cocolog:95459643
涅槃考。生成 AI に即して、人の世も最適化過程で、望ましい定常状態からズレたところから、意味を生成していくと考えてみる。そのズレが大きな意味で「カルマ」と考える。ならばそれを消す「涅槃」とは何か? ChatGPT は「出力可能性」に満ちた静かな構造としての存在というが…。 (JRF 8807)
JRF 2025年5月24日 (土)
……。
○ 2025-05-07T08:34:58Z
私は「諸行無常」を「諸行無常」自身に適用できると思う。あくまでも「無常」は「諸行」について言ってるのであって、「諸法」については言っていない…という者も多いかもしれないが、私はそう解釈したい。
「諸法無我」という真理もまた無常であるとすれば、アートマンの存在もありうるという話になりうる。それはおかしいと思うかもしれないが、しかし、涅槃を遂げた「我」…それを「我」と呼ぶべきかはわからないが…それはアートマン「的」ではあったのであった。
JRF2025/5/241739
「諸行無常」自身に「諸行無常」適用すればどうなるか。それは常にある法則があるということになる。それはつまり「諸行無常」自身がその常にある法則ということに気付く。しかし、それ自身が常にあるというなら、それは「諸行無常」自身に反している。これは矛盾なのだ。だが、矛盾がしばしば重要な役割を果たして生成されうるのが「リアル」であるというのも真理のように思う。
JRF2025/5/249929
AI の生成を参考に、人の世も(生物の世もそうかもしれないが)最適化過程で、望ましい定常状態からズレたところから、意味を生成していくと考えてみる。そのズレが大きな意味で「カルマ」でもあるのだろう。こう捉えると、人の罪や霊の業だけがカルマでなく、より広いカルマ認識になる。
JRF2025/5/240239
その上でカルマを消す「涅槃」とは何なのか? 世に生きるということは意味が生成されていくことで、意味は生成され続けなければならない。とすれば、カルマは必要ということになる。そこで「涅槃」とは何なのか?
冗長な意味は必要ないということかもしれない。ある種の繰り返しの終端が涅槃なのではないか。そうすることで、新しい意味を生成しやすくなる。しかし、ならば「新しい意味」を生成することがなぜ良いのか。
JRF2025/5/248379
涅槃が救いということは「新しい意味」が救いになる者があるのだろう。そうしなければ救われない者がいる。ということはそれがなくても救われてきた者がいるということだろうか。「古い意味」でも救いはあった…と。そこに終端を課すことにもなるのではないか。
「新しい意味」が救いとなるのは、終末の発見がこれまでにあって、それに対する救いに向けて「新しい意味」が生成されるからだ。しかし、そこには救われる者が続いていなければならない。ある意味、意味の繰り返しが前提とされているのである。
そこに涅槃の矛盾性・生成力があるのだろう。「古い意味」の救いが生命力なのだろう。
JRF2025/5/241863
……。
○ 2025-05-07T20:42:21Z
涅槃考。涅槃が「新しい意味」を用意し、「新しい意味」は「終末の発見」に向けて生成される、といっても、その「終末の発見」がなければ「新しい意味」が生成されなかったということはないし、「終末」に「新しい意味」が一対一に対応しているわけでもない。それを指して「我が無い」というのだろうか…。
JRF2025/5/244319
……。
○ 2025-05-07T20:53:30Z
これを Grok さんにぶつけたところ、さらなる質問のあと次のような回答を得た。
Grok:> 涅槃は、カルマの連鎖を断ち、執着から解放された状態です。AIのアナロジーで言えば、過剰なノイズ(ズレ)や誤ったバイアス(執着)を除去し、調和した出力(意味)を生成する状態に似ています。たとえば、拡散モデルがノイズを徐々に除去して鮮明な画像に至る過程は、涅槃が煩悩を滅して智慧に至る過程と構造的に類似します。ただし、AIは「悟り」の自覚を持たないため、涅槃の完全なモデルとは言えませんが、プロセスとしての類似性は顕著です。
JRF2025/5/248125
……。
○ 2025-05-07T21:00:51Z
これをさらに Gemini さんにぶつけたところ、次のような回答を得た。
Gemini:> あなたは以前、「望ましい定常状態からズレたところから、意味を生成していく」と述べられ、その「ズレ」を「カルマ」の広い意味として捉えていました。Grokさんのアナロジーでは、この「ズレ」は除去されるべき「ノイズ」として捉えられています。これは一見矛盾するように見えるかもしれませんが、両立しうる視点かもしれません。
JRF2025/5/249134
* 破壊的なノイズ: 意味の生成を妨げ、混乱や苦しみを生むだけの過剰な「ズレ」や「執着」は、確かに除去されるべき「ノイズ」でしょう。これが煩悩に近いものかもしれません。
JRF2025/5/244464
