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cocolog:96130159

火野葦平『麦と兵隊』を読んだ。1938年5月の日中戦争の日記形式の従軍記録または小説。100万部以上売れたらしく公式見解的で当時基準での「不都合な真実」は隠していると思われるが、斬首の描写はある。そこ以外も従軍記録としてドキュメンタリー的臨場感がある。 (JRF 2479)

JRF 2026年8月31日 (月)

『麦と兵隊 - 徐州会戦従軍記 - 附: 兵隊について - 戦場寸描の5作品』(火野 葦平 著, しみじみ朗読文庫 編, 響林社文庫, 2026年3月)
https://www.amazon.co.jp/dp/B0GPYB6KXQ

原著は火野葦平『麦と兵隊』(改造社, 1938年)と火野葦平『兵隊について』(改造社, 1940年)。火野葦平さんは1960年に死亡しており、著作権が切れている。

解説というか補足情報は Wikipedia からも得た。

JRF2026/8/319754

《麦と兵隊 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%A6%E3%81%A8%E5%85%B5%E9%9A%8A

《火野葦平 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E9%87%8E%E8%91%A6%E5%B9%B3

《徐州会戦 - Wikipedia》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E5%B7%9E%E4%BC%9A%E6%88%A6

JRF2026/8/314660

今回 Android タブレットの Kindle で読んだのだが、そこでハイライトを付けたところが PC 版でハイライトが反映されておらず難儀した。Web 版ではハイライトが反映されていたので事無きを得たが、Amazon にはしっかりしていただきたい。

JRF2026/8/319632

……。

著作権が切れていることもあって、ちょっと長めだが、本の雰囲気を知ってもらうために多めに引用していこう。

JRF2026/8/316524

……。

『麦と兵隊』の舞台は、1938年5月の日中戦争の徐州会戦である。そこに兵士としてではあるが、従軍「マスコミ」を率[ひき]いる感じなのか、そこと同行する形での参加である。最初はやや後方の感じだが、しかし、5月15日、16日は激しい戦闘に参加してほとんど死にそうになりながら命からがら逃げ回る描写もある。そして5月20日になると中国兵が数多く殺されているところに入り、21日にはどうも日本が勝ったらしいことが状況的にわかるが、まだ、「敗残兵」との戦闘もパラパラありそうである。そして22日、敵捕虜の斬首の場面があってこの小説は終る。

JRF2026/8/310390

Wikipedia によると、徐州会戦では、当初目的である囲んでの殲滅はできなかったが、蒋介石の軍(国民党軍の主力)は逃げて、日本の勝利に終ったとのこと。

JRF2026/8/317513

……。

5月5日。まだ最前線より遠い。しかし、戦場の「匂い」はある。

>汽車の上で兵隊は居眠りを始める。箱もない台車の下にびっしり乗って居るので横にはなれない。足は外にはみ出して居る。それでお互いに身体を靠[もた]せあったりして、みんな居眠りをして居る。物騒千万で見ている方がはらはらするが、なかなか落ちない。徐州戦線へと爆撃に行くらしい飛行機が四台、いかにも重そうに爆弾を抱えて飛んで行く。落としてしまうと、何倍もの速力でどんどん飛んで帰るよと兵隊が話している。<(位置136)

JRF2026/8/318363

……。

5月9日、前線に着いて、後ろから最前線を追っている。この先、麦畑の中をずっと移動していく。

JRF2026/8/317367

>この麦畑は正に恐るべきものである。大麦、燕麦、小麦、など、ただ茫漠たる麦の海で、これから先何処まで続いて居るものやら想像もつかない。これは単に麦を植えるとか耕作するとか云うような、生やさしい感じではない。この一本々々はことごとく支那農民の手に依って種蒔かれ、育てられたに違いないが、見渡して居ると、盛りあがって来るような土のすさまじさに圧倒されそうになる。私は蚌埠難民大会で見た村代表の百姓達を思い出した。あの鈍重な不屈の表情と八角金盤[やつで]のように広くて大きい掌とがこの麦畑を完成した。それは大地そのものである人間のみが初めて成就し得ることである。<(位置497)

