cocolog:95453422
中沢新一『大阪アースダイバー』を読んだ。差別のある大阪の歴史を地理史から書いた本。大阪人でありがながらヒキコモリで大阪のことをあまり知らない私は興味深く読んだ。 (JRF 1340)
JRF 2025年5月20日 (火)
『エアロダイバー 他五篇』(JRF 著, JRF電版, 2016年3月)
https://www.amazon.co.jp/dp/B01CEE9CW6
https://bookwalker.jp/ded1d33e07-44c3-45e8-99df-e1fd06916827/
https://j-rockford.booth.pm/items/6376720
あと、この時期に読んだのは、Expo2025 大阪・関西万博に5月13日に母と行って、大阪への関心が高まったことがある。
JRF2025/5/208531
……。
私は、宗教学への関心から、私は3月11日に↓という本を出した。ここでもそれに言及し・引用しながら語っていく。
『宗教学雑考集 - 易理・始源論・神義論』(JRF 著, JRF電版, 2024年1月 第0.8版・2025年3月 第1.0版)
JRF2025/5/206818
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DS8DRZH9
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DS54K2ZT
https://bookwalker.jp/de319f05c6-3292-4c46-99e7-1e8e42269b60/
https://j-rockford.booth.pm/items/5358889
JRF2025/5/206069
……。
それではいつも通り引用しながらコメントしていく。大阪のことを記憶(私のブログに記録)しておきたいので、やや引用が多くなるが、お許しいただきたい。なお、ページ数は Kindle 版に基づくため、紙の本とは異なる可能性が強い。
JRF2025/5/208221
……。
文楽などで使われる呼び声、「とざい、とうざーい」。その東西は大阪においては大きな意味があるという。大阪では南北の「筋」の違いが今では注目されるが、それはいってみれば中華文明の影響で、昔は東西の「通り」の軸の違いのほうが意味があったという。
JRF2025/5/202121
>じっさいこのことは、大阪の古地図を見るとはっきり感じられることであり、そこではあきらかに筋よりも通りのほうが重要な意味があたえられていた。古代日本では「東西は日の縦[たたし]、南北は日の横[よこし]」という言い方がされていた。太陽の運行に合わせた東西の方向が方位観の縦糸をなし、南北の方はそれに交わる横糸をなすというのが、古代日本の自然感覚をなしている。その感覚が大阪を遊歩する者には、いまでもはっきりと感じ取られるのだ。<(p.4)
JRF2025/5/209234
>大阪では「東西」の軸が、ほかの都市にみられない大きな意味をもってきた。東西の軸は太陽の動く方向であり、この軸を基にして設計された大阪は、都市思想の土台に一種の「自然思想」が据えられていることになる。京都のような観念論的に設計された都市でもなく、東京のような権力思想を表現した都市でもない。大阪は古代人のような自然なおおらかさをもってつくられ、人間の野生が都市の構造に組み込まれている。<(p.5)
JRF2025/5/201850
大阪の中心部は川(淀川と大和川)により堆積した土砂により作られたかなり新しい土地であり、その記憶があるのだという。生駒山地を東にし、そこは堆積より以前からあり、また、細長く大阪の西に走る上町台地が半島のようにあって西をなしていて、そこに大きな古墳が作られた。
JRF2025/5/201616
おそらく、イメージ的には、堆積の早い遅いで東西の層が南北からせり上がっていった…といいたかったのであろうが、そういう主張がどうもないところを見ると、そこまでは言えないのだろう。堆積はそんな模式的なものではなく、むしろ「八十島」と言われるようにポツポツと島ができて、それがつながっていくイメージのほうが近かったようだ。
JRF2025/5/206805
……。
大阪のような堆積土砂のデルタ地帯に人の都市が作られることが多かった。後述されるが「誰の土地でもなかった」堆積土砂の地を、仮住まいのように無縁の民が占拠し、商売が盛んになる。それが「都市」を作ることになるらしい。
JRF2025/5/206593
>人類のつくった都市の多くは、そのような無定形な砂や土の上につくりだされることが多かった。ムラは堅固な土地を好んでつくられる。ところが、都市という人類の脳に生まれたもうひとつの概念は、むしろ無定形で、可塑性をもった土地のほうをコンセプトを実現してみるべき実験場として選んできたのである。その意味では、大阪は成り立ちのはじめから、真性の都市となるべき条件を備えていたと言える。
日本人はこういう大阪を持ったおかげで、「都市」という人類の普遍概念を展開してみる、絶好の実験場を持つことができたのである。
<(p.23)
JRF2025/5/204482
グローバリズム+新自由主義+金融資本主義が、ムラ的秩序に代わってあった都市的信用秩序をボロボロにしてしまったが、大阪にはまだ思い出すべき学ぶべき都市的信用秩序が残っているというのが、中沢さんの論調である。
JRF2025/5/204874
……。
>山手線の成り立ちには利便性を超えた必然性のようなものが感じられるのに、大阪環状線には、たまたまこうなったというような、どこかなげやりな偶然性を感じてしまう。どうしてもこうなってしまう、という切迫した気概が感じられないのだ。そういう気概にみちた必然性は、むしろこの大阪では、いまも異常な規模に発達中の、地下鉄や地下街の構造のほうに、ひそんでいる気がする。<(p.26)
中央線で大阪府立中央図書館に行くとき、地下鉄の途中で別の営業主体に変わって運賃が上がるとか…カオスだなぁ…とは思う。
JRF2025/5/209264
……。
難波大道…
>この道は上町台地の上を、北から南に向かってまっすぐに伸びていた。プロト大阪の南北の基軸をしめすものが、これである。そこに何本かの東西へ向かう道が造られていたが、そうした道の中でも、もっとも重要なのが「大津道」である。そして難波大道とこの大津道が交わるあたりから東の方角に進んでいくと、しばらくして周囲には異様な雰囲気が立ちこめだすのだった。あたりはいくつもの巨大な古墳が立ち並び、まさに「王家の谷」と呼ぶにふさわしい、驚嘆すべき光景が広がってくるのである。
JRF2025/5/200894
古代の権力者たちの古墳はじつに壮麗だった。いまはすっかり植物に覆われてしまっているが、もともとはあの巨大な人工の山の全面が、つるつるの石の板で、隙間なく覆われていた。そのために西の海に太陽が沈んでいくときには、夕日を受けてきらきらと輝いていたのが、海を行く船からもよく見えた。
JRF2025/5/201469
それはまさに、死のモニュメントだった。偉大な生命力を持った権力者は、死んだ後も、その生命力の延長のように、偉大な死の姿を、人々の前にさらそうとした。権力者にとって死は、腐敗や解体や忘却をあらわすのではなく、そうしたものに打ち勝って、秩序や威厳をもって、日の光の中に立ち上がれるものでなければならない。巨大古墳群は、死の中にあっても威厳を保とうとする、古代の権力者たちの死の思想を、みごとに表現するものだった。
<(p.29-30)
ピラミッドも表面はツルツルで光っていた。…と聞くね。
JRF2025/5/206160
>古代中国人の発想ならば、王族の古墳は、南北に走る軸の南端部に築造されてしかるべきなのに、ここではたくさんの有力者たちの巨大古墳が、生駒山麓に近い台地上に築かれ、そこに「王家の谷」を形成することになった。これは、権力者の抱く死の思想を遥かに凌駕する、別の種類の死の思想が、生駒山のあたりから発しているとでも考えなければ、理解のできない現象である。<(p.33)
それは死の中から生が生まれてくるという思想らしい。
JRF2025/5/208154
>瀬戸内海沿いに、新しい弥生文化を携えた人々がやってくると、縄文系の人々は、この新来の人々を、ムラのはずれの一角に土地を与えて、迎え入れている(その様子が、発掘された遺跡の様子から、手に取るようにわかるのである)。<(p.42)
海が防波堤となった、平和的な共存が日本の原風景であるという主張だろう。
JRF2025/5/207253
>縄文の文化は、生と死を円環として考える、人類に普遍的な野生の思考をもとにしてつくられていた。(…)生の終わりは死への誕生であり、死から新しい生が生まれてくる、というのが彼らの考えだ。そこで、動物を殺せばその場で魂を送る儀式をおこなって、動物霊の世界への誕生をお祈りし、食べた魚貝の体の残りは、ていねいに貝塚に葬り、またそこに人間の遺体も葬った。
JRF2025/5/201400
さすがに弥生人たちは、貝塚と墓地をいっしょにするようなまねはしなかったが、それでも生と死を円環ととらえる考え方は、縄文人とそれほど違っていなかった。後の時代の人たちのように、死を穢れたもの、恐ろしいものとして、自分たちの生活から遠いところに分離してしまおうという考えは、まだ広まっていなかった。
JRF2025/5/209653
その後、朝鮮半島から、たくさんの移住者がこの土地に渡ってくるようになると、生駒山麓でも新しい埋葬の形が広まっていった。ほの暗い渓谷の斜面に横穴を掘って、その奥に棺をおさめるという形式である。このタイプの古墳の出現は、かえって死の世界への通路というものに、明確なイメージをあたえる効果を発揮した。生と死は、そこでもひとつの円環を保っていた。
<(p.43)
死の世界への通路というのが、イザナギ・イザナミの黄泉の神話につながる感じか。
長く引用してきたが、この辺り、やはり長くなるが私の文を引用しよう。
JRF2025/5/200623
『宗教学雑考集』《金属の盗掘・王家の谷》
>>
古代エジプト後代(前2000年頃)のテクスト…、
>神の家畜である人間は十分な備えを与えられた。(エリアーデ『世界宗教史 1』p.140)<
《人類の完全性》や《洞窟猿》で、人間が洞窟から生まれた家畜じゃないかという説を紹介するが、エジプトにも、人間が元は、洞窟猿の家畜から進化したという考えがあったのかもしれない。
JRF2025/5/200570
>天に着いたファラオは太陽神に晴れがましく迎えられ、使者が四方に遣[つか]わされて、ファラオが死を征服した旨を告げる。天上では、王は地上での生活を続ける。つまり、玉座に座り、臣民の礼を受け、ひき続き裁きをくだし、また命令をくだす。(同 p.147)<
副葬品を棺に入れる文化には、霊になったあとも霊界で・霊界から死後も支配するという概念がある。なぜそれが生じるのか。
JRF2025/5/207819
そもそもの人の埋葬は子宮墓に見られるように、自然に還り、そこから女の子宮に入り「復活」するというものだった。その場合、赤ん坊のように裸で埋葬すれば十分だった。
しかし、自然に還って復活するという概念は崩れることがありうる。それは、メソポタミアで頻繁にあったように他民族による侵略がある場合だ。侵略により生き残る場合、再び生まれるものは別の民族である。
JRF2025/5/206916
埋葬は骨食を避け道具を使うためだったというのが私の上の論だった。ここで、埋葬に対する信仰が崩れると、再び、骨食に戻る…道具を使う方向への進歩が否定される恐れがある。ドゥムジは、考古学の方向に進んだ。それは「盗掘」の是認につながる。
