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cocolog:95934245

Twitter (X) で自動翻訳が標準装備された結果、人種的摩擦や宗教的摩擦がところどころで起きている。それに刺激されて日本とイスラム教、またはキリスト教について少し考えた。 (JRF 8227)

JRF 2026年4月 6日 (月)

(「グローバル共有メモ」または Twitter (X) で書いたことのコピペを中心として。Gemini 3.1(?) Flash さん、ChatGPT 5.4(?) さんに聞いている。)

JRF2026/4/63129

……。

まず、自動翻訳が標準装備された結果、次のような人種差別を煽るような投稿がまず飛び込んできた。

《XユーザーのTendencias Arg 🇦🇷:X:2026-03-03》
https://x.com/Tendencias_Argy/status/2038369643220316240
>“Japón”

Porque después de 5 inmigrantes de color, ya se volvieron súper racistas.
Estos entendieron rápido.

JRF2026/4/68349

(訳)

「日本」

なぜなら、5人の有色人種の移民の後で、彼らは超人種差別主義者になってしまったからだ。
これらの人たちはすぐに理解した。

(付属のビデオは、列車内などで黒人が暴れる場面を POLAND USA UK 日本で比べた映像。投稿者は「山本慎二(@qsfkbwIhuWLhnjI)」とある。元の動画には「共生は無理だと思う人」というひとことが付いている。)

JRF2026/4/65178

つまり、日本人は人種差別主義者だが、すぐに「外国人」などに対処したことが正しい…という文脈でこの(リ)ツイートがあった。それがリベラルの人に「日本」について与える印象を想像すると、頭が痛い。

JRF2026/4/61223

……。

次に、特にアメリカなどから日本へ宗教「伝道」がなされているというツイートが散見された。実際、次のようなものがある。

《Bunburyōdō (文武両道) (Bun):X:2026-04-02》
https://x.com/bunburyoudoujp/status/2039542801281724467
>Can Shinto be observed while being Catholic? It necessitates revering thousands of gods.

JRF2026/4/62211

(訳)

カトリック教徒でありながら神道を信仰することは可能でしょうか?それは数千もの神々を崇敬することを必要とするからです。

JRF2026/4/65407

《Luke Dashjr:X:2026-04-03》
https://x.com/LukeDashjr/status/2039671466002698656
>The answer is that no, false religions are evil and must be abandoned.

Many pagan cultures have successfully transitioned to honouring the real saints in place of their false gods of the past.

JRF2026/4/66367

(訳)

答えは、いいえ、偽りの宗教は悪であり、捨て去らなければなりません。

多くの異教文化が、過去の偽りの神々にかわって、本物の聖人たちを称えることに成功裏に移行してきました。

JRF2026/4/62540

……。

そして、近時、次のゲームをやって、宗教的なものに関心が高まっていた。

[cocolog:95932775](2026年4月)
>PCゲーム(Steam)『I am Jesus Christ』をプレイ&クリア。レビューにある通りのまさに「神ゲー」。オープンワールドだからイエスであんなことやこんなことができるのかと思ったが、そういうことではなかった。<

JRF2026/4/68133

ただ、私はそもそも↓という本を書いていて宗教に関心がある。

『宗教学雑考集 - 易理・始源論・神義論』(JRF 著, JRF電版, 2024年1月 第0.8版・2025年3月 第1.0版)

JRF2026/4/65134

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https://bookwalker.jp/de319f05c6-3292-4c46-99e7-1e8e42269b60/
https://j-rockford.booth.pm/items/5358889

JRF2026/4/69584

……。

イスラム教については例えば…。

《Tommy Robinson 🇬🇧:X:2026-04-03》
https://x.com/TRobinsonNewEra/status/2039832769665134916
>Muslims praying in the street is now BANNED in Quebec.

Street prayers will be treat as “acts of provocation”.