JRF2026/8/315025

Gemini:>国策に沿った戦意高揚のプロパガンダであれば、敵地は「征服すべき荒野」や「解放すべき落後地」として描かれがちです。しかし、かつて社会運動に関わった経歴を持つ火野の眼差しは、政治や国境を超えた「生産者としての人間」の尊厳に真っ直ぐ向けられており、単なる従軍記に収まらない文学的深みを与えています。<

JRF2026/8/319769

……。

高橋少佐の口を借りてのマスコミ批判もある。5月11日。日本軍は兵站軽視と言われがちだが、それは軍というよりマスコミの側という側面もあったようだ。

>「(…)昔は、輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々[ちょうちょう]蜻蛉[とんぼ]も何とか彼とか、言語道断なことを云ったものだが、今はそんな馬鹿なことを云う者も無くなったけれど」そう云いながら、尚、いったい日本の軍隊に、一番乗りが何処だとか、何部隊だとかそんな事ばかり狙わないで、そんな事よりも、と云いかけると、記者氏は、しかし、先陣争いはイケヅキ・スルスミの昔から戦争には付きものですからな、などと云う。<(位置641)

JRF2026/8/312220

Gemini:>記者が引き合いに出す「生食(イケヅキ)・磨墨(スルスミ)」は『平家物語』の宇治川の先陣争いに由来する故事ですが、物資と兵力輸送の維持が勝敗を分ける20世紀の近代戦を、鎌倉時代の武者絵巻と同列に語る感覚そのものが、報道側の軽薄さを浮き彫りにしています。<

JRF2026/8/310587

……。

5月11日。最前線が近付き生々しい報告が聞けるようになってくる。中国兵が今しがた逃げていったところが見うけられるその地で…。

JRF2026/8/311035

>警備に残って居るのは吉田部隊で、乱雑に取り乱した低い家の部隊本部に入ると、恰度[ちょうど]隊長はお休みですと、兵隊が云う。やはりこの安眠を破ることをすまなく思ったのか、高橋少佐が、それでは後でよいから、と云って出ようとすると、起こしに行ったとみえて、背の高い長い髭を生やした少尉が軍服の釦[ぼたん]を止めながら奥から出て来た。高橋少佐が大変でしたね、ご苦労でした、と云うと、いや、と謙遜したが、少時の後、ほんとに大変でした、と感慨無量のような口調で付け加えた。

JRF2026/8/313085

戦闘は昨日の朝の九時半頃から始まりました、占領してしまうまで六時間掛かりました、敵は頗[すこぶ]る頑強でして、又は実に駭[おどろ]くほど勇敢でした、なかなか逃げるどころではなく、囲壁の上に身体を乗り出して射撃するのや、手榴弾を投げるのなどもありました、突入後も各所で格闘を演じました、すぐこの表でも大格闘を行ったのです、後で敵の持って居った陣中日誌らしいものを見ましたが、此処に居た敵の部隊は約一箇連帯位で、八日に、何処か判りませんが、基地を発し、九日に趙家集に着いて死守せよと命令されて居たようです、

JRF2026/8/319454

その日誌や二、三の書類などに徴しますと、此処に居たのは、宋哲元の直系部下、三十七師、大学生軍等の混成部隊であったと想像されます、判然[はっきり]しませんが、兵力は三千に近かったように思われ、遺棄屍体は五百ばかりありましたが、臭気を放ちますので、麦畑に持って行って埋めさせました、まだ敗残兵が附近に居るようです、負傷して逃げられず隠れて居るのですね、今朝も麦畑に居たのを十人程探し出しました、残念ながら、と、一寸部隊長は声を落として、此の方もだいぶ兵隊を殺しました、我々は清水部隊なのですが、清水部隊長も敵兵と格闘され、危機一髪という有様でした、