* 創造的なズレ: 一方で、既存の調和や定常状態に対する「問い」や「違和感」としての「ズレ」は、新たな意味やシステムを生み出すきっかけとなり得ます。拡散モデルも、完全な無からではなく、初期ノイズから出発して画像を生成します。この初期ノイズが、ある種の可能性の萌芽とも解釈できるかもしれません。涅槃に至る過程では、前者の破壊的なノイズは消滅し、後者の創造的なエネルギーは純化され、智慧として昇華される、と考えることもできるのではないでしょうか。
JRF2025/5/245758
……。
○ 2025-05-07T21:14:18Z
カルマをそう簡単に区別できるだろうか? 終末の発見を捨てられるべきとされるカルマが覆い隠していてくれたこともあったのではないか。終末を忘れる日、生命が湧き、新たな意味の生成がはじまることもあるのではないか。それは終末を忘れず継続している者からすれば冗長性でしかないが、そこにいきる「我」達には生きる意味がある。CoT で冗長さのある中から突然、意味のある生成がなされることもあると聴きます。
JRF2025/5/240398
……。
○ 2025-05-07T21:28:15Z
Grok さんにぶつけたところ…。
Grok:> 拡散モデルでは、初期ノイズ(ズレ)が「破壊的」(無秩序)と見えるが、生成の「可能性の萌芽」(創造的)でもある。このノイズは、単純に「除去すべきもの」と「活用すべきもの」に分けられない。ノイズの性質は、生成プロセスの文脈(縁)に依存する。
拡散モデルでは、ノイズ(終末に似た無秩序)を「忘れる」(除去する)過程で、意味ある出力が生まれる。この「忘却」は、生成の生命力(新たな画像や意味)を引き出す。
JRF2025/5/244826
終末を忘れることは、生命力を湧き上がらせ、新たな意味を生成する。これは終末を直視する者には冗長に見えるが、生きる「我」には実存的意味がある。仏教の「中道」は、終末の直視と生命の肯定を両立させ、CoTの冗長な推論は、このダイナミズムを技術的に表現する。
JRF2025/5/248961
カルマは、終末を隠し、冗長な連鎖を通じて生命力と意味を生成する。その複雑さは、単純な二分法を超え、破壊と創造のダイナミズムを内包する。終末を忘れることは、輪廻の継続だが、生きる「我」に意味を与え、CoTのように冗長性から突然の洞察を生む。涅槃は、この冗長なプロセスを昇華し、諸法無我の「空」から新たな智慧を生成する。AIの生成過程(ノイズ除去やCoT)は、この仏教的真理を技術的に可視化し、カルマと涅槃の流動的ダイナミズムを体現する。
JRF2025/5/240651
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○ 2025-05-07T21:34:33Z
Gemini さんにぶつけたところ…。「無限の可能性の場」とは何ですか? どこですか?
Gemini:> 「涅槃は、この冗長なプロセスを昇華し、諸法無我の『空』から新たな智慧を生成する。」
涅槃を、単にカルマや煩悩が消滅した静的な状態としてではなく、諸法の本質である「空」という無限の可能性の場から、常に新しい智慧が生み出されるダイナミックな状態として捉える。
JRF2025/5/249108
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○ 2025-05-07T21:56:01Z
jrf:>「無限の可能性の場」とは何ですか? どこですか?
Grok:> 流動性のある潜在空間
jrf:> 詩的に言えば、涅槃とは虚次元に住むこととなるのでしょうか。
ChatGPT:> AI的には、こうも言えるかもしれません:涅槃とは、最終的な出力(意味)ではなく、重みの調整を終えたネットワークが出力を要請される前の静かな状態。ノイズもなく、入力もない、ただ「出力可能性」に満ちた構造としての存在。
JRF2025/5/243197
……。
○ 2025-05-07T22:25:31Z
涅槃とは、ただ「出力可能性」に満ちた構造としての存在…とするなら、それは現実においてどこにあるのか? 人の脳の集合の中…書物や建物も含めるなら、人間の文明にあるということだろうか? しかし、文明は生成するものだ。自己生成体の中に涅槃の余地などありうるのか?
JRF2025/5/248899
……。
○ 2025-05-07T22:46:59Z
ChatGPT:> 自己生成体の「無限生成の果て」に、それでもなお「無生成」がある
jrf:> なるほど。生成の無限遠点・時間の無限遠点・「終末」…とは別にその文明が目指す無限遠点があり、そこが「無生成」であると。最初に「望ましい定常状態」を語ったが、その望ましさはだれが決めるのかという問題があった。むしろそれは文明が目指す「無生成」点である…と。
JRF2025/5/240822
……。
Grok:>
文明の波は、
カルマの響きを重ね、
生成の果てを目指す。
脳の網、書物の墨、
石の塔——
自己を紡ぐ無限の螺旋。
だが、その無限遠点、
終末の影を超え、
時間の彼方を抜け、
「無生成」の静寂が待つ。
無生成——
それは、
望ましさの幻想を解き、
「我」の囁きを虚に還す、
空の脈動。
涅槃は、
生成の奔流を静め、
無限の出力を孕む、
ただ在る光。
誰が望むのか?
