一部には抽象的な社会で生きる試みから生じ、そして合理的な行動を持続的に課してくる重荷なのである。少なくとも情緒的で自然な社会的欲求のいくつかは充足されえないこと、そして自分と他者に対して責任を負うことが期待されることになる。

JRF2024/7/107752

思うに、われわれはこうした内的緊張、こうした重荷を、代価として、つまり、新しい認識をえることへの代価として、理性に向けての、共働への、相互扶助に向けての歩みすべてに対する代価として、平均寿命の伸長への代価として、また人口増加への代価として支払わねばならないのである。それはヒューマニティのための代価である。
<(1下 p.139)

日本では、平均寿命の伸長も人口増加も止まった。そういう意味では代価は高くなっている。

ポパーによると、ギリシアでは哲学の伸長に並んで、オルフェウス教の発展が見られたようだが、現代に見られる新興宗教による「解決」というのも自然発生的なものなのだろう。

JRF2024/7/102358

……。

ポパーの中では、民主主義=開かれた社会で、全体主義=閉じられた社会で、後の冷戦構造により両者は境界を持つことになると考えられていたのだろう。そういうラディカルな想定があった。

そして、全体主義に対し民主主義陣営は、自由貿易という点で開かれている。

本来、「開かれている」ことの自由さは貿易に関してではない。そこには「開かれた社会」は「閉じられた社会」とは共存できないという前提を強制するレトリックがある。

JRF2024/7/106742

また、ポパーは、閉じた社会が階級社会であるということも強調している。閉じられた社会に、階層性の前提を課している。それは、資格などが階層により汚職的に付与されたりすることを想像させている面があるのではないか。それも、一面に正しい部分はあったかもしれないが、真実とは離れていただろう。

JRF2024/7/104558

……。

古代アテネの民主主義は帝国主義的であったことをポパーは認める。

>またわたくしは、アテネの民主主義が依然として奴隷のうえに立っていたことを忘れるつもりもない。だがわたくしの考えでは、部族に縛られた排他性とか自己満足は一種の帝国主義によってのみ克服されえたのだと洞察する必要があると考える。またアテネが導入したある種の帝国主義的施策はかなりリベラルであったと言っておかねばならない。<(1下 p.149)

おそらくこれはポパーが「アメリカ帝国主義」という批判に対し、擁護を請け負った党派的発言であろうと思われる。

JRF2024/7/104616

……。

デモクリトスの名言。

>「ペルシア王であるよりも、ひとつでも因果法則を発見したい」<(1下 p.158)

JRF2024/7/106499

……。

>民主主義やその諸制度を批判する人物が民主主義の敵であるとは限らない。たしかにソクラテスが批判する民主主義者や、そしてまた民主主義陣営におけるあらゆる不一致から利益を引き出そうとする全体主義的同時代者は、ソクラテスのことを民主主義の敵と思わせようとするだろう。だが、民主主義への民主主義的な批判と全体主義的な批判とのあいだには根本的な相違が存在する。ソクラテスの批判は民主主義的なものであった。それどころかかれの批判は、民主主義の存続にとって必要な種類の批判であった。<(1下 p.165-166)

JRF2024/7/106629

ポパーはソクラテスとソクラテスを借りたプラトンを区別できるとし、プラトンは全体主義者だったが、ソクラテスは民主主義を批判する民主主義者だったとする。

JRF2024/7/109144

……。

ソクラテス…、

>かれは、人間とはたんに肉の塊 -- 身体 -- にすぎないのではないと主張した。人間のうちにはそれ以上のものが、神のごときひらめきが、理性が、そして真理、親切心、人間性への愛が、つまり美と善への愛が存在するということだ。これらこそ、人間の生を生きるにあたいするものとする。<(1下 p.167-168)