JRF2026/8/311644

将校も少し痛みました、兵隊は実によく戦ってくれました、敵は占領後も二回に渡って逆襲して来ましたが、これは難なく撃退しました、鹵獲品[ろかくひん]が沢山ありますが、御覧になりますか。

チェッコ機関銃、蜂の巣のように穴のあいたベルグマン銃、小銃、弾薬、短剣等が一杯あった。(…)
<(位置664)

JRF2026/8/316768

Gemini:>戦時下の報道やプロパガンダでは敵を「無力で卑怯」と矮小化しがちですが、ここでは現場の部隊長が「頗る頑強」「実に駭くほど勇敢」と述べています。特に相手が「大学生軍」を含む混成部隊であったという分析は重要です。抗日思想のもとで自発的に志願した知識層や若者たち(宋哲元率いる第29軍系など)が、強い士気を持って立ち塞がっていた現実を物語っています。<

JRF2026/8/319344

……。

5月13日。戦場のただ中であるが、さすが小説家である。戦場にもあるロマンチックな・幻想的な光景も描く。

>澮河[かいが]の滸[ほとり]に降りて、澮河の水で米を磨[と]ぐ。綺麗な水である。美しい月が出て居る。満月である。よい気持だ。水辺に近く穴を掘って竃[かまど]を作る。土堤[どてい]の蔭[かげ]に下りて来た大勢の兵隊の影が見え、我々と同じように、水辺で米を磨いだり穴を掘ったりして居たが、しばらくすると、火を焚[た]き始めた。次々にその火が数を増して来て、こちら側に土堤は一面の火の列が出来、ずっと向こうまで続いて篝火[かがりび]のごとく月明の中になんとも云えず美しい。

JRF2026/8/313712

しかし、その火はまたたく間に消えてしまって、又、まちまち青い夜になってしまった。兵隊は一寸でも早く炊爨[すいさん]を切り上げ、出来るだけ早く飯を掻[か]き込み、夜行軍が始められる迄に、一分でも余計に睡眠をとろうという訳だ。たちまち澮河の土堤は、昼間の疲れで横になるとすぐにぐっすりと眠ってしまう兵隊で満たされてしまった。まもなく、あちらこちらから鼾[いびき]が聞こえて来た。

JRF2026/8/318900

蛍が一匹こちらの岸から向こうの岸へ飛んで消えた。月光の中に眠る兵士の姿が私達には限りなく愛しいものに感じられた。その姿を見て、私と梅本君とは何故ともなく両方から顔見合わせ、ふいと微笑を取り交したのである。
<(位置850)

JRF2026/8/314869

……。

5月15・16日と死地を抜けた作者は、5月20日、日本軍が「勝利」した後を訪れる。

>二十五[]里舗[りほ]の城壁の前に掘られた壕の中に、支那兵の屍骸が山のように積まれてあった。その附近は縦横に壕が掘ってあって、覗いてみると、麦畑の下の方に通路が作ってある。この膝射散兵壕も掘られて間もなくのように、土が新しい。掘りかけであったのかも知れない。堆積された屍骸も新しく、まだ血が乾いて居ない。屍体の間に挟まって蠢[うごめ]いて居るものもある。私はこれを見て居たが、ふと、私がこの人間の惨状に対して、しばらく痛ましいという気持を全く感ぜずに眺めて居たことに気づいた。

JRF2026/8/312887

私は愕然[がくぜん]とした。私は感情を失ったのか。私は悪魔になったのか。私は戦場にあって何度も支那兵を自分の手で撃ち、斬りたいと思った。又、屡々[しばしば]自分の手で撃ち、斬った。それでは敵国の兵隊の屍骸に対して痛ましいと考える方が感傷である。私はうそ寒いものを感じ、そこを離れた。

JRF2026/8/318814

百に近い屍体で埋められて居る壕の続きに、沢山の土民が居た。女子供ばかりである。何人かよぼよぼの爺も居る。まっ裸の子供を両手に抱えたり、乳を銜[くわ]えさせたりして居る女が多い。痛ましい眺めである。彼等の不安の表情は正視に堪[た]えないものがある。兵隊が子供に熱量食の菓子をやって居る。煙草をやる者もある。彼等は猜疑[さいぎ]深い表情をし、なかなか受け取らない。