JRF2025/5/208315
つまり、副葬品を棺に入れるのは、死後、軍団として霊界に生きて再び来る期待を生じさせ、死後、霊界で生きる装備を埋葬するためである。…その目的により、埋葬は維持されるようになる。しかし、その信心だけではシステムを維持できまい。システムの維持にはそこから利益を得る者が必要である。よって、霊界に生きて再び来る期待を持続させるのは、制度化された「盗掘」により利益を得る宗教者集団ということになるのだろう。
JRF2025/5/200058
骨食が問題なので、盗掘により骨があとから散らされても大きな問題ではない。しかし死後の信仰は、骨を散らす泥棒の盗掘よりは宗教者による管理を選好させることになる。特に譲渡性の高い金属器の登場で、このシステムが可能となった。
JRF2025/5/203970
しかし、このシステムが民間にまで及ぶと、宗教者が管理しきれなくなる。金属のようには盗まれない物が選好されるようになる。それが埋葬品というか墓の、石への退化で、巨石文化や古墳文化などを説明するのではないか。ピラミッドもそこに含まれうる。人々は、ファラオの家畜として墓に「備えの刈り入れ」となる財産を集めることが求められたが、しかし、多くの場合、自分の墓にではなく、ファラオの墓に集めることが求められたのであろう。
金属器普及前の巨石文化や古墳文化があるらしいが、埋めて価値のあるもの(宝石など)があればこの論は成り立つので問題ないとしたい。
JRF2025/5/206532
副葬品に関して…、
>もちろん、宗教は近代に始まった現象ではない。人間ははるか昔から、死後に生きる世界があると信じていたようだ。死後に使う副葬品を墓に入れる習慣は、およそ四万年前から少しずつ定着していった。(ロビン・ダンバー『宗教の起源』p.14)<
現生人類の登場は 20万年前くらいだが、意図的埋葬とわかっているのはせいぜい 10万年前までのことらしい(同 p.173)。
JRF2025/5/209890
子宮墓に裸で埋葬し、自然界に還ってからの再誕生を企図するのが先で、その後、石棺により死後の世界で永い間生きることを願うようになったと私はするが、副葬品の存在は死後の世界を肯定するが、その後、永くそこにいるとまで考えることになるのかどうかはわからない。
JRF2025/5/204474
死後、副葬品といっしょに旅立って、自然に還るということなのかもしれない。骨猟から道具を使った狩りに移行するため、骨を埋めるのが霊の理論より先…みたいなことも書いたが、転生しないまでも、死後の邪魔をしてはならないとできれば、骨をあばき返してはいけないとできるので、副葬品があっても私の理論は成立する。問題ないとしたい。
JRF2025/5/200233
通常、肉は自然に帰り、そこから植物が生え、また肉となるという点で、自然は循環しており、そこから、子宮墓のようなものに裸で埋めて、そこから自然を通じて、再び人として生まれてくるという、転生的概念のほうが成立が先のように私は思う。
JRF2025/5/200605
しかし、先の述べたように、まったく同じ人物が帰ってくることはありえず、特に、侵略などがある場合はそこに帰ってくるのは別の民族ということになる。にもかかわらず骨食を避けるための埋葬を続けるなら、帰って来ないことの合理化のために、転生を否定した死後の世界という概念が成立する余地が出てくる。そうなれば、死後の世界で役立つような副葬品も同時に埋めるという信仰もうまれてくるのであろう。
JRF2025/5/208418
《骨食から埋葬へ》で、考古学的な真実から見れば、なぜか、霊の理論が骨食から出てきたように読めるが、それは現代の人類が霊を知らないことへのある種の許しなのかもしれない。…と書いた。
こういう考古学的成果には古代 DNA の解析という新しいツールがある。それを使うデイヴィッド・ライクは次のような経験を語る。悩みがあってユダヤ教の聖職者であるラビに相談したのだ。
JRF2025/5/202212
>わたしの研究室では古代の人々の骨をすりつぶしているが、その多くは遺体が損なわれることを望んでいなかったのではないか、自分はそのことを十分に考えていなかったと感じている、とわたしがいうと、彼(…ラビ…)はいかにも困惑したようすで、しばらく考える時間がほしいとのことだった。しばらくして戻って来た彼は、先例となる決定や他のラビによる判断がない場合にする助言をしてくれた。それによると、人間の墓はすべて神聖なものだが、理解を深めたり、人々の間の障壁を取り除いたりするのに役立つ可能性がある場合に限って、墓をあばくことも許されるだろうということだった。(デイヴィッド・ライク『交雑する人類』p.399)<
JRF2025/5/200778
骨食が問題なので、盗掘により骨があとから散らされても大きな問題ではないと上で書いた。そういう意味では、骨がある程度時間がたったあと掘り返されるのは原理的にはさして問題ではないのかもしれない。もちろん、信仰はその後に生じて我々を覆っており、それを無視することが良いこととも思えないが…。
考古学が様々なことを「解き明かす」時代になった。きっと神がそう創造し導いている。骨を科学の発展に役立てるなら、許しもあるのだろう。
<<
JRF2025/5/203362
『宗教学雑考集』《石棺・幽霊と絶滅》
>>
古代に世界各地で見られる巨石文化については、祖先が「幽霊」として人々をずっと見守るという観念がある。
>実際、巨石文化の死者儀礼は、霊魂の死後の存続についての確信ばかりではなく、とりわけ祖先の力への信頼、彼らが生きている者を守りたすけるだろうという期待をも含んでいるように思われる。そのような確信は、他の古代民族(メソポタミア人、ヒッタイト人、ヘブライ人、ギリシア人など)にみられる概念とは根本的に相違する。
JRF2025/5/204790
後者にとって、死者は不幸で無力な、そして哀れな霊魂であった。さらに、アイルランドからマルタ島、エーゲ海諸島まで、巨石記念物を作った人々にとって先祖との儀礼的交わりがその宗教活動の要[かなめ]を成すの対して、古代近東や中央ヨーロッパの原歴史的文化においては、死者と生者の分離がきびしく定められていた。
(エリアーデ『世界宗教史 1』p.175)
<
宗教者が「盗掘」から利益を得ていることを隠すために、「死者と生者の分離」が必要だったのだろう。そうされるから「哀れ」なのだろう。ピラミッドなどについてはそうだが、それがない巨石文化とはどういうことか。
JRF2025/5/201855
石文化…石の棺の文化は、副葬品を守ると同時に技術的な価値があるのだろう。
メソポタミアやエジプトと同様、侵略を受けた文化が、埋葬を維持するために、霊界からの支配が続くよう副葬品を充実させたという面はあるのだろうが、こちらの巨石文化では盗掘はあまり考えられていない。
JRF2025/5/205445
骨食をやめさせるのは、同時に道具を使う文化のためだった。道具を使うことが利益となっていた。エジプトでは金属器が利益となっていた。では、金属器の前の石棺の文化にはどういう価値があったのか。それは石を切り出す技術が受け継ぐべき技術となったということではないか。それが受け継げるのが社会の・宗教者の利益とされたのではないか。
JRF2025/5/200773
石の棺の文化は、侵略を受けた文明が、石を切り出す技術を平和時に維持するために、死後自然に帰るのではなく、死後も霊界で生きるという解釈のもとできてきた…と考えるほうがもっともらしいように思う。
(…)
よく知られるように(特に)旧約聖書の神は残酷で、しばしば「虐殺」を命じることがある。それは「聖絶」と呼ばれる。
JRF2025/5/207603
『ヨブ記』においては「風」や「幻」に「幽霊」が示唆されていると私は思う。そして同時に虐殺(《聖絶 - Wikipedia》)があったのだから、「幽霊」などを認めれば、その恨みはどうなるのかと一笑にも付されているとも思う。
石棺に葬られたものが「幽霊」として生き続けることを否定する思想もあったのだ。
<<
JRF2025/5/205601
古代大阪の大きな古墳は、死後に権威を示そうとしたというところで正しいと思うが、横穴式の墓などは、私の文にあるように副葬品の金属などを「盗掘」して経済に再投入する文化があったのだろうと思う。「盗掘」が意識されるから逆に盗めない「古墳」に頼るという部分もあったのだろう。ただし、古代大阪は、侵略がそれほど厳しくなかったため、王家にも転生的概念をある程度維持できて、生死と東西を重ねる文化が続いたということではないか。
JRF2025/5/205342
石の文化が浸透するのと機を同じくして、戦争が頻繁にはなったのだが、山や海が多く、絶滅を避けられるため、幽霊を是とする文化が生き残り、それが石=古墳の文化にもなっていったのではないか。
JRF2025/5/206911
……。
>プロト大阪の景観(人の心の働きを巻き込んでできている風景)は、複素数の成り立ちをしている。
現実の世界の秩序をつくっていく実軸(上町台地の上を南北に走る軸(…=アポロン軸…))と、想像力を巻き込んで現実の世界とは垂直に交わっている虚軸(海側から生駒山に向かう、東西方向に走る軸線(…=ディオニュソス軸…))という、二つの軸の交わりの中から独特の精神風土の土台が、つくられてきたのである。
JRF2025/5/204398
複素数というと難しそうだが、できのよいお笑いは、たいてい複素数の仕組みで、つくられている。古典的な漫才の台本から、引用を一つ(秋田実『笑いの創造』から)。
若き夫「あなたは、赤ん坊のことは大変詳しいとおっしゃいましたね?」
乳母志願者「ハア、あのォ、私自身も一度だけ赤ん坊の時の経験がございますので……」
JRF2025/5/200016
二人の考えていることは、それぞれ垂直になっているほどに違う軸の上でおこっているが、それが「赤ん坊の経験」という一事で、交差して結びついている。垂直になっている軸の間を、軽快に飛び渡ることのできている地口ほど、よく笑いをさそう。それを徹底させると、西鶴や織田作や野坂昭如のような、大阪文芸風のすばらしい文体ができる。
<(p.51)
この「複素数」という比喩は私は好まない。東西もリアルな軸だから。また、バーチャルがリアルを覆っているというのは普通のことだと思うから(『宗教学雑考集』でも「バーチャル」や「虚の世界」は頻出語である)。
JRF2025/5/204539
でも、確かに漫才などが虚の世界を経由するような動きをして、大阪人がそれを許しやすいのは、東西というリアルにバーチャルな発想をよく残しているからだ…というなら、そういう面もあるのかな…とは思う。
JRF2025/5/200358
……。
私は正月の初詣は住吉大社にお参りに行くのだが…。
>「スミヨシ」系の海民は、住之江を支配するほどの勢力をもって、この土地に定着した。彼らは伝統的に星の位置を知って航海をおこなう「スターナビゲーター」であった。そのこともあって、スミヨシ海民の信仰した神々は、星座に関係をもっていた。
とりわけ、航海においてとても重要な星座であったのが、「カラスキ星」と呼ばれるオリオン星座であり、彼らは鋤の形をしたオリオン星座を神として、深く信仰したのであった。
<(p.54)
JRF2025/5/208031
私は、『ブルックナー: 交響曲 第8番』をオリオン座みたいな曲と認識していて、一番好きな交響曲なのだが、そのあたり、住吉系の無意識の影響でもあったんだろうか?
