cocolog:95197210
finalvent さんが紹介されていたダウンズの合理的選択理論の投票行動の期待効用について、私なりの式を考えた。氏は合理的でない無党派層の投票行動が、選挙を予測不能というか操作不能にしている…と見ているが、私は本来の公正な社会に近付いていると見る。 (JRF 9311)
JRF 2024年12月21日 (土)
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○ 2024-12-19T13:03:03Z
《間接民主主義制度の限界: 極東ブログ》
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2024/12/post-31fe90.html
> 「一票が無意味である」という構造的事実をアンソニー・ダウンズの合理的選択理論は、投票行動の期待効用を次のように数式化した:
期待効用=B×P−C
B: 候補者が当選した場合に得られる利益。
P: 自分の一票が選挙結果を左右する確率。
C: 投票にかかるコスト。
JRF2024/12/211032
(…)
従来の「投票をしよう」という倫理的な呼びかけが持つ期待とは異なる結果が生まれ、政治的な結果に予測不能な影響を及ぼす現象が顕著になっている。
<
B×P が間違いであると直感する。P は単に一票ではなく、自分が投票しようとする場合、同じように投票する者がどれぐらいるかの量が問題となるように思う。自分が動くとき他が相転移的に動いていることを見ている確率のように思う。
JRF2024/12/213618
また、「倫理的な呼びかけが持つ期待」というのは「ダウンズ」の古い理論に基づく期待という意味でもなく、単に左派に入れると期待しているという意味に受け取ったが、そんなことを期待して私などは「投票しよう」と言ってたことなどない。組織票による腐敗全体を批判しているのであって、右派も左派も関係ないのである。
若ければ「相転移」的な動きを数学的に表したいと思っただろうが、もう私には無理だろう…。
JRF2024/12/216215
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○ 2024-12-19T16:51:38Z
ダウンズの理論は以下の点でおかしいと考える。
選挙の結果により政策A1と政策A2だけが異なるとする。自分が参加することで似た他の人も参加し A1 が実行される可能性が p1 になるとする。自分が参加しないことで似た他の人も参加しないことで A1 が実行される可能性が p2 になるとする。投票のコストを C とする。
選択(投票行動)の効用は、A1 * p1 + A2 * (1 - p1) - A1 * p2 - A2 * (1 - p2) - C になる。
JRF2024/12/211657
これは = (A1 - A2) * (p1 - p2) - C。
ダウンズの理論は p1 - p2 を P という極小のものに見つもる。それが間違っている。p1 - p2 はとても大きいものであることが許されるはずだ。
ただ、なぜ許されるのか? 相転移とかカオスセオリーとかありそうだが、そこはまだ私には理論化できない orz。
JRF2024/12/210673
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○ 2024-12-20T08:42:57Z
投票行動の効用の理論つづき。
政策 A1 と A2 は式の中ではその効用を示し、マイナスの値になりうる。A1 が正、A2 が負だと A1 - A2 は大きな値になりうる。まぁ、A1 も A2 もマイナスであることが実際には多いのかもしれないけど。
コスト C についても、投票が公正な社会に導く効用、「自分が参加することで似た他の人も参加する」可能性を考慮したように、自分が参加することでみなが参加してより公正に近づくことの効用がありうる。それを D としよう。すると、効用の式は
JRF2024/12/211588
= (A1 - A2) * (p1 - p2) + (D - C)
…になる。
政策に大した違いがなくてもそれなりの人が投票に行くことを考えると、D - C がプラスである人も結構多いのだと思われる。
JRF2024/12/211155
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Gemini さんにこのことをぶつけてみたところ。
Gemini> D-Cがプラスとなる場合、投票行為は、単なるコストではなく、ある種の投資と捉えることができます。投票は、将来の社会のあり方への投資であり、その投資によって、自分自身を含む多くの人々が恩恵を受ける可能性があるということです。
JRF2024/12/211190
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「アンソニー・ダウンズの合理的選択理論」をググっても適切な参考文献とか最初見つけられなかったのだけど、「投票行動」をさらに条件に足せば出てきた。Wikipedia で十分書いてある。
《投票行動 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E7%A5%A8%E8%A1%8C%E5%8B%95
>ライカーとオードシュックによるモデル
R = P × B - C + D