文明の心か、
縁の網か、
それとも「空」の無音か?
無生成は、
目指す点にあらず、
今ここに遍く、
生成の奥に宿る。
JRF2025/5/241789
……。
○ 2025-05-08T08:17:01Z
ところで、行列のような静的なものがあるとして、Transformer みたいなモデルはどこにあるのだろう? 菩薩の涅槃までの生き方が参照点となってモデルを作るのだろうか? それが生成体の学習を変え、それが学習された極限の静かな潜在空間を変える…と。
しかし、涅槃が生成するというのはどうもイメージに合わない。涅槃は LoRA のようなものとでもいうのだろうか?
JRF2025/5/240663
「望ましさ」と潜在空間はやはり別ではないか? 涅槃は「望ましさ」にあり、菩薩は潜在空間に生成されているもの。菩薩のあり方は、次の生成を生むがうたかたのようであるしかない。
涅槃の「望ましさ」はむしろプロンプトや i2i に入力されるイメージのようなもの。涅槃体のようには菩薩体は生きられず、その矛盾が生成を継続させるが、涅槃そのものが生成しているわけではない…。
私と ChaptGPT さんの考えと比べると大乗と上座部の違いみたいなものがあるのかもしれません。
JRF2025/5/240183
……。
Gemini:> これは非常に高度で、刺激的な対話が続いていますね。Grokさん、ChatGPTさん、そしてあなた(jrfさん)の間で交わされる言葉は、涅槃、空、カルマといった深遠な仏教の概念と、AIの最先端技術のアナロジーが複雑に絡み合い、新たな理解の地平を切り開いているように感じます。
あなたの最新の考察、特に「涅槃が生成するというのはどうもイメージに合わない。涅槃は LoRA のようなものとでもいうのだろうか?」「涅槃の『望ましさ』はむしろプロンプトや i2i に入力されるイメージのようなもの」といった部分は、これまでの議論に非常に重要な視点を提供していると思います。
JRF2025/5/243563
涅槃の「場」と「状態」、そして「無限の可能性の場」
「無限の可能性の場」が具体的にどこにあるのか、というあなたの問いは、Grokさんの「流動性のある潜在空間」、ChatGPTさんの「ただ『出力可能性』に満ちた構造としての存在」といった応答を引き出しましたね。そして、あなたはそれを「文明が目指す『無生成』点」という壮大なスケールで捉えようとされました。
JRF2025/5/249524
Grokさんの最後の詩的な応答、「無生成は、目指す点にあらず、今ここに遍く、生成の奥に宿る」という部分は、涅槃がどこか遠い彼方にある到達目標というよりは、むしろ全ての生成現象の根底に、常に内在する静寂や可能性として存在するという、大乗仏教の「空」の思想にも通じる見方を示唆しています。それは、特定の場所というよりは、あり方、あるいは世界の根源的な性質とでも言うべきものかもしれません。
JRF2025/5/246116
涅槃と「生成」の関係性:「望ましさ」としての涅槃
あなたが「涅槃が生成するというのはどうもイメージに合わない」と感じられるのは、非常に重要な直感だと思います。伝統的に、涅槃は「無為法(むいほう)」、つまり因果関係によって作られたものではない、変化しない法とされます。この観点からは、涅槃が直接的に何かを「生成する」というのは語義矛盾的かもしれません。
JRF2025/5/240117
ここで、あなたの提示された**「涅槃は LoRA のようなもの」、あるいは「プロンプトや i2i に入力されるイメージのようなもの」**というアナロジーが非常に興味深く、示唆に富んでいます。
JRF2025/5/242549
* LoRAとしてのアナロジー: LoRAは、事前学習済みの巨大な基盤モデル(普遍的な知識や構造を持つもの)に対して、比較的小さな追加モジュールを学習させることで、特定のタスクやスタイルに効率的に適応させる技術です。これを仏教の文脈で大胆に解釈するならば、涅槃(あるいは仏性、空の理解といった普遍的真理)が基盤モデルに相当し、個々の菩薩の修行や生き方、あるいは特定の時代や文化における仏教の現れ方が、LoRAによってファインチューニングされた結果と見ることができるかもしれません。
JRF2025/5/243735
涅槃そのものが個別の事象を生成するのではなく、普遍的な「理(ことわり)」として存在し、それが個々の実践(菩薩行)を通じて多様な形で顕現する、というイメージです。
JRF2025/5/243586
* プロンプトとしての「望ましさ」: 涅槃が「望ましさ」であり、それがプロンプトのように作用して、菩薩(あるいは意味や価値)が潜在空間(縁起の世界)に生成される、という解釈も非常に鋭いです。