まぁ、それはそれとして。
海民に関しては、大陸移動説と絡めて私は話題にしていた。
『宗教学雑考集』《大陸移動説》
>古代、元々は島が動くというのは与太話であったが、しかし、大陸移動説に似た「島が動く」という概念は可能だった。そこには、大陸や島の発見が求められる海洋探索の歴史がある。いくつか「島が動く」話を挙げていこう。
JRF2025/5/201666
まずは、海底火山の活動などによる島の隆起・沈没がありえる。ただ、これはあまり記録されている感じではない。
また一つは、蜃気楼[しんきろう]である。ただ、これは不思議な現象であるが、幻覚であることも容易に知られよう。日本神話のイザナギ・イザナミの国生みでは 1番目に蛭子、2番目に淡島が生まれ、3番目に淡路島が生まれる。この 2番目の「淡島」が蜃気楼のことかもしれない。
JRF2025/5/207813
また一つは、海岸線の変化である。これは動いてはいないのであるが、まったく動かないという概念の形成を邪魔したとは言えるだろう。観察にはある程度、長い年月を要するため、さらに長い年月を経れば、動かないこともありえなくはないとは思っただろう。
また一つは、海洋民族の不安から来る「島を釣る」神話である。
JRF2025/5/205544
日本神話の海幸彦・山幸彦の神話では、弟の山幸彦が、借りた釣り針をなくし、それを探しに海の中の国に行く。このような話は、南洋でも見つかっている。一方、イザナギとイザナミが矛を上げたときにオノゴロ島ができるという神話があるが、それに似た話も南洋にあり、そこでは、島を釣り上げて創造するという話になっている。
JRF2025/5/202016
海洋民族が海に出たとき、島は動くはずのないものだった。しかし、思ったように戻って来れないことも多々あったと思われる。航海中に発見した島などが、次の航海で発見できないということはままあったろう。また、飢餓などで新しい島を発見するのを夢見ることもあったかもしれない。そのようなとき、海流の理解が求められたと思われる。この海流を見るという考え方が、針のない釣り糸で見ることができるとして、実際できたかどうかは別として、そう形容されたのではないか。
JRF2025/5/201704
それで現実的に新しい島を発見できるかはわからないが、そうなればいいな…というアイデアはあっただろう。それが、島を釣るという神話になったのではないだろうか。
実は、さらにもう一つ大陸移動が古代でも信じられた可能性はある。それは星の観測だ。とても長い間、星を観測すれば、星座全体が動いていることがわかる。これを星が動いているのではなく地面が動いていると解釈したならば、間違ってはいるのだが、大陸移動という説になりうる。
JRF2025/5/206234
(…)
「星が動く」と書いたが、特に目立つのは北極星の位置の変化である。古代人がそれに気付いたのはいつなのだろう?
<
星そのものが海民にとって重要だったというのは、私は北極星が重要なのかと思っていたが、「オリオン座」が重要だったんだね。実際には。その辺は知らなかった。
JRF2025/5/209255
……。
河内音頭で有名な俊徳丸の物語。そこには死の穢れを浄化する「秘術」が隠れている。
>しかし、浄化の力に近づくには、危険を通過しなければならない。「危険の淵に近づかないと、危機を乗り越えることなどはできない」(ハイデッガー)。河内音頭には、そういうメッセージが隠されている。<(p.69)
JRF2025/5/200171
後藤明『世界神話学入門』で紹介されていた(参: [cocolog:95400819](2025年4月))「釣針喪失譚」(古事記や日本書紀の海幸彦・山幸彦神話が有名だが)。そこでは年少者が冒険に出て嫁を得たり、英雄になったりする。こういった物語は、長子相続の基本の中、年少者を労働力化するために、そこに夢を見させるイデオロギー装置でもあったのだろう。
そのようなものとして「危険の淵に近づかないと、危機を乗り越えることなどはできない」というのも、受け継ぐべき大事な価値観としてあったものと思われる。
JRF2025/5/205705
後世では、浪曲など(国定忠治とか)にもよくある侠客とか博徒の物語は、若者にそうやっても生きていけることを示唆することに大きな意義があったのだろうと思う。
もっとも落ちぶれたもの…難病者なども含む…へ、具体的な金銭(食料)的援助を実際にやっていたのは、物部[もののべ]氏の霊をまつった四天王寺の「霊力」である…とこの本ではしていくのだが。
JRF2025/5/208088
……。
>物部氏には、よく整った一族の宗教と、独特な呪術が発達していた。天皇家をリーダーとする首長連合の勢力が、生駒山を越えた向こうの、奈良盆地に勢力を伸ばすようになると、物部氏はそれと対抗することなく、軍事と呪術の技を生かして、新しい体制内での立場を固めていった。<(p.72)
若者への動機付けやトシを取ってからの納得感などが「呪術」や「宗教」の物語の大事な役目であったのだろう。
JRF2025/5/208074
……。
>いままさに建築がはじまろうとしている四天王寺の、入り口の扉が設けられることになるあたりの地面を選んで、深い穴が掘られた。そして、その穴の底に、ていねいに首級と衣服と武具が並べられ、その上に慎重に土がかぶさられた。土をかぶせ終わると、密儀の参加者は、威儀を正して、大きく息を吸い込むと、いっせいに「ワッハッハ、ワッハッハ、ワッハッハ」と、大きな声で笑うのであった。
JRF2025/5/201665
顔の表情を崩さず、神のようにして、笑うのである。生命力の一部が宿っている身体の部分を、安全に分離するためには、このような「笑い」の儀式が必要だ、と古代には考えられていた。笑いは、危険なものに接近しながらも、上手にそれを切り離して、距離を保つための、精神の技術だからである。
<(p.76)
大阪といえば「笑い」。それがこんなところに根拠を持つのだという。
ところで、「笑い」がなぜできたかについて、私は↓のような意見を持っていたが、どうもそれは、↑のような古代の影響…というか無意識(テレビ番組?)の影響があったようだ。
JRF2025/5/200512
ロビン・ダンバー『宗教の起源』を読んで([cocolog:94517420](2023年11月)
>笑いは、攻撃でなくて遊びであることを示すための発声から生じている(p.124)そうである。私は笑いは死に関連していて、死ななくて済んだことを仲間に知らせるための表現じゃないか…とか思っていたのだが。<
JRF2025/5/201329
……。
聖徳太子とその宿敵だった物部守屋。
>中世に書かれた本の中には、太子の言葉として、こう書かれている。
我と守屋とは、生々世々の怨敵、世々生々の恩者である。太子も守屋もともに偉大な菩薩である。仏法を弘めようとしてこのように示現した。守屋はキツツキという鳥になり、仏法を妨害しようとする。太子は鷹という鳥となって、キツツキを払う。
(鎌倉時代に書かれた『聖徳太子伝私記』という本に出てくることば。四天王寺をめぐるさまざまな伝説については、谷川健一著『四天王寺の鷹』(河出書房新社)に詳しく書かれている。)
JRF2025/5/208975
世の中の順調な運行に入れないものたち、戦いに破れて敗者となったものたち、大地の下に封じ込められてしまったものたち、そういうものたちを排除しない、という思想。それどころか、敗者たちを自分の中に抱え込んで、大きな全体の「和」をつくりだそうという思想。それが「聖徳太子」という名前で象徴される、日本人の生み出した最初の偉大な弁証法的思想なのである。
<(p.83-84)
善も悪も一つであるかのような思想が大阪には生き残っているのだという。私の文では↓か。
JRF2025/5/204016
『宗教学雑考集』《悪》
>悪とされる心も、進化(や社会の発展など)を経て得てきた「善い贈り物」で、元来の悪はない。しかし不幸のシステムはあって、悪はなされ人は裁く。しかし、実は外の世界にある「悪しきもの」もある種の「進化」の結果かもしれない。長い目で見ればそれも偶然であり、生き残る者は目の前にあるシステムを変えつつ和解を導くしかない。許しあわねばならないのが和解ではなく、和解は子によって実体的意志を現す。<
JRF2025/5/209432
基本的には山と海があって「絶滅」がやりにくいというのがこういう考え方の基礎にはなっているのだと思う。そして人工衛星と Google Map のある現代、どこも「絶滅」できるがゆえに、「絶滅がありえない」とせねばならないのが、逆に、大阪的考えが、現代に通じるところがあるのかもしれない。
JRF2025/5/207268
ところで、聖徳太子について。[wikipedia:聖徳太子虚構説]にあるように「聖徳太子は実在しなかった論争」がある。↓でも書いたように「「聖徳太子は実在しなかった論争」はイエス・キリストの実在を疑う論争のパロディ的な面もあると個人的には思う」…というのが私の基本的立場であり、虚構説には否定的である。イエス・キリストの実在を否定するのが「どうかしている」のと同じように聖徳太子の実在を否定するのも「どうかしている」というのが私の評価である。誰かがイエス・キリストの実在を疑って、誰かの逆鱗に触れたのではないかと思う。
JRF2025/5/206771
《Virtua Fighter 5 FS コスプレ:イロモノ 編 - JRF の私見:雑記》
http://jrf.cocolog-nifty.com/column/2012/12/post-4.html
JRF2025/5/208950
……。
物事には「タマ=霊力」が宿っていて、「ただの物」を贈与し交換しあうということはありえず、そこには少なくとも人間の関係性が「付着」しているものである。…これが、古代的なものの考えである。それに対し…
>商人は、人と物とを「無縁」にする原理にしたがって生きようとした、最初の近代人である。そういうことにかけては人一倍敏感な古代人は、商人の考え方のなかに潜んでいる無縁の原理を、いずれは人と人のつながりまでも無縁化して、社会を破壊してしまう力を秘めているものとして、恐れたのである。<(p.98)
JRF2025/5/201616
その商人が最初のほうに述べたように新しいデルタ地帯などに追いやられて、そこで定着しはじめる。
>洪積層の台地には、社会は形成されるけれども、資本主義は生まれにくい。権力者の居城は築かれるけれども、よく発達した市場をもつ都市が、洪積台地の上に自然発生することは、めったに起こらないことなのだ。考えてみれば、パリでもロンドンでも、純粋な大都市はたいてい、中州や砂州につくられたものだが、そういう場所でなければ、人と土地の結びつきとか、人と物の霊的な絆などというものを否定できる、無縁の原理が開花することなどは、できなかったからである。
JRF2025/5/208597
大阪の地勢には、そういう資本主義の原理が、自由闊達な活動をおこなえるような舞台が、みごとに準備されていた。
<(p.99)
JRF2025/5/204324
……。
>五世紀に、上町台地の北端に宮殿を営んだ王朝は、「河内王朝」と呼ばれる。この王朝の大王(天皇)たちは、王宮の中に設けられた社で、巫女たちによる太陽の祭祀を毎日おこなっていた。ところが興味深いことに、その大王たちは即位の儀式である大嘗祭の翌年、ナニワ潟に生まれ出ていた砂州島に向かって、「八十島祭」という風変わりな儀式をおこなったのである。
JRF2025/5/204574
(…)
(…その祭における…)巫女たちの想像には、眼前にひとつの大きな「生成する宇宙」の出現する様子が見えていた。波立つ広々とした海。そこに無数の島々が、つぎからつぎへと生まれ出てくる、想像の光景である。生まれ出る島々の中心には、淡路島があった。淡路島は、生成する八十島たちの「胞衣[えな]」と考えられた。
<(p.107)
これがイザナギ・イザナミの国生み神話の原風景なんだね。
keyword: 淡路島
JRF2025/5/203522
>この列島では、権力はいと高き天からもたらされるのではなく、母胎や海の中から生成してくるという思想が、古くから保持されていたのである。天皇という日本に独自の王権には、どうも深いところに新生児のイメージがセットしてあって、そのことは特に、ナニワの地を舞台にした河内王朝で、強力に表現された。じっさいこの王朝を代表する応神天皇などは、母である神功皇后に抱かれた子供の姿で描かれることが多かった。<(p.108)
新生児なのは日出る国だからだろうか? そこには東の端という認識があるので、中国を意識して国が造られたという物語があるということだろうか?