JRF2026/8/313089

兵隊は大喝して銃剣を突きつけた。ようやく子を抱いた女は煙草を手に取った。一口二口吸って、初めて笑った。すると今度は外の者も笑顔を見せて、皆、煙草をくれと云い出した。
<(位置1900)

JRF2026/8/310450

……。

5月21日、すでに日本軍がとった徐州にトラックで向かう。即製の日の丸に迎えられる。

5月22日。捕虜の処刑に立ち会う。

>前から準備してあったらしく、麦を刈り取って少し広場になったところに、横長い深い壕が掘ってあった。縛られた三人の支那兵はその壕を前にして坐らされた。後ろに廻った一人の曹長が軍刀を抜いた。掛け声と共に打ち下ろすと、首は毬[まり]のように飛び、血が簓[ささら]のように噴き出して次々に三人の支那兵は死んだ。

JRF2026/8/312503

私は眼を反らした。私は悪魔になっては居なかった。私はそれを知り、深く安堵した。
<(位置2074)

Gemini:>軍事上の不都合な真実が徹底的に隠蔽された時代において、このような捕虜の処刑場面が削られずに残った点はきわめて異例です。

JRF2026/8/311238

単に不都合な事実を告発・暴露したというよりは、「命を奪うことの無常さ」や「兵士の心の葛藤」という物語の文脈に組み込まれたことで、当時の検閲を通った可能性があります。軍当局にとっても、「残酷な処刑に心を痛める人間味ある兵士」という描かれ方は、単なる虐殺記事とは異なり、兵士の人間性を証明する描写として免容された側面があったと考えられます。

JRF2026/8/318456

本作が爆発的に売れた最大の要因は、兵士を無敵の英雄ではなく「恐れ、疲れ、悩み、葛藤する生身の人間」として描いたことにありました。

しかし、読者が「兵隊さんも自分たちと同じ人間なのだ」「悪魔になったわけではないのだ」と胸をなでおろすその構造こそが、戦場の残虐さを「やむを得ない人間の葛藤」へと昇華させ、戦争の現実を受け入れやすくさせてしまったという屈折した二重性を孕んでいます。
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JRF2026/8/311036

……。

……。

『兵隊について』の舞台は、杭州での作戦のようだが、時期はわからない。出版された1940年には作者は一時退役していたらしいが、その前といっても、班長ということで、下っ端ではないようだ。ただ、『麦と兵隊』がかなりノンフィクションっぽかったのに対し、『兵隊について』はフィクションっぽさを感じる。他の人から聞いた話を戦意昂揚のために自分のことのように語っている部分もあるのではないかとチラと感じる。それは単に『麦と兵隊』のように戦場で切迫性を持って書かれたもの…ではないという性質がそう私に思わせているだけかもしれないが。

JRF2026/8/313541

……。

一例として、これは戦意昂揚のためのフィクションだろう…と思ったところ。確かに本当の要素もあるかもしれないが、しかし、こう書いたのには作意があると思う。

>いったいに負傷者達はみんな後方へは下がらないといって軍医を手古摺らせた。ここで治療して治ったら又戦争へ参加するというのである。然しそのようなことは固[もと]より出来る訳のものではない。負傷者は担架で運ばれたり、戦友の肩にすがったり、自分で歩いたりしながら病院車に移された。<(位置2918)

JRF2026/8/315470

……。

まとめとして…。

Gemini:>国策と検閲という強い制約下にありながらも、個人の感性と葛藤が削り残された『麦と兵隊』。そして、その成功ゆえに火野葦平自身が「兵隊作家」の役割を背負い、美談を再生産する側へと移っていく過程。この2作を対比して読むことは、単なる戦場記の鑑賞にとどまらず、「極限状態の記憶がいかにして時代の物語へと形を変えていくか」という表現の変容プロセスそのものを辿る体験であったと言えます。<

JRF2026/8/314399

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