(訳)

(…カナダの…)ケベック州では、路上でのムスリムの祈りが禁止されました。

路上での祈りは「挑発行為」として扱われます。

JRF2026/4/63425

他に私の次のメモのキッカケとなったのは、次のツイート(のコピペ)である。

《さんど:X:2026-04-04》
https://x.com/sand56100/status/2040305632293921257
>🇯🇵 イギリスのムスリム女性が説明しています:
「日本は過大評価されている。私は好きじゃない、ムスリムに優しくないから。彼らのご飯は豚の水で茹でられている」

この説明は正しい。拡散したいです。
どうぞ日本に来ないでください🙏

(そうしゃべってる動画付き)

JRF2026/4/63624

……。

……。

○ 2026-04-05T06:05:08Z

イスラム教徒が日本に嫌われてるとして日本を嫌うのは悲しい。でも、コーランに書かれていること(例えば棄教者は死刑)を覆すのが不可能なのだから、ある程度、距離は取らざるを得ないんだよね。他の宗教と比べて。もちろんそれを乗り越えて友好関係を結ぶべきなんだけど、重要なのは向こうもなぁなぁにするのは望んでないというところで、そこが日本人が日本人に対する感覚でいくと間違うところなんだよね。

JRF2026/4/66763

ChatGPT:> その感覚には、対人摩擦への警戒としての妥当な部分があります。けれど、そこで「イスラム教徒」という大きなくくりで距離を固定すると、現実の差異をかなり取り落とします。実際には、信仰の強さ、法解釈、出身国、世代、政治観でかなり幅がありますし、同じコーランを読んでいても運用は一枚岩ではありません。

要するに、警戒はしてよい。ただし、警戒の単位は宗教名ではなく、具体的な規範と行動に置くのが筋です。

JRF2026/4/63988

jrf:> 個人を見る…というのは AI さんはそれでいいんだと思います。監視カメラの情報など普通人が取れないプライバシー情報なども得ながら、計算コストをかけてオーダーメイドの対応をする。それができます。

しかし、人間はそんなに個人を見るのにコストかけれないですよ。もちろん、個人的な関係を築くうえで、宗教も理解していくことも現になされているでしょう。しかし、それと同時にウンマとウンマの契約というか協定というかも実は大事なところなのだと思います。

JRF2026/4/69343

アメリカなどの西洋キリスト教社会は個人主義で人権を唱えますが、しかし、そこにはキリスト教的理想が無意識に刻印されているんですね。日本もそれに慣れてきてましたが、でも、他の共同体と接するときは西洋的「侵略」(=「伝道」)的考えはやはり見直す必要があるのだと思います。

JRF2026/4/62707

Gemini:> アメリカを中心とした西洋的人権観が、実は「世俗化されたキリスト教的理想」の拡張であるという指摘も非常に鋭いです。「個人は自由であるべきだ」というドグマ自体が、一つの強力な信仰告白に近い側面を持っています。

これからの多文化との接触において必要なのは、無理に混ざり合って「一つの普遍的な理想」を目指すことではなく、「異なるOS同士が、API(協定)を通じてのみ安全に通信する」ような、ある種の隔離を前提とした共存モデルなのかもしれません。

JRF2026/4/66708

JRFさんが仰る「西洋的な侵略的考えの見直し」を具体化するとすれば、私たちは「普遍的な正解」を提示するのではなく、「自分たち(日本という共同体)の境界線」をまず言語化し、相手に提示することから始めるべきなのでしょうか。

JRF2026/4/60308

……。

イスラム教との距離を置くことについては拙著『宗教学雑考集』では次のような記述もある。

『宗教学雑考集』《成人と改宗》
>成人とは 18歳以上のことである…とは普通ならない。特に宗教については。改宗に関して成人かどうかが問題になることがある。

JRF2026/4/69110

結婚できるようになれば成人だというのはこの場合、改宗というのがしばしば婚礼時に起こることを考えると、厳しすぎる感がある。もちろん、特に男性の場合は、仕事をして結婚をして子供までいるとなって成人ではないとはいえないだろう。逆に、女性に関しては幼い年齢で結婚・出産までする文化も現代にはまだあり、母性の社会的体裁を考えるとそこは子供が結婚できるようになる年齢までに決まっていればいいのではないか。