JRF2025/5/208340
……。
大阪中心部は砂州であり、そこが無縁の商人の地であることに一種の必然があり、それはなんと仏教の涅槃の地でもあるというのだ。
>砂州は、水中から出現した土地である。なにもなかったところにあらわれた土地であるから、とうぜんもともとは誰のものでもない。しかもしだいに姿を変えていくので、不動産として確定して取得することもできないし、そこから税を取ることもできない。無所有、無縁のアジール、それが砂州なのだ。
JRF2025/5/202006
ガンジス川のほとりで、毎日のように砂州をながめて、瞑想修行をしていた若き日のゴータマ・ブッダは、この砂州のありように、現世に出現した涅槃(ニルヴァーナ)を見ていた。ブッダはのちに、弟子たちにこう語った。
所有がないこと、
執着して取らないこと、
これこそがほかならぬ砂州であり、
それを私は涅槃と呼ぶ。
それは老いと死の消滅である。(ブッダの語録『スタニパータ』より)
砂州はブッダにとって、悟りの拠り所としての意味をもっていた。
(…)
砂州は輪廻の法から抜け出している。それなのに現世の中に、姿をあらわしている。それがブッダの言う涅槃なのである。
JRF2025/5/204031
(…)
そのような砂州の上に、難波はできた。大阪の方たちにはまったく意外なことかも知れないが、煩悩まみれの生活がくり広げられている、この難波の土地の下には、なんと現世にあらわれた涅槃が、隠匿されているのである。
<(p.108-110)
確かに仏教は、経済が大きくなる時代にできた宗教で、その理想郷が「都市」であるというのは一定の合理性があり、「涅槃」は仏教の理想郷だから(でもあるから)、そこに共通性を見出せるというのはあるのかもしれない。が…こじつけがすぎるように思う。
JRF2025/5/205728
……。
クグツと呼ばれる人たちがいた。
>とくにラジカルだったのが、クグツの女性である。人は誰でも、自分の体に強い執着をもっている。そんな自分の体を他人が消費して快楽を得るための商品にできるために、クグツの遊女は自分の体を放下師(ジャグラー)が空中でもてあそぶ、品玉のように扱ってみせた。
JRF2025/5/203824
クグツの男たちのほうはもっと穏健で、狩猟をすることのほかには、人形を遣う舞を舞った。この芸能の中にも、砂州の精神が強烈に表現されている。人形遣いの芸能では、命をもたない木偶[でこ]人形に、命の息吹(アニマ)を吹き込んで、まるで生き物のように人形を舞わせるのである。そのとき、クグツに操られる人形は、生命と非生命の間につくられた不思議な空間で、生でもなければ死でもなく、この世のものでもなくあの世のものでもない、人の心の中に潜む涅槃の砂州の光景を、みごと舞によって出現させたのだ。
JRF2025/5/200705
女は奔放な性、男はアニメの技芸。淀川べりを活躍の舞台としたクグツたちのしていたことは、まるで現代日本の若者のようではないか。
<(p.112)
文楽とは名指ししていないが、その背景に何があるかを想像させる文である。そんなことがある…またはあったのか?
この男と女の話は、私はリュディアの話を思い出す。
JRF2025/5/201567
『宗教学雑考集』《売春と貨幣》
>>
ヘロドトス『歴史』の(ほぼ)最初に登場する国が、金銀の貨幤を最初に作った(巻1:94)というリュディア(リディア)というのは何かの因縁かもしれない。
JRF2025/5/203861
>リュディアの国には、(…)記述に足るような珍しいことは、他の国ほどには見当らない。しかしただ一つ、(…)他に比類のない巨大な建造物がある。(…)アリュアッテスの陵墓がそれで(…ある。…)これを造営したのは、商人や職人、それに婬[いん]をひさぐ娘たちであった。(…)それぞれの団体が果した仕事の量が、それに刻み記してあった。(…)娘たちの果した仕事の量が明らかに大きかった。というのは、リュディアの国では、娘たちがみな身を売り、嫁入りするまで自分の持参金を稼ぐのである。(ヘロドトス『歴史』巻1:93)<
JRF2025/5/208707
…ということはそこからも「税」を集め、人足に充てたということだろう。貨幣は金の含有量を操作して、差益である「シニョリッジ」で稼げるものだ。しかし、そのシニョリッジが大きいと、貨幣が信用されず流通しない。しかし、買春のためには貨幣が必要のため、シニョリッジが大きくても、貨幣が「信用」されたということかもしれない。
JRF2025/5/207333
ただ、売春はあったものの、性の乱れがあったというのとはまた違うようで、ペルシアに滅ぼされたリュディアの王クロイソスの王家が、その前のリュディアの王家と交替したのは、妃の肌を夫が戯れに別の男に見せたのが原因となっている。(同 巻1:8 あたり)
このような貨幣による売春の前には、神殿売春または《神聖娼婦 - Wikipedia》の制度があった。《ゲノムに残る不平等のしるし》でも神殿売春には言及した。その目的は、「弱者男性」への性の分配であったのか、広く遺伝子を取り込む試みだったのか、外国語を覚え通商に用いるためだったのか、よくわからない。
JRF2025/5/205644
神殿売春が廃れたのは、性病との関連があると私は考えたものだが、それも実際のところはよくわからない。一夫一妻については性病との関連で生まれた制度という説がある(参: 《一夫一妻制が生まれた理由は性感染症防止のためという説 - スラド サイエンス》)。ただ、一夫一妻は、むしろ、戦争などで必要な男性への女性のあてがいを目的として生まれたようなもののように私は考えていた。
(…)
リュディアについては…、
>小売制度を創[はじ]めたのも彼らであった。(同 巻1:94)<
JRF2025/5/205921
「小売り」というのは「市場」とはまた違うのだろう。買いに来る人は時によって変わっていくが、必要とされるのは同じという商品が、ある場所にあったということか。化粧品と衣装…前者に流行はほぼなく後者は流行に左右される…いや逆かな?
>またリュディア人自らのいうところでは、今日リュディアとギリシアに普及している遊戯は、自分たちが発明したものだという。(…ある時、)リュディア全土に激しい飢饉が起った。(…)気持ちをまぎらす手段を求めて、みんながいろいろ工夫したという。そしてこの時、ダイス(キュポイ)、骨さいころ、毬[まり]遊びなど、あらゆる種類の遊戯が考案されたというのである。(同 巻1:94)<
JRF2025/5/205482
私は、東日本大震災のあとで、「易双六」のゲームを作った。リュディアも、男が稼げなかった、ということではないか? 昔の貨幤制度で言えばインフレが常態とすべきところだが、創ってすぐだからまじめにやろうとしすぎて、貨幤供給が足りず、日本と同じくデフレになっていたのかもしれない。
JRF2025/5/209494
リュディアは不況が続いて海外への植民が行われた。計画不況はゲームの余暇を融通する「ワークシェアリング」では解決せず、街の分割・植民という強引な公共事業で、やっと女たちも納得するような再分配が可能になったということだろうか。この植民のために船を作るという動きが、ノアの箱舟の伝説のたぐいが必要とされた部分なのかなとちょっと思った。
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JRF2025/5/206478
ちなみに易双六に関して。今↓で、「易双六」用のタロットを販売中です。ぜひご覧になって気に入れば…気になれば…ご購入いただきたく存じます。(売れなくて困ってます。orz)
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JRF2025/5/204191
……。
商品の原型は、神へのお供物だという。サクリファイス(供犠)から「商品」という考えは生まれてきた。神へのお供物に選ばれたモノ(贄[にえ]となったもの)は、もはや人間の所有には属さなくなって、贈与社会の環からはずされる。…という。
>供御人たちは、この贄のお余りを、商品として扱うことによって、はじまりの商人になったのである。商品とは「無縁となった」モノの別名である。<(p.117)
JRF2025/5/202188
『宗教学雑考集』《カデシュ》
>私は幼いころ、神に供[そな]え物をしたとき、それは神が食べるのだと思っていた。しかし、それを食べるのは聖職者またはそれに連なる人々である。<
…どうも、それだけでなく供物は市場にも放出されたというのが中沢さんの主張のようだ。確かに、供物が税ぐらいの規模があれば、そういうこともあるかもしれない…と思う。国がかなり大きくなっても、強制力を使った税ではなく、自主的な供物で国が運営されているという体裁を長く日本は保ち得た…ということだろうか? 教皇領とかに近かったのだろうか?
