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cocolog:95129830

「ありがとう」を言いたくない西洋の価値観を内面化している方が一定数いるようだ。日本の「有り難い」は森羅万象に向けられ、それは観音信仰の普門示現に接続するもので西洋とは異なる。 (JRF 8501)

JRF 2024年11月 6日 (水)

(「グローバル共有メモ」と Twitter (X) で書いたことのコピペ。)

JRF2024/11/64000

……。

○ 2024-11-05T10:24:16Z

Twitter (X) で「ありがとうございました」でなく「お疲れさまでした」と言えみたいな意見をみたが、どうも、西洋の価値観を内面化してか「ありがとう」をあまり言いたくない層が一定数いるようだ。それが西洋の価値観というのはスピノザ『エチカ』([cocolog:95101727](2024年10月))に典拠がある。

JRF2024/11/69709

>定理41 備考 もし自分が愛に対する正当な原因を与えたと信ずるならば彼は名誉を感ずるであろう(…)。こうしたことは(…)かなりしばしば起こる。これに対してある人が他人から憎まれることを表象する場合は、前に述べたように、そうしたこと[正当な原因を与えたと信ずること]は稀にしか起こらない(…)。なおこの愛し返し、したがってまた(…)我々を愛し・かつ(…)我々に親切をなそうと努める人に対して親切をなそうとする努力、は感謝または謝恩と呼ばれる。これからして、人間は親切に報いるよりもはるかに復讐に傾いているということが明らかになる。<(上巻 p.258, 第三部)

JRF2024/11/66296

このあたり日本人の感覚とは少し違う。自分が好意を受ける正当な理由があれば、愛の行為を受けても名誉に感ずるだけで、感謝はない…とするようだから。そういう場合も日本では感謝すると思う。私はそうだ。

JRF2024/11/63280

……。

○ 2024-11-05T10:47:50Z

日本の「在り難い」「有り難い」という言葉は逆に言えば、そこに森羅万象の働きを見て、それに感謝している。それが相手への讃辞にもなるのは、その者が神々の助力を受ける尊敬すべき存在でもあるからだ。

仏教の感謝は元は西洋に近いのかもしれないが、観音信仰においては「在り難い」の精神に近くなる。観音は種々の形体を取る(普門示現)から、今、目の前の者を観音の現れとする解釈を生じるからだ。

少なくとも「ありがとう」は他の言語の感謝の言葉・思想とは違う面があるだろう。

JRF2024/11/66132

……。

なお、↓のような見解もあるようだ。他で採用されていないので諸説のうちの一つということになろうか。

《教授コラム Vol.65「「ありがとう」の秘密」|群馬大学大学院医学系研究科 総合外科学講座 肝胆膵外科学分野【群馬大学 肝胆膵外科】》
https://gunmahbpsurg.med.gunma-u.ac.jp/about/column/column65.html

JRF2024/11/68093

>「ありがとう」という言葉の語源は仏教から由来していると聞きます。大谷大学教授の延塚知道先生(…大谷大学発行『学苑余話』生活の中の仏教用語…)によれば、語源は「有難し」という仏教語である。出典は『法句経(ほっくきょう)』の、「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」である、と言われている。人と生まれた生命の驚きを教える教説である。だから「有り難し」とは、その仏説を聞き、人の生命の尊貴(そんき)さへ目覚めた、大いなる感動を表す言葉でもある。それがいつしか感謝の意に、転用されるようになったのである。<

JRF2024/11/62742

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