cocolog:95012049
中川 毅『人類と気候の10万年史 - 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』を読んだ。日本の奇跡の湖、水月湖の年縞の話。現在はすでに氷期であるべきなのが産業革命以前の8000年前の農業革命からすでに温暖化されている。ならば温暖化は必要ですらあるのでは? (JRF 2391)
JRF 2024年8月21日 (水)
直近で、横山祐典『地球46億年 気候大変動 - 炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来』を [cocolog:94997784](2024年8月) で読んで、田村芳彦『大陸の誕生 - 地球進化の謎を解くマグマ研究最前線』を [cocolog:95005765](2024年8月) で読んで、その続き。
今回の本は、水月湖の年縞を中心とした話で、そこからわかる10万年程度、ちょうど現生人類の時代に重なる気候のお話。
JRF2024/8/216736
……。
それではいつものごとく引用しながらコメントしていく。なお、横山祐典『地球46億年 気候大変動』([cocolog:94997784](2024年8月))と田村芳彦『大陸の誕生』([cocolog:95005765](2024年8月))に載っていたことは基本的に繰り返さない。
JRF2024/8/213732
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>図1.4のグラフは、5億年前から現在までの地球の気候変動を表している。横軸は年代であり、左端が5億年前、右端が現代である。縦軸は岩石に含まれる酸素の同位体の比率から復元された温度で、上下の変動幅はおよそ10℃に達する。一見してわかるのは、少なくともこのタイムスケールで見る限り、地球の気候は変化し続けているということである。<(p.28)
JRF2024/8/211369
>図1.4のもうひとつの特徴は、温暖な気候には限度があるということである。地球の温度は、極地の氷がなくなるほど温暖になることはある。しかし海の水が沸騰するほど極端な高温になることはない。何らかのメカニズムによって、温暖化には上限が設定されている。温暖化が進行すると、地球全体で岩石の風化や植物による光合成が盛んになり、大気中の二酸化炭素が消費されて温室効果が弱まることが原因だとする説もある。いわゆる「負のフィードバック」がかかった状態である。
いっぽう、地球の寒冷化は時として暴走することが知られている。
<(p.30)
JRF2024/8/212674
どうも、現在の「温暖化」も上限があるだろうという示唆があるようだ。ただし、後述するが、ミランコビッチ・サイクルからすると現代は本来なら氷期にすでに入っているはずで、それが農業などの人為的な要因で、温暖な状況が続いている状況らしい。この状況を「温暖化対策」することで気候変動の激しい氷期に戻すという方向が本当に正しいのか…という疑問すら本書は示唆する。もちろん、著者は温暖化否定論とはまったく立場が違うのだが。
JRF2024/8/212102
また、先に書いておくが、温暖だからといって、気候変動がこれまでのようにおとなしくあり続ける保証もないということのようだ。むしろ、現代は、複雑系の相転移の前兆が見られ、危ういという認識も著者にはあるようだ。
JRF2024/8/215521
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>筆者がまだ小学生だった頃、子供向けの科学本では、「過去には4回の氷期があった」と説明されていた。つまり、ミランコビッチの説はまだ反映されていなかった。その後、最新の成果が一般にも知られるようになると、メディアや教育現場でも氷期について耳にする機会が増えていった。ちょうど、現代における地球温暖化の議論が一般に普及していく過程とよく似た現象だった。ただし、ひとつだけ重要な違いがあった。当時いろいろな現場で発言していた人々は温暖化ではなく寒冷化の心配をしていたのである。<(p.37-38)
JRF2024/8/214030
ここ数十年の気温変化をグラフに描くと、40年代をピークにして一度70年代まで気温が下がる。それを直線で延長して、寒冷化が心配されたようだ。一方、現在は 80年代から続く気温の上昇トレンドにあり、それを延長して温暖化が心配されている。
ミランコビッチ・サイクルは周期的な物の見方だが、そういう周期性は確かにあるものの、そこから外れた値も多い。また変動も激しい。
著者は、直線近似よりも周期性よりも、フラクタルやカオスのような複雑系の事象として気候変動をとらえる提案をする。簡単なモデルの数式も出てくる。
JRF2024/8/215784
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>マンデルブロ<(p.66)
マンデルブロ『フラクタル幾何学』は [cocolog:93849921](2022年11月) で読んでいるし、マンデルブロ&ハドソン『禁断の市場』は [cocolog:74426831](2012年10月) で読んでいる。
フラクタルには文系的な関心を私は抱いていて、フラクタルと華厳経に関する考察 [cocolog:93701863](2022年8月) などを過去した。フラクタル次元と確率の組み合わせなどにも関心を持っている。