JRF2025/5/200060
中国などからの輸入のために国や神社が銭を必要とした…というのも大きな要素のように思うが…。すると商品の原型はむしろ外国商品ということになるか…。海に囲まれた日本では、外国銭の流通を禁じきれなかったところに、「都市」の成立の発端がある…のかもしれない。
JRF2025/5/203057
……。
>抜け目のない商人は、お金のもつこの縁切り作用を最大限に利用して、儲けを得ようとする。ぽちゃんと飛び込んだ蛙を呑み込んだ水は、もとの無の静けさに帰る。それと同じように、売りと買いの一サイクルが閉じたら、商人は「御破算に願いあげて」、後腐れなく、また別の軽接触に移っていくことができる。
JRF2025/5/202002
こういう商人の精神が行き届いた大阪人の心性をつかまえて、「こってり」などと揶揄するのは、まったくの誤解ではないか、と私は思う。大阪人はその反対に、むしろ「あっさり」した性格で、しつこいように見るのは、「御破算に願いあげる」サイクルを、別の場所にでかけていって、執拗に、ねばり強く、繰り返すからである。ここは、無縁の原理と敗者の精神が合体した土地なのである。
<(p.139)
そこでは、ムラの縁ではなく、信用が代わりに発達した。
JRF2025/5/208441
>大阪の商人たちは、強力な縁切り作用をもつお金をベースとする貨幣経済の世界のまっただなかに、お金を生かしながらもその限界を乗り越える、信用というものを発生させるためにじつにみごとなシステムをつくりあげた。<(p.140)
現金を必要としない手形のシステムがまずそうだ。
そして丁稚奉公もそういうシステムなのだという。古代からある男性結社的な年少と成人の関係をベースにしていて、血族よりも能力を重視する面がある…ということのようだ。そこでは恋愛結婚は否定され、部族=のれんの論理が優先される。…と。
JRF2025/5/204032
>信用の空間は、まるで信仰の世界のようにつくられていた。買ったものに対価が支払われないとか、注文された数量をごまかしたりとか、借りたお金を踏み倒したりとかが、この空間のなかではいっさい考えられてはならない、とされた。ナニワ商人は、この信用の空間を絶対的に信仰し、信仰にはずれた行為は、厳に自分に禁じた。<(p.145)
JRF2025/5/205714
>商人のつくった無縁社会は、日本型のプロテスタントということになる。商いに魔法は禁物である。商売というゲームのルールは、合理主義で徹底していなければならない。それなのに、ここには信用の空間への律儀な信仰が確固として保ち続けられた。ヨーロッパでもナニワでも、資本主義はプロテスタント型の信仰なしには、ありえなかったのである。<(p.147)
JRF2025/5/201581
……。
>こんにち「ミナミ」と呼ばれている地域の大半は、中世までは海の底だった。
(…)
未来のミナミに向かって手を合わせていた人々は、そこが心のなかの「西方」だと意識していた。ミナミは大阪人の深層意識には南方ではなく、じつは西方の土地と考えられていたのである。
<(p.166)
まぁ、このあたりになると中沢さん、書き飛ばし過ぎじゃないか…と思わないでもないが、東の生駒山を背景とする伝統的価値観からはミナミは日の没する「西方浄土」的な意識があった…というのは少しはあるのかもしれない。
JRF2025/5/206439
……。
かつての千日前には刑場や墓地があり、死者の街であった。
>不思議なことに、人類の社会では大昔から、笑いの芸能というものは、生と死が混在する機会や場所を選んで演じられるもの、という暗黙の決まりがあった。笑いを誘う人類最古の芸能と言えば、「謎なぞ」のかけあいにつきるが、これなどは生者と死者が同じ場所に集まる、お通夜の席でなければ、やってはいけないことになっていた。
JRF2025/5/201628
謎なぞでは、日常の場面では、遠くに離しておかなければならない事柄が、機知の働きでひとつに結び合い、まるで生者と死者が同じ場所にいる、お通夜と同じ状態をつくりだしてしまう。だからふだんから謎なぞをかけあうなんてもってのほか、目の前に死体がおかれているお通夜のような状況でなければ、人類は笑いの芸能を封印しておこうとした。
JRF2025/5/202199
だからこそ、ミナミの千日前はすごいのである。ここでは広大なネクロポリスを整地して、その上に、寄席やら見世物小屋やら芝居小屋が、それこそ雨後のタケノコのように出現した。座席の下には、二百数十年もの間、営々と埋葬され続けた人骨が眠り、その上で吉本の芸人たちが演ずる「ふだんは離しておかなければ秩序が保てなくなるものをくっつけてしまう」芸に、人々は笑い転げてきた。
<(p.173)
「笑い」と「死」については上でも出てきた。「謎なぞ」の「かけあい」も同じ文脈なんだね。知らなかった。
JRF2025/5/207839
……。
縄文時代は「墓」は集落内にあったが、その後期になると村から離れた山などに墓地が設定され、それを管理する「墓守」が生まれたという。
墓守は…
>遺体の処理人であると同時に、石立ての技にたくみな庭師でもあり、墓の清掃や花の飾り付けもする立花師でもあり、葬儀の式進行をつつがなくリードする送り人でもある。さらには、亡くなった人の霊を自分のからだに呼び寄せて、思いのたけを子孫たちに語って聞かせる、霊媒師(シャーマン)の役目もすれば、愛する人を失った悲しみを韻律にのせて歌う、詩人芸術家の役目も果たしていた。
JRF2025/5/208054
こうして、日本の歴史に墓守というジャンルが登場した。彼らは、死の領域の近くに住んで、死者の霊にコンタクトしたり、呼び寄せたりもできる、特別な「聖なる存在」だった。じつのところを言うと、日本人が発達させた芸能、芸術の多くは、彼ら墓守の伝統のなかから生まれてきたのである。
<(p.177)
これは日本に限らず「捨て扶持」で生きる層から、僧などのインテリが生じたということが古代からあったのだと思う。
JRF2025/5/200920
『宗教学雑考集』《コラム 「捨て扶持」理論》
>ある共同体を考える。そこは原始的…といっても農業をしている共同体で、カツカツで生活しているとしよう。今度、生産性を増やすための機械を導入しようとして、その技術の習得をした者達が帰って来て、ちゃんと機械を使えるようになるのか不安なところ。…といったぐらいのストーリーを考える。
JRF2025/5/203790
機械の製作はいくつか成功したが、一つ失敗してしまう。そして失敗した分だけ、食料の生産が予定どおりに行かず、また機械の技術を習得する予定だった者が農業に戻るため習得に行けなくなり、その分機械の生産がさらに滞[とどこお]り、さらに生産が足りなくなり…といった負のスパイラルの可能性があると考える。
このようなスパイラルを防止するためには、余分な食料があったほうが良かった。そうすれば、機械の習得には送り出せたかもしれないから。もちろん、余分な機械でも良かったのだが、そこまでの余祐はまだないのだろう。
JRF2025/5/208422
仮に失敗がなかったなら、余分な食料は必要なくなり、どういう形でか捨てられることになる。これを食料として与えられる者がいたらどうなるだろう? そのような、つまり「捨て扶持[ぶち]」で暮らす者がいたとする。そうすると、彼は「捨て扶持」だったものが社会に必要になると自分の食べる物がなくなって死ぬか、他に去るしかなくなるのだから、彼は必要になる事態が起きないようにするだろう。「捨て扶持」で暮らす者の存在が、どういう形でか破綻のリスクを回避するのに役立つ…と考える。
JRF2025/5/206719
「捨て扶持」が必要なのはリスクがあるからである。ゆえに、生産しない彼が、「捨て扶持」そのものを増やそうとすることはその必要性を社会に認めさせるということで、社会にリスクを増やそうとすることとイコールである。ゆえに、彼は「捨て扶持」を増やそうとしてはならない。
「捨て扶持」が必要なものとして、彼を生産する者の仲間とみなすことはできない。なぜなら、そこを必要とみなすと、それは「捨て扶持」でなくなり、別のスパイラルを招くことになるから。だから、彼は社会の再生産に寄与しない。
JRF2025/5/206067
農産物が足りなくなると、栄養状態が悪くなって、老人と子供が先に死んでいく。それらが「捨て扶持で暮らす者」だろうか…? それはあまりにも人道にもとるだろう。自由な意志で「捨て扶持で暮らす者」になる者が現れて欲しい。
そうして現れた階層が、僧または修行者の原初の形態であったのではないか? それが本システムにおける仮定である。集団として「生きなければならない」という経済的要請が、僧の存在を導くのだ。
JRF2025/5/205177
(…)
破綻のリスク…つまり「災害」のリスクが実際に減るとわかっているならば、それは「捨て扶持」ではなく、ちゃんと扶持[ふち]を与えて経済・支配構造に組み込む必要がある。
そういうものでないにもかかわらず、破綻のリスクを減らすとはどういうことか。
もし、鬼神がいて、それが破綻をもたらすのであれば、どういうことをしてかはわからないことで、破綻のリスクが減ることがあることになる。宗教の僧が捨て扶持で暮らすのはそういう背景が「あった」と言えるのだろう。
<
JRF2025/5/201236
……。
>古墳の造営には、石の切り出しと運搬、それに運んできた石をがっしりとした構造に積み上げることのできる、技術者が必要である。とくに権力者のための巨大な前方後円墳を築くためには、石を使った高度な土木技術が求められた。
この技術を持っていたのが、古い系譜を持つ墓守の集団だった。彼らのなかに「穴師」と呼ばれる重要な集団がいた。そのなかには「柿本(…柿本人麻呂の…)」などという小グループもいた。穴師は石を切り出すだけでなく、積極的に鉱山の開発にかかわっていた。
JRF2025/5/209040
(奈良三輪山麓の穴師村を拠点とする柿本一族が葬儀に深く関わっていたことは折口信夫・白川静の示唆による。穴師は古墳期にもたらされた新しい宗教思想をになった人々である。
古代の埋葬に、大量の丹生[にう](水銀)が必要だったからである。遺体を納める瓶や石棺の底に、真っ赤な色をした丹生を敷き詰めることで、魔除けにするのである。土木工事に長けていた穴師は、同時に山中に水銀の鉱脈を見つけ出す、「山師」の知識と技術を持つ、鉱山技術者でもあった。こうして、墓守集団のなかからは、石を扱う土木の技術者と、水銀を扱う鉱山の技術者が輩出した。
<(p.181)
JRF2025/5/208461
水銀といえば、昔の外傷に対する塗り薬「赤チン」の原料で、中国では霊薬や仙丹にも使われていた。この場合、どちらに近いのか…。
鉱山管理という側面からは↓を思い出す。
『宗教学雑考集』《三種の神器 - 非定住文化による支配》
>ところで、なぜ非定住者が支配に適していたか? それは金属器の影響ではないか。
武器を使うのを厭わないためというのは理由にならない。農耕民族も守るためには武器を使うからだ。しかし、武器の独占のために金属を独占しようとしたとき、違いが生じる。
JRF2025/5/204678
金属は、鉱山への道を含む通商路をおさえることが農耕以上に必要になるため、移動がメインの非定住文化を基礎としたほうがよかったのだろう。それがスキュタイが金を神器に使っていた理由の一つでもあろう。
<
天皇家は、鉱山の道を抑えた者でもあったのだろう。
JRF2025/5/204485
……。
古代、サクリファイスの儀式によって、天が開け、犠牲者の魂を引き上げる、神が見えたと人々は信じた。
>近世の社会では、この古代的なサクリファイスの儀式から、宗教性を抜いて、刑罰をあたえる方法として、その形式が利用された。犠牲者になるのは、犯罪を犯すことによって、社会の外に決定的に(つまり死をもって)追放されなければならなくなった人々であり、古代の神官の役目を果たすのは、墓場の聖職者の末裔である非人たち、そして、儀式のおこなわれた祭の庭が、刑場に姿を変えたのである。
JRF2025/5/204035
明治の文明開化の世の中になって、千日前の刑場はなくなり、その跡地には、寄席や見世物の小屋が林立した。私たちは、そこに驚くべき歴史の一貫性を発見することになる。
驚異の怪物たちを見世物にすることで、興行人たちは古代人のように、人々に世界の縁(へり)を見せようとしていた。
