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cocolog:95609806

finalvent『新しい「古典」を読む 3』を読んだ。『のだめカンタービレ』の「天使」と、真一の両親も含めた「恋」の対位法の解説が感動的だった。マンガ(アニメもドラマも)見てないけど (^^;。 (JRF 4829)

JRF 2025年9月 2日 (火)

『新しい「古典」を読む 3』(finalvent 著, BANDIT, 2025年9月)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0FNKH317N

1巻は [cocolog:95544340](2025年7月) で、2 巻は [cocolog:95565484](2025年8月) で読んでいる。

JRF2025/9/23763

……。

1巻・2巻と同じく、大人の恋愛とか説かれても、そういうのナシで済ませてきた私には通じないなぁ…と思っていた、基本的には今も思っているのだが、それでも恋愛に反応する淡い思いは私にはあったようだ。

JRF2025/9/22080

「第11章 「死の幸福」の中で人はいかにして生きるのか -- 田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』」があらすじと解説だけでなぜか感動してしまった。死を生きる障害者の愛…。その余勢を駆って、「第12章 『のだめカンタービレ』に仕掛けられた謎 -- 二ノ宮知子『のだめカンタービレ』」の「天使」あり方を読んで感動してしまった。こういう天使の現れ方ってある…ありたいよね…って。それって僭越なことだけど。

JRF2025/9/20441

『のだめカンタービレ』はアニメやドラマになってそれは人気を博したのだが、オミットされた部分に、千葉真一の父・千葉雅之がある。その母・三善征子との恋愛結婚とその破局…それを、のだめと真一が辿りながら、最後にそのすべてが昇華されることを finalvent 氏は感動的な筆致で開示する。

クラシック音楽の解説もすばらしく、その点、クラシックファンで、ジルパ名義でよく Twitter (X) に感想を書いてる(参: [cocolog:95518321](2025年7月)など)私は、羨ましく思った。

まぁ、『のだめカンタービレ』、マンガもアニメもドラマも私は見てないんだけど。

JRF2025/9/24733

……。

あとは以前私が読んだ本に関連して…。

「第3章 星新一が示した生の意味と無意味」では『ボッコちゃん』と『ようこそ地球さん』所収の小説が主に挙げられる。たまたまその二冊を私は [cocolog:95500929](2025年6月) で読んでいた。

星新一さんの作品全体を俯瞰して finalvent さんはいう。

>星新一の若い読者がその作品を読むことで無意識に知ることができたことは、どれほど暗黒の未来であっても、生きることだった。

JRF2025/9/27389

人が希望や未来を思い描いて生きることはたやすい。また人は、絶望というロマンに酔いしれ、死に過大な意味を与えて自己満足したい存在でもある。しかし、生の姿は冷酷な名でその人類が滅亡した灰色の世界を見つめつつ、ただ生きることでしかない。死体の山をブルドーザーで処理していくことでしかない。

それでももしかしたら、ボッコちゃんや死をもたらす銀の玉のような女神の声を聞き取り、一人渇いた笑いと愉快な笑いをもって生きることはできる。つまりそれが星新一の文学を読むということである。
<(p.52)

JRF2025/9/21585

私は星新一さんのアイデアを高く評価する。そこにヒラメキのタネがあると思う。finalvent さんにしてみれば「どこかで聞いた話・どこかに元ネタのある話」なのかもしれないが、でも、ヒラメキを星さん自身が感じていたから、編んだ小説群だと思う。そういう希望や未来は決してたやすくはなく、その一つを思いついただけでも生きたかいがあるように思う。それを星の数ほど残してくれたということだ。

JRF2025/9/20157

……。

「第8章 イスラム社会への深い洞察 -- 井筒俊彦『イスラーム文化 -- その根底にあるもの』」

[aboutme:125348](2010年05月) にちょっと出したが私のイスラム教の知識は↓による面が大きい。

中村 廣治郎『イスラム 思想と歴史』
http://www.amazon.co.jp/dp/4130060708

ただ、中公文庫の『ハディース』も何巻か持ってるし、『聖クルアーン』(コーラン)も持っていて、もちろん読んでいる([cocolog:83154639](2015年8月))。

JRF2025/9/25202

そんな中、精神性を高めた日本人がスーフィズムから接近するという意見にはハッとするものがあった。

>井筒は手短にスーフィーについて語り終えてから、イスラム文化をこう静かにまとめる。法によって生活世界を宗教とするスンニ派、隠れたイマームを信仰するシーア派、内面への道を究めたスーフィー、その三者のダイナミックな多層性こそ最終的なイスラム文化であると。

JRF2025/9/26746

イスラムの外部にいる日本人だからそうした岡目八目的な見方もできる、というようなことではない。日本人の知識と理解力と精神性をスーフィーのもつ叡智のレベル近くまで高めることで、その三者の多層性が見渡しうるのだと説いているのである。それは、イスラム文化の内面理解からイスラムの精神性に到達し、そこからこの宗教の新しい可能性に参加しうるとする震撼すべき提言なのである。
<(p.113)

ちなみに、拙著『宗教学雑考集』ではスーフィズムについてちょっとだけ言及がある。

JRF2025/9/23548

『宗教学雑考集』《梵我一如と解脱》
>キリスト教でも、私の梵我一如が胎児の感覚から来ているという理論からすると、梵我一如的なものを真理ととらえる感覚自体はなければならない。キリスト教では、それは、三位一体の「イエスと神の一致」に現れ、そのイエスに倣うことによって、個々がそれを(胎児のころから数えて再び)ものにする。…という形なのだろう。

JRF2025/9/29420

イスラム教の場合、神人一致というとスーフィズムがあるが、スーフィズムのないところもあることを考えると、そこ以外に、梵我一如的なものがあるに違いない。難しいが、それは、梵我一如の感覚が胎児という「過去」の記憶であると同様に、キリスト教という「過去」が梵我一如を「達成」しているとして、それを「大人」の宗教であるイスラム教が取り込んでいるということにするのではないか…と私は考える。ここから敷衍[ふえん]すると、逆にキリスト教を過去とできることが弱いところほど、スーフィズムが現れることが予想されるが、実際のところはどうなのだろう?

JRF2025/9/21774

……。

「第9章 思想という毒 -- 岸田秀『ものぐさ精神分析』」の岸田秀『ものぐさ精神分析』は、[cocolog:85503423](2016年7月)で読んでいる。放言的であることに辟易しているが、かなり長く引用したりしているところを見るとおもしろかったらしい。finalvent さんが選ぶくらい名著ではあるのだろう。

拙著『宗教学雑考集』《近親相姦のタブー》で岸田秀の説を引用している。そこだけ引用しておこう。

JRF2025/9/25319

>近親相姦のタブーが普遍的で強力なのは、近親者が幼児の性欲の最初の対象であり、最初に幼児をしてその耐えがたい性的不能の事態に直面させる危険があった人物だからである。もし、性のタブー、とくに近親相姦のタブーがなかったなら、人間の精神発達は、幼児期にあまりのショックのために押しつぶされ、挫折してしまうであろう。<(岸田 秀『ものぐさ精神分析』p.103)

JRF2025/9/20364

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