JRF2024/8/212500
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木の年輪のように湖の堆積物が年を刻むことがある。それを年縞という。どんな湖でも状態よくそれらがあるということはない。ほとんど奇跡のようなことが重ならないと、そういう縞[しま]模様は残らない。そういう奇跡の湖が日本の水月湖で、ドイツやイギリスなどの協力のもと年縞の研究が行われた。
JRF2024/8/219440
>1年に1枚ずつたまるこのような地層は「年縞[ねんこう]」と呼ばれる。水月湖には、厚さにして45メートル、時間にして7万年分もの年縞が、乱されることなく静かにたまっているのである。そのような湖は、世界でも水月湖の他に例がない。<(p.90)
C14 の炭素同位体を使った放射性炭素年代測定は、5万年ぐらいまでの年代測定に便利だが、自然界の C14 の割合は時代によって不規則に変動する。年代測定を正確なものにするには他の基準によるキャリブレーション(較正)が欠かせない。それに年縞がまず役立った。
JRF2024/8/216125
>こうして水月湖の年縞は、過去5万年まで対象とする地質学の「世界標準時計」になった。<(p.114)
他に、年縞に含まれる花粉の情報から、その地の景観の変化、さらにそこから気温の変化などもわかったようである。
JRF2024/8/216688
……。
植生景観に基づく「ケッペンの気候分布図」のケッペン…、
JRF2024/8/210716
>余談だが、ケッペンは大陸移動説で有名なアルフレッド・ウェゲナーの義父でもある。ケッペンとウェゲナーは、熱狂的に迎えられたとは言えない初期のミランコビッチ理論と大陸移動説、それにケッペンの気候区分を加えると、現代の自然地理学にとって重要とみなされるトピックのほとんどは、その中に入ってしまうか直接の影響下にある。それほどの裾野を持った息の長い学説が、同時代の同じコミュニティーの中から3つも立て続けに生まれたことは、おそらく偶然以上の意味がある。20世紀初頭のドイツ語圏にはきっと、研究者の頭をひどく活性化させる、よほど特別な空気が流れていたのだろう。<(p.121)
JRF2024/8/216141
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>なお、水月湖で年縞が発見されるきっかけとなった鳥浜貝塚の発掘では、世界最古とされる1万2600年前のウルシの枝(ウルシ製品ではない)が出土して、漆塗り技術の起源論争に一石を投じた。ただし、鳥浜貝塚から見つかった最古の漆器はおよそ6000年前のものであり、照葉樹林帯が同地域に到達する年代以上に古くさかのぼることはない。<(p.134)
Twitter (X) で漆の起源の話題がチラとあって、finalvent さんがからんでいた。
《蜜蜂を弄ぶ:X:2024-08-11》
https://x.com/liyehuku/status/1822437090837315768
JRF2024/8/216550
>>
蜜蜂を弄ぶ> 漆をとるウルシは日本の山に自制するヤマウルシとは別種で、縄文時代かそれより前に樹液を利用するために大陸から人為的に移入された植物。日本では基本的に人に管理されなければ生育できない。(一部自生できる地域はあるにはあるらしい。)
蜜蜂を弄ぶ> (このポストではコーティング材としては漆、植物種としてのウルシと表記し、漆の原料を「樹液」としました。)
finalvent> 縄文時代からあるのでは?(使われてた)
蜜蜂を弄ぶ> ええ、そのように書いたつもりでしたが、わかりにくかったですか?
JRF2024/8/214773
finalvent> シンプルに誤解してました。で、ということは、縄文時代に大陸から持ってきた、ということですか?
蜜蜂を弄ぶ> 「考古植物学的には縄文草創期に既にウルシと漆文化は大陸から伝えられていた、と考えるべきである」(『ここまでわかった!縄文人の植物利用』 p.112)
というところまではわかっているみたいです。
福井県鳥浜遺跡から出土した日本最古のウルシ材(漆製品ではない)は約12,600年前の物だとか。
finalvent> ありがとう。どう伝えられたかは問われてはいないわけですね。
JRF2024/8/213260
蜜蜂を弄ぶ> 念のために読んだ本を確認したところ、ウルシが入ってきたのは縄文時代より前。
「そのような古い時代にウルシが大陸から持ち込まれたと考えることは難しいが、日本にもともとウルシが自生していた証拠(化石)が出ないため、おそらく前者であろう」ということらしい。
<<
JRF2024/8/216018
……。
ミランコビッチ理論か予測される寒冷化の傾向から現代は外れているが、なんと、それは産業革命からではなく、農業革命のころからそうなのだという。
>実際のデータを見ると、メタンは 5000年前、二酸化炭素は 8000年前頃から、ミランコビッチ理論で予測される傾向を大きく外れて増加していた(図6.3)。ラジマン教授はこの原因を、アジアにおける水田農耕の普及、およびヨーロッパ人による大規模な森林破壊にあると主張して学会に衝撃を与えた。
JRF2024/8/211560