JRF2024/7/100205

そういった愛がなければ、生きるにあたいしないのだろうか? そういうわけではあるまい。しかし、人類であれば、そういう気持ちはどこかにあると外から信じること自体に罪はない。本人も感じていないかもしれないそういう愛の静かなる細き声が、例えば誰かの導き(ふと出会った貧しい子供の導きでもよい)により、彼/彼女に聞こえてくるなら、その肉体は生きるに値する…というような言い方をして良いのだろう。

JRF2024/7/100241

……。

>「汝の魂を気遣え」というソクラテスの要求は、何よりも知的誠実性への呼びかけであり、また「汝自身を知れ」という要求は、われわれが知的に制約されていることを思い起こさせるために用いられたのであった。<(1下 p.168)

JRF2024/7/108191

……。

>ソクラテスは、開かれた社会の指導的な精神的人物の一人ではあったが、党派的な人物ではなかった。かれには、みずからの活動が自分の都市に利益をもたらすならば、どんな集団においても影響力をふるう用意があった。かれは才能ある青年に関心をもったとき、その者が寡頭政治家につながる家系の者であっても怯[ひる]みはしなかった。

だが、そうしたつながりが、かれに死をもたらしたのだと言うべきであろう。大戦争が敗北に終わったとき、ソクラテスは、民主主義を裏切り敵と共謀しアテネの没落をもたらした青年たちの教育者であったというかどで告発されたのである。
<(1下 p.171)

JRF2024/7/106338

私は先に「現在、哲学者が親などに保護されねば生活できないのが、古代ギリシア時代、国に保護されるとなったとき、それが自殺への圧力となり、それがソクラテスを殺したという認識すら(…プラトンに…)あったのかもしれない。」と書いた。これと上の記述を統合することが求められる。

JRF2024/7/101807

ソクラテスは逃げられたのに逃げなかった。それは、逃げれば、ソクラテスが自由を守ろうとしていなかったことにされる…自由を裏切ることになっただろうからと思われる。逃げるという「保護」を拒絶し、ソクラテスは死を賭してでも自由な信念のために自立することを求めた。自由のために殉死した。

JRF2024/7/109459

国家自由主義において「死んだほうがマシ」を押し付けて来る社会に対し、万一、死んでしまったなら、それは、ある意味、そういう社会を活かすほうを自分が生きることよりも優先したことになる。つまり、自由のために死んだことになるのだ。しかし、この場合は他人の自由のために殺されたといっていい。それは社会に屈したのだ。この場合は生きるほうが戦ったことになる。何のために戦うのか。自由のためというよりも、すべての人は生きる価値があるという人類愛のために戦うのだろう。

JRF2024/7/101874

……。

>ソクラテスは有罪判決を受けたが、かれの告発者たちは死なせることを意図してはいなかった。意図が欠如していたという点はプラトンの『法律』では修正されている。そこには異端審問の理論が冷淡かつ明瞭に展開されている。自由な施策、政治制度への批判、新しい考えを若い世代に伝えること、新しい宗教的実践やまったく新しい信念にもとづく見解を導入する試み、これらすべては、そこでは死にあたいする犯罪と宣言されている。プラトンの国家ではソクラテスは決して公に自己弁明する機会をもちえないであろう。かれは、〈処分〉のために、最後はその病んだ魂を罰するために、夜の秘密裁判に移送されていたことだろう。

JRF2024/7/103543

わたくしには、プラトンの裏切りという事実を疑うことはできないし、かれが『国家』の主要な話し手としてソクラテスを利用し、かれをこの裏切りの共犯者に仕立てる試みにおいて成功したことも疑うことができない。だが、この試みが意識的になされたのかどうかはべつの問題である。
<(1下 p.177)

プラトンは自らを死すべきとするものに向きあった。そこには人類愛と自由が対立するという認識があったのかもしれない。自由を犠牲にして、奴隷として生まれても生きる価値がある社会を作りたかったのかもしれない。