<(p.189)
古代のサクリファイスの儀式と刑場には連続性は基本ないものと思われる。しかし、その周りの伝統やひょっとすると人物・家系などには連続性はあったのかもしれない。
JRF2025/5/200727
見世物を必要としたのは政治というか「マスコミ」の都合であろうが、神性というか非日常を求める人々が一方にいたのだろう。いつの時代も人々は日常に疲弊していたのだろう。
>日常生活では隠されている秘密の光景を、扉を開いて見せてくれるのが、見世物である。その意味では、生きている者の世界のなかに、突如として死が出現する瞬間を見せる処刑も、秘仏の御開帳も、化け物や怪物の見世物も、みな同じカラクリで出来ている。人間という生き物は、自分の認識力の限界領域でおこる、さまざまな驚異の出来事を見たいばかりに、わざわざ遠くの悪所や名刹にまで、足を運んでいくのである。<(p.190)
JRF2025/5/205131
昔はテレビがなかったから、そういうのを求めてまさに足を運んだ…と。おそらく今よりずっと。
ただ、旅の手段は限られていたので、その点をどう考えるか。Gemini さんに聞いたところ…。
Gemini:> JRFさんがおっしゃる「おそらく今よりずっと」足を運んだ、というのは、旅をする人々の総数や移動距離ではなく、非日常的なスペクタクルを体験するという明確な目的のために、様々な制約を乗り越えて物理的な移動を選択した人々、そしてその旅が彼らの人生において占める意義の大きさという点において、現代とは比較にならないほどだった、という意味合いで理解するのが適切ではないかと思います。
JRF2025/5/209765
……。
千日前と言えば、今では吉本興業の地であるが…。
>落語に軽口、俗曲、踊りに琵琶や奇術などを混ぜ込んだ、いわゆる「色物」を得意とした吉本は、大阪落語の中心地の一つであった法善寺横丁に乗り込んで、老舗の金沢亭を手に入れると、そこを「南地花月」と名づけて、彼らの檜舞台とした。当時はあの狭い横丁に、たくさんの寄席がひしめきあっていた。
JRF2025/5/204911
この南地花月の檜舞台に、1930年のこと、花菱アチャコと横山エンタツのコンビがデビューした。この二人、もともとが「萬歳」の出身であった。その頃の萬歳は、「仁輪加[にわか]」と呼ばれる軽口コントに、音頭や新内節の音楽的要素を加え、踊りもすればハリ扇で叩きもするという、いたって雑駁[ざつばく]な芸能だったが、もとはと言えば、三河萬歳や秋田萬歳などを兄貴分とする、古代中世以来の神事芸能からの分かれである。
JRF2025/5/209377
萬歳師は、独特の衣装をまとい、鼓などの楽器を手にして、舞台に登場した。ところが、アチャコとエンタツの舞台衣装は、サラリーマンのような背広姿、楽器もなければ、歌も踊りもやらないで、ただただ「喋[しゃべ]くり」に徹したのだった。のんびりした謎かけごっこもしない、コテコテの大阪弁も使わない。「君」と「僕」のかけあいで、ポンポンポンとハイテンポの喋くりの連続である。
JRF2025/5/208474
「漫才」が古い「萬歳」の世界に、殴り込みをかけたのである。殴り込みを演出したのは、吉本せい率いる吉本興業。落語も含めて、古くからの芸能は、ここ千日前の寄席において、新しいタイプの芸能からの奇襲攻撃を受けていた。とはいえ、観客の意識はまだ旧式になじんでいたので、アチャコとエンタツの舞台などは、はじめの頃はボロカスにこき下ろされた。
「喋くりだけの萬歳なんてあるかァ、へっこまんかァ、軽口聞きにきたんちゃうどォ、早よ萬歳せんかァ」
JRF2025/5/207735
それでもめげずにアチャコ・エンタツは彼らの喋くり漫才を続けた。背後で彼らを支えていたのは、プロレタリア文学運動の作家やジャーナリストたち。のちにはそこに「現代大阪漫才の父」である秋田実も加わった。考えようによっては、彼らの漫才はプロレタリア芸術の一翼を担っていた、とも言える。
<(p.195-196)
漫才はプロレタリア芸術…。特別な衣装を必要としないところは、労働者上がりでもできそうに感じるのかもしれない。特別な文化なく、それでも習熟がものをいう…というのがプロレタリア芸術的で、それがウケると見込まれた時代だったのか…。
JRF2025/5/201169
……。
>太夫[たゆう]と才蔵[さいぞう]の組み合わせで演じる、古くからの萬歳の芸能は、神々の来訪の様子をイミテーションしたもの、と言われている。(…)北方の大陸からこの列島にやってきた人々は、垂直系の神々を信仰していたが、南方の島伝いに渡ってきた人々の心には、遠い海の彼方からやってくる水平系の神々が、生き続けた。
JRF2025/5/209672
(…)
萬歳は、古代からのこの南方系の神々の訪問の様子を、さらにおもしろおかしく真似した芸能である。自分の神聖性を人間の世界よりも高い世界から供給する北方系の神々とちがって、南方系のまれびとの神は、「遠くからやってきた」ということだけが、神聖のよりどころであるから、もともとがいたって民主的な性格をもっていた。
JRF2025/5/208067
しかも、神様でありながら、「正しいこと」を言うだけでは不十分と考えて、「正しいこと」には裏もあり、世界をいちがいに「正しいこと」だけで運用するのは無理があると伝えようとして、まれびとの神はいつも「正しいこと」を言う神と、それを混ぜっ返す神のコンビで、出現してきたのだった。
<(p.197-198)
JRF2025/5/200455
>この神様は、遠方の見知らぬところから来る神という意味で、「ヱビス」とも呼ばれたが、このヱビス神がやってくると、日本人の先祖たちは「富」や「幸」を連れてきてくれると言って、とても喜んだ。ヱビス、別名をヒルコ(蛭子)とも言い、小さな身体に障害を抱えた、笑う神でもあった。<(p.200)
来訪神である福神のエビス神についてはマンガ・諸星大二郎『妖怪ハンター』(参: [cocolog:95405565](2025年4月))にもあったなぁ。中沢さんも書いているようにどこかに「悪魔的な感じ」もするのだった。
JRF2025/5/209605
……。
>落語が「高い座」から語りかけてくる、理性的な笑いの芸であるとしたら、萬歳とその近代の末裔である漫才は、どこか遠くからふらっとやってきて、不条理なカオスの力で笑わせて去っていく、一種異形の芸である。この海民系の不条理の芸が、もともと海の底であった大阪のミナミで花開いたことには、なにかとてつもなく深い意味が隠されているのではないか。<(p.203)
>古い神の衣装は脱ぎ捨ててしまおう、手に持つ楽器も扇ももういらない、踊るからだも封印してしまおう、残されたのはただ口だけ、その口から放たれることばの力だけで、何気ない日常のまっただなかに、神秘を出現させてみせようではないか。
JRF2025/5/204085
その神秘の主の選んだのが、吉本せいという女性シャーマンだった。せいは持ち前の勘で、自分のなすべきことを知っていた。彼女は、古い海民の神の願いを聞き入れて、萬歳に革命をおこそうとした。最初に登場した革命児が、アチャコとエンタツであった。彼らは物部守屋の首が埋まっている玉造村からやってきて(ここが古代の笑いの発祥の地であることは、第一部の「四天王寺物語」に紹介したとおりである)、千日前の舞台に、新しい笑いを炸裂させた。
<(p.204)
エンタツアチャコに因縁は多少はある感じか。
JRF2025/5/206672
……。
そういった伝統があって…
>ここから、大阪に独特な言語コミュニケーションの発達がおこった。意味の中身を伝え合うのではなく、意味らしきものを伝え合っている、そのプロセスのほうに重点がおかれた。意味の固い層の下を流動している無意識の流れを、ひょっと会話のなかに紛れ込ませる技に、高い評価をあたえた。
とうぜん、会話は笑いにあふれることになる。笑いのおかげで、きっちりした意味などは吹き飛んでしまうけれど、笑うことで、意味よりも重大なことが伝わる、というフロイト流の考え方が、大阪人のなかに育っていたのである。
JRF2025/5/203294
漫才は、こういう大阪の言語コミュニケーションの文化の上に華開いた、現代の神秘なのである。イザナミとイザナギの神話が語っているように(その神話の舞台は淡路島である)、宇宙のかたちや秩序や意味は、すべてカオスのなかから生まれ、カオスのなかに崩れさっていく。その様子を演じた古代の儀式を遠い先祖とする漫才は、自分の体内深くに、生まれ出てくる子供の未熟さや、この世でうまく行動できない不具性や、死の近くにいるものたちへの愛情を、セットされている。だから、漫才が炸裂させる笑いには、ひそかに毒が含まれることになる。
<(p.206)
JRF2025/5/205226
私は、子供のころ人を笑わせるのが好きだった。でも、大人になってまじめくさって、つまらない人間になってしまった。そういう自覚がある。VTuber さんとかと他の人は気さくにユーモアをもって話しているのに、私はそういうユーモアを発揮できない。もどかしい。普段も冗談もめったに言えなくなった。笑いが嫌いになったわけではないのだが…。
JRF2025/5/203437
高野山には密教があるが、その曼荼羅のうちには、男性原理を表す金剛界曼荼羅と、女性原理を表す胎蔵界曼荼羅がある。大阪の新世界は男根的塔(通天閣)を包み込む湿った土地で胎蔵界曼荼羅なのだという。
JRF2025/5/200989
>ところで、身体のうち秘部だけが、ほんものの悦楽を味わうことができる。しかもほんとうの悦楽を体験することができるのは、女性の身体だけであるから(男の身体はほんとうには悦楽を体験できないようにつくられているが、そのことは女たちには秘密にされている)、大阪の秘部である新世界は、女性的な胎蔵界曼荼羅として、つくられていなければならない。そのことは、ここをつくった当の本人たちも、気づいてはいなかったかも知れないが、じっさいに新世界はそのような構造に、出来上がっている。
JRF2025/5/205658
ここで、私たちのアースダイバーの探求にくりかえしあらわれてきた、おなじみの主題が、どこよりも印象的な姿をして、再登場してきたのに気がつく。それは都市における、死とエロティシズムの密接なつながりだ。ミナミがもと広大な墓地を開発してできた繁華街であったことを、思い出そう。そのミナミのはずれに、新世界という胎蔵界曼荼羅は出現した。生命と死のエロティシズムが一体となった曼荼羅である。
<(p.223)
「男の身体はほんとうには悦楽を体験できないようにつくられているが、そのことは女たちには秘密にされている」のか。その辺のことはもう私にはわからないな。諦めた。
JRF2025/5/203898
……。
非人の仕事の大きなところは、警察関係と芸能関係であったという。
>鳶田は古代以来、連綿と続く歴史をもつ大墓地らしく、明治維新まで、周辺にたくさんの非人を住まわせていた。彼らの仕事は、警察関係と芸能関係とに二分される。<(p.239)
芸能人の覚醒剤の事件とかは両者にまたがるわけだが、そこが注目されるのも何か国家的制御の意図があるんだろうか? わからない。
JRF2025/5/204034
……。
>鳶田の周辺から出稼ぎに出た芸能者には、萬歳、節季候[せきぞろ]、大黒舞、乞胸[ごうむね]などさまざまあったが、がいしておめでたい芸能(愛敬芸能)を得意とした。古代の宗教者の末裔らしく、祝餅をつくって配るのもこの人たちであったし、筮竹を使った吉凶の占いや、古墳埴輪の系譜に連なる土人形の制作なども、得意芸のひとつだった。<(p.239)
「筮竹を使った吉凶の占い」か…。
JRF2025/5/208363
私は氷河期世代の引きこもりの「ニート」の一人として、新たな被差別階層として、これまでの被差別者と「競う」ことが求められるのかな…と思うことがあった。そんな私が易を学んだ「易双六」を作ったのは、偶然ではあるが、何か因縁・シンクロニシティがあるのかもしれないな…。
JRF2025/5/206501
……。
>もしも家というものが思想をもつとしたら、その思想は、その家の馬鹿息子の生きざまが表現する、と昔の人は言ったものだ。<(p.250)
そんな言葉があるのか。心当たりありすぎだ。そう見られてるとすれば私のイエに申し訳ないばかりだ。
私はものの見事に「馬鹿息子」で「哲学」をするしかなくなった。もっと「商売」したかったのだが、うまくいかず、今は「哲学」を商売にしようとして苦しんでいる。orz