水田は湿地に似た環境を作ることで有機物の発酵をうながし、大量のメタンを放出する。また森林伐採は、生態系の光合成速度を低下させることで大気中の二酸化炭素を増加させる。
<(p.160)
JRF2024/8/216226
……。
>もし私たちが、温室効果ガスの放出によって「とっくに来ていた」はずの氷期を回避しているのだとしたら、温暖化をめぐる善悪の議論は根底から揺らいでしまう。私たちは自然にやってくる氷期の地球で暮らしたいのか、それとも人為的に暖かく保たれた気候の中で暮らしたいのか。これはもはや、哲学の問題であって科学の問題ではない。<(p.162)
JRF2024/8/212116
そこまで気候が人為に敏感なのであれば、私の与太話であるところの、太陽光発電が逆に、地表被覆によるアルベドへの影響や本体の熱により温暖化の原因にむしろなっている…とかいう話([cocolog:94992912](2024年8月))も真実味を帯びる。
JRF2024/8/211053
……。
現生人類も過ごした氷期は単に寒かっただけでなく、気候変動が激しかった。
>氷期に巨大な古代文明が生まれなかったことと、氷期の気候が安定ではなかったことの間には、おそらく密接な因果関係がある。<(p.168-169)
JRF2024/8/213231
田畑よりも人の手の入っていない野や森のほうが多様性に富んでいる。そのため、気候変動があった場合は、田畑は一気にダメになるのに対し、野や森では、そのときの気候変動に適した動植物が残っていることが多いだろう。もちろん、野や森より、田畑のほうが、生産できるカロリーは大きい。気候変動の激しい氷期の狩猟採集生活は、人口を養えないかもしれないが、安定した生活には適していた…ということのようだ。そのころに農耕は無理だったのだ。
JRF2024/8/217845
現代でこれを学ぶなら、狩猟採集のような頻繁な移動は難しいかもしれないが、作付けの工夫などによって、気候変動に強くするなどはできるかもしれない。おそらくそれはやられているはず…?
JRF2024/8/215979
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1993年の日本の冷夏により農作物は大打撃を受けた。
>冷夏の原因は、その2年前にフィリピンで起こったピナツボ火山の大噴火だというのが、学会では定説になっている。<(p.173)
そのような局所的な現象で地球全体が影響を受けるということらしい。
その割には、コロナによる世界経済の停滞が、大きな気候変動をもたらしたとは、今のところなっていないのが不思議だ。
JRF2024/8/214519
>だがここで、「もし同様の冷夏が2年続いていたとしたら」と想像することはおそらく無意味ではない。日本の備蓄は不作が2年続くことを想定しているが、1993年の不作は1年目の事態としては想定をはるかに超えていた。(…)同じことが1994年にもくり返された場合(そのような予測をする専門家もいた)、はたして深刻な混乱を回避できたかどうかはきわめて疑わしい。<(p.177)
JRF2024/8/219256
……。
農耕の起源については一般にナトゥーフが挙げられるが、著者はそれを支持するのに慎重である。なぜなら、最初の農耕地はすでに沈んでいる可能性も強いから。
>農耕が始まったと思われる1万2000年前頃、世界はまだ氷期の余韻の中にあり、極地の氷は今よりかなり多かった。氷が多かったということは、相対的に海の水が少なかったということである。そのため、当時の海面は今よりもずっと低いところにあった。
JRF2024/8/217950
(…)
当時の海岸平野の大半は、今では 60 メートルの海底にあり、しかもほとんどの場合は陸からもたらされる大量の土砂に埋まってしまっている。水深 60 メートルといえば、スキューバーダイビングでも到達することが難しい深度である。それだけの水深で大量の土砂を取り除きながら発掘作業をおこなう技術を、現代の考古学者たちはまだ手に入れていない。
そのようなわけで、本書では農耕の起源に踏み込むことはしない。
<(p.186)
JRF2024/8/210321
……。
>氷期を生き抜いた私たちの遠い祖先は、知恵が足りないせいで農耕を思いつけなかった哀れな原始人などではなかった。彼らはそれが「賢明なことではない」からこそ、氷期が終わるまでは農耕に手を付けなかったのだ。その一方で、アフリカを出てからわずか数万年の間に、世界のほぼすべての気候帯にまで分布を拡大することができた彼らは、したたかで沈着で順応性に富み、さらに好奇心とバイタリティーまで併せ持った、偉大な冒険者たちだった。
私たちは愚か者の子孫ではない。
<(p.201)
JRF2024/8/218852
ナトゥーフなど中東での「農耕開始」については、以前読んだグレーバー&ウェングロウ『万物の黎明』([cocolog:94865920](2024年5月))が詳しかった。
JRF2024/8/219471
『人類と気候の10万年史 - 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』(中川 毅 著, 講談社ブルーバックス B2004, 2017年2月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4065020042
https://7net.omni7.jp/detail/1106737656
JRF2024/8/216243