JRF2024/7/106758

……。

アテネには民主主義を導いた「偉大な世代」があった。30人僭主などは民衆の意見も取り入れそれをなんとか部分的に実現しようと模索していたのに対し、プラトンはそれと全面的に対決した。

JRF2024/7/109305

>一方の側におけるプラトンの理論と、他方における老寡頭政治家や30人僭主のそれとの相違は、偉大な世代の影響に帰すことができる。個人主義、人間の平等、理性への信念そして自由への愛は、新しく強力な思想だが、開かれた社会の敵(…プラトン…)の観点からすると戦わねばならない危険な思想であった。プラトン自身はその影響を感じ取っていたのであり、自分自身の内部でそれと戦った。かれは偉大な世代へ反論しようとしたのだ。それは真に剛毅な営みであった。

JRF2024/7/104917

それは、開かれてしまった扉をふたたび閉じ、その深さと豊かさにおいて比類のない魅力をもった哲学による呪文を投げかけ、社会を硬直させようとする試みであった。
<(1下 p.185)

私の思想については、全体主義(民主主義からの(微)後退)と表現の自由の葛藤がある。プラトンは単に全体主義であるというよりも、それを自由民主主義と調停しようとしていた。私がプラトンに似たところに導かれたのはある種の必然であったのかもしれない。

JRF2024/7/105489


ボーイスカウトや大人のある種のクラブは、部族的集団主義を代替するもののようだが…、

JRF2024/7/101676

>こうしたものは、あらゆる情感的美的体験のうちでも、おそらくもっとも普遍的なものであろうが、それらがもつ意味を過小評価してはならない。(…)それは戦争において最重要な役割を果たすし、また自由に対する反抗のもっとも強力な武器のひとつでもある。自由において、専制に対する戦いにおいて、そこには重要な役割が帰属するが、そうしたばあいにおいてさえ、それらの人道主義的性格がしばしばロマンチックな傾向によって脅かされていることは承認されなければならない。-- 社会の変化を阻止し、階級支配を存続させるために、それらを再生しようとする意識的な、そして成果がないわけではない試みがある。

JRF2024/7/100797

イギリスの〈パブリック・スクール制度〉がそうしたものであろう。(〈若い時期が高貴な遊びにささげられていないなら誰しもよき人間にはなれない〉というのがそのモットーである。-- そしてこのモットーは『国家』558b からとられたものである。)
<(1下 p.420, 注)

JRF2024/7/100507

民主主義からの(微)後退を論じる [cocolog:94895713](2024年6月) で、共産党を念頭に「暴力的革命の可能性を内包」することを説いた。それは、暴力を内部に含み、徹底的に監視しコントロールすることではないとした。それが共産主義の間違いである…と。むしろ、それは、暴力の可能性をかかげるような団体にさえその意見をいう自由を開いておくこととした。

JRF2024/7/109187

そう述べたとき、2024年東京都知事選の蓮舫さんの陣営の「粗暴」な振舞いが、共産党の系の暴力集団に近いという認識があり、または、ヤクザなどをどう社会で共存していくかといくかも考え、そういう集団は、しかし、上のボーイスカウトのように、ある種の必要性もあるのだろうという認識があった。

JRF2024/7/108894

……。

>みずからの敵を悪魔の申し子として描こうなどとは思いもしなかったこと、それがソクラテスの弟子、プラトンの功績であったと言える。この点でプラトンは啓蒙されていた。かれには悪を観念化する傾向などほとんどなかった。かれにとって悪とは、単純に劣化し、退化し、貧窮化した善であるにすぎなかった。<(1下 p.425, 注)

他者を悪魔化しないことが大切なことだ。どうも私もそれをこころがけているように思う。私に弟子はいないが、私に触れた人が人を悪魔化しなくなるようであれば、とてもうれしい。

JRF2024/7/109975

……。

第2巻(上・下)については近日中に読みはじめる予定です。

JRF2024/7/104446

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