JRF2025/5/201282
……。
>ことに現代の都市プランナーそこのけの大胆さを発揮した秀吉によって、難波王朝の跡であろうが、古代以来の地主神の神社だろうが、名だたる名刹であろうが、容赦なく移転させられ、そのたびに都市の姿は、ゴム鞠のように、変形につぐ変形をこうむってきた。<(p.261)
まぁ、太閤さんは良いこともやったが悪いこともやった人というのが、大阪人から見てもその評価で…この本の文脈からすれば南方系の神様的、大阪的人物ではあるのだろう。
keyword: 秀吉
JRF2025/5/208613
……。
>お笑いは、世界を無意味なことに接触させることで、活性化させる力を、もっている。四天王寺から釜ケ崎までつながっていく愛隣的空間では、さまざまなタイプのプロレタリアたちが、この都市で生き抜いていく、ささやかな空間を与えられてきた。いずれにしても、ミナミには、無に接触しているという感覚が、充満している。
JRF2025/5/201439
こういう地帯を、自分のなかにセットしてあることによって、大阪は権力や富だけでなく、無と死の原理を抱え込んで、ひとつの全体性を持ったのである。大阪的全体性は、ほかの都市にはなかなか見いだせない。ミナミが開発の遅れた低地にあったというだけでは、こういうことは起こらなかったろう。問題は四天王寺の存在なのである。
JRF2025/5/205390
四天王寺は「アポロン軸」と「ディオニュソス軸」の交点にあって、無の原理から発する慈悲の波動を放つ寺として、無産者のための愛隣的受容器の役目を、歴史的に果たしてきた。その思想は崖下に広がるミナミを、大きな網で覆い、近現代になってもその思想の力は、消滅しなかった。大阪が他に類例のない、人類的都市としての全体性を手に入れたのは、おそらくそのためだろうと、アースダイバーは推測する。
<(p.262-263)
JRF2025/5/209880
四天王寺には父が合葬されている。それ以前から、母は宗派に関係なく皆にお参りできるところとして四天王寺に通っていた。今も通っている。四天王寺が「福祉」の寺という印象はないが、なんでも受け容れてくれる…という信仰は(私にも)あるかもしれない。
JRF2025/5/200085
……。
ラブホテルのことはまったく知らないのだが、そこでの主流は今は「ディズニーランド意匠」であるらしい。重要なのはその「城」で、死の入り口のカマドの灰をかぶったシンデレラの行きつく先、白雪姫が眠りから目覚めていくところ、そこは「死の王国のお城」なのだという。
>こんなふうに、ディズニーランドの広場の中央にそびえるあのお城は、じつは死者の国そのものである。生身の肉体に縛られていない死者は、自由に空間を飛び回ることができるし、飢えや老いの恐れもないから、そこは尽きることのない豊かさに満ちた、絶対静止の世界である(その象徴がピーターパンだ)。<(p.286)
JRF2025/5/204329
ディズニーファンは、これを読んだら怒るだろうな…。
>どんな激情の人生を歩んだ人でも、いったん四角四面の墓石の下に入ってしまうと、きちんとしたたたずまいに納められてしまう。そこではもう時間の進行は停止しているから、悩みに苦しめられることもなく、子孫の心がけさえよければ、墓の周囲には雑草も生えず、チリも落ちていない清潔さを保っていることができる。このような墓地のありようを補助線に引いてみると、日本のラブホテルの進化が、どうしてディズニーランド意匠にたどり着いていったのか、およそその道筋は見えてくる。
JRF2025/5/206415
かつての日本人の無意識のなかで強力に作動していた、死と性愛の結合がしだいに弱くなってきたとき、ラブホテル経営者と特殊建築家たちは、それこそ無意識の勘で、アメリカ産のディズニーランドの意匠を借用することで、じつに巧妙なやり方で、ラブホテルに死と性愛の主題をよみがえらせることに、成功したのである。ラブホテル関係者とは、まことにあなどりがたい人々ではないか。この人たちの無意識のなかでは、いまも「野生の思考」がいきいきと活動を続けている。
JRF2025/5/207806
かつて青カンを好んだという日本の恋人たちは、近代の浸透とともに、しだいに子宮を連想させる洞窟のような空間に籠ることを好みだし、そこからさらに進んでディズニーランド風な死者の王国のお城へと、嗜好を進化させていったが、そこには一貫して死の空間という主題が貫かれている。もはや野原が自然そのものでなく、売買と開発の対象となった近代では、恋人たちは自分たちが熱望している自然との接触場所を、人工の密室に求めざるをえなくなった、とも言える。
<(p.289)
JRF2025/5/207577
ここの論調とは関係ないが、性と死がはじまりを同じくするというのは真核細胞の昔からどうもそうだ…という議論はあった。
『宗教学雑考集』《生物学的な死と性》
>死を意識できたほうが、育てることに力が入るものと思われる。動物には死の意識がないと言われることがあるが、子供を優先する本能があるなら、それは死の意識に等しいのかもしれない。
JRF2025/5/205826
(…)
原核生物にも寿命のあるものもあるが、有性生殖の真核生物はほぼすべて寿命に相当するものがある。有性生殖する通常の細胞は DNA の二倍体で、配偶子は一倍体である。当初は一倍体に、別の生活史があったのだろう。一倍体は、ハチのように資源確保した上で死ぬのがその役割りで、その死が二倍体にも伝わり、しかし、そうやって寿命を持つことが上で書いたように進化に有利となった…のかもしれない。この私の説だと、一倍体的な特徴を持つ、広がって死ぬ性であるオスと、保守的に遺伝子を保持し、過適応を防ぐ性であるメスという役割も見えてくる。
JRF2025/5/209993
なお、この説と共存できないわけではないが、別の説として、増殖するときに若返り続ける生殖細胞系列とは別の死すべき体細胞系列を持つことでエネルギー効率が良くなったため寿命=有性生殖が生じたという説もある。一般には、この場合は、性は多様性のためとすれば十分説明できているとするようだ。
<
JRF2025/5/201264
……。
>現代の家から、決定的に失われているもの、それはカマドのようにこの世界に転換をおこす力をもった装置の存在である。スポーツ番組とヴァラエティを流し続けるテレビは、みんなの注意を逸らして、いまある世界の秩序に転換がおこったりしないようにするために機能している。教育は子供が自分でものを考えたりしないためのものである。<(p.291)
「教育は子供が自分でものを考えたりしないためのものである。」とはずいぶん偏ったものの見方だなぁ…。
JRF2025/5/205243
あまり関係ないが、教育については近時、次のようなことを書いた。中沢さん好みになるかは別として、教育も変わっていかざるを得ないのだろう。
>
○ 2025-04-24T04:31:21Z
AI がすごすぎて子供がやる気をなくす面はなくはないと思う。でも、一方で、Grok さんに数学書の説明とかしてもらって思うのだが、安価で東大の家庭教師にずっとついてて教えてもらうようなもので、確実にレベルアップできる側面もあるように思う。
JRF2025/5/200658
ちょっと話は変わるが、オーストラリアで SNS を規制するという話を観た。いじめが問題というなら、その射程はやがて通常の学校も規制しろという話にもおよぶだろう。学校がなくなるとは言わないが、AI の「家庭教師」を前提にかなり組織を変えていいとなるのではないか?
<
この点についてはたまたまそのころ finalvent さんが AI を使った教育の記事を書いていた。
《AIの2時間学習革命が教室を変える: 極東ブログ》
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2025/05/post-8255a2.html
JRF2025/5/202220
……。
上に書いたように中沢さんは、グローバリズム+新自由主義+金融資本主義に批判的である。
JRF2025/5/202466
>古いことばでは、市場のことはよく「敵が味方に変わるところ」と呼ばれた。いままで外の世界のよそ者と見られて、警戒されていた潜在敵が、いったん市場のなかに入ると、身内に変わる。じつは経済行為というのは、このような転換がおこる空間である市場を通過してからでしか、おこなわれないものなのであるが、現代のような金融中心の経済では、市場のもつこのような転換の機能が、すっかりマヒしてしまっている。お金に転換の能力がないからである。家の中心からカマドが失われたように、都市の経済は転換機能をもった市場というものを、すっかりなくしてしまった。
JRF2025/5/207715
世の中で「市場経済」と呼ばれているものは、じっさいには市場ほんらいの転換機能をなくしてしまって、ゾンビのようになってしまった市場でおこなわれている、倒錯的な経済にほかならない。「グローバル」にまで規模を拡大した、そのような倒錯経済の時代が、いま音をたてて終焉に向かおうとしている。私たちは、都市にもういちど、ほんらいの働きを備えた、カマド的市場を取り戻す準備を、はじめなければならない。大阪にはそのとき必要になるはずのヒントが、たくさん生き残っている。
<(p.291-292)
JRF2025/5/200337
2008年のサブプライムローン問題、リーマンショックを受けての見解だろう。マンガ・青木雄二『ナニワ金融道』的信用の世界はエゲツナイけど、ぬくもりがあって、デリバティブ(金融派生商品)で顔を見えなくされた仕組み債の世界では、世の中やってはいけない。…という感じだろうか。
その辺、今はどうなってるのかな? トレーダーが AI になる世界で…。↓ということも私は書いている。
[cocolog:94937590](2024年7月)
>証券・株・債券等の取引において、AI または プログラム売買またはアルゴリズム売買が選好されるのは、ディーラーの不正を防げる面も大きいだろう。<
JRF2025/5/203205
ところで「ナニ金」世界の「ぬくもり」って何だろう? 昔から不思議だったのは、侠客みたいな借金取りにそんなにお金かけて儲けが出るんだろうか?…ということ。連帯保証人とか会社に電話かけるとかいろいろテクニックはあったんだろうけど、企業に貸しこんだりすると生かさず殺さずぐらいでは回収できないわけで、何か手品があったのかな…と思う。
JRF2025/5/206379
……。
坐摩[いかすり]神社は秀吉により移転され、それにより渡来系の渡辺村が解体された。それによりキヨメの呪術を行っていた北渡辺村の住人がその後の時代に差別されるようになっていった。ただ、差別はされていてもパワーはあったので、むしろ遠方と縁組したりできた。
JRF2025/5/200030
>そのために、明治維新によって差別の撤廃が謳われるようになると、渡辺村は「解放」実現にむけて結集していく、全国からのすさまじいエネルギーの渦の中心となった。「全国水平社」の大阪の拠点がこの村に置かれることになった。立ち上げの講演会は渡辺村の浄土真宗徳浄寺を会場としておこなわれた。その日はまるで、長いこと抑圧されてきた大地の霊が咆哮していうようだった。今日「同和」と呼ばれている解放運動が、大阪においては、イカスリの霊を守ってきた渡辺の民の末裔の住む村で開始されたということ自体に、深いアースダイバー的意味が潜んでいる。<(p.332)
JRF2025/5/202752
……。
大阪と朝鮮半島との関係については、中沢さんは、特に五世紀はじめより前のころの朝鮮半島南からの日本への移住を一つのピークとして見ている。滅んだ加耶から来たのを当時力のあった新羅や百済から来たと称したなどとも言う。
>(…アカルヒメやシタテルヒメという…)この女神の神話を運んできた三韓からの移住者が、大阪にたどり着いたと推定される五世紀はじめの頃までは、半島の南コリア世界と列島の西半分の日本世界との間に、大きな違いなどはまだあまりなかった。南コリアと西日本は、むしろ一つの共通世界をつくっていたのである。
JRF2025/5/209906
(…)
日本列島では、北九州に「ヤマト」という王権の原型ができたが、半島にあまりにも近い北九州にいては危険だというので、吉備、河内、奈良へと、しだいに東へ王権の根拠地を移していった。大阪にアカルヒメなどの女神を携えた三韓の人々が上陸した五世紀はじめの頃、大陸や半島の緊迫した政治情勢に、彼らはぴりぴりと神経を張り巡らせていた。