JRF2024/12/217682
Pは、自分の投票行動が選挙結果に影響を与える確率(possibility)についての、有権者Aによる主観的予測である。その確率は、客観的にはゼロに近いが、ここではあくまで有権者本人が主観的に見積もったものである。
JRF2024/12/211438
(…)
Dは、投票に参加すること自体が長期的にはデモクラシーの体制維持に寄与するという信念の強さ(democratic value)、あるいは投票しなければならないという義務感(duty)である。より具体的には、(1)投票をすることにより有権者としての義務を果たしたとの満足感、(2)政治体制への忠誠を果たす満足感、(3)最も好む政策に支持を与える満足感、(4)投票での意思決定や意思決定のための情報収集に対する満足感、(5)政治システムにおける有権者の能力を確認したことによる満足感、がそれにあたる。
<
JRF2024/12/212376
…ということで、D は文字そのままに私のアイデアと一致している。そりゃ、みんな考えるわな。
私の p1 - p2 については Wikipedia にはないが、探せばすでにあるのだろう。
JRF2024/12/212529
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最初に引用した finalvent さんのブログ記事。
《間接民主主義制度の限界: 極東ブログ》
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2024/12/post-31fe90.html
>無党派層や無投票層が選挙に不参加であったことは、一見民主主義の欠陥に見えるかもしれない。しかし、彼らが政治に参加しないことで、選挙制度の表面的な安定性が保たれていた側面があったのだ。
JRF2024/12/215061
(…)
SNSが引き出す脱理念的な投票行動が集積し、結果として従来の予測を覆す選挙結果を生む。このように、SNSが生む新たな投票行動の様相は、従来の選挙制度や倫理的呼びかけの枠組みを超え、民主主義の新たな課題を提示している。
<
finalvent さんは合理的でない無党派層の投票行動が、選挙を予測不能というか操作不能にしている…と見ているようだ。
JRF2024/12/218669
私はどうも選挙が操作されているという印象を持っている。いいか悪いかは別として。
[cocolog:94703217](2024年2月21日)
>>
ところで、これまで私が日本の選挙を見てきての感想に過ぎないが、どうも選挙で「接戦」などが演出されることがあるように思う。政党がカルテルしてるのか、わざと同政党が複数候補を出したり、有力政党がこぞって立候補させたり逆に立候補させなかったり。それで決まった当選を演出している…というよりも、接戦にして「民意を占う」ような側面のほうが強い。だから、単純な票のコントロールとも違う。
JRF2024/12/216656
それはどこからなされるのか、ときには、日本に決める力がないことを、無力感を味合わせるための外国や企業などからの圧力などもあるのだろう。おそらく党の幹事長や選挙対策委員長には、圧力やうまみがあるのだろうとも予想できる。
…このようなことを Gemini さんに示したところ、接戦を演出することで関心を得られるという利点を教えられた。そういえば、以前、私も、マスコミが接戦を演出している可能性を、米大統領選に関して考えたことがあったように思う。
JRF2024/12/214983
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○ 2020-12-07T10:19:00Z
アメリカ大統領選挙。不正投票はあっても大規模ではないとして、ただ、接戦に見える…そう報道されることは若干問題があるのではないか。
激戦区は、自分たちが激戦区であることを主張することで資源を多くしてもらえるかもしれない。だから、そう見せる。もちろん、マスコミは激戦のほうが利益が上がる。それがどれほどかは別として、そういうインセンティブが選挙をゆがめてる面はあるのではないか?
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JRF2024/12/210735
これが、理念に基づいた安定した秩序をもたらしていたと finalvent さんは見るようだ。不健全な選挙の裏では、健全な支配があって、理念のある民意が占われていたということだろう。
アジェンダにコントロールできない民意を本当に反映させようとすれば、英米型が二大正党制にぐらい切り詰めないと、民意が分散しすぎてうまくいかないのかもしれない。しかしドイツ型のような複数政党制のモデルもありえる。あれは日本と同じくアメリカがコントロールしているからうまくいってるということだろうか?
JRF2024/12/217562
でも私は、無党派層の意見が強く出るほうが、結果的に、教育の充実がはかられることになるから良いと思う。政治による教育のコントロールがはかられるかもしれないが、それが学術会議(参: [cocolog:94895713](2024年6月))のようなものを重視することにつなげれるならばアリだと思う。そのほうがより公正な社会と言えるのではないだろうか。
JRF2024/12/216441
(「グローバル共有メモ」と Twitter (X) で書いたことのコピペを中心に。)
JRF2024/12/212040