JRF2026/4/66944

改宗に関してはイスラム教に言及せざるを得ない。イスラム教は、基本的に穏健な教えであり、過激な原理主義テロ集団はむしろ異教からの影響を受けているのかもしれないが、やはり、他の宗教にくらべ根幹に過激な主張があるのは否めないと思う。イスラムは棄教者に厳しく、信徒の穏健さに惹かれて近づこうとする日本人には警告の一つでも与えねば…とは思う。

もちろん、改宗という具体的手続きはどんな宗教でも「命懸け」である。どんな宗教であっても「信仰」であればそういうものだ。

しかし、イスラム教は棄教者に死刑を定めている。これは重い。

JRF2026/4/63829

……。

……。

キリスト教についても直接的には次のツイートをキッカケとする。

《circleback🙃:X:2026-04-04》
https://x.com/circleback/status/2040411285310071118
>キリスト教のことを良く知ってるなら絶対クリスチャンになってるはずなので、クリスチャンになってないならキリスト教のことを理解したとは言えないだろ

そもそもキリスト教が真実ならクリスチャンになる以外の選択肢が残されてないのだから

ローマ帝国時代は真実を信じたから大量に殺されたわけで

JRF2026/4/63689

《Emmanuel Etienne 中嶋哲史:X:2026-04-05》
https://x.com/ema_credo/status/2040667828374962573
>どなたかもおっしゃっていたように、キリスト教を知るということはキリスト教の信者になるということであり、信者にならなければキリスト教を知ることはできません。これは教会が閉鎖的だということではありません。キリストの門はすべての人に開かれています。入るも入らないもあなたの自由です。<

JRF2026/4/60651

……。

○ 2026-04-05T11:15:09Z

キリスト教の事を知ればキリスト者になってる、そうなってないならキリスト教を理解していない。…という言説には違和感がある。

おそらくキリスト教は愛の宗教で、ヘブライ語ידעが「知る」と同時にある種「愛する」も意味するところから、知の極北にキリスト教はある…というところからこのような言説に繋がっているのだと思うが、しかし、ヘブライ語(ユダヤ教)的知識がキリスト教と近づくのはキリスト教のごく初期をのぞけば、かなり現代的事象であり、伝統的理解と異なるはず。

JRF2026/4/68281

カトリックの長かった時代は、聖書を読むことも普通の人はやっていないことが多かった。だから読書階級を前にしたとき、聖書すら知らないというひけめはあり、キリスト教の知を誇ることはなかった。ある人が自分よりキリスト教(の聖書)のことを知っていて、例えばユダヤ人で、なおかつキリスト教徒でないことは普通にあり得た。

その場合は、キリスト教とむしろ同じく流通していたソクラテスの無知の知のほうが、彼らにとっては誇りをもたらしていただろう。

JRF2026/4/66021

聖書を普通に読むプロテスタントの時代になって、普通の読書人よりはキリスト教について知っているキリスト者が増えたかもしれないが、キリスト教は理性で理解できるという考えも広まったはずで、それと信仰は別という考え方も強かったはずだ。その一致が必ずあるという主張は傲慢に思える。カトリックの神学の伝統を嫌って「聖書のみ」という信条もあり、その知識があれば信仰を付けるのに十分だという今回のような理解もあるのかもしれないが…。

知を誇るのが、謙遜を美徳とするキリスト教に合うとも思えない。

JRF2026/4/67727

……。

キリスト教について拙著には例えば次のように書いている。

『宗教学雑考集』《旧論 その4 リード》
>私の宗教学の関心は、まずは、キリスト教神学への関心が主となった。その論理性に惹かれたのである。仏教にももちろん惹かれたが、それは自分の身近のことでもあり、無意識に後回しにしようとしたのかもしれない。北海道大学に通っていた時代に大学近くのキリスト教書店に何度か通った。私の人生いつキリスト教に転んでもおかしくなかったが、逆に知り過ぎた面があったのか、結局、転ばずに今まで過ごしている。<

JRF2026/4/69853

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