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人事を尽くさずに神を頼るわけにはいかない。でも、神に感謝することはできる。他者が恵まれたことも神に感謝すべきなのだ。恨みは益ない。自分が恵まれたときに、まず人に感謝し、そして神にも当然に感謝すべきなのだろう。恵まれたい。orz (JRF 1172)
JRF 2024年9月26日 (木)
結局、人事を尽くさずに神を頼るわけにはいかない。でも、神に感謝することはできる。そうすれば(有神論の基本定理などで)神の下の共同体は護られる。私には感謝が足りない。働く他の人への感謝も足りてない。申し訳ない。ありがたい。
働いてなくても他の人への感謝はあるべきか。そうだな。彼が生きているから、私も生きていられる…というのはあるのかもしれない。そうすれば、この私の無為の生も祝福できるというのはあるかもしれない。が…。
JRF2024/9/267129
それとも、生きていることがすなわちそれだけで働いていることと考えるべきだろうか? 怠惰に暮らす者も悪をなす者も生きていれば、働きをもっている。でも、その者に感謝するのは、その者の在り方をまた、否定すること、ある種の侮辱ではないのか。そういう場合は、ただ神に感謝すれば十分ではないだろうか。
JRF2024/9/267747
自分のために働いてくれた他者、それがわかる他者への感謝はそれはそれで大切だ。それは自分を肯定することにもつながる。神への感謝はそれとは別なのだろう。自分のために働いてくれたから神に感謝するというのは、結局、人事を十分尽くさないことにつながる。他者が恵まれたことも神に感謝すべきなのだ。恵まれることがありうることに感謝する。有神論の基本定理の神は因果応報の神とするのだから、それは、自分の知らない善い行いがあることを信じることにつながり、それはひるがえって、神の因果応報性への信念を強化する。
JRF2024/9/263602
恨みは益ない。自分が恵まれたときに、まず人に感謝し、そして神にも当然に感謝すべきなのだろう。恵まれたい。orz
悪いことをしていても恵まれるべきか? 恵まれるべきだ。生きていることが善行なのだから。もちろん、悪いことをして恵まれるより、善いことをして恵まれるべきだけれども。
JRF2024/9/265355
(有神論の基本定理とは…
『宗教学雑考集 第0.8版』《有神論の基本定理》
>因果応報の神(または摂理)を信じると何が良いのか? …善いこと・悪いことには報いがあると人々が信じると、悪いことが起きにくくなりそれを実際良い報いとして人々が受け取る。つまり、実際に良い報いがある。
…これを「有神論の基本定理」と私は呼ぶ。
善いことをすることには、個人に直接的に報いがあるとはとはいいがたいが、ある意味間接的に、全体効果としては、良い報いがある。…ということである。
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JRF2024/9/262452
……。
それはそれとして、私は、電子出版してもまったく買われず、ソフトを公開してもまったく使われない。無能の証拠が積み上がりすぎて、ツライ。でも、それを続けられるのは明らかに私が恵まれてるからだ。ありがたい。(社会に)申し訳ない。…。
JRF2024/9/265346
死ぬまで生きても社会に恩を返せそうにない。…。
JRF2024/9/265583
成功することが(自分を支えてくれた者たちへの)最大の恩返しというのはそうだろう。華々しい成功を目指さず、地道に生きることこそどちらかといえば正しいとしても。実際、私は、もちろんものすごい成功があればうれしいけれども、そこまで大きな成功を目指しているわけではない。にもかかわらず…。
JRF2024/9/264380
願いには自己実現効果があり、軽率に神に願をかけることはそれほど間違ったことではない。しかし、神は自ら助くるものを助く。現実は甘くない。現実には自助努力をしなければ、神の助力もないとすべきだ。努力が報われたと感じる者にはさらなる成長の扉が開かれるから。運は大きな要素だが、運以外の要素が人生にはかなりある。
JRF2024/9/269440