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finalvent『新しい「古典」を読む 2』を読んだ。finalvent さんによる「批評」集、我々ブロガー的には読書遍歴を紹介する本。大人の恋愛が多く描かれている。それには恋愛に縁のない私は辟易した。それが社会の縮図であったとしても。 (JRF 1097)
JRF 2025年8月 2日 (土)
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finalvent さんは「批評」にこだわりがあるらしい。あとがき的に「解説「批評」ということ」で書かれている。それを読んでハッとした。この本は「批評」だったのだ。…と。いや、あたり前のことなのだが、私は「ブロガー」として読書記録を付けているが、そこに「批評」という感覚はない。私が何を「批評」と考えているかと自問すると、文学批評を通して社会・または人間への訴えがあるのが「批評」である…という感覚が私にありそうだ。
JRF2025/8/26352
それに対し、私がなしている読書記録は、あくまで、自分の思想を作るための備忘録という性格が強い。いずれ何かの著作をなすための材料・メモなのだ。著作という形にならないまでも、AI がいずれそれを役立ててくれるかもしれないという意識もある。巨大な脳の一部として。AI を意識するのは ChatGPT 登場以降のことと思うかもしれないが、そうではない。私なんかは、ブログを付けはじめた当初から、それが AI に統合されていくものであることはうっすら意識していた。それが私の生きてる間、こんなに早くとは想定していなかったけれども。
JRF2025/8/27395
finalvent さんはそういうブロガーと批評家の中間にいる存在なのではないかと私は思った。finalvent さんの意識の中では、批評家という意識が強く、そこが私のようななんちゃってブロガーとは線が引かれる、アルファブロガーの地位を finalvent さんにもたらしたのかもしれない。
JRF2025/8/22343
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1巻からそうだったが、2巻でも恋愛について、特に大人の恋愛について取り扱っていた。若いころの自身の遊びもちょっと言及があったように思うが、そういった恋愛で受けた、まぁ、恋愛だけでないかもしれないが、「傷」と「痛み」が「批評」に大事なのだという。
>自分は今、めちゃくちゃなことを言っている自覚はあるが、それでも文学とは「傷」のコミュニケーションであり、「批評」とは己の「痛み」の呻きとした思えない。<(p.261)
JRF2025/8/28394
社会や人間をへの訴えを「批評」とする私の理解に比べると、かなりパーソナルな理解になる。でも、そちらのほうが本質なのかもしれない。
JRF2025/8/27605
文を売るときは、どこかしら世間に響くものがないといけない。それには物語に描かれる具体的個人を知っているという感覚があったほうが有利ということはあるのだろう。知っっているというのはそこに男女の関係が示唆されるということだ。それが成立する文学界という枠組みがどうもあるらしい。…と読めるように書かれていたように思う。それは、大阪在住のコミュ障の理系(工学系)からするとヘドが出る…じゃなかった、遠い世界に感じるものだ。所詮、易で言えば、よくて五爻、普通は、四爻、三爻の世界じゃないかと思う。
JRF2025/8/22027
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この巻で何度か問題となる性愛と生の秘密について、こういう非モテ男の私から見た論については拙著『宗教学雑考集』をご参照いただきたい。
『宗教学雑考集 - 易理・始源論・神義論』(JRF 著, JRF電版, 2024年1月 第0.8版・2025年3月 第1.0版)
JRF2025/8/21641
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DS8DRZH9
https://www.amazon.co.jp/dp/B0DS54K2ZT
https://bookwalker.jp/de319f05c6-3292-4c46-99e7-1e8e42269b60/
https://j-rockford.booth.pm/items/5358889
JRF2025/8/26121
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私は恋愛よりも社会…「戦争」が気になる。例えば高橋和巳『邪宗門』を批評する次の一節…。
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おそらく「ひのもと救霊会」として語られている対象は、新興宗教というより、土着の社会主義・共産主義の革命の理念であり、憶測の部類にはなるが、この物語が書かれたことの、日本の社会主義者・共産主義者の少なからずを熱狂させた中国の文化大革命への憧憬からではないだろうか。
JRF2025/8/24778
土着の社会主義・共産主義の革命の理念は、戦後、といっても1951年だが、日本共産党による第4回全国協議回(四全協)の反米武装闘争方針となったものだった。この方針によって、日本共産党は武装集団として山村工作隊を形成した。