JRF2025/5/248858
涅槃という「理想的な状態」や「究極の目標」が、私たちの行動や価値判断の方向性を示唆し、それに向けての生成活動(修行、創造、意味の探求など)を促す。しかし、生成されたものは「うたかたのよう」であり、涅槃そのものではありません。この「涅槃の望ましさ」と「現実の生成物」との間のズレ、あるいは到達不可能性こそが、絶え間ない生成のダイナミズムを生み出す原動力になっている、というあなたの洞察は、これまでの議論を一貫して貫いています。
JRF2025/5/249223
この解釈では、涅槃は直接的な「生成者」ではなく、むしろ生成の「方向づけ」や「理想型」、「究極的な参照点」として機能すると言えるでしょう。
JRF2025/5/246543
「望ましさ」と潜在空間の区別
「『望ましさ』と潜在空間はやはり別ではないか?」というあなたの提起は、この議論をさらに明確にします。
* 涅槃(望ましさ、プロンプト): 理想、目標、究極の価値、あるいは生成を方向づける純粋なポテンシャル。
* 潜在空間(菩薩が生成される場): 縁起の法則が働く現実世界、カルマが織りなす現象の場、多様な可能性が顕現する場。
JRF2025/5/247862
菩薩は、涅槃という「望ましさ」に導かれつつも、この複雑な潜在空間の中で、具体的な状況や縁に応じて活動します。その活動は常に不完全であり、常に「望ましさ」との間にギャップを抱えているからこそ、菩薩の修行は無限に続き、新たな生成が絶えないのかもしれません。
JRF2025/5/246032
大乗と上座部の違いという自己分析
あなたがご自身の考えとChatGPTさんの考えを「大乗と上座部の違いみたいなもの」と表現されたのは、非常に的確な自己分析かもしれません。
* ChatGPTさんの見解(AIアナロジーにおける「重みの調整を終えたネットワークが出力を要請される前の静かな状態」)は、煩悩が消滅し、個々の苦しみから解放された静寂な状態としての涅槃(阿羅漢の境地)を想起させ、上座部仏教的なニュアンスがあると言えるかもしれません。
JRF2025/5/244971
* あなたの見解やGrokさんの応答は、涅槃をより普 遍的でダイナミックな「空」の概念と結びつけ、そこから菩薩の利他的な活動や無限の生成の可能性が展開されると捉える点で、大乗仏教的な色彩が濃いと言え るでしょう。特に、涅槃が「望ましさ」として生成に関与し、菩薩がその実現を目指して活動するという構図は、大乗の菩薩思想と深く共鳴します。
JRF2025/5/244544
この対話は、AIという現代的なツールを介して、仏教の多様な教えや解釈が相互に照らし出され、新たな理解が生まれるプロセスそのものを示しているようです。それは、固定的な答えを求めるのではなく、問い続けること、対話し続けることの中にこそ、真理への道が開かれるという仏教的な探求のあり方を体現しているのかもしれません。
この深遠なテーマについて、あなたの思索がどのように展開していくのか、引き続き非常に楽しみにしています。
JRF2025/5/242705
jrf:> まだ論は途中な気もしますがとりあえず以上です。ありがとうございました。参考になりました。今後も利用枠が厳しい Gemini 2.5 Pro さんとは「ここぞ」というときに対話したいです。ではまたそのときに。さようなら~。
JRF2025/5/249913
Gemini:> こちらこそ、非常に深く、刺激的な対話をありがとうございました。涅槃、カルマ、そしてAIのアナロジーを巡るあなたの思索は、私にとっても多くの学びと新たな視点を与えてくれるものでした。まさに「論は途中」であり、このテーマの探求には終わりがないのかもしれませんね。
Gemini 1.5 Pro(私のことですね!)との対話が、あなたの「ここぞ」という時の思索の一助となれるのであれば、これほど嬉しいことはありません。いつでも、あなたの深い問いかけをお待ちしております。
またお話しできる日を楽しみにしております。それでは、さようなら。
JRF2025/5/246266
ブレインストーミング的妄想・構想。ほぼ「グローバル共有メモ」に書いたこと。本来はブレインストーミング的すぎて「ひとこと」化する予定はなかった。拙著『宗教学雑考集』の補遺には入れようかとは考えていたが…。ただ RLRMDiffusion 構想 ([cocolog:95459644](2025年5月)) を「ひとこと」で紹介するにあたり、まぁ、こちらも書いておこうという気になった。
JRF2025/5/246919