JRF2025/5/205438
ヤマト王権は、いままでほとんど一体だったコリア世界との間に、距離をつくりださなければならないと感じるようになっていた。ヤマト大王の家では先祖神として、アカルヒメやシタテルヒメと同じ「太陽の妻」であるアマテラスを祀っていたけれど、彼らの女神と原型的な女神を「差異化」しなければならない必要を感じていた。そこでヤマト王家では、ここまで離れればもう安心とばかり、アマテラス女神を遠く伊勢湾の汀[みぎわ]にまで移し奉り、その神格のなかから「産む女性」を連想させる、なまなましい生命的要素を消し去って、コリア世界とのつながりを見えないようにしてしまおうとした。
<(p.348)
JRF2025/5/202441
なぜ「産む女性」を連想させる部分を消したのか。それは、支配階層の少子化を実現するためではないか。一方、「産む女性」性を大阪の地場では維持したのは、おそらく外国人が持っていた産むことのハンデが意識されたからではないか。それが事実であるかどうか別として、種が違えば、産めない。遺伝子が違うほど、産むのが困難になるみたいな話は古代にも意識されていたのではないか。だからこそ「産めた」という事実が・多産が、強く祝うべきことだったのだと思われる。しかし、ヤマト王権は支配のために(王の妻以外の貴族の)多産を必ずしも喜ばなくなったのだろう。
JRF2025/5/209975
『宗教学雑考集』《三種の神器 - 非定住文化による支配》
>ところで、支配の効率性には、縁故が少ない少数派であり続けることが必要になる。
なぜ捨て子文化なのに、少数派を維持できるのか。長子制による「骨肉の争い」がある…というのは、ありうるが、それは、農耕文化でも長子制を取るので、それだけが理由とはならない。
思うに、捨て子文化だが、妾腹の子が、その後の長子相続などに影響することを抑えるため、そういう子を生むのは許容されても、父の目が届くうちは、その子に子を設けさせないのが合理的となるのだろう。そのため、僧制のような独身制のシステムが背後にあったのではないか。
JRF2025/5/205950
あとは、教育による適齢期からずらすのと合わせて、一本という感じか。適齢期からずらすのは支配層近辺だけかもしれないが、それが被支配層と出生率の差を生み、自然に少数派になるという効果もあったかもしれない。
JRF2025/5/200854
つまり、長子制、僧の独身制、適齢期が三種の神器で、それぞれ剣・鏡・玉に相当するのだろう。ただ、適齢期は、玉というより鏡じゃないかということだったのでそこは合わないかもしれない。父の形身の玉ということかもしれない。浪曲などでは形見の話がよく出てくるが、妾腹の文化は形身の文化でもあったろう。ちなみに、売春は貨幣とリンクされることがあるが、玉は貨幣的である。
<
JRF2025/5/207851
……。
物部氏の天孫降臨神話は、交野の奥の渓谷の地形にこめられることで特別な力があった。天皇家の象徴でしか表されないそれにくらべて。
>物部氏の天孫降臨神話は、いささか具体性を欠いている天皇家のそれよりも、神話力という点では勝っていた。<(p.387)
そこには自然な自然崇拝があった。これが「河内の野生」の本質。…だそうだ。
JRF2025/5/209458
……。
堺の話にうつる。
>市民は都市の周りに堅固な壁をめぐらせ、周囲の農村と自分たちの空間とを、目に見える形で分離しようとした。都市は武力を持つ封建領主に税を納めることはしたが、それ以上の権力が都市生活に及ぶことを、極力阻止しようとした。市民と領主は、ヨーロッパでは長い闘争の歴史を持つ。
JRF2025/5/206258
ちなみにこの「シチズン=市民」と、近代において都市住民のもう一つの代名詞となった「ブルジョワ」との間には、無視のできない違いがある。ブルジョワという言葉は、都市を囲む城壁のすぐ外を走る環状道路である「ブールバール」に由来している。都市が拡大していると城壁の中は人口過密になってしまうから、そうなると壁の外の環状道路の両脇に、後発の商工業者が住みついて、ブルジョワと呼ばれるようになった。この人たちは、由緒ある都市住民であるシチズンと、微妙な対立関係にあった。近代産業の担い手となったこのブルジョワは、市民の形成した格調ある文化の外に置かれることが多かったからである。
<(p.394)
JRF2025/5/202838
この話を読むと「ブルジョワ」が蔑称的に語られるとき、そこには自分をシチズンに重ねる上から目線みたいなものがあったのではないか…と気づくね…。
JRF2025/5/204460
……。
「流体の民」の宗教であった一向宗と信長は戦った。その後、問題になったのが堺である。
JRF2025/5/205261
>つぎに自治都市であった堺と平野が標的となった。環濠に守られた自治都市と封建権力とのたたかいは、おもに文化のレベルで闘われた。秀吉にとっての「美」は、自然の産出力が生み出す「豪華」や「絢爛」を特徴とする。封建権力は大地=自然の生産力に支えられている。その自然が生み出す驚異の美を、秀吉は愛していた。これにたいする千利休は、都市の論理が生み出す別種の「美」に依拠していた。自然の産出力をいったん否定し、それを抽象化し「貧しく」したうえで、小さな空間にその力を凝縮的に表現するのである。<(p.408-409)
JRF2025/5/209323
「貧しく」というのは「侘び」を「わびしい」と結び付けているのだと思う。それも解釈(しかも正統的な解釈)だとは思うが私はそう解釈しない。わびさび…千利休の思想も自然に関連すると私は見る。
『宗教学雑考集』《わび・さび とハイヌウェレ神話》
>「侘[わ]び」と「寂[さ]び」という言葉がある。仏教における無常感から来ると思われる「もののあはれ」は「寂び」に通じているように見える。しかし、「寂び」には「もののあはれ」がもたらすようなある種の感情的な昂[たか]まりがないように思う。
JRF2025/5/202617
ところで「寂び」に対峙して使われる「侘び」という言葉、これは古語から現代に通じる「侘びしさ」とは別の物ではないか?
私は「侘び」「寂び」は本来「涌び」「荒び」で、戦国時代を経て辿りついた運命論的無常感ではないかと考えている。
「寂び」は「もののあはれ」と同じく盛えていたモノが滅ぶときに見出だされる感情を基にしているが、「もののあはれ」はそれを「儚き美しさへの同情」で捉えていたのに対し、「寂び」はそれを「潔さへの共感と嫉妬」で捉えている。…と考える。
JRF2025/5/208817
対して「侘び」は滅びつつある物を押し分けて出てくる生命の息吹に見出す感情を基にしており、それへの愛で自らの荒々しさを純朴なものに押し留めようとするものである。…と考える。
こう考えると「侘び」は「萌[も]え出る生命の息吹」を対象とするということで、偶然にも「萌え」に通じている。そして実際、「侘び」こそ現在の「萌え」に通じる物だと私は考えている。
JRF2025/5/202264
私にとって「侘び」は、見捨てられた寺に転がるしゃれこうべの眼窩[がんか]から草の芽が吹き出しているイメージだ。または、大雪原に生きる老いた一匹狼の狩りの生々しさに感じる美しさである。そこには、俗世を離れ孤高として在る様と生命の静かな息吹きが感じられる。
「寂び」のイメージは、戦争で荒んだ教会に久しぶりに訪れたとき、そこに差した一条の光が破損した聖像を映し出しているとしよう。その光景を見て、教会が持つ本来の調和のとれた美を失っているのに、逆にそうであるがゆえの哀しさに、美しさを感じることである。そこには栄華を感じさせるきらびやかさと、それが失われることへの諦観がある。
JRF2025/5/204089
これらは西洋文化でも理解できるイメージになっているのではないか。
<
JRF2025/5/202530
……。
岸和田で有名な「だんじり」。それは海民的お祭りで、遣り回しなどは、海流を曲がるテクニックに相当するのだという。海民の夢が記憶にあり…
>そしてその記憶を、いまの現実のなかに解き放つ、夢見の時間を待ち望んでいる。その夢を現実にするのがお祭りだ。海民の子孫たちはそこで、陸地を海に見立てて、想像のなかで街路を海流の流路に変容させ、その海流を巧みに乗り切っていく技に男意気のすべてを賭ける、勇壮きわまりない祭を案出したのだった。<(p.411)
それは大阪が商売の街であることにもつながっているという。
JRF2025/5/200632
>しかしお金ならばまかせておけ。流体を扱ってきた海民の子孫には、お金という別の抽象的な流体を扱うことはむしろ得意技だったからである。<(p.412)
JRF2025/5/201143
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だんじり=捕鯨論も展開される。地車の前後について動きをコントロールするのが、「前梃子」と「後梃子」であるが、事故はそこで起きやすい。そこは命がけである。その「梃子」に相当するのが捕鯨の銛なのだ。
JRF2025/5/203312
>海戦でも利用されたその古式捕鯨法では、水中の見えない巨大生物の動きを巧みに察知し恐るべき力を制御しながら、勢子船が広げた網のなかに追い込み、すさまじい速度で引きずられていく網を保ちながら、鯨の体力の消耗を待って、海に飛び込んで鯨の身体に抱きついた「羽指[はざし]」が、最後に鯨の鼻を切って絶命させる。それは、海民の伝統が創造した最高の「技芸[メチエ]」であり、集団が力を合わせて超越的な力をそなえた相手に立ち向かう、神聖な行為でもあった。<(p.425)
JRF2025/5/208165
上で紹介した拙著『エアロダイバー 他五篇』には、私の最初期の小説として「水竜狩り」というものも所収している。そこには、黒竜に死を賭して刄をつったてる男が出てくる。それはまさにこの古式捕鯨的なイメージだろう。恥ずかしいほどのシンクロニシティがある。私は、だんじり=捕鯨論はもちろん知らなかったが、だんじりを見て、そういう夢を無意識に描いていたのかもしれない。
JRF2025/5/200458
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最後に。
東京のアースダイバーをした中沢さんが、大阪についてもアースダイバーをすると言ったとき、「できないでしょう」と関西出身者たちからは言われたという。差別などの微妙な問題があるからである。
JRF2025/5/201057
>「大阪アースダイバー」はそのような意味で私にとって大きな挑戦でした。文体も変えなければなりませんでした。隠すことであらわにしたり、逆にストレートに書いているようで、じつは隠しているというデリケートな文体の開発が必要でした。そういった試行錯誤をくり返しているうちに、大阪の話芸やふつうの人たちの会話の秘密などにも理解が行き届くようになりました。そんなわけで、ずいぶん危険なことも書かれているのですが、連載中は無事に切り抜けられたようです。<(p.427)
JRF2025/5/209517
連載は『週刊現代』2010年11月13日号〜2012年2月11日号。東日本大震災を間に挟んでいる。あれで日本は「未来に生きる」だけではやっていけないことが、明らかになった。
私は中沢さんが隠したことについてわかるほどの知識は持ち合わせていない。それは残念だが、それでも郷里の多くのことをこの本から知れたと思う。ありがたい読書だった。
JRF2025/5/207065
『大阪アースダイバー』(中沢 新一 著, 講談社, 2012年10月)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07T71CVQL (Kindle 版)
https://7net.omni7.jp/detail/1106215065
私の買った電子版は 2019年6月発行。
中沢新一さんの『アースダイバー』シリーズの一冊。以前のシリーズでは東京近辺のことを書いていた。私は以前『エアロダイバー』という小説(↓)を書いていて、そこにシンクロニシティ的なものを感じて、関心を持った。大阪のを選んだのは、単に私が大阪府に住んでるから。
JRF2025/5/206111