(…)
山村工作隊的な武装理念の本質がどのようなもの。この小説は「世なおし」の暗喩を隠れ蓑に残酷なまでに暴露してみせている。
JRF2025/8/20951
>戦争は、彼我の拠っている地域の境界が敵味方の岐れ目である。巨大な破壊力を、より大きく投入したものの方が勝つ。だが世なおしは、同じ国内、同じ地域、同じ職場、同じ家庭に、敵味方が入り乱れるもの。大量殺戮の武器もそこでは役立たない。それ故に、いかに多くの人々を抗争の中に捲き込むかによって、事の成敗は決まる。罪なき人を捲き込むこと、それが世なおしの必須条件なのだ。<
JRF2025/8/26225
世なおしの理念が実現するためには、無辜の人を大量に巻き込み犠牲にすることが必要条件であるとされる。これこそが、山村工作隊が消滅しても、新左翼として戦後社会主義運動に隠された奥義であった。しかも活用できる武力が不足しているなら、天変地異や大規模事故を活用してもよい。無辜の人々の犠牲を多数巻き込っうことが世なおし、イコール革命の前提条件として肯定されてきたのだった。
<<(p.41-42)
JRF2025/8/20257
これが「奥義」。現代は、SNS と AI がかなりそれを押し返しているようにも思えるが、紙一重なのかもしれない。
JRF2025/8/25135
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同様に「戦争」に関して…。邱永漢『食は広州に在り』の批評。台湾独立運動にもかかわっていた邱永漢さん。戦後、台湾人は朝鮮人と併んで、戦勝国側の人間とされ厚遇された。
>>
邱永漢は、そうした「台湾人や朝鮮人」の待遇を好機とはしなかった。
JRF2025/8/27187
>何もやらなかった自分たちがそういう特権を享受することに対して、私は抵抗を感じた。それは大学に来ていた私の友人たちにとっても同じであった。私は特別配給をもらうために区役所に手続きに行かなかったし、電車に乗る時もぎゅうぎゅう詰めの車輌のほうに乗り込んだ。
JRF2025/8/24121
しかし神奈川県にある海軍工廠に台湾から徴用されてきた、まだ二十歳にもなっていない一万人近い少年工たちは、学問や教養と無縁だったせいもあるが、外人用の車輌の中でそっくりかえったり、プラットホームで気に入らない日本人に片っ端から暴行を働いて、人々のひんしゅくを買っていた。「なんという恥ずかしいことを! これじゃ日本人が植民地や中国大陸の占領地域でやったことと、寸分違わないじゃないか」と私は煮えたぎる思いで胸が一杯になった。
<
JRF2025/8/24635
自分を特定の国の国民だと同定し、その意識の上に生きている人間は、時流に流されては傲慢にもなり卑屈にもなる。では、人はどう生きるべきなのか。その問いは、個人として自分の人生に投げかけない限り、現れはしない。
<<(p.128-129)
JRF2025/8/20186
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恋愛と社会つまり国家を「共同幻想」をノリとしてつなげる部分はある。やはり高橋和巳『邪宗門』の批評から。
>しかし女の愛が必然的に至る死の姿というのは、絶望の言い換えではないのか。女の絶望が正確に直覚されたとき、国家が共同幻想に依拠しているかぎり、欲望の理想郷を獲得しようとして男は凄惨な革命の欲望に突き動かされ、いくどでも国家の共同幻想に挑む。ここに日本近代の精神史というものの原動力があり、現代もなお強く生き続ける理由でもある。<(p.45)
JRF2025/8/28185
女性は(男性もそうだが女性のほうがいくぶん)子供から愛される。ただそれは「国家」が仕組み強制する愛のようなものであり、そこには女性個人への愛はない…ということかもしれない。若いうちは、肉体を愛されるが、それは性を愛することであって、精神を愛することではない。子が巣立ってから、平穏が得られるとも限らない。ただ、どれも完全な愛ではないが、どれも愛の一形態ではないかと私などは思う。男性に比べて、妊娠・出産を挟む女性には、いくつかのライフステージがあり、それごとに求めて得られない愛があるということではないか。
JRF2025/8/27639
女性が愛を得られず死ぬように見えるから、男性が革命に燃える…ということだろうか? それは、女性が昔は出産で死んで、男性はそれを補うように戦争で死んだ…または戦争で死んだから女性が残って愛されなかったのにその男の子供が補償を求めたということの変形だろうか?
JRF2025/8/21835
福井健太 編『SFマンガ傑作選』に載っていた佐々木淳子『リディアの住む時に』(1978年)を思い出す。同じ時間を繰り返す8歳違いの女…それは同一人物なのであるが、求めるものが違う。ライフステージによって欲望が違うことを示すかのように。でも、このように戯画化されて…ということは1966年の『邪宗門』のころと比べて、そこがそれほど重視されなくなったということかもしれない。
JRF2025/8/25186


『新しい「古典」を読む 2』(finalvent 著, BANDIT, 2025年8月)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0FJ6Q9423
1巻は [cocolog:95544340](2025年7月) で読んでいる。
JRF